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スバル・インプレッサ

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インプレッサ(IMPREZA)は、SUBARU(旧・富士重工業)が生産・販売している乗用車である。

本稿では以下のモデルについて記述する。

  • インプレッサIMPREZA
  • インプレッサアネシスIMPREZA ANESIS
  • インプレッサスポーツIMPREZA SPORT
  • インプレッサG4IMPREZA G4

なお、インプレッサXVについては当該項目を参照のこと。

概要[編集]

1989年(昭和64年/平成元年)に完全新設計で登場したレガシィは、従来の主力車種であったレオーネ(排気量1.8 L)よりも排気量が大きい1.8 - 2.0 Lクラスの車種となっていた。そこで、レガシィとジャスティ (排気量1.0 L)との間に開いた穴を埋め、世界市場、特にヨーロッパにおけるCセグメント市場を狙ったスバルの世界戦略車としての役割を担うモデルとして、1992年(平成4年)に発売されたのがインプレッサである。

2023年(令和5年)現在の6代目モデルでは5ドアハッチバックのみの展開であるが、過去には世界ラリー選手権(WRC)への参戦を目的としたスポーツモデル「WRX」や、北米市場専売のクロスオーバータイプ「アウトバックスポーツ」といったバリエーションが存在した。

開発の経緯[編集]

インプレッサの開発が開始された1987年(昭和62年)当時、限られたメーカーしか製造していない水平対向エンジンと一般的な直列型エンジンとの間に技術的なブランクが生まれていたこともあり、当初は横置きの直列4気筒エンジンと無段変速機(CVT)を組み合わせたパッケージングで開発が進められていた。しかし、北米市場におけるスバル車の販売不振等の要因により、新型プラットフォームならびに直列4気筒エンジンの開発は凍結され、レオーネの需要を受け継ぐ小型車の実現可能な商品開発が検討された結果、レガシィからのプラットフォームおよび水平対向エンジンの流用が決定された。

近代[編集]

6代目 GU系(2023年 - )[編集]

6代目ではボディ形状は5ドアハッチバックのみの展開となり、世界中のほとんどで需要が縮小している4ドアセダンはこの代より正式に廃止される。また、アメリカで5代目まで設定されていたMTは廃止され、全車CVTのみとなった。 日本においてもセダンモデルの「インプレッサG4」が廃止となり、5ドアハッチバックモデルのみとなるため、この代より「インプレッサSPORT」から無印の「インプレッサ」に改称となった。

日本仕様車は2.0 L車のみとなり、エンジンは5代目に引き続きFB20型を踏襲。5代目の2020年10月一部改良モデルから設定されているe-BOXERモデルも踏襲される。

「アイサイト」はクロストレック同様に、画角の拡大とソフトウェア類の改良を行うとともに、フロントガラス取り付け式に変え、レンズフードを追加した改良型のステレオカメラユニットが採用され、二輪車や歩行者の認識用に単眼カメラが追加された。

米国仕様車・日本仕様車共にセンターインフォメーションディスプレイが採用されており、北米仕様車の「RS」と「Sport」、日本仕様車のe-BOXERモデルはApple CarplayやAndroid Autoに対応したスマートフォン連携機能を備えるほか、日本仕様車ではコネクティッドサービス「SUBARU STARLINK」に対応し、メーカーオプションで「what3words」を採用したナビゲーション機能を付けることも可能な大画面仕様の11.6インチが搭載される。

年表[編集]

  • 2022年11月17日(現地時間) - スバル・オブ・アメリカがロサンゼルスオートショー2022で6代目モデル(北米仕様車)が世界初公開された。グレードは「Base」、「Sport」に加え、北米市場におけるWRXの先駆けとなった「2.5 RS」に想起した2.5Lの新グレード「RS」も設定された。2023年春以降に日本市場、および北米市場への先行導入を皮切りに世界各地へ展開する予定であることがアナウンスされた。
  • 2023年
    • 1月13日 - 東京オートサロン2023でSTIパーツを装着した日本仕様車のプロトタイプが初公開された。
    • 2月16日 - 専用サイト(ティザーサイト)の開設と日本での先行予約の開始日が発表された。
    • 3月2日 - 日本で販売店を通じた先行予約が開始された。
    • 4月20日 - 日本仕様車の価格を発表。グレード体系も公開され、ガソリンモデルの「ST」、e-BOXERモデルの「ST-G」と「ST-H」の3グレードとなることも発表された。
      • ボディカラーは5代目スポーツ(2021年12月一部改良モデル)からクリスタルホワイト・パール(有料色)、アイスシルバー・メタリック、マグネタイトグレー・メタリック、クリスタルブラック・シリカ、ピュアレッド、サファイアブルー・パール、ホライゾンブルー・パール(e-BOXERモデル専用色・有料色)の7色が踏襲され、オアシスブルー(有料色)とe-BOXERモデル専用色のサンブレイズ・パール(有料色)を加えた9色が設定される。
  • 2024年9月13日 - 日本仕様車の一部改良及び特別仕様車「ST Smart Edition」を発表。
    • 11.6インチセンターインフォメーションディスプレイのホームボタンエリアにAVH(オートビークルホールド)ボタンが配置され、「SUBARU STARLINK」にはリモートエアコンが採用され、マイカー検索機能にハザード点滅機能を追加。
    • オーディオレス車はシルバー加飾付本革巻シフトレバー、ピアノブラック調シフトレバー、シルバーステッチシフトブーツ、艶黒塗装ドアミラー、本革巻ステアリングホイールが装備された。
    • ボディカラーはe-BOXERモデル専用色のホライゾンブルー・パール(有料色)をデイブレイクブルー・パール(有料色)へ入れ替えた。
    • 「ST Smart Edition」は「ST」をベースに、17インチアルミホイールをダークメタリック塗装に、ドアミラースイッチをシルバー塗装に、パワーウインドゥスイッチの加飾をメッキにそれぞれ変更され、フロアコンソールリッドにシルバーステッチを追加。ベースグレードではメーカーオプション設定となるフルLEDハイ&ロービームランプ+ステアリング連動ヘッドランプ+コーナリングランプ、リバース連動ドアミラー、ドアミラーメモリー&オート格納機能、運転席・助手席パワーシート、アクセスキー対応運転席シートポジションメモリー機能、運転席シート自動後退機能、アレイ式アダプティブドライビングビームが特別装備され、FWD車にはAWD車に標準装備されているLEDリアフォグランプ、ステアリングヒーター、フロントシートヒーターも特別装備される。さらに、LEDフロントフォグランプ、アルミパッド付スポーツペダル(アクセル、ブレーキ、フットレスト)、6スピーカー、後席USB電源、LEDリアゲートランプ、サイドシルスポイラー、緊急時プリクラッシュステアリング、スバルリヤビークルディテクション(後側方警戒支援システム)、エマージェンシーレーンキープアシスト、自動防眩ルームミラーも特別装備された。

モータースポーツ[編集]

本車はラリー、各種オンロード競技など様々なレースシーンで用いられる車種の一つである。初代は「ガラスのミッション」と呼ばれるほどパワーに対してトランスミッションの許容値が低く破損しやすいことが挙げられ、後のモデルのミッションを流用するなどして大容量化を図るケースもあった。

ラリー[編集]

初代から3代目までのインプレッサはモータースポーツ、特にラリー競技と切り離せない関係にある。世界ラリー選手権 (WRC) ではシトロエンやプジョーと互角の闘いを繰り広げ、これまでマニュファクチュアラーズチャンピオン3回(1995年、1996年、1997年)、ドライバーズチャンピオン3回(1995年、2001年、2003年)を獲得している。また、国内イベントでも常にチャンピオン争いに絡む活躍を見せてきた。

2.0 Lクラスのラリー競技用車両としては、日本はもちろん世界的にも三菱自動車工業のランサーエボリューションと並び称され、特に近年までのグループNクラスはほぼこの2車種が独占していたなど、スバルの世界的なブランド・イメージの構築に大きく貢献した。

2008年12月16日、スバルは世界的不景気の影響と3年以上勝利が遠ざかっていたこともあり「当初の目的はおおむね達成した」との判断から、同年末をもって"卒業"するとして、WRC参戦の終了を発表。これに伴ってワークスインプレッサのWRC参戦は終了した。

競技本番用としてだけでなく、ラリーステージの下見(レッキ)を行う際の車として、高性能な四輪駆動市販車を持たないメーカーのチームでも使用されることがあった。

初代 GC型・グループA(1993年 - 1996年)[編集]

1993年、プロドライブはそれまでWRC(世界ラリー選手権)に参戦していたレガシィの後継として、より小型なインプレッサをベースとしたラリーカーの開発に着手した。レガシィに対して全長が160 mm、ホイールベースが60 mm短く、前後重量比も最適であった。また、ラリーカー初のアクティブディファレンシャルも搭載した。ホモロゲーション名は「インプレッサ555」。

WRCには1993年シーズンの終盤、第9戦1000湖ラリーにデビュー、ドライバーはアリ·バタネンとマルク·アレン。バタネンは序盤から優勝争いを演じたものの、ナイトステージでライトポッドの影響でスクリーンの内側が曇るというトラブルでデビューウィンを逃したが、インプレッサは初参戦にして2位というデビューを飾った。

1994年、タイヤをミシュランからピレリに切り替え。同年には1990年および1992年のドライバーズチャンピオンであるカルロス・サインツがランチアから移籍、サインツの繊細なセッティング能力によってインプレッサは戦闘力が向上、第6戦アクロポリス・ラリーで初優勝を果たし、さらにマクレーによる2勝と併せてマニュファクチャラーズランキングでもこの年2位を獲得した。

1995年シーズンより、性能制限のためリストリクター装着が義務付けられるが、スバルはカムシャフトの改良により圧縮比が異なる新エンジンを導入することでこれに対応した。このシーズンは8戦中5勝を挙げ、本格参戦から6年目にして、マニュファクチャラーズ及びドライバーズ(コリン・マクレー)のダブルタイトルに輝いた。続く1996年(平成8年)はドライバーズタイトルこそ三菱のトミ・マキネンに奪われたものの、マニュファクチャラーズタイトルを2年連続で獲得。グループA最強のラリーマシンの1台と認知され、欧州におけるスバルのブランディング向上と、日本におけるラリー人気の拡大に貢献した。

初代 GC型・WRカー(1997年 - 2000年)[編集]

[編集] WRCでは1997年よりワールドラリーカー規定の導入が決定し、スバルでは新たに2ドアのインプレッサリトナをベースとしたラリーカーの開発に着手した。完全新設計で誕生したWRC97は、エンジンの改良によって最高出力300 PS/5500 rpm、最大トルク470 N⋅mを発揮した。また、サスペンション形状の変更に伴い全幅が1,770 mmに拡大され、よりワイド&ローな印象となった。しかし、リトナには一切存在しないボンネット上のエアスクープは当時のスバルはWRXを中心とした販売を行っていたため、販売とリンクするために特例で設置が許可された。1997年にもマニュファクチャラーズタイトルを獲得し、日本メーカーでは唯一の3年連続のマニュファクチャラーズタイトル獲得を達成した。

翌1998年は改良型のWRC98で参戦。フロント、リア、センターにコンピューター制御のアクティブディファレンシャルを搭載した。

その翌年の1999年にはさらなる改良型WRC99を投入。最大の特徴は電子制御の油圧式セミオートマチックトランスミッションに換装された点で、シフト速度の大幅な短縮を実現した。技術的にまだ未熟だった事もあり、第7戦アルゼンチン・ラリーまでは度重なるトラブルに悩まされたが、後に他メーカーも同様の技術を投入するなど大きな影響を与えた。スバルはこの技術を採用した初のラリーチームであり、2011年にレギュレーションで禁止されるまですべてのWRカーで使用された。

ドライブ・バイ・ワイヤスロットルが採用され、レスポンスの大幅な向上に成功した。

しかし、この2年間は三菱や復帰してきたトヨタの後塵を拝し、さらにフランスのプジョー・シトロエンの参戦もあってタイトルからは遠のいてしまう。2000年には2代目インプレッサへの移行を見越した大々的な改修が施された。

2代目 GD型(2001年 - 2008年)[編集]

ベースとなるインプレッサのGD型へのフルモデルチェンジに併せて、ラリーカーも2001年のWRC2001よりGD型ベースで開発される事となった。従来の2ドアから4ドアボディとなったのが最大の変更点で、エアロダイナミクスや重量配分の改善、さらには低重心化にも寄与していた。前年度より移行を見据えて改修されていたエンジン及びドライブトレーンはそのまま流用されている。

2001年にはリチャード・バーンズが、2003年にはペター・ソルベルグがそれぞれWRCドライバーズタイトルを獲得。2004年が初開催となったラリージャパンではソルベルグが初代勝者に輝いた。さらに、2005年にはプロダクションカーWRC (PCWRC) で新井敏弘がシーズンチャンピオンを獲得した。しかし、2006年および2007年はマシン開発で迷走し2年間未勝利に終わった。

2002年の第3戦ツール・ド・コルスよりWRC2002を導入。外観の変更点はないが、軽量化により車重が15 kg減少した。

2003年シーズンより導入されたWRC2003では、ベース車のフェイスリフト(丸目→涙目)に伴いフロントフェイスが変更された。また、エンジンやターボ周りにも変更が加えられ、より低い回転域から高トルクを発揮するよう改良された。

2004年の第3戦ラリー・メキシコよりWRC2004を投入。外観上の変更はあまりなかったが、エンジンとボディパネルに改良が加えられ、また改良されたミッションがシーズンの途中で導入された。

2005年の第3戦ラリー・メキシコよりWRC2005を投入。ボディシェルが再設計され、全幅を30 mmワイド化することで剛性と安定性を向上させた。エンジンでは軽量フライホイールが装着され、ターボチャージャー、インジェクションにも改良が加えられた。

2006年シーズン初戦より投入されたWRC2006は、ベース車の2度目のフェイスリフト(涙目→鷹目)に伴いフロントフェイスが変更された。機構面での変更点はレギュレーションの改定に併せた変更に留まっている。

2007年シーズン第4戦よりWRC2007を投入。ダンパーの改良や、ラジエーターとインタークーラーの配置見直しにより、重量配分が改善された。また、サスペンションやディファレンシャルのセットアップも変更された。さらにトランスミッションとディファレンシャルのケースは軽量化のためマグネシウム製とし、基本コンポーネントを個別にオイルシールすることで、コンポーネントの交換時間の短縮に貢献した。しかし、この年より参戦してきた最新型マシンであるフォード・フォーカスWRCやシトロエン・C4WRCには歯が立たず、絶対的な戦闘力不足が課題となった。

3代目5ドア・ワールドラリーカーインプレッサ(2008年)[編集]

インプレッサWRC2008。2007年12月、フルモデルチェンジ(3代目GH/GR系)に伴い、スバルはまったく新しいGHシャーシのインプレッサWRXをベースにしたWRC2008のテストを開始した。2008年の車はリアオーバーハングが短くホイールベースが長いハッチバックボディになったため、ようやくシトロエン、フォードなどのライバルと同等のボディ・次元で戦えるようになった。オーバーハングが短いことで極慣性モーメントが減少することで恩恵を受けることが期待され、ダブルウィッシュボーン式リアサスペンションも備えていた。しかし、プロドライブはこのセットアップが劣っていることを発見し、リアサスペンションを元のマクファーソン機構に戻し、最初の数回のラリーでは、更新された2007年の車が使用され、2008年のバージョンは準備ができていた。マルコ・マルティンは2008年にスバルチームの公式テストドライバーになる契約に署名し、WRC2008でのテストの大部分を完了した。

2008年4月30日から5月3日までのサルデーニャでの4日間のテスト中に、ペターソルベルグとクリスアトキンソンが初めてWRC2008を運転した。同年5月20日、スバル・ワールドラリーチームはWRC2008が5月29日から始まるギリシャのアクロポリスラリーでWRCデビューすることを確認した。デビューでは、WRC2008はペターソルベルグがアクロポリスラリーで2位になり、最初の表彰台を獲得した。しかし、タバコスポンサーの撤退に伴い資金が豊富なシトロエンやフォードに比べテストが不足、開発・オペレーションを担当していたプロドライブにおける度重なるトップエンジニアの更迭・引き抜き・解雇などに端を発する開発現場の混乱も手伝い、マシンの開発や熟成に時間がかかるといった問題が新型へスイッチされてもなお、改善されなかった。また、WRカーのレギュレーションはエンジンの搭載位置および搭載角度は規定内で変更可能であり、横置き直列エンジンならエンジンを後傾させてマシン中央部に寄せるなど、重心を大幅に改善する設計が可能であるが、水平対向エンジンを縦置きにレイアウトするインプレッサにはほとんど改善の余地がなく、グループA・Nでは絶大であったロードカーとしての素性の良さを生かせないWRカー規定自体がインプレッサにとっては不利であった。

同2008年12月16日に、同年をもってWRCから撤退することが正式に発表され、1993年の1000湖ラリー(ラリーフィンランド)以降14年にわたって維持されてきたインプレッサによるワークス・エントリーの歴史に終止符が打たれた。同一車名による14年間連続ワークス・フルエントリーは、WRC史上最長記録となっている。ラリーフィンランドでのクリス・アトキンソンの3位は、当時の厳しい経済状況の中で2008年末にチャンピオンシップから撤退した車とスバル・ワールドラリーチームの最後のWRC表彰台フィニッシュであった。

ラリーアメリカ[編集]

世界ラリー選手権 (WRC) 以外のラリー競技では、ラリーアメリカ(英語版)で「スバル・ラリーチームUSA(英語版)」のケン・ブロックとトラビス・パストラーナらが活躍し、ライバルを圧倒し続けた。

サーキット[編集]

インプレッサはラリー以外の分野でも活躍している。

全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) には、1996年と1998年にSYMSレーシングから初代スポーツワゴンで出場していた。レギュレーション上、駆動方式の変更が認められていたためFRとし、同一メーカー製造のエンジンであれば換装可能であったので、EJ18型エンジンをボアアップし、EJ20型エンジンのDOHCシリンダーヘッドとドッキングさせた、2,000cc自然吸気DOHCエンジンが搭載された。

SUPER GT(旧・JGTC)には、クスコ・レーシング(キャロッセ)が1997年の最終戦より初代2ドアクーペで出場し、2002年より2代目4ドア車が特認車両として出場していた。当初は、四輪駆動車には最低車重が上乗せされるレギュレーションであったため、四輪駆動によるトラクションより車重を抑える方が得策との判断からFRが選択されていた。その後、駆動方式による最低重量区別がなくなった2006年の途中から四輪駆動仕様が参戦している。また、インプレッサの活躍もあってか2008年より4ドア車も認められ、同年第4戦 マレーシアにおいて、4ドアそして四輪駆動車として初優勝を飾った。しかし、2009年はチームが活動を縮小したため、参戦していない。

スーパー耐久では、2002年と2005年、2013年から2016年は四連覇でST2クラス(旧クラス2)のシリーズチャンピオンを獲得している。

ニュルブルクリンク24時間レースでは、WRX STIが2011年にSP3Tクラスでクラス優勝(総合21位)し、翌2012年にも同クラスでクラス優勝(総合28位)している。

競技ドリフト[編集]

D1グランプリにチームオレンジのマシンとして初代、2代目(涙目、涙目改鷹目GDB)が使用されていた。スバルの水平対向4WDは縦置き故にセンターデフの小加工でFRにでき、比較的早く四輪駆動改後輪駆動仕様が製作された。無論、後輪に全出力が集中するため、後軸周りを中心とした駆動系の強化は必須となる。

その他[編集]

2017年にTOYOTA GAZOO RACINGが公開したCMでは、トヨタの豊田章男社長が俳優・佐藤健をインプレッサ (GRB型)の助手席に乗せて自らドリフト走行を披露し、自社製・他社製の枠に収まりきらない自動車マニアぶりをアピールした。

販売台数[編集]

年度別販売台数
年度 インプレッサ

(全世界、4月–3月)

(日本) (米国、1月–12月)
1995 80,120 44,864 24,415
1996 94,578 41,918 24,687
1997 89,300 37,049 24,242
1998 88,392 33,531 19,401
1999 84,184 25,654 19,356
2000 87,083 32,362 19,220
2001 100,589 24,899 35,612
2002 100,825 25,471 38,226
2003 89,773 22,263 36,525
2004 97,382 27,437 32,209
2005 105,998 30,063 33,637
2006 118,941 26,159 41,148
2007 151,873 32,873 46,329
2008 121,623 21,935 49,098
2009 92,702 23,316 46,611
2010 104,780 20,859 44,395
2011 130,916 30,566 41,196
年度 インプレッサ/

SUBARU XV (全世界、4月–3月)

インプレッサ/

SUBARU XV (日本、4月–3月)

インプレッサ

(米国、1月–12月)

SUBARU XV/

クロストレック (米国、1月–12月)

2012 252,538 54,306 81,799 7,396
2013 268,541 62,529 76,825 53,741
2014 240,057 40,277 57,996 70,956
2015 260,003 41,137 66,785 88,927
2016 290,500 53,136 55,238 95,677
2017 373,400 68,937 86,043 110,138
2018 322,500 49,117 76,400 144,384
2019 312,000 42,900 66,415 131,152
2020 256,100 30,700 43,628 119,716
2021 226,500 22,500 34,791 127,466

車名の由来、愛称[編集]

IMPREZA
現代英語で「金言」を意味し、廃語としては紋章学において「(シールド上の)紋章」を意味した "impresa日本語音写例:インプレイザ)" を基にした造語である。
WRX
"World Rally eXperimental" の略称。また、レオーネのスポーツグレードで採用されていた呼称「RX」(RALLY + 未知なる物を意味するX)を引き継いでいる。
STI
スバルテクニカインターナショナル株式会社の英名 "Subaru Tecnica International Inc." の頭字語「STI」に由来する。
ANESIS
3代目セダンのサブネームである「ANESIS」(アネシス)は、ギリシア語で「安心」「安全」「リラクゼーション」を意味する語に由来する。なお、関連語と思われる古典ギリシア語の "ἄνεσιςラテン翻字: anesīs、日本語音写例:アネシース)" (cf. ja) は、日本語で「緩和、軽減」「リラクゼーション」「寛解」「レクリエーション」「耽溺」「認可、許諾」を意味する。
G4
4代目以降のセダンのサブネーム「G4」の「G」は、英語で「本物の」「正真正銘の」「誠実な」を意味する "genuine" の頭文字で、「4ドア」を意味する「4」を付与している。
XV
クロスオーバーモデルの「XV」は "crossover (=x-over) vehicle" を意味する。

日本では「インプ」という愛称で親しまれている。日本国外では、特にイギリスにおいて口語で “Scooby”(スクービー)と呼ばれることがある。

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