MIYAVI
MIYAVI(ミヤビ、1981年9月14日 - )は、日本のロックミュージシャン・ギタリスト・俳優。既婚。
概要[編集]
1999年から2002年にかけて活動したビジュアル系バンド"Dué le quartz"の元ギタリスト。高い作曲性はその当時から健在であり またその実績などから「サムライギタリスト」の異名を持つ。2009年に独立し、個人事務所・J-glam Inc,の代表取締役を務める。日本国外ではウィリアム・モリス・エンデヴァー・エンターテイメントとエージェント契約を結んでいる。日本国内ではLDHとマネジメント契約を結んでいる。血液型はAB型。身長185cm。
演奏スタイル[編集]
激しくパーカッシヴなタッチのプレイスタイルを持ち味とし、ピックを使わないスラップ奏法で演奏している。このスタイルはベースのスラップ奏法や、日本の伝統的な楽器である三味線に影響を受けている。
ヴィジュアル系シンガーとしてデビューし、日本語主体のポップな楽曲を手がけていたが、ロサンゼルス留学を機に徐々に洋楽スタイルに傾倒。歌詞も英語が中心になるとともに、2010年からはヴィジュアル系シーンからは距離を置き、サポートドラマー・BOBO(54-71)と組み、ギターとドラムというシンプルなスタイルでライブ活動を展開している。
来歴[編集]
1981年、大阪府で韓国籍から帰化した父と日本人の母の両親のもとに生まれる。
兵庫県内の町で育った子ども時代は、音楽とは無縁のサッカー少年だった。小学2年で会社員の父親が仕事のかたわらコーチをつとめる地元のサッカーチームに入り、のめりこむ。試合を組み立てるのが得意なキャプテンを務めた。めきめきと頭角を現し、「プロのサッカー選手になる」。当たり前に、そう思うようになった。
中学生になると、日本のプロサッカーチームであるJリーグ・セレッソ大阪のユースチームに所属するようになる。大阪府の選抜選手にも選ばれ、プロのサッカー選手になることを夢見るも15歳の時に足を負傷し、それをきっかけにチームを離脱し、サッカー選手の夢を断念した。
その後、人生の目標を失いグレたMIYAVIは、ミュージシャンに憧れたというのではなく悪さを行うのと同じ感覚で「バンドをやってみようか」と考えて音楽と出会いギターを始める。3コードでも作曲ができることを知り、そのまま学校に行かずギターを弾く生活をはじめ、最終的に高校を自主退学している。17歳のとき恩人の先輩の死にショックを受けそのまま上京する。ライブハウスでヴィジュアル系ロックバンド・Dué le quartzのメンバーと出会い、そのまま一泊し、一晩で作曲を終えたことがきっかけとなり加入することとなった。作詞・作曲・編曲のほぼ全てを手掛けた。
ギタリスト、コンポーザーを経て、2002年10月31日にアルバム『雅楽-gagaku』より、「雅-miyavi-」名義でソロ活動を開始。2004年10月20日、シングル「ロックの逆襲 -スーパースターの条件-/21世紀型行進曲」でユニバーサルミュージックよりメジャーデビュー。10月24日、自身初めてのメジャーデビューイベント黒服限定GIGを開催した。
2006年、シングル「君に願いを」をリリースした後単身ロサンゼルスに3ヶ月間留学。その後日本に帰国し、シングル「咲き誇る華の様に/歌舞伎男子」で活動を再開。またセッションバンド・KAVKI BOIZを新たに結成、ラップ、タップ、和太鼓やボディペイントなど様々なジャンルのパフォーマーと共演。2007年にはX JAPANのYOSHIKIから「このバンドを自身の人生にとって最後のバンドにしたい」と誘われてYOSHIKIが新たに立ち上げた新ユニット・S.K.I.N.にもギタリストとして加入した。
2009年、日系アメリカ人の元歌手であるMelody.と結婚する。
2010年、所属レーベルをEMIミュージック・ジャパンに移籍することを発表。またアーティスト表記を「雅-MIYAVI-」に改めることも発表した。
2011年10月より、トータル・プロデューサーに亀田誠治を迎え、ジャンルの異なるアーティストたちとセッションするプロジェクト「SAMURAI SESSIONS」を始動。2012年11月14日、さまざまなアーティストと“対戦”するコラボレーション・アルバム『SAMURAI SESSIONS vol.1』をリリース。
2014年12月25日公開(2016年2月日本公開)のアンジェリーナ・ジョリー監督映画『不屈の男 アンブロークン』で、俳優としてデビュー。
2017年11月20日、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の日本人初となる親善大使に任命される。
2019年12月18日、芸能事務所LDH JAPANに2020年1月から正式に移籍することが発表された。
2020年6月16日、イタリアのファッションブランド「GUCCI」がグローバルに展開する”Gucci Off the Grid collection”の広告キャンペーンに起用。キャンペーンムービーが公開された。日本人ミュージシャンがグローバルキャンペーンに抜擢されたのは1921年「グッチ」創設以降、およそ100年の歴史の中で初めてである。
2022年7月20日、レギュラー選手の年俸総額が600億円を超え、シン・銀河系軍団とも称されるフランスのリーグ・アンに所属するパリ・サンジェルマンFCがおよそ27年ぶりに来日し、日本のJリーグチームとプレシーズンマッチを行う、その最初の相手である川崎フロンターレとの試合のオープニングセレモニーでMIYAVIがギターによるパフォーマンスを披露した(2022年7月20日 国立競技場)。
2022年8月9日、WOWOWで放送される欧州サッカーのテーマソングをMIYAVIが担当することが発表された。先月のパリ・サンジェルマンFCの試合でのギターパフォーマンスが好評だったのと、プロギタリストになる前の少年時代にセレッソ大阪のユース選手だった実績を買われての抜擢である。
2022年11月11日にYOSHIKI・HYDE・SUGIZOの3人と「THE LAST ROCKSTARS」の結成を発表。
人物[編集]
- 影響を受けたギタリストとしてスティーヴィー・レイ・ヴォーン、ロバート・ジョンソン、サンハウス、B.B.キングらを挙げている、ブルースマンが多い。一方では「誰かをコピーしてもしゃあないと思ってたから、ガチでコピーとかしたことないです」「世界にはクラプトンもジミヘンもB.B.キングも、もういるわけですよ。だから俺がやる必要なくて」と2017年3月のインタビューで語っている。
- 自身のファンの事を「Co-miyavi=仔雅(こみやび)」と呼ぶ。
- アンジェリーナ・ジョリーが監督を務めたハリウッド映画『不屈の男 アンブロークン』に出演したことがきっかけで、その後、アンジェリーナ・ジョリー、ブラッド・ピット夫妻とは家族ぐるみの付き合いがある。映画のキャストにMIYAVIが抜擢されたのも元々はアンジーがYouTubeなどを通してMIYAVIのギタープレイを前々から鑑賞しており、アンジーがMIYAVIの大ファンであったことがきっかけである。
- アンジェリーナ・ジョリーと交流を持ったことがきっかけで、その縁から、アンジーが特別大使を務めているUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)にも参加し、世界の難民の支援活動なども行っている。
- 影響を受けた日本のアーティスト(ギタリスト)としては布袋寅泰、hide、高中正義の3人の名前を挙げている、特にhideに対しての思い入れは強く、MIYAVIが日本の音楽業界でソロデビューした際、MIYAVIの周りを固めていたのはかつてhideをプロデュースしていたhideのスタッフたちであり、その時にhideの生き様や音楽に対して真剣に向き合うひたむきさ、ロックスターとしての振る舞い方など、様々なことを学ばせて貰ったと語っている。またソロデビュー後初のライブであった渋谷公会堂でのライブで共演したX JAPANのPATA(hideの盟友だったギタリスト)から「まるでhideと一緒に演奏してるみたいだ」と言われたことに感銘を受け、身が引き締まる思いになり、「自分もhideさんのようにもっと後世に語り継がれていくようなアーティストになりたいな」と思うようになったとも語っている。
- 2019年9月1日、TBS系の情報番組『サンデージャポン』で悪化する日韓関係が特集された際には、祖父母が韓国出身であることから、番組内で「自分自身は日本で生まれて日本国籍で日本人として世界を回ってるんですけど、ミュージシャンとして韓国によく行くんですね。韓国にもファンの人がいるけど、みんな日本のこと大好きですし、日本の子たちも韓国の文化を好きな人もたくさんいる」「個人的にお互い政府も含めて、理解する姿勢をもっと持ってアジアの同胞として新しい日韓関係を築いて欲しい」などと述べた。