ACジャパン
公益社団法人ACジャパン(エーシージャパン、英語: Advertising Council Japan、AC JAPAN)は、日本で様々なメディアを通した公共広告により啓発活動を行っている公益社団法人である。
概要[編集]
公共広告によって、国民の公共意識を高めることを目的に活動している民間の団体である。アメリカの「広告協議会(アド・カウンシル(英語版)、以下『アメリカAC』と表記)」を見本として、1971年(昭和46年)に大阪府で前身である任意団体の「関西公共広告機構(かんさいこうきょうこうこくきこう)」が発足。公共広告を実施する団体としては日本初のものであった。1974年(昭和49年)、これを引き継ぐ形で「社団法人公共広告機構(こうきょうこうこくきこう)」を設立し、全国放送されるようになった。2009年(平成21年)7月には現名称であるACジャパンへ改称。2011年(平成23年)には公益社団法人化された。
運営は全国の企業や団体、一般個人による会費制で成り立っており、税金は使用されていない。主な活動内容は様々なメディアを通した公共広告の発信であり、制作は正会員である広告会社により行われている。広告は無料で流されているが、正規料金に換算した場合の広告費は日本国内の広告主でトップクラスの規模である。
組織[編集]
前述の通り、組織の運営は会員からの会費により成り立っている。会員は「正会員」「賛助会員」「個人会員」に分けられる。正会員は広告を取り扱う企業であり、広告主となる一般企業のほか放送業界・新聞業界・広告業界などの企業が含まれ、正会員社数は約1000社(2011年(平成23年)度現在)にのぼる。会員企業からは1口12万円の年会費という形で資金を集めている。賛助会員は1987年(昭和62年)度から設けられた会員であり、当初はACジャパンの活動に賛同する個人を対象にした会員であった。現在、賛助会員は名称が「個人会員」と改められ、「賛助会員」は正会員社の事業所である会員を指している。賛助会員(現在の意味における)の会費は1口6万円、個人会員の会費は年6000円である。現在、主たる事務所を東京都中央区に置いて、全体の年間実行計画の統括事務を行う一方、札幌市中央区・仙台市青葉区・東京都中央区・名古屋市中区・大阪市西区・広島市中区・福岡市中央区・那覇市の全国8か所に事務局が設置されている。
現理事長はライオン株式会社相談役の藤重貞慶。副理事長は、河北新報社代表取締役社長の一力雅彦、株式会社電通相談役の石井直、株式会社TBSテレビ取締役会長の武田信二である。
設立背景と経緯[編集]
前身である関西公共広告機構が設立される背景となった時代は、高度経済成長期である。この時代は人々の生活水準が向上した一方で様々な社会問題が生じており、いわゆるテクノロジーアセスメント、ソーシャル・マーケティングといった概念の登場で『企業の社会的責任』が問われるようになった。この点は植条則夫が指摘しているほか、「関西公共広告機構設立趣意書」においても記載されている。
1969年11月、設立者である佐治敬三はアメリカの広告会社であるケッチャム社を訪れ、そこでアメリカACの存在を知り「同じような活動を日本でもできないか」と考えた。これが関西公共広告機構設立のきっかけである。佐治が注目したアメリカACの作品は「愛…それはあらゆる人種を超えて」である。また、佐治は「広告は人を説得するための最も強力な手段」と考えており、広告を手段に商売をしてきた大企業の社長として、公共の問題について社会に訴えていくことで広告に「お返し」をしたいと思っていたことも、設立のきっかけの一つにつながっている。
帰国した佐治は、1970年1月29日に大阪広告協会で公共広告を実施する機関の設立を提唱し、その約1年半後となる1971年7月7日に発起人会・設立総会が実施され、関西公共広告機構が設立された。
設立に至るには、会員となる企業がその活動に賛成し、さらに金銭面で協力することが必要であった。植条によると、日本人はアメリカ人と違って公共意識が低いため協力が得にくいのではないか、という意見があったというが、関西においては広告関係者の協力が問題なく得られた。
これに関して、加藤良雄(1992年当時、公共広告機構政策実行委員会副委員長)は、大阪人には佐治や芦原義重(関西公共広告機構会長)を中心としたまとまりがあり、ボランティア精神や素早い問題意識があったことが成功した要因だったと発言している。さらに加藤は金銭面での協力について、当時は「万博景気の後」ということで、広告主や媒体社に多少の余裕があったのが幸運であった、との旨を発言している。植条は設立された時期について、前述の社会的な背景を踏まえて「公共広告を受け入れるには、まことにタイムリーな時代でもあった」と述べている。