鹿児島県警内部告発事件
鹿児島県警内部告発事件(かごしまけんけい ないぶこくはつじけん)は、職務上の秘密を外部に漏らしたとして逮捕された鹿児島県警察の元生活安全部長Hが、警察官の犯罪を本部長Aが隠蔽しようとしたと告発した事件[1][2]。2023年から福岡市のウェブメディア「HUNTER」は県警警察官の親族が起こした性加害事件ほか県警の不祥事を追及[3]していたが、県警は2024年4月8日に情報提供者の巡査長を守秘義務違反容疑で逮捕し、同時に「HUNTER」の関係先を家宅捜索した[4]。家宅捜索の過程でHを別の情報提供者と特定し、同年5月31日に逮捕に踏み切った[5][6]。Hが勾留理由開示手続きの陳述で「本部長Aが県警職員の犯罪行為を隠蔽しようとしたことが許せなかった」と情報漏洩の理由を述べたことから、ノンキャリアの元最高幹部がキャリアの県警トップに反旗を翻した事件として注目を集めた[7][6]。憲法学者は「取材源特定のための強制捜査は許されない」と批判[8]。関係するジャーナリストらも「取材源の秘匿を脅かす報道弾圧」であると県警に抗議した[9][10][11]。
経緯[編集]
2021年8月下旬から9月末にかけて、鹿児島県医師会の男性職員が、新型コロナウイルス感染者の宿泊療養所内で、派遣された看護師に対しわいせつ行為をした。2022年1月、看護師の女性は計5回、強制わいせつと強制性交の被害を受けたとして鹿児島中央警察署に助けを求めたが、応対した警察官は、女性が持参した告訴状の受理を頑なに拒み、様々な理由を付けて「事件にはならない」と言い張り女性を追い返した[6]。同年9月、県医師会は、調査委員会が男性職員の主張に沿う形で、性行為は「合意の上である蓋然性が高いと思慮される」と結論づけたと発表した[12]。同年10月末、男性職員は退職した。
2022年10月7日、Aが鹿児島県警本部長に就任した。
中願寺純則がほぼ一人で運営する福岡市のウェブメディア「HUNTER」は2023年1月20日、上記の性加害事件を報道。「男性職員の父親が勤務していたのは、女性を『門前払い』にした鹿児島中央署」と明かし、「背景にあるとみられるのは、身内をかばう『警察一家』の悪しき体質と性被害への無理解」と書いた[6][13]。「HUNTER」は県警を指弾する記事を次々と掲載し、男性職員の父親が2023年3月まで鹿児島県警の警部補だったことも突き止めた[6]。2023年6月に県警は元男性職員を書類送検するが、鹿児島地検は2023年末に嫌疑不十分で不起訴とした[12]。
曽於署地域課の巡査長F(以下、F)は情報提供者として中願寺の前に現れた。Fはもともと県警の公安部門に所属していた警官だった。中願寺は「告訴・告発事件処理簿一覧表」との標題がついた内部文書を受け取り、2023年10月25日から「HUNTER」で県警と鹿児島医師会の癒着と不当な捜査指揮を暴いていった[6]。
2023年12月19日、県警は、枕崎署地域課の巡査部長が公衆トイレで女性を盗撮していたことを認知した。警察官の犯罪は本部長による事件指揮が基本とされるため、12月22日、県警本部長Aは前首席監察官から事件の報告を口頭で受けた[14][5]。ところが3か月経っても、巡査部長が逮捕される気配はなく、生活安全部長H(以下、H)は県警を告発する覚悟を決めた[5]。
2024年3月25日、60歳のHは県警を退職。同月28日、警察の内部文書を含む10枚の文書を封筒に入れ、札幌市の『北方ジャーナル』編集部に送った。受取人は同誌に頻繁に寄稿していたフリージャーナリストの小笠原淳だった。4月3日、小笠原は編集部で郵便配達員から封筒を受け取った。差出人の名前はなく、1枚目には「闇をあばいてください」と太いフォントで印字され、2枚目には「鹿児島県警の闇」と題して計4件の事案が列挙されていた。(1)霧島署の巡査長が女性にストーカー行為を繰り返し、職務上知り得た個人情報も悪用して行為に及んだのに処分も公表もされていない事案、(2)前述の枕崎署の巡査部長の盗撮事件において、職務時間中、市内公園のトイレで女性を盗撮し、しかも捜査車両を使っていたのに県警が隠蔽している事案、(3)県警幹部による超過勤務手当の不正請求があったのに立件も公表もされていない事案などであった。小笠原はその日のうちに「HUNTER」の中願寺に電話し、匿名で送られてきた10枚の告発文書もメールで送信した[6]。
そのわずか5日後の4月8日、県警は前述のFを地方公務員法違反(守秘義務違反)容疑で逮捕し、同時に「HUNTER」の事務所を令状を読み上げないまま家宅捜索した[4][15]。捜査員は業務用のパソコン、中願寺が使用している新旧のスマートフォン、取材用のノートやファイル、名刺類まで押収した。パソコンには小笠原が中願寺と共有した告発文書も当然保存されていたが、県警は、提供文書や情報の精度からみて現場レベルの警察官ではなく、相当に高位の立場にある県警幹部クラスではないかとにらんだ。ほどなくHであることが特定された[6]。
鹿児島県警では警察官による不祥事が後を絶たなかった。以下はその事案である。
- 2023年3月14日、鹿児島中央署地域課の巡査が、警察学校在籍時の同級生から大麻を譲り受けたとして、麻薬特例法違反容疑で宮崎県警に逮捕された[16]。
- 2023年5月18日、姶良警察署交通課に勤務していた巡査部長が、前年5月までのおよそ3年半、交通事故40件で73枚の捜査書類を偽造したり、事故当事者の診断書を自宅に持ち帰って隠したりしていたとして、虚偽有印公文書作成容疑と公用文書毀棄容疑で書類送検された。同日、巡査部長は依願退職した[17]。
- 2023年10月19日、県警本部留置管理課の巡査長が、県内のホテルで13歳未満の少女に性的暴行をしたとして、強制性交容疑で逮捕された[18]。
- 2024年3月7日、結婚詐欺の被害に遭い現金200万円をだましとられた県内在住の女性が被害の申告を鹿児島南署へ行った際に「男女間の貸し借りだ」などと言われ、被害届を受理されなかったことにつき、鹿児島県公安委員会は「同署の対応は適切さに欠ける」として県警を指導した。女性はNHKの取材に応じ「鹿児島南警察署では事件にはならないと言われ生きる気力も失った。被害者が増えないよう警察には真摯に相談に対応してほしい」と話した[19]。
- 2024年4月18日、県警の公安課課長補佐が、3月中旬に県内の40代女性の体を触るなどしたとして、不同意わいせつの疑いで逮捕された[20]。
情報提供者が元生活安全部長のHと特定されると、Aは2024年5月10日に前述の盗撮事件の指揮を執った。5月13日、県警は枕崎署の巡査部長を建造物侵入と性的姿態撮影等処罰法違反の両容疑で逮捕した[22]。盗撮捜査員の逮捕は、Hが文書で訴えた「隠蔽」を否定し、事前に打ち消すための準備であり工作ではないかとの指摘がなされている[6]。その後の調べで、巡査部長は被害者の個人情報を不正に照会するなどして、少なくとも80回の盗撮行為を繰り返していたことが明らかとされている[23]。
同年5月、県警がHの自宅を家宅捜査した際、Hは自殺を図り、病院に搬送された[24]。同月31日、県警はHを逮捕した。
同年6月5日、Hは、鹿児島簡裁であった勾留理由開示手続きの陳述で、職務上知り得た情報について小笠原に送ったことを間違いないと認め、「A本部長が県警職員の犯罪行為を隠蔽しようとしたことが許せなかった」と動機を明らかにした。また、盗撮事件に関して、枕崎署の捜査車両を使った疑いがあったにもかかわらず、Aが「最後のチャンスをやろう」「泳がせよう」などと言い、本部長の印鑑を捜査指揮簿に押さなかったと説明し、「県民の安全より自己保身を図る組織に絶望した」と述べた[25][7][9]。6月21日、Hは国家公務員法の守秘義務違反の罪で起訴され、18時すぎに保釈された[26]。6月28日、Hの弁護人の永里桂太郎は裁判について、「元部長の行為は県警側の隠蔽を訴えるためで公益通報、またはそれに準じるものと言え、国家公務員法の保護する秘密に該当しない」などとして無罪を主張する方針であることを明らかにした[27]。
東京都の出版社社長がAを犯人隠避などの疑いで刑事告発するも、同年7月5日、鹿児島地方検察庁は嫌疑不十分などで不起訴にした[28][29]。
脚注[編集]
- ↑ “社説 鹿児島県警は説明を尽くせ”. 日本経済新聞 (2024年6月14日). 2024年7月9日閲覧。
- ↑ “県警の内部告発先、なぜ私だった 送られなかった大メディアは自問を”. 朝日新聞 (2024年7月5日). 2024年7月9日閲覧。
- ↑ “鹿児島県医師会、わいせつ事件男性職員の常習ハラスメントを隠蔽|崩れる「合意に基づく性行為」”. HUNTER (2022年11月8日). 2024年7月9日閲覧。
- ↑ 4.0 4.1 “「取材源の秘匿」脅かし「権限のないデータ消去」も…鹿児島県警の捜索”. RKB毎日放送 (2024年6月14日). 2024年7月9日閲覧。
- ↑ 5.0 5.1 5.2 ““鹿児島県警の闇” 元幹部の内部告発「県警トップが警察官の犯罪を隠蔽」本部長は全面否定【報道特集】”. TBS NEWS DIG (2024年6月15日). 2024年7月9日閲覧。
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 6.5 6.6 6.7 6.8 青木 2024.
- ↑ 7.0 7.1 冨田悦央 (2024年6月6日). “「県警本部長が隠蔽、許せず」逮捕の前部長が異例陳述 情報漏洩容疑”. 朝日新聞. 2024年7月9日閲覧。
- ↑ 豊秀一 (2024年7月5日). “取材源特定のための捜索は「許されない」 報道界へ、憲法学者の警告”. 朝日新聞. 2024年7月9日閲覧。
- ↑ 9.0 9.1 長谷川綾 (2024年6月14日). “鹿児島県警が不正追及のメディアに強制捜査 踏みにじられた「取材の自由」(上)”. 週刊金曜日. 2024年7月9日閲覧。
- ↑ “鹿児島県警による「情報源暴き」に抗議する”. 日本新聞労働組合連合 (2024年6月19日). 2024年7月9日閲覧。
- ↑ “公益通報潰しに報道弾圧…前代未聞の「警察不祥事」、告発文書「返還」求めた鹿児島県警からの通話全容”. 弁護士ドットコムニュース (2024年6月17日). 2024年7月9日閲覧。
- ↑ 12.0 12.1 “〈鹿児島県警・情報漏えい〉不祥事の発端となった医師会職員の“強制性交疑惑”。県警は捜査前から「事件にならない」と告訴された職員と元警官の父に伝えていた! 医師会幹部は「捜査は途中から一生懸命」と会見で口を滑らし…”. 集英社オンライン (2024年7月7日). 2024年7月9日閲覧。
- ↑ “鹿児島県警が性被害を訴えた女性を門前払い|医師会・わいせつ行為者の父は元警官”. HUNTER (2023年1月20日). 2024年7月12日閲覧。
- ↑ “「警官が盗撮の可能性」…昨年暮れに口頭報告を受けながら、本部長が指揮を執ったのは今年5月。「なぜ?」。記者の相次ぐ質問に淡々と「適切に対応」 鹿児島県警会見”. 南日本新聞 (2024年6月22日). 2024年7月10日閲覧。
- ↑ “令状を読み上げないまま……鹿児島県警によるウェブメディアへの無茶苦茶な強制捜査”. 文化放送 (2024年7月5日). 2024年7月9日閲覧。
- ↑ 平塚学、仙崎信一 (2024年3月14日). “薬物譲り受けた疑い、巡査ら逮捕 鹿児島県警「県民に深くおわび」”. 朝日新聞. 2024年7月11日閲覧。
- ↑ “「交通事故40件の捜査書類偽造」男性警察官を懲戒処分 鹿児島県警”. MBC南日https://admin.goope.jp/本放送 (2023年5月18日). 2023年5月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月5日閲覧。
- ↑ 日本放送協会. “13歳未満の少女に性的暴行をした疑いで警察官を逮捕|NHK 鹿児島県のニュース”. NHK NEWS WEB. 2023年10月19日閲覧。
- ↑ “詐欺事件で当初被害届を受理せず 県公安委員会が警察を指導”. NHK (2024年4月2日). 2024年7月11日閲覧。
- ↑ “現職警察官また逮捕 鹿児島県警、今月2人目 知人女性に不同意わいせつの疑い 51歳警部の男、容疑認める”. 南日本新聞 (2024年4月19日). 2024年7月9日閲覧。
- ↑ “酒気帯び運転、巡査長停職 鹿児島県警また不祥事”. 共同通信 (2024年7月12日). 2024年7月12日閲覧。
- ↑ 加治隼人 (2024年5月14日). “現職警察官を逮捕、約1カ月で3人目 鹿児島県警、今度は盗撮の疑い”. 朝日新聞. 2024年7月9日閲覧。
- ↑ “巡査部長 不正照会などで80回盗撮か 停職処分で依願退職”. NHK (2024年6月21日). 2024年7月9日閲覧。
- ↑ “逮捕前に自殺未遂で病院に搬送 鹿児島県警・前生活安全部長 H容疑者「A本部長が隠蔽」”. TBS (2024年6月12日). 2024年7月10日閲覧。
- ↑ “「本部長の職員犯罪隠蔽が許せなかった」情報漏えいで逮捕、送検の鹿児島県警前・生活安全部長 簡裁勾留理由開示で動機明かす”. 南日本新聞 (2024年6月6日). 2024年7月10日閲覧。
- ↑ “鹿児島県警の前生活安全部長を保釈 10秒以上頭下げ、無言で車に”. 毎日新聞 (2024年6月21日). 2024年7月9日閲覧。
- ↑ “鹿児島県警の情報漏えい 元生活安全部長側 裁判で無罪主張へ”. NHK (2024年6月28日). 2024年7月9日閲覧。
- ↑ “刑事告発されたA 県警本部長 不起訴に 鹿児島地検”. NHK (2024年7月5日). 2024年7月9日閲覧。
- ↑ “鹿児島県警本部長の不起訴は「不当」 告発の社長、審査会に申し立て”. 朝日新聞 (2024年7月10日). 2024年7月12日閲覧。
参考文献[編集]
関連項目[編集]
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