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鳥谷敬

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鳥谷 敬(とりたに たかし、1981年6月26日 - )は、東京都東村山市出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)、野球解説者、野球評論家、コーチ、タレント。

株式会社GCREW所属。

NPBにおける、遊撃手としてのシーズン最多打点記録保持者(104打点・2010年)。

概要[編集]

2004年から2019年にかけて阪神タイガースで16年間、2020年から2021年にかけて千葉ロッテマリーンズで2年間プレーし、日本野球機構(NPB)の一軍公式戦1939試合連続出場、13シーズン連続全試合出場(いずれも歴代2位)、史上50人目の公式戦2000本安打および、史上15人目の1000四球を達成した。遊撃手としては、NPB公式戦シーズン最多打点記録(104打点)および、歴代最長のフルイニング出場記録(667試合)、セントラル・リーグのシーズン最多補殺記録(490補殺)を保持している。

阪神への入団後には、2010年と2011年に選手会長、2012年から2016年まで主将を務めた(2012年、2016年は野手キャプテン)。

経歴[編集]

小学生の時には東村山ジュニアメッツ(東村山市立八坂小学校時代)や小作台少年野球クラブ(羽村市立小作台小学校時代)に所属。羽村市立羽村第一中学校時代は瑞穂シニアでプレーした。しかし、中学2年生の冬の頃から両膝の成長痛で苦しんだことから、中学卒業を機に野球を辞める予定だった(後述)。高校入学から野球部の入部が遅れたのもそれによる影響である。

聖望学園高校へ進学後、前述の経緯などもありしばらくは練習を見るという形のみに留めていたが、懸念材料であった成長痛の痛みが改善したことから、1年秋に野球部へ入部。まもなく正二塁手の座を確保し、3年夏には、遊撃手兼投手としてチームを初の甲子園大会出場へ導いた。この年、チームは埼玉県大会にて3試合連続で逆転サヨナラ勝利を挙げている。本大会では、日田林工高校との初戦で2安打2打点を記録。投手としてリリーフで登板すると、ストレートで最速143km/hを計測したが、チームは初戦で敗退した。その後、プロ志望届を提出したものの指名を受けなかったため、早稲田大学野球部のセレクションを受験。野村徹監督(当時)から高評価を受け、この年から同大学が設けたスポーツ推薦入学枠の第1号として合格した。ちなみに、鳥谷が入団を希望していた西武ライオンズには、3年夏の選手権埼玉大会で対戦した埼玉栄高校の大島裕行がドラフト3位で指名。対外試合通算86本塁打(当時の高校最多記録)の実績を背景に、入団へ至っている。

早稲田大学では、1年春の入学直後の時点から正遊撃手に抜擢。主に3番打者を任され、2年春には、後藤武敏に並ぶリーグ史上最速タイで三冠王を獲得。同期の青木宣親・比嘉寿光・由田慎太郎などと共に、3年春から4年秋までチームのリーグ戦4連覇に貢献。4年春には当時のリーグ最多四死球(19)を記録すると、秋には2度目の首位打者を獲得した。リーグ通算96試合に出場、在学中の全試合にスタメン起用され、打率.333(345打数115安打)、11本塁打、71打点を記録。遊撃手として5度のベストナインに選ばれた。通算115安打は、2017年の春季リーグ終了時点で早稲田大学の選手として歴代2位に当たる。4年時には、第32回日米大学野球の日本代表メンバーとして、アメリカへの遠征も経験した。1学年上に和田毅、1学年下に田中浩康、2学年下に越智大祐、武内晋一がいる。

2003年のNPBドラフト会議で、自由獲得枠を通じて、契約金1億円、年俸1500万円(金額は推定)という最高条件で阪神タイガースに入団した。背番号は1。担当スカウトは菊地敏幸で、「日本一の遊撃手を獲得する」という球団の強い意向から、前述した日米大学野球のアメリカ遠征にも同行していた。

この会議に際しては、阪神の他にも、かつて入団を希望していた西武を始め、和田を前年(2002年)に自由獲得枠で獲得していた福岡ダイエーホークス、読売ジャイアンツ(巨人)、横浜ベイスターズも鳥谷の獲得を目指していた。特に巨人は当時正遊撃手であった二岡智宏のコンバートも視野に鳥谷獲得を目指していたという。しかし、内野手として土のグラウンドでのプレーを望んでいた鳥谷は、「お金で自分の将来を決めたくない。そんな人間だと思われるのが一番嫌だ」とコメント。大学4年時の東京六大学秋季リーグ戦の前に、上記の球団で唯一、本拠地の内野グラウンドに土を使用する阪神への入団を決意した。

選手としての特徴[編集]

打撃[編集]

卓越した選球眼を誇る。最高出塁率のタイトルを獲得した2011年以降、3年連続でリーグ最多四球を記録した他、2013年には両リーグ最低のボール球スイング率を記録すると同時に、球団記録となる104四球を達成。2013年から2017年まで5年連続で両リーグ最高のボール球見極め率(規定打席到達者中)を記録していた。また、2017年にはNPB史上15人目となる通算1000四球を達成したが、鳥谷は歴代達成者の中で通算本塁打が最少である。また、敬遠もわずか25個(うち申告敬遠4つ)と少ない方である。

広角に打球を打ち分ける巧みなバットコントロールの持ち主でもあり、特に左方向への打球が多いことが特徴。2010年は19本塁打のうち左方向へ7本、中方向が3本と左中間で半分以上を占めた。

2006年から2010年までの通算の対右打率.300に対し対左打率.262と左投手を苦手とし、特に左投手の落ちる球を苦手としていた。ただ、2011年には対左投手の打率を.299まで上げており、左投手の苦手を克服している。

現役時代の武器の1つであった打撃は練習の段階でボール球を打たないようにすることで自分のストライクゾーンを確立して身に着けた。所属球団の打撃投手がボール球を投げても忖度せず、球審がストライクを宣告しても自分がボールと判断した球は絶対に打ちに行かない徹底ぶりであった。

守備・走塁[編集]

2004年の阪神入団から2016年の途中まで遊撃、2016年途中から2018年の序盤までは主に二塁や三塁、2018年の中盤以降は再び遊撃を守っている。入団直後の新人合同自主トレーニングでは、100メートル走で12秒台、50メートル走で5秒75というタイムを記録した。

かつては、スローイングの正確さや三遊間の打球への対応力の高さを武器に堅守の遊撃手として活躍、長年にわたって阪神の正遊撃手を務めた。2006年には490補殺でセ・リーグのシーズン最多補殺記録、2008年にはリーグ16年ぶりの5点台となる簡易RF5.13を記録するなど元々守備の評価は低くなかったものの、2009年シーズンから守備コーチに就任した久慈照嘉の指導の下で守備率を向上させるなどさらに安定感が増し、2010年には両リーグ2位のUZR11.7を記録、2011年には自身初のゴールデングラブ賞を獲得した。2012年にも守備イニング1,000以上の遊撃手で両リーグ4位のUZR10.4を記録した他、2013年にはDELTA社算出のUZRで遊撃手両リーグ1位の28.9を記録。

しかし、2014年はDELTA社算出のUZRは遊撃手として-8.1、データスタジアム社算出のUZRは400イニング以上出場した遊撃手としてはリーグワースト2位のUZR-5.3を記録。2015年は守備で足を引っ張るプレーが散見されるようになり、UZRでは最終的に-20.4を記録した(遊撃手としての数値)。

2017年からは三塁手へ本格的に転向。三塁手としては自身初のゴールデングラブ賞を受賞したが、UZRでは-13.4にとどまった。さらに、2018年のシーズン序盤には、前述したチーム事情を背景に二塁を守った。ちなみに、鳥谷はWBCで二塁の守備を経験しているが、NPBの公式戦では2017年まで二塁手に起用されたことがなかった。

なお、公式戦通算2000本安打を達成した際には、特定の方向の打球が見えにくくなっていることを告白。2016年のオフシーズンに病院で診察を受けたところ、ストレスが原因であることが判明したため、以降のトレーニングでは身体全般の動きに意味を持たせることを心掛けているという。

高校時代には遊撃手兼投手として活躍。当時は、ストレートで最速140km/h台を記録していた。阪神への入団後初めてブルペンで投げた2012年の春季キャンプでは、最速で134 km/hを計測した。

評価[編集]

2013年には野球選手の総合評価指標WARにおいて阿部慎之助に次ぐ2位を記録する。またベストナインを6回、ゴールデングラブ賞を5回(遊撃手として4回、三塁手として1回)獲得している。

連続試合出場[編集]

2004年9月6日の対ヤクルト戦から、2018年5月27日の対巨人戦(いずれも甲子園球場で代打に起用)まで、NPB歴代2位の公式戦1939試合連続出場を記録。その間には、2012年から2016年まで、NPB歴代4位(遊撃手としては歴代1位)の667試合連続フルイニング出場を記録した。このような記録を達成できるほど身体が強いイメージを持たれていることから、現役選手時代に連続試合フルイニング出場の世界記録を樹立した金本と同じく、「鉄人」とも称される。

ただし実際には、腰椎、肋骨、背骨、鼻骨を骨折するなど、多数の故障を経験。このような故障を押して出場を続けていることから、親しい選手や関係者からは、「痛みに強い」と評価されている。

鳥谷自身は、連続試合出場に対するモチベーションとして、「その日しか来られないファンもいるから出続ける」という金本の言葉や、欠場によってポジションを失いかねないことへの恐怖感を挙げており、また、「連続試合出場自体が野球へのモチベーションになっている」とも語っていた。

なお、NPB歴代1位の2215試合連続出場の記録保持者である衣笠祥雄が2018年4月22日に71歳で死去した直後には、「記録を意識したことはないが、毎年のキャンプなどで声を掛けていただいたことや、挨拶した時に話をしていただいたことはある」とのコメントを残した。しかし、およそ1か月後(5月29日)の対ソフトバンク戦への出場を見合わせたことによって、自身の連続試合出場記録を歴代2位の1939試合で終えた。

代打中心の起用へ移行した2019年には、慶応大学の学生時代に投手として東京六大学野球のリーグ戦で鳥谷と対戦していた田中大貴からの取材に対して、「僕は、1試合、1カード、1か月、1シーズンというトータルで(プレーを)見てもらった時に意味を為す選手で、日々(試合に)起用してもらってきたからこそ結果が出た。でも、『代打としての1打席や、1度の守備機会や走塁機会で結果を残すにはどうしたらいいか』『(代打要員としての)自分とどう向き合えばいいか』といった課題に対する答えはまだ出ていない。正直なところ、野球生活で初めて、『どうしたらいいのか分からない』という状況に陥っている」「これまでは(常時)試合に出ていたので、身体の状態を確認できた。また、(試合への出場を続けるにつれて)課題が生まれたので、試合前後の調整法や心の向け方を考えることもできた。今年(2019年)も身体は元気だが、『試合に(常時)出ない状況で自分(のコンディション)をどう整えるか』ということを考えると、毎日(の過ごし方)が難しい」と告白している。

人物・エピソード[編集]

愛称は「トリ」。

2人の弟も、自身と同じ聖望学園高校へ進学すると野球部に所属。長弟の司も内野手で、東京農業大学を経て、ヤマハ硬式野球部で社会人野球日本選手権大会出場を経験した。2011年限りで現役を引退してからは、同部のマネジャーを3年間務めた後に、社業へ専念している。末弟の剣は捕手で、鳥谷が早稲田大学の3年生だった2002年にネフローゼ症候群を患った影響で、選手生活を断念した。現在は病を克服し、パーソナルトレーナーとして活動している。

小学生時代は柔道でも活躍。得意技は背負い投げ・体落とし・大外刈りで、東村山市の大会で優勝したり、東京都大会でベスト8に入るなどの好成績を修めていた。

元々は左利きだが、柔道の組み手が右手だったことから、「右手だけでできないことが左手だけでできるはずがない」という実父の考えで右利きに矯正。小学生時代には、野球でも右打席で打っていたが、左利きの癖が抜けていなかった。左手で箸を持ちながら弁当を食べている姿を見た当時の監督から、「左で打ったほうが良い」と言われたことをきっかけに、左打ちの練習を開始。中学への進学を機に野球へ専念するとともに、野球界で活躍している打者の多くが左打ちであることを踏まえて、1年時から本格的に左打ちへ転向した。もっとも当時は、地元球団である西武ライオンズのファンで、右打者の秋山幸二に憧れていたという。

中学時代は両膝の成長痛に苦しみ、中学卒業を機に野球を辞める予定であった。実父からの説得を受けて後に翻意したが、聖望学園高校へ進学してからも、1年夏頃までは野球部の練習を見学するだけにとどめていた。

聖望学園高校時代の同級生に、ファッションモデルやフォトグラファーとして活動するアルナ(成松阿留奈)がいる。阪神入団後の2016年には、成松が連載を担当する「MENS+ LIFE(雑誌『MENS CLUB』のオンライン版)の企画で、成松との対談が実現した。

大学時代には、当時の監督だった野村が1度も怒ったことがないほど、練習や食事の管理へ熱心に取り組んでいた。野村によれば、同大学における6年間の監督生活で、1年生からリーグ戦の全試合に出場させた選手は鳥谷だけという。2年時には、東京六大学野球の春季リーグ戦で三冠王を獲得したものの、秋季リーグ戦では不振を極めた。自身や弟の学費を捻出するために両親が共働きを強いられていたこともあって、将来のMLB挑戦を視野に、NPBの球団で野球を続けることを本格的に意識。当時住んでいた野球部合宿所の自室から、テレビをはじめ、野球に必要のない私物をすべて排除したという。このような姿勢から、他の野球部員からは、「筋肉ファンタジー」というニックネームを付けられていた。また、1学年上の和田毅(ソフトバンク)にはサインを考案してもらったことがあり、鳥谷は今でも和田が考案したサインを使い続けている。人間科学部スポーツ科学科に在籍し、『打撃動作における下肢の筋電図解析』というテーマで卒業論文を執筆した。

阪神入団後も食事に関する自己管理を徹底。入団当初に居住していた選手寮「虎風荘」のスタッフによれば、鳥谷は在寮中にカップラーメンや白砂糖を使用した缶コーヒーの類は口にしたことがないと言っていたことを明かしている。一時はグルテンフリー(小麦由来の飲食物を摂取しない食事法)を徹底させていたが、2016年にプロ入り以来最大の不振に陥ったことから、2017年以降は食事に関する制限を緩和している。シーズンオフには毎年ファスティング(断食)で体をリセットしている。

早大の先輩であり、また鳥谷の阪神入団時から5年間監督として接した岡田彰布は「チームリーダーというタイプではない。彼は自分のことを黙々とやる選手」と評している。同大学4年のときもキャプテン就任を断ったという。

時間や場所を問わずトレーニングに励むことでも有名で、最新の理論を反映させながらトレーニングを続けている。かつてのチームメイトであった赤星憲広が練習量を尋ねたところ、「練習は歯磨きと同じく毎日続けるもので、練習しないと気持ちが悪い」と返答したという。このような姿勢は他のプロ野球選手にも影響を与えており、他球団では特に坂本勇人、京田陽太らは鳥谷への敬意を公言している。

阪神3年目の2006年4月からは、打率3割の達成を目標に掲げながら、プロ野球シーズン中に『日刊スポーツ』(大阪本社発行版)で「ロード to 3割」というモノローグ形式のコラムを月に1回のペースで独占的に連載。自身の打撃について月単位で解説する企画で、2010年シーズンに初めて3割を達成してからも、タイトルを「3番道」「向上心」と変えながら続いている。

前述したように、2017年5月24日の対巨人戦で顔面付近に死球を受けたが、鼻と頬骨を黒色のフェースガードを覆いながら翌25日の試合前練習に参加。さらに、金本に対して、スタメンでの出場を直訴した。現役選手時代の2004年に死球で右手首を骨折しながら翌日以降も試合へ出場した経験を持つ金本は、鳥谷の鼻が骨折の影響で大きく腫れていることなどを考慮したうえで、鳥谷からの直訴を形式上は却下した上で結局、同日の巨人戦と翌26日の対DeNA戦(甲子園)には、鳥谷にフェースガードを着用させたうえで代打に起用した。

試合前のルーティーンに蕎麦を食べている。

自分の現役時代に80勝しても60敗はした経験から連敗したチームを無闇に悪く言わない心遣いを見せている。

引退後も2日に1回のランニングを習慣としている。

野球界でも、おしゃれだったともいわれている。

社会奉仕活動[編集]

2009年にチーム全体で取り組んだ、ペットボトル飲料のキャップ(エコキャップ)を800個集めることでポリオワクチン1本と交換できる福祉活動の一環として、鳥谷自らエコキャップ数千個を持参し、芦屋市内の幼稚園に寄付した。

2010年、2011年、2013年のシーズンオフに大阪市立大学付属病院の小児科を慰問しており、その後の訪問にも意欲を見せている。

2011年から2018年まで8年連続で計10回、沖縄県立南部医療センター・こども医療センターを訪れ、入院生活を送る子どもたちを激励している。

2015年4月には、フィリピンなどの貧しい子どもたちに靴を送る活動を行う一般社団法人「レッドバード」の創設に関わった。2014年12月に野球教室を開くためグラブ100個を持参してマニラを訪れたところ、現地の子どもたちの多くが裸足だったのを見て「必要なのはグラブではなく靴だ」と感じたことがきっかけであった。自らも「レッドバード」に理事として参加している。 この活動により、社会のためにスポーツマンシップを発揮した選手やチームを表彰し、アスリートの社会貢献活動を促進させるアワードであるHEROs AWARD 2017を受賞した。

2018年10月には、西日本豪雨災害の被災地である広島県安芸郡坂町の仮設住宅を訪問し、避難生活を続ける被災者との交流を行った。

阪神球団も、以上の活動を高く評価。2015年には、球団から第5回若林忠志賞を授与された。

現役引退後[編集]

2022年からは、パナソニック野球部でコーチを務めるかたわら、日刊スポーツ専属の野球評論家・フリーランスの野球解説者としても活動。野球解説者としては、NHK大阪放送局を含む在阪放送局、日本テレビやフジテレビなどの在京テレビ局、サンテレビの中継に本数契約(主にゲスト)扱いで出演している。バラエティ番組に「スペシャルゲスト」として招かれる機会も多く、2023年の10 - 12月期にTBSテレビ系列の「日曜劇場」枠で放送されている『下剋上球児』(三重県立白山高等学校硬式野球部での実話に基づくTBSテレビ制作の連続ドラマ)の第1回(10月15日放送分)では、「草野球チームの投手」役で俳優デビューを果たした。

その一方で、岡田が阪神の一軍監督へ復帰した2023年以降は、阪神の春季キャンプに「臨時コーチ」として参加。岡田の要請を受けての参加で、内野の守備を主に指導している。

タイトル[編集]

  • 最高出塁率:1回(2011年)

表彰[編集]

  • ベストナイン:6回(遊撃手部門:2008年、2010年、2011年、2013年 - 2015年)
  • ゴールデングラブ賞:5回(遊撃手部門:2011年、2013年 - 2015年、三塁手部門:2017年)
  • オールスターゲーム新人賞(2005年)
  • 月間MVP:1回(野手部門:2010年8月)
  • セントラル・リーグ 連盟特別表彰:1回(功労賞:2021年)
  • スピードアップ賞:1回(2010年)
  • ヤナセ・阪神タイガースMVP賞:1回(2010年)
  • 若林忠志賞:1回(2015年)
  • ミキハウス 虎キャンプMVP:1回(2015年)
  • HEROs AWARD:1回(2017年)
  • 関西スポーツ賞 特別賞(2018年)
  • 第7回 Athlete Dresser Award(2018年)

記録[編集]

初記録
  • 初出場・初先発出場:2004年4月2日、対読売ジャイアンツ1回戦(東京ドーム)、7番・遊撃手で先発出場
  • 初打席・初三振:同上、2回表に上原浩治の前に空振り三振
  • 初安打:同上、8回表に前田幸長から左前安打
  • 初二塁打:2004年4月14日、対広島東洋カープ2回戦(阪神甲子園球場)、澤崎俊和から
  • 初打点:2004年4月28日、対横浜ベイスターズ4回戦(阪神甲子園球場)、7回裏にデニー友利から中前適時打
  • 初四球:2004年5月23日、対読売ジャイアンツ12回戦(阪神甲子園球場)、6回裏に久保裕也から
  • 初本塁打:2004年5月27日、対横浜ベイスターズ8回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に東和政から右越ソロ
  • 初盗塁:2004年7月19日、対横浜ベイスターズ13回戦(横浜スタジアム)、9回表に二盗(投手:山田博士、捕手:相川亮二)
節目の記録
  • 1000本安打:2010年10月5日、対東京ヤクルトスワローズ24回戦(明治神宮野球場)、3回表に橋本義隆から中越適時二塁打 ※史上262人目
  • 1000試合出場:2011年5月22日、対埼玉西武ライオンズ1回戦(阪神甲子園球場)、6回裏に代打で出場 ※史上442人目
  • 100本塁打:2012年9月15日、対読売ジャイアンツ23回戦(東京ドーム)、4回表にD.J.ホールトンから右越ソロ ※史上266人目
  • 1500本安打:2014年5月29日、対埼玉西武ライオンズ2回戦(阪神甲子園球場)、5回裏に菊池雄星から左前安打 ※史上115人目
  • 1500試合出場:2014年8月9日、対広島東洋カープ15回戦(京セラドーム大阪)、3番・遊撃手で先発出場 ※史上183人目
  • 1000三振:2015年6月13日、対オリックス・バファローズ2回戦(京セラドーム大阪)、3回表に金子千尋の前に見逃し三振 ※史上59人目
  • 300二塁打:2016年5月14日、対横浜DeNAベイスターズ10回戦(横浜スタジアム)、9回表に山﨑康晃から右越二塁打 ※史上66人目
  • 2000本安打:2017年9月8日、対横浜DeNAベイスターズ18回戦(阪神甲子園球場)、2回裏に井納翔一から右中間適時二塁打 ※史上50人目
  • 1000四球:2017年10月10日、対中日ドラゴンズ25回戦(阪神甲子園球場)、5回裏に三ツ間卓也から ※史上15人目
  • 2000試合出場:2018年5月4日、対中日ドラゴンズ6回戦(阪神甲子園球場)、7回裏にディエゴ・モレノの代打で出場 ※史上51人目
  • 350二塁打:2020年10月25日、対オリックス・バファローズ23回戦(京セラドーム大阪)、8回表に鈴木優から右中間2点適時二塁打 ※史上46人目
  • 1000得点:2021年4月3日、対北海道日本ハムファイターズ2回戦(札幌ドーム)、7回表に藤原恭大の左適時二塁打で生還 ※史上44人目
その他の記録
  • 連続試合出場:1939試合(2004年9月9日 - 2018年5月27日、歴代2位) ※2017年4月19日の対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)で1767試合連続試合出場を達成したことによって、歴代2位に浮上
  • 連続試合フルイニング出場:667試合(2012年3月30日 - 2016年7月23日)※歴代4位記録、遊撃手としては日本記録
  • 遊撃手シーズン最多打点:104(2010年)※日本記録
  • 遊撃手シーズン最多補殺:490(2006年)※セ・リーグ記録
  • 遊撃手として史上最高齢開幕スタメン:39歳9か月(2021年)
  • 13年連続シーズン100安打(2005年 - 2017年)※阪神球団記録
  • 3年連続最多四球:2011 - 2013年 ※王貞治、落合博満に次ぐセ・リーグ歴代3位タイ
  • シーズン100四球(2013年)※史上21人目
  • シーズン四球:104(2013年)※球団記録
  • 月間安打:43(2010年8月)※球団記録
  • 連続試合出塁:47(2013年7月 - 9月)※球団記録およびセ・リーグ歴代3位タイ記録
  • 月間得点:30(2014年4月)※球団記録
  • オールスターゲーム出場:7回(2005年、2006年、2012年 - 2015年、2017年)

背番号[編集]

  • 1(2004年 - 2019年):2013年シーズンをもって、阪神の歴代選手の中で一番長くこの番号を背負った選手となった。
  • 00(2020年 - 2021年)

登場曲[編集]

  • 「裸 ~Nude~」 - Vo Vo Tau(2004年)
  • 「音色」 - KREVA(2005年)
  • 「サンキュー!!」 - HOME MADE 家族(2006年)
  • 「BIRDMAN」 - FIRE BALL(2007年)
  • 「You Gotta Be」 - 2Worldz feat. Sherman(2008年)
  • 「Don't Stop the Music」 - Rihanna(2009年)
  • 「Run The Show」 - Kat DeLuna feat. Shaka Dee(2010年)
  • 「Turn Around And Count 2 Ten」 - Dead or Alive(2011年 - 2012年)
  • 「Don't Stop The Party」 - Pitbull(2013年)
  • 「Let's Get Ridiculous」 - Redfoo(2014年)
  • 「Juicy wiggle」 - Redfoo(2015年)
  • 「Sexy Papi」 - Claydee(2016年)
  • 「The Feeling」 - KANDO BANDO(2017年 - 2019年)
  • 「HIT」- SEVENTEEN(2020年 - 2021年)

代表歴[編集]

  • 2013 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表

関連情報[編集]

出演[編集]

野球解説者として出演しているプロ野球中継
  • MBSベースボールパーク(MBSラジオ)
2022年のみ「ゲスト解説者」、2023年から(レギュラー解説者に近い扱いの)「準解説者」という肩書で出演。
プロ野球のオフシーズンには、2022年度から事前収録の関連番組でパーソナリティを担当。2022年度(2022年11月 - 2023年3月)には『鳥谷敬の鳥谷式ラジオ』として毎月第2日曜日、2023年度(2023年11月 - 2024年3月)には『鳥谷敬のオフトーク』として毎月第2土曜日の夜間に編成されている。
  • S☆1 BASEBALL(TBSテレビ系列)
毎日放送が『MBSベースボールパーク』というタイトルで制作する阪神主管試合の中継や、CBCテレビが『燃えよドラゴンズ』というタイトルで制作する中日対阪神戦(バンテリンドーム ナゴヤ)中継や、TBSテレビがBS-TBS・TBSチャンネル向けに制作する横浜DeNA主催試合(BS-TBSはセ・パ交流戦を含むパ・リーグ球の試合も制作)に「ゲスト解説者」として随時出演。
  • ナマ虎スタジアム(テレビ大阪) - 2023年から、阪神戦中継に「メイン解説者」扱いで出演。
  • サンテレビボックス席(サンテレビ) - 2022年から「ゲスト解説者」として随時出演。
  • NHKプロ野球 - NHK大阪放送局が制作する阪神主管試合のテレビ中継に、2022年から随時出演。
  • DRAMATIC BASEBALL(日本テレビ系列) - 読売テレビが制作する阪神戦中継や、日本テレビが制作する巨人対阪神戦(東京ドーム)中継に、「ゲスト解説者」として2022年から随時出演。
  • プロ野球中継(関西テレビ) - 「ゲスト解説者」として、2022年から阪神戦の中継に随時出演。日本シリーズではフジテレビ制作の中継に出演することがある。
  • スーパーベースボール (テレビ朝日系列)
朝日放送テレビが制作する阪神戦の中継や、テレビ朝日および朝日放送テレビが制作著作または制作協力として関与するBS朝日の中継(阪神戦以外を含む)に、「ゲスト解説者」として2022年から随時出演。
現役選手時代に出演した主なテレビ番組
  • オーラ!ポケットにつめた夢(テレビ東京)系:2003年4月7日
  • 熱血!!タイガース党(サンテレビ)系:2004年1月16日
  • 激突!スポーツ感謝祭2005(日本テレビ)系:2005年12月11日
  • プロ野球オールスタースポーツフェスティバル(日本テレビ)系:2009年1月4日
  • 人生が変わる1分間の深イイ話(日本テレビ)系:2009年2月2日
「伝統の巨人-阪神戦SP」に出演。先攻の阪神側・後攻の巨人側が交互に深イイ話を紹介し深イイの数で勝敗を競うという特別ルールの下、阪神側が勝利した。掛布雅之、江川卓と共演
  • ジャイケルマクソン(毎日放送)系:2010年1月21日
桧山進次郎、浅井良と共演。「タイガースの選手なら知ってて当たり前クイズ」にて全問不正解を記録し、罰ゲームとして2010年シーズン1回目のヒーローインタビューの時、最後に「あとジャイケルマクソンもよろしく」と言うことを約束させられ、4月30日のヒーローインタビューにて実行した。
  • プロ野球オールスタースポーツフェスティバル(日本テレビ)系:2011年1月9日
「にらめっこバトル」にて3名のお笑い芸人相手に一回も笑わず、涌井秀章に対し勝利を収めた。
  • S☆1(TBS)系:2011年12月4日
「猛虎がMLBを語る」に出演。金本知憲、新井貴浩と共演・対談
  • プロ野球オールスタースポーツフェスティバル(日本テレビ)系:2012年1月8日
  • おはよう朝日です(朝日放送)系:2012年2月10日
濱中治、関本賢太郎と共演・対談
  • 熱血!!タイガース党(サンテレビ)系:2012年12月07日
  • WBC三連覇へ日本の誇り(TBS)系:2013年3月7日
  • カワスポ(毎日放送):2013年3月30日
アナウンサー・河田直也と対談
  • サンデースポーツ(NHK総合テレビジョン):2013年4月7日
「アニキの部屋」に出演。 金本知憲と共演・対談
  • 虎バン(朝日放送):2013年12月1日
  • おはよう朝日です(朝日放送):2013年12月20日
スペシャルゲストとして生出演
  • THE GOLDEN BATTLE 2013 絶対にありえない究極のスペシャルマッチ(フジテレビ)系:2013年12月24日
「プロ野球VSソフトボール上野」に出演。自身は上野由岐子相手に番組史上初のマルチ安打を記録するも敗北。中田翔、糸井嘉男と共演
  • 熱血!!タイガース党(サンテレビ)系:2014年2月7日
福本豊、湯浅明彦と対談
  • 虎バン(朝日放送):2014年2月16日
「鉄人対談」にて金本知憲と対談
  • Going!Sports&News(日本テレビ):2015年2月8日
赤星憲広と対談
  • 虎バン(朝日放送):2015年3月21日
「Cross over」にて阪神タイガースファンで俳優の佐藤隆太と対談
  • 鳥谷敬×青木宣親~同級生 初めて本音で話しました~(NHK BS1):2017年12月31日
早稲田大学時代のチームメイト・青木宣親と対談
  • コヤぶるッ!SPORTS(関西テレビ):2017年12月31日
小籔千豊、本田望結、こいで(シャンプーハット)と対談
  • 朝生ワイド す・またん!(読売テレビ) - 不定期ゲスト出演
テレビCM(いずれも阪神の選手時代)
  • ジョー・コーポレーション チームメイトの藤川球児・今岡誠と共演
  • 上新電機(2008年 - 2012年) チームメイトの藤川球児・新井貴浩と共演
2008年12月 - 「上新電機2009賀正・今年もJoshin・初売り」に出演
2009年12月 - 「上新電機平成二十二年虎年・虎夢セール・元旦から」に出演
2010年1月 - 「上新電機平成二十二年虎年・虎夢セール・開催中」に出演
2011年1月 - 「上新電機『企業』今年もJoshin・初売・元旦から営業」
「上新電機『企業』今年もJoshin・お年玉セール・開催中」に出演
2011年12月 - 「上新電機『企業』今年もJoshin・初売・最新家電・元旦から営業」に出演
2012年1月 - 「上新電機『企業』今年もJoshin・お年玉セール・最新家電・開催中」に出演
テレビドラマ
  • 下剋上球児(2023年10月15日 - 、TBS)- 下川原祐一 役

出版物[編集]

著書[編集]

  • 『明日、野球やめます 選択を正解に導くロジック』集英社、2022年6月。ISBN 978-4-08-781722-5。

その他[編集]

  • 鳥谷敬(阪神タイガース)カレンダー 2011年(株式会社ハゴロモ):2010年12月
  • 鳥谷敬 BASEBALL LOG BOOK 1981-2011(株式会社パムズ):2011年8月
  • 鳥谷敬(阪神タイガース)カレンダー 2012年(株式会社ハゴロモ):2011年12月
  • 鳥谷敬(阪神タイガース)カレンダー 2013年(株式会社ハゴロモ):2012年12月
  • 鳥谷敬(阪神タイガース)カレンダー 2014年(株式会社ハゴロモ):2013年12月
  • 鳥谷敬(阪神タイガース)カレンダー 2015年(株式会社ハゴロモ):2014年12月

漫画[編集]

  • ドカベン ドリームトーナメント編:単行本第7巻に登場。


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