You can edit almost every page by Creating an account. Otherwise, see the FAQ.

高田純次

提供:EverybodyWiki Bios & Wiki
移動先:案内検索

高田 純次(たかだ じゅんじ、1947年1月21日 - )は、日本の俳優、コメディアン、実業家、タレント、司会者である。

芸能事務所・テイクワン・オフィス所属で、代表取締役も務める。

愛称は純ちゃん純じいMr適当TJミスター無責任テキトー男

経歴[編集]

東京都北多摩郡調布町大字国領(現:調布市国領町)出身。4歳時に母親が32歳で病没し、東京ガス勤務の父親と再婚相手たる継母との家庭で育つ。

調布市立第二小学校、調布市立第三中学校、東京都立府中高等学校卒業後、東京ガスへの就職や弁護士などを志し、中央大学・明治大学・法政大学・青山学院大学を受けるが全て不合格となる。その後一浪し、東京藝術大学・武蔵野美術大学・多摩美術大学・日本大学芸術学部などの美大系や成城大学を受験する がいずれも不合格となり、東京デザイナー学院グラフィックデザイン科 へ進学した。

1971年、自由劇場の舞台を見て俳優を志願し、同劇団に入団して研究生となる。自由劇場は1年で退団し、イッセー尾形とともに劇団「うでくらべ」 を結成するが 、半年ほどで解散した。

その後結婚したが、劇団の収入では生活できないこともあり、26歳の時に(御徒町にあった)宝石販売会社「トキモト」に入社し、宝石営業とジュエリーデザイナーの掛け持ちとなった。

自由劇場の研究生時代からの知り合いだった柄本明と、偶然新宿の居酒屋で再会したことをきっかけに会社を辞め、1977年に「劇団東京乾電池」に入団する。しかし当初は売れず、妻子を養うために「警察に捕まるようなこと以外の職は、一通りやった」と本人は語っている。

テレビデビューは32歳の時で、出演番組は『笑点』だった。その後、東京乾電池の綾田俊樹、ベンガルらと共に『笑ってる場合ですよ!』で初めてテレビレギュラーとなった。1985年1月、テレビドラマ『毎度おさわがせします(TBS)』で、主人公を演じる木村一八の担任教師役にてレギュラー出演した。

1985年4月、ビートたけしの冠番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に、1996年10月に番組が終了するまでの11年間レギュラー出演した。また、 フジテレビのバラエティ番組『オレたちひょうきん族』の番組内コント「タケちゃんマン」では、タケちゃんマンの敵役として初回から出演しており、ブラックデビル初登場回には高田が務めたが、収録後におたふく風邪に罹患したため、「ひょうきんベストテン」の司会だった明石家さんまが代役を務めた。以降、たけしとの掛け合いが人気となり、そのままさんまがキャラクター出演を継続した。

1988年に出演した中外製薬「グロンサン」(現在はライオンから発売)のCMが話題になり、CMのキャッチコピー「5時から男」で新語・流行語大賞の「流行語部門・大衆賞」を受賞した。

1989年に東京乾電池オフィスから独立し、テイクワン・オフィスを設立した。

1990年代には『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』でのキャラクターが人気を博した。その他、『象印クイズ ヒントでピント』、『どうぶつ奇想天外!』など多くのクイズ番組にレギュラー解答者として出演した。

また、1994年からは中京テレビにて東海地区グルメ情報番組『PS』 の司会を務め、同番組は現在でも長寿番組として人気を博している。

古希を過ぎてからも“テキトー男”のキャラクターでバラエティ、ドラマ、司会などマルチに活動している。

俳優業[編集]

本業は俳優、とされており、代表作に西村京太郎トラベルミステリーの亀井刑事(警部補)役などがある。長年役柄でコンビを組む高橋英樹は、「芝居に関しては、とにかくすごく真面目」と、バラエティ時でのちゃらんぽらんな姿とは全く正反対の顔をしていると評価している。この他、青島広志作曲のオペラ「火の鳥 ヤマト編」の初演時(1985年)に出演している。『陰の季節』シリーズの、大黒警視長役のように、冷酷なエリート役、インテリ役でも抑制的な演技で似合ったところを示している。

タレントショップ[編集]

  • 1988年に東京渋谷区神宮前に「Neichi-Ya」というレストランをオープンした。また原宿・竹下通り路地裏では洋品店「SPORTS-KISS」を開店し主にTシャツやトレーナー、小物などを取扱っていたがその後両店とも閉店している。

芸風[編集][編集]

  • 「オレはイタリア語がペラペラなんだけど、意味はわからないんだ」「キミ、松嶋菜々子に似てるって言われない?言われないの?じゃあ、似てないんだね」「ホウレンソウ(ビジネスマナーの報連相)は、おかかにお醤油がベスト。ソースをかけたことあるけど美味しくない」など、数々の適当が特徴で売り物。
  • 本人曰く、「本当は前を出したいがダメだから」と番組収録中にお尻を出すことが多いが、ほぼお蔵入りになる。下ネタも大好きだが、そのダンディな容姿から女性にも笑って受け入れられる。
  • 番組収録では最初は勢いよく喋り倒し、番組進行を脱線させるも、途中で疲れて止めてしまうことがある。

評価[編集]

  • 各方面から「昭和の無責任男」「芸能界一いい加減な男」などと称賛されている。なお高田を尊敬しているという長嶋一茂は、「本当にいい加減なわけではない」「遊びとか余裕がある方の適当さがある」と評価している。
  • 関根勤は尊敬する人物として、明石家さんまと高田を挙げている。その娘の関根麻里は理想の男性として高田と柳沢慎吾を挙げている。これを聞いた父の関根勤は「子育てに間違いはなかった」とコメントし、自信を見せた。

私生活[編集]

  • 子供の頃は近所の人たちから神童と呼ばれていた。
  • 高校時代のあだ名は「国領のニワトリ」。友人と朝まで麻雀をやっても、他のみんながぐったりしているのに高田だけ朝になってもうるさかったことから。
  • ダイヤモンド鑑定士の資格を持つ。そのためダイヤモンドなどの宝石の価値、デザイン、原価・販売価格に関して「高田節」を交えつつ話し、バラエティ番組などではその技術力に対し一定の評価を得ることもある。

エピソード[編集]

  • 『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の東京大学を目指す受験生達を応援するコーナーでは、2浪の広瀬伸哉の勉強を高田が邪魔するなどイジラレ役としていた。最終回で東大合格発表を見に行き、出演者中広瀬だけが不合格に終わり、号泣しながら高田の元へ戻ってきた広瀬に高田は普段のテキトーな姿を一切見せることなく、ポケットに片手を突っ込みただ黙って広瀬の肩を抱き涙を流した。「テキトーキャラ」が浸透していた高田純次が、初めてブラウン管で見せた素の姿は視聴者に強い印象を残した。これについて「テレビで泣いたのはこの一回だけ」と話している。なお、広瀬は慶應義塾大学に入学し新たなスタートを切るも、番組終了後の1999年に岩手県のスキー場で事故に遭い他界した。広瀬の葬儀に参列した高田が号泣していたといわれている。
  • 高嶋ちさ子が帰国し芸能活動を開始する際、高嶋の演奏する曲を『金子柱憲・高田純次ゴルフの王道』(テレビ東京)で採用してくれたことと、高田から声をかけてくれたとの理由で、高嶋はホリプロからのオファーを断り、高田が代表を務めるテイクワン・オフィスと契約した。
  • 自動車好きとしても有名であり、今までに30台以上の自動車を乗り継いできた。有名な車種では「アストンマーティン・DB9」や、オールスターキャノンボール大会で披露した「日産・R32型スカイラインGT-R nismo」など。この大会では、常磐道で高田純次が他出演者をごぼう抜きする姿がテレビで放映されたため、製作陣が茨城県警より出頭要請を受けたという逸話もある。


Read or create/edit this page in another language[編集]