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首都高速道路

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首都高速道路(しゅとこうそくどうろ)は、首都高速道路株式会社(しゅとこうそくどうろかぶしきがいしゃ)が維持・管理等を行う東京都区部とその周辺地域にある路線長337.8キロメートル (km)(管理327.2km、新設10.6km)の都市高速道路。「首都高速」「首都高」と略されることが多い。なお、「首都高速」「首都高」は、首都高速道路株式会社の登録商標。

道路法で定められている一般国道、都県道(東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県)及び市道(横浜市・川崎市)であり、道路構造令においては「都市部の自動車専用道路」(第2種第1級・第2級)に区分される。東京都内で完結する路線には都道番号がつかないが、東京都と他県にまたがる路線には都県道番号がついている。

首都高速道路株式会社[編集]

首都高速道路株式会社(しゅとこうそくどうろ、英語: Metropolitan Expressway Company Limited)は、高速道路株式会社法に基づき設置された、首都高速道路の管理等の業務を行う特殊会社。通称は「首都高速道路会社」。日本道路公団等民営化関係法施行法により、首都高速道路公団の業務を独立行政法人日本高速道路保有・債務返済機構(以下「機構」)とともに承継した。2005年(平成17年)10月1日設立。

日本国政府および地方公共団体が常時3分の1以上の株式を保有し、当分の間日本国政府から債務保証を受ける。一方、営業年度毎の事業計画や社債の募集、資金の借入については国土交通大臣の認可を要する。

また会社は機構との協定に従い、政令で定められた機構への出資金・補助金の中から、建設費等の一部につき無利子貸付が受けられる。

現在の同社のスローガンは「ひと・まち・くらしをネットワーク」である。

基本理念[編集]

私たちは、首都圏のひと・まち・くらしを安全・円滑な首都高速道路ネットワークで結び、豊かで快適な社会の創造に貢献します。

経営理念[編集]

お客様第一
安全と快適を追求し、お客様に満足いただける質の高いサービスを提供します。
地域社会との共生
地域の皆様とともに、よりよい環境の実現と地域社会の発展を目指します。
社会的責任
高い倫理観と透明性をもって、お客様、地域の皆様、投資家の皆様との信頼関係を築きます。
自立する経営
効率的で健全な経営を行い、新しい分野での事業も積極的に展開します。
活力あふれる職場
社員が自らの力を高め、誇りと達成感を持てる職場をつくります。

トライアングル・ストリーム[編集]

東京を中心に神奈川・埼玉・千葉の3方面へ伸びる首都高速道路のネットワークと、そのネットワークづくりを通じて「ひと・まち・くらし」を支えていくという会社の姿勢をシンボルマークとして表現している。

歴代社長[編集]

  • 初代社長 橋本鋼太郎
  • 2代目社長 佐々木克已
  • 3代目社長 橋本圭一郎
  • 4代目社長 菅原秀夫
  • 5代目社長 宮田年耕
  • 6代目社長 前田信弘

業務[編集]

首都高速道路の範囲において、機構と締結した協定に基づき以下の業務を行う。

  • 高速道路の新設又は改築。完了時には、道路資産と債務がともに機構に帰属する。
  • 機構の保有する道路資産を有償で借り受けての、かかる高速道路の管理。

いわゆる上下分離方式を採用した中での「上」に相当する。

歴史[編集]

東京に高速道路を建設する構想は、近藤謙三郎による道路立体化構想、石川栄耀・山田正男らによって作成された内務省案が、太平洋戦争以前から存在していた。戦後の1946年に東京都庁が作成した都市計画中には、幅員100メートル (m) の高速道路敷地も確保されていたが、1949年(昭和24年)のドッジライン政策により計画が縮小され、100 m道路は実現しなかった。

本格的に検討されるようになったのは、高度経済成長が始まる1950年代後半になってからである。当時の東京では、四輪自動車の急増と伴に、各地で交通渋滞が頻発するようになり、このまま放置すれば、やがて東京都区部が交通麻痺に陥ると予測されていた。1950年(昭和25年)頃から近藤謙三郎、樋口実などが独自に民間高速道路の計画案を提出し、樋口の東京高速道路に免許が交付された。

近藤案に触発された町田保を中心とする建設省首都建設委員会、東京都、運輸省により、首都高速道路の新設が決定された。路線の選定にあたっては、早期の交通対策が可能となるよう用地取得の容易さが重視され、とりわけ都心部においては神田川、古川、外壕などの河川上空、楓川、京橋川、築地川などの運河の埋め立て、都電の廃止で幅員を広げた道路により、民間からの用地買収を極力抑えて路線用地を確保した。なお、計画が1959年(昭和34年)に開催が決定した、1964年東京オリンピックとの関係については、山田正男は「オリンピックのために道路をつくるとかそんなことは夢にも考えておりません。」「この際年度を一年くりあげるということはあり得るけれども、それはオリンピックのためではなく、当然の事業であると考えてやっております。」と語っている。なお、下記のように、1964年五輪の招致決議以前に、河川や公有地の上を活用した時速60 kmの首都高速道路網の原型は決定され、五輪開催決定以前に、一部路線が日本道路公団により工事着手されている。

  • 1953年(昭和28年)4月 : 慢性的な交通渋滞の緩和を目指し、「首都高速道路に関する計画」を首都建設委員会が勧告。「路線は高架、地下(開鑿を含む)または地上専用形式」「最高60粁/時、最低40粁/時を標準とする速度を保持し得るよう設計すること」とされた。路線網(5路線49km)は現在のように河川や公有地の上を通過するものではなかった。
  • 1956年(昭和31年)11月 : 日本道路公団が東京調査事務所を設置し、路線計画の調査を開始。
  • 1957年(昭和32年)7月 : 建設省が「東京都市計画都市高速道路に関する基本方針」を発表。「路線の経過地の選定にあたっては市街地の土地利用を考慮し原則として家屋の密集地を避け、つとめて不利用地、治水利水上支障のない河川又は運河を使用する」「設計速度は1時間60粁を原則とする」とされた。
  • 1957年(昭和32年)11月 : 東京都都市計画高速道路調査特別委員会が首都高速道路網計画を策定、報告。「昭和40年には本計画対象区域の交差点交通能力が満度に達するものと想定されるので本計画は極めて短期間に建設されることが必要」とし、首都高速の当初の路線網はこの段階で概ね決定された。(日本橋の下を首都高速道路が通ることとされる等一部は現在のものとは異なる。)
  • 1958年(昭和33年)4月 : 日本道路公団が1958年度予算の新規着工路線として「東京高速道路(戸越〜銀座八丁目)」を含む計画を決定。
  • 1958年(昭和33年)4月 : 国会でオリンピック東京招致決議案を可決。
  • 1958年(昭和33年)7月 : 首都圏整備委員会が首都高速道路網計画を含んだ首都圏整備計画を決定、告示。
  • 1958年(昭和33年)12月 : 東京都市計画地方審議会が首都高速道路計画を一部保留して付議どおり議決し、建設大臣に答申。
  • 1959年(昭和34年)2月25日 : 日本道路公団が西戸越〜汐留間を「一般有料道路 東京都市高速道路」として工事着手。(後に首都高に引継。)
  • 1959年(昭和34年)4月8日 : 首都高速道路公団法が可決、成立。
  • 1959年(昭和34年)5月26日 : 東京オリンピック開催決定。
  • 1959年(昭和34年)6月17日 : 首都高速道路公団が誕生。
  • 1959年(昭和34年)8月7日 : 東京都市計画地方審議会で保留部分につき原案どおり議決。
  • 1962年(昭和37年)12月20日 : 首都高速道路初の路線として、京橋 - 芝浦 (4.5 km) 開通。均一料金制による料金徴収を実施。
  • 1963年(昭和38年)12月21日 : 本町 - 京橋 (1.9 km)、1号羽田線芝浦 - 鈴ヶ森 (6.4 km)、都心環状線呉服橋 - 江戸橋JCT (0.6 km) 開通。
  • 1964年(昭和39年)8月2日 : 1号羽田線鈴ヶ森 - 空港(現:空港西)(4.6 km)、八重洲線汐留JCT - 新橋 (0.3 km)、神田橋 - 4号新宿線初台 (9.8 km)、都心環状線呉服橋 - 神田橋 (0.4 km) 開通
  • 1964年(昭和39年)9月21日 : 都心環状線三宅坂JCT - 霞が関 (1.4 km) 開通
  • 1964年(昭和39年)10月1日 : 都心環状線浜崎橋JCT - 芝公園 (1.4 km)、3号渋谷線渋谷 - 渋谷 (1.3 km) 開通。
  • 1964年(昭和39年)12月23日 : 世界銀行との間で調印(横浜-羽田間)25,000千USD
  • 1966年(昭和41年)7月2日 : 京橋JCT (0.1 km) 新設。8号線完成。
  • 1966年(昭和41年)12月21日 : 1号羽田線空港(現:空港西) - 羽田 (0.9 km) 開通
  • 1967年(昭和42年)3月30日 : 5号池袋線竹橋JCT - 西神田 (1.2 km) 開通
  • 1967年(昭和42年)7月4日 : 都心環状線芝公園 - 霞が関 (3.7 km) 開通。都心環状線完成
  • 1967年(昭和42年)9月2日 : 3号渋谷線谷町JCT - 渋谷 (2.7 km) 開通
  • 1967年(昭和42年)9月30日 : 2号目黒線一ノ橋JCT - 戸越 (5.9 km)、2号線完成。
  • 1968年(昭和43年)7月19日 : 神奈川1号横羽線東神奈川 - 浅田 (6.8 km) 開通。神奈川県内では初の開通。総延長が50 kmを突破。
  • 1968年(昭和43年)11月28日 : 神奈川1号横羽線浅田 - 羽田 (6.9 km) 開通
  • 1969年(昭和44年)5月31日 : 1号上野線入谷 - 本町 (3.6 km) 開通。1号線完成
  • 1969年(昭和44年)6月27日 : 5号池袋線西神田 - 護国寺 (3.9 km) 開通
  • 1969年(昭和44年)12月19日 : 5号池袋線護国寺 - 北池袋 (3.0 km) 開通。
  • 1970年(昭和45年)4月1日:通行料金値上げ(普通車150円から200円に変更)。
  • 1971年(昭和46年)3月21日 : 6号向島線江戸橋JCT - 向島 (7.9 km)、7号小松川線両国JCT - 京葉道路接続部 (10.4 km) 開通。7号線完成、京葉道路と接続。
  • 1971年(昭和46年)12月21日 : 3号渋谷線渋谷 - 東名高速接続部 (7.9 km) 開通。3号線完成、東名高速と接続。
  • 1972年(昭和48年)8月7日 : 神奈川1号横羽線東神奈川 - 横浜駅西口 (2.2 km) 開通
  • 1973年(昭和48年)2月15日 : 八重洲線西銀座JCT - 神田橋JCT (1.6 km) 開通。八重洲線完成。総延長が100 kmを突破。
  • 1973年(昭和48年)8月15日 : 4号新宿線永福 - 高井戸 (2.5 km) 開通
  • 1973年(昭和48年)10月27日 : 4号新宿線初台 - 永福 (4.0 km) 開通
  • 1976年(昭和51年)5月18日 : 4号新宿線高井戸 - 中央道接続部 (0.7 km) 開通。4号線完成、中央道と接続。
  • 1976年(昭和51年)8月12日 : 湾岸線大井 - 13号地(現: 臨海副都心)(2.8 km) 開通
  • 1977年(昭和52年)8月19日 : 5号池袋線北池袋 - 高島平 (8.6 km) 開通
  • 1978年(昭和53年)1月20日 : 湾岸線新木場 - 浦安 (6.0 km) 開通。千葉県内では初の開通。
  • 1978年(昭和53年)3月7日 : 神奈川2号三ツ沢線横浜駅西口 - 第三京浜接続部 (1.8 km)、横浜公園 - 金港JCT (4.0 km) 開通。神奈川1号横羽線完成。
  • 1980年(昭和55年)2月5日 : 9号深川線箱崎JCT - 新木場 (7.0 km) 開通。9号深川線完成。
  • 1981年(昭和56年)5月19日 : 湾岸線有明 - 辰巳JCT (1.7 km) 開通
  • 1982年(昭和57年)3月30日 : 6号向島線向島 - 中央環状線千住新橋 (5.2 km) 開通
  • 1982年(昭和57年)4月27日 : 湾岸線浦安 - 東関東道接続部 (6.9 km) 開通。東関東道と接続。総延長が150 kmを突破。
  • 1983年(昭和58年)2月24日 : 湾岸線大井 - 東海JCT (5.1 km) 開通
  • 1983年(昭和58年)11月30日 : 中央環状線堀切JCT - 四つ木 (1.4 km) 開通
  • 1984年(昭和59年)2月2日 : 神奈川3号狩場線新山下 - 横浜公園 (1.8 km) 開通
  • 1984年(昭和59年)12月12日 : 湾岸線13号地(現: 臨海副都心) - 有明 (1.8 km) 開通
  • 1985年(昭和60年)1月24日 : 6号三郷線小菅JCT - 三郷JCT (10.6 km) 開通。6号線完成、常磐道へ接続。埼玉県内では初の開通。
  • 1987年(昭和62年)9月9日 : 中央環状線四つ木 - 葛西JCT (11.2 km)、千住新橋 - 川口線川口JCT (16.5 km) 開通。川口線完成、東北道へ接続。総延長が200 kmを突破。
  • 1989年(平成元年)9月27日 : 神奈川5号大黒線生麦JCT - 新山下JCT (8.8 km) 開通。神奈川5号大黒線完成、横浜ベイブリッジ開通。
  • 1989年(平成元年)12月26日 : 大井JCT新設
  • 1990年(平成2年)3月20日 : 神奈川3号狩場線石川町JCT - 横浜横須賀道路接続部 (7.7 km) 開通。神奈川3号狩場線完成、横浜横須賀道路へ接続。
  • 1990年(平成2年)11月27日 : 5号池袋線高島平 - 戸田南 (2.6 km) 開通
  • 1993年(平成5年)8月26日 : 11号台場線芝浦JCT - 有明JCT (5.0 km) 開通。11号台場線完成、レインボーブリッジ開通。
  • 1993年(平成5年)9月27日 : 湾岸線空港中央 - 東海JCT (4.2 km) 開通。それに伴い1号線の空港を空港西に改称。
  • 1993年(平成5年)10月26日 : 5号池袋線戸田南 - 美女木JCT (2.2 km) 開通、5号池袋線が外環道と接続。
  • 1994年(平成6年)12月21日 : 湾岸線大黒JCT - 空港中央 (16.4 km) 開通。鶴見つばさ橋開通
  • 1997年(平成9年)12月18日 : 川崎浮島JCT新設、東京湾アクアラインと接続。
  • 1998年(平成10年)5月18日 : 埼玉大宮線美女木JCT - 与野 (8.0 km) 開通。埼玉大宮線完成
  • 1999年(平成11年)7月15日 : 横浜横須賀道路接続部 - 杉田 (3.5 km)、湾岸線三渓園(仮)- 本牧ふ頭 (4.1 km) 開通
  • 2000年(平成12年)4月17日 : 埼玉新都心線新都心西出入口開通
  • 2001年(平成13年)10月22日 : 湾岸線杉田 - 三渓園 (7.0 km) 開通。湾岸線全線開通
  • 2002年(平成14年)4月30日 : 神奈川6号川崎線川崎浮島JCT - 殿町 (3.5 km) 開通
  • 2002年(平成14年)12月25日 : 中央環状線板橋JCT - 江北JCT (7.1 km) 開通
  • 2004年(平成16年)5月26日 : 埼玉新都心線与野 - 新都心 (2.3 km) 開通
  • 2005年(平成17年)10月1日 : 首都高速道路株式会社設立。道路などの施設は日本高速道路保有・債務返済機構の保有となる。
  • 2006年(平成18年)8月4日 : 埼玉新都心線新都心 - さいたま見沼 (3.5 km) 開通。埼玉新都心線完成
  • 2007年(平成19年)12月22日 : 中央環状線西新宿JCT - 熊野町JCT (6.7 km) 開通。湾岸線の13号地が臨海副都心へ改称。
  • 2009年(平成21年)2月11日 : 10号晴海線豊洲 - 東雲JCT (1.5 km) 開通
  • 2009年(平成21年)3月29日 : 神奈川1号横羽線大師出入口(横浜方面)開通
  • 2010年(平成22年)3月28日 : 中央環状線大橋JCT - 西新宿JCT (4.3 km) 開通
  • 2010年(平成22年)10月20日 : 神奈川6号川崎線大師JCT - 殿町 (2.0 km) 開通。総延長が300 kmを突破。
  • 2012年(平成24年)1月1日 : 東京圏・神奈川圏・埼玉圏の料金圏を撤廃し、距離別料金制へ移行。
  • 2012年(平成24年)12月20日 : 開通50周年
  • 2013年(平成25年)4月1日 : 10号晴海線豊洲出入口に首都高初の自動精算機を設置。
  • 2015年(平成27年)3月7日 : 中央環状線大井JCT - 大橋JCT (9.4 km) 開通。山手トンネル・中央環状線全線開通
  • 2016年(平成28年)4月1日 : 首都圏の高速道路料金体系の見直しに伴い、料金水準を高速自動車国道の大都市近郊区間と同水準とし、料金車種区分もこれまでの2車種区分から5車種区分へ移行した。
  • 2017年(平成29年)3月4日 : 湾岸線南本牧ふ頭出入口開通
  • 2017年(平成29年)3月18日 : 神奈川7号横浜北線生麦JCT - 横浜港北JCT (8.2 km) 開通
  • 2018年(平成30年)3月10日 : 10号晴海線晴海 - 豊洲 (1.2 km) 開通
  • 2020年(令和2年)3月22日 : 神奈川7号横浜北西線横浜港北JCT - 横浜青葉JCT (7.1 km) 開通
  • 2021年(令和3年)5月10日 : 首都高速道路都心環状線の江戸橋出入口・呉服橋出入口が日本橋川内の橋脚本数の削減と地下化工事作業のため廃止。
  • 2022年(令和4年)4月1日 : 34か所の入口料金所が新たにETC専用となる(うち5か所は先行して3月1日から)。


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