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防衛省

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防衛省(ぼうえいしょう、英: Ministry of Defense、略称: MOD)は、日本の行政機関のひとつ。自衛隊の管理・運営及び日米安全保障条約に係る事務を所管する。

本省は「防衛省」と呼称されるが、英称は国防省と日本語訳されるものと同じである。

概説[編集]

戦争放棄及び戦力の不保持を定めた日本国憲法第9条のもと、日本の国防を所管する行政機関であり、国家行政組織法3条および防衛省設置法2条に基づき内閣の統轄の下に設置される。長である防衛大臣は、陸海空自衛隊を含む防衛省全体の組織を統括する。任務は防衛省設置法が「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つことを目的とし、これがため、陸上自衛隊、海上自衛隊及び航空自衛隊を管理し、及び運営し、並びにこれに関する事務を行うこと」(3条1項)および「条約に基づく外国軍隊の駐留及び日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定の規定に基づくアメリカ合衆国連邦政府の責務の本邦における遂行に伴う事務で他の行政機関の所掌に属しないものを適切に行うこと」(3条2項)と規定する。

また日本ジブチ地位協定に係る事務とその協定に基づいてジブチ共和国に駐留している自衛隊員と自衛隊基地の管理等も行う。

シンボルマークは“青い球(地球)を守るように抱える緑色のヒトの形の上半身”である(自衛隊員を象徴する)。

1950年(昭和25年)、前身である警察予備隊本部が発足し、その後保安庁を経て、1954年(昭和29年)7月1日以来、防衛庁として総理府、内閣府の外局だったが、2007年(平成19年)1月9日に防衛省へ移行、内閣の統轄の下に行政事務をつかさどる機関である省の一つとなった。同年9月1日に防衛施設庁が内部部局の地方協力局と地方支分部局の地方防衛局に再編されたうえで統合された。

内部部局として大臣官房、防衛政策局、整備計画局、人事教育局、地方協力局を、審議会等として防衛施設中央審議会、自衛隊員倫理審査会及び防衛人事審議会を、施設等機関として防衛大学校、防衛医科大学校及び防衛研究所を、 特別の機関として防衛会議、統合幕僚監部、陸上幕僚監部、海上幕僚監部、航空幕僚監部、陸上自衛隊、海上自衛隊及び航空自衛隊等を、地方支分部局として8つの地方防衛局を、外局として防衛装備庁を置く。陸上自衛隊、海上自衛隊及び航空自衛隊とは、対応する陸海空幕僚監部並びに統合幕僚長及び対応する陸海空幕僚長の監督を受ける部隊及び機関とされている(自衛隊法2条2〜4項)。

行政組織法上はこれらすべての機関が防衛省の一部であるが、マスコミ報道においては特別の機関である陸海空自衛隊を除いた部分、特に内部部局のみを指して防衛省と呼ぶことが多い。自衛隊(陸上自衛隊、海上自衛隊及び航空自衛隊)とは、自衛隊法上は審議会等と駐留軍等労働者の労務管理等をつかさどる部局(防衛省地方協力局労務管理課)を除外した防衛大臣以下、内部部局からを含む防衛省の全体を指し(自衛隊法2条1項)、つまり「防衛省」と「自衛隊」はほぼ同一の組織のことを指している。一方、防衛省設置法に基づく国の行政機関としての側面からの名称が「防衛省」、国防等の職務を担う軍事的組織としての側面からの名称が「自衛隊」ということになる。

隊員とは防衛省の職員で、防衛大臣、防衛副大臣、防衛大臣政務官、防衛大臣補佐官、防衛大臣政策参与、防衛大臣秘書官、審議会等委員及び地方協力局労務管理課職員以外のものをいう(自衛隊法2条5項)。防衛事務次官、防衛書記官、防衛部員をはじめとする内部部局等のいわゆる文官は、自衛隊員であるとされており、自衛官(制服組)と同様に、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努める」という文言を含む服務の宣誓を行うこととされている(自衛隊法53条、自衛隊法施行規則39条)。

単一の省としては最も多くの職員が在籍する行政機関であり、防衛省職員への給与は国家公務員給与費の4割以上を占める。2023年度の一般会計予算は6兆7879億6544万6千円である。2002年度(平成14年度)の4兆9345億円から2012年度(平成24年度)の4兆6453億円まで11年連続で減少を続けていたが、第2次安倍内閣の成立後は増額している。

外務省との関係では、2023年(令和5年)1月1日現在、防衛駐在官72名(陸33名、海20名、空19名)が、外務省に出向して86大使館6政府代表部(兼務を除く在勤としては49大使館2政府代表部)に派遣されている。

沿革[編集]

前史[編集]

明治2年から明治5年にかけて「国の防衛と治安維持」を管轄とする兵部省(ひょうぶしょう)という省庁が存在し、これは陸軍省と海軍省に分離・改組され日本の軍事を担っていた。1945年(昭和20年)の十五年戦争(支那事変・大東亜戦争・第二次世界大戦)終結により陸軍省は第一復員省、海軍省は第二復員省に改組されたのち、統合され復員庁となり1947年(昭和22年)に廃止された。

詳細は「復員庁#概要」および「社会・援護局#所掌業務」を参照

現在の防衛省の直接の前身は、1950年(昭和25年)6月の朝鮮動乱(韓国名6・25戦争、北朝鮮名祖国解放戦争)勃発を受けて発足した警察予備隊本部(けいさつよびたいほんぶ)に遡ることができる。その後、保安庁(ほあんちょう)、防衛庁(ぼうえいちょう)を経て現在の防衛省に至る。

設置[編集]

防衛省の前身である防衛庁は、半世紀あまりの間「庁」のまま国家行政組織法上の位置付けの変更は行われなかったが、その間も「省」へ移行(府省の外局である庁から内閣直属の省へ昇格)させるべきとの意見は根強く、検討議論は頻繁になされていた。しかし、具体的な提案として、防衛庁の省移行が政治日程に上ったのは、小泉政権後期の2005年後半のことで、第1次安倍政権下の2007年1月に実現した。この間の経緯は以下のとおりである。

  • 2005年(平成17年) - 政府部内において庁から省への昇格の議論が本格化、省昇格法案を国会に提出することが予定される。
  • 2006年(平成18年)
    • 1月30日 - 防衛施設庁談合事件が発覚し、防衛施設庁の問題を放置したまま防衛庁を省へ移行させることへの反対意見が起こる。
    • 6月9日 - 防衛庁を防衛省へ移行させるため、「防衛庁設置法等の一部を改正する法律案」が第164回国会に提出されるが、第164国会では継続審議になる。
    • 11月30日 - 第165回国会において第164国会で継続審議とされた防衛庁設置法等の一部を改正する法律案が衆議院で可決。
    • 12月15日 - 防衛庁設置法等の一部を改正する法律案が参議院で可決。衆議院、参議院ともに自民・公明・民主・国民新の賛成多数により、同法が成立し、2006年(平成18年)12月22日に法律第118号として公布された。
  • 2007年(平成19年)
    • 1月9日 - 防衛庁設置法等の一部を改正する法律(平成18年法律第118号)の施行により、防衛庁設置法が防衛省設置法に改題され、防衛庁は防衛省(Ministry of Defense)に改められた。
    • 3月22日 - 初の防衛省令となる「防衛大学校、防衛医科大学校、防衛研究所、技術研究本部及び装備本部組織規則等の一部を改正する省令」が公布された。

省への移行によって、内閣法にいう主任の大臣は、総理府・内閣府の長たる内閣総理大臣から防衛大臣となった。すなわち、防衛大臣は防衛省の所掌事務である国防について分担管理する大臣として責任を負う。しかし、防衛大臣が自衛隊に対して命令できる行動は「海上警備行動」までであり、それより上位の「警護出動」・「治安出動」、最上位の「防衛出動」は内閣の首長としての内閣総理大臣に命令権が与えられている。このため、省への移行に伴う防衛大臣(旧防衛庁長官)の職責上の変更点は、閣議への請議や財務大臣への予算要求、省令の制定などが防衛大臣の名において行えるようになったことに留まった。したがって、省への移行の具体的な効果は事務手続のごく若干の緩和、庁より格が高いとされる省への名称変更による隊員と職員の士気向上、他国の国防機関との均衡の改善などが挙げられている。



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