阪神甲子園球場
阪神甲子園球場(はんしんこうしえんきゅうじょう)は、兵庫県西宮市甲子園町にある野球場。通称「甲子園球場」または「甲子園」(本項では以下、甲子園球場に統一)。阪神タイガースの親会社である大手私鉄の阪神電気鉄道(阪神電鉄)が所有・管理・運用している。
概要[編集]
1924年8月、大阪朝日新聞(現・朝日新聞社)主催の全国中等学校優勝野球大会(現・全国高等学校野球選手権大会)の開催を主目的として、兵庫県武庫郡鳴尾村(現在の西宮市)に開場した、日本初の大規模多目的野球場である。阪神本線甲子園駅前に位置している。
日本プロ野球(NPB)の本拠地球場としては現存する最古の球場であり、2024年8月には開場100周年を迎える。プロ野球開催時の収容人数は東京ドーム(約43,500人)に次ぐ42,600人程度だが、スタンドが平屋建て(銀傘下のロイヤルスイートを除く)の球場としては日本国内では最大規模である。
開場以来、全国高等学校野球選手権大会(通称・夏の甲子園)および選抜高等学校野球大会(通称・春の甲子園)という2大高校野球全国大会の試合会場となっており、日本国内では「野球の聖地」と称されている。NPBセントラル・リーグに所属する阪神タイガースの本拠地球場としても知られる他、大学野球の試合でも使用され、関西六大学野球連盟と関西学生野球連盟のリーグ戦の一部試合が当球場にて実施されている。また、2021年からは全国高等学校女子硬式野球選手権大会決勝戦の試合会場としても使用されている。野球以外では、全日本大学アメリカンフットボール選手権大会の決勝戦(通称・甲子園ボウル)が毎年開催されている。
球場の通称である「甲子園」は、先の2大高校野球全国大会の通称となっていることから高校野球そのものを指す代名詞にもなっている他、野球の大会のみならず高校生を参加対象とする全国大会やコンクール、地域別対抗形式のイベントなどが「〇〇甲子園」と名付けられることも多い(「甲子園の名がつく高校生大会一覧」)。なお、『阪神甲子園球場』は1995年に阪神電気鉄道により商標登録されており(第3037323号ほか)、2012年には『甲子園』(野球用途に限る。第5509344号)も同様に商標登録されている。
2008年からは日本の野球場としては珍しいオフィシャルスポンサー制度を採用している。2023年度ではアサヒビール・東芝・ミズノ・三菱電機・山九・セコムが参加しており、いずれの企業も施設命名権ないし球場設備に関わっている。
紙テープ、紙吹雪、ウェーブ、携帯電話ないしペンライトなどによる光を発した応援は常時禁止されている。また周囲が住宅地であるため、周辺環境に配慮して午後10時以降はトランペット・太鼓を使った鳴り物応援は禁止となる。ただし、タイガース勝利時の『六甲おろし』は午後10時以降でも合唱される。また、ジェット風船の使用も2020年以降は感染症対策として禁止されている。
ちなみに、メディア上において敷地などの面積を示す際の慣用単位として東京ドームが用いられることが多いが、関西圏ではその代わりに「甲子園球場△個分」という表現が使用されることがある(「東京ドーム (単位)」を参照)。総面積が球場の面積のことを表すとすれば、約38,500m2が一個分となる。
沿革[編集]
建設の経緯[編集]
第1回大会、第2回大会を箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)が所有する大阪府豊能郡豊中村(現・豊中市)の豊中グラウンドで、第3回大会以降は阪神電鉄が所有する兵庫県武庫郡鳴尾村の鳴尾球場(鳴尾競馬場馬場内)で開催していた全国中等学校優勝野球大会であったが、開催を重ねるごとに徐々に注目を集めるようになり、特に1923年の第9回大会では鳴尾球場に近い地元の甲陽中が決勝戦で和歌山中との近畿対決を制したこともあって中等学校野球人気がピークに達した。それにつれて、同球場の仮設スタンドでは大勢の観客を収容しきれなくなり、試合中に観客がグラウンドになだれ込んで試合が中断するという事態にまで発展することもあった。
この事態を重く見た同大会主催の大阪朝日新聞は、阪神電鉄に対して本格的な野球場建設を提案。電鉄側も同年、武庫川改修工事によって廃川となった枝川・申川跡の開発の一環で運動場の建設計画を進めていたこともあって、双方の利害が一致した。設計に当たっては、当時国内にあった野球場では参考になるものがなく、当時のニューヨーク・ジャイアンツの本拠地であったポロ・グラウンズをモデルに設計されたと言われている。完成するまでの仮名称は「枝川運動場」であったが、完成予定の大正13年(1924年)が十干十二支の最初の組み合わせで縁起の良い甲子年(きのえねとし)だったこともあり、後に「甲子園大運動場(こうしえんだいうんどうじょう、看板表記は阪神電車甲子園大運動場)」と命名。起工式は1924年3月11日に行われ、同年8月1日に竣工式が行われた。
当初は陸上競技場や球技場としても利用されることを念頭に設計されたため、グラウンドは三角形で、ポール際のコーナーが丸みを帯びるという形状で、中堅119ないし120m・両翼110mに対し左右中間が128mもあるという、現在の目から見ても過大といえるサイズとなった(1934年にはホームベースがさらに9mほど下げられており、同年の日米野球に出場するために球場を訪れたベーブ・ルースを「too large(デカすぎだ)」と驚かせている)。スタンドは「5万人収容」と公称され、内野には高さ14.3m・50段の鉄筋コンクリート製のスタンドや鉄傘が設置された(ただし現在の外野スタンド・アルプススタンドに当たる部分は、土盛りの上に20段の木造スタンドが組まれるのみにとどまった)。その他、水洗トイレ・カレーライス・コーヒーが評判となるなど、時代の先端を行く施設であった。
こけら落としは阪神間学童運動会で、同年夏から優勝大会の会場となった。球場の規模に圧倒された大会関係者が「ここが満員になるのは10年はかかるのでは」と心配するほどであったが、開幕4日目で満員を記録した。また、大阪毎日新聞が主催していた日本フットボール優勝大会(サッカー、ラグビーの全国大会、詳細は後述)や選抜中等学校野球大会も翌年から開催されている。