You can edit almost every page by Creating an account. Otherwise, see the FAQ.

長谷川町子

提供:EverybodyWiki Bios & Wiki
移動先:案内検索

谷川 町子(はせがわ まちこ、1920年(大正9年)1月30日 - 1992年(平成4年)5月27日)は、日本の女性漫画家。日本初の女性プロ漫画家。

代表作に『サザエさん』・『いじわるばあさん』・『エプロンおばさん』など。

生涯[編集]

佐賀県小城郡東多久村(現・多久市)で父・勇吉と母・貞子との間の3人姉妹の次女として生まれる。実際は姉との間に夭折した2番目の姉がおり、戸籍上は4姉妹の三女になる。当時、多久で操業していた三菱炭坑の技師であった勇吉が独立、ワイヤーロープの事業開業に伴い福岡県福岡市春吉(現在の同市中央区)に転居、春吉尋常小学校に小学1年生から通った。

小学生時代は成績が良く、男子生徒と交代で学級長を務めていたが「悪ガキ」だったと妹の洋子に語っている。小学校時代は卒業までクラス替えがなく、担任の教員も替わらず、家族のような組だった。授業中にはよく教員の似顔絵を描いており、それを見つけた教員の松本善一にチョークを投げつけられ、罰として廊下に立たされた。そうした松本の癖などを漫画にして、級友に授業中回して遊んでいた。掃除時間になると、掃除を怠けて男子とチャンバラごっこをして遊んだ。女子が男子に泣かされた時には、その男子を屋上に連れ出して、仕返しをした。得意科目は図画と作文。男子生徒と交替で級長(学級委員長)を務めたが、自習時間の監督を任されると、自習を怠けている生徒の頭を定規で叩いて教室を歩き回った。それが原因でよく喧嘩になった。小学校卒業式の朝、男子生徒と喧嘩した挙げ句、校庭の物置に閉じ込め、そのまま式に出たあと家に帰ってしまう。卒業式終了後に、その男子生徒に気づいた学校の用務員により、助けられた。

小学校卒業後は旧制福岡県立福岡高等女学校(現在の福岡県立福岡中央高等学校)に2年生の1933年(昭和8年)まで在籍。同年3月、父・勇吉が肺炎から膿胸を併発し、5年間の闘病生活の末亡くなる。町子の父への思い入れは深く「ハンサムで、素敵な紳士」だったと語っている。一方で、「短気な性格を娘達が受け継いだ」、と振り返る。父の死から一年後の1934年(昭和9年)、娘たちを東京で教育を受けさせたい、という母の貞子の意向で14歳の時に一家揃って上京。私立山脇高等女学校の3年生に編入。同校は「お嬢様学校」のため、方言やお行儀の違いを周囲から奇異の目で見られ、腕白な性格から内向的な性格になった。娘の変化に貞子は心痛めていたという。



Read or create/edit this page in another language[編集]