長友佑都
長友 佑都(ながとも ゆうと、1986年9月12日 - )は、愛媛県東予市(現:西条市)出身のプロサッカー選手。Jリーグ・FC東京所属。ポジションはディフェンダー(センターバック、サイドバック)、ミッドフィールダー(サイドハーフ、ウイングバック)。元日本代表。
妻はタレントで女優の平愛梨。
来歴[編集]
愛媛県西条市(旧・東予市)生まれ。父の実家は大きな新聞販売所を経営しており、父方の祖父母の家で三世代で暮らしていた。小学1年生の時にサッカーを始めた。小学3年生の頃に両親が離婚し、母の地元西条市の実家近くへ引っ越す。西条市立神拝小学6年生の時に愛媛FCジュニアユースのセレクション不合格。
西条市立北中学校在学時に恩師である井上博に出会い、この時期の走り込みにより現在の豊富な運動量のベース、体幹が作られている。2001年のU-15全日本ユース選手権では県3位の成績を残した。
2002年、サッカーの強豪東福岡高校に進学。森重潤也の下で2年生時に1ボランチとしてレギュラー入りしたが、地区選抜などには選ばれず全国的には無名だったためスポーツ推薦を得られず、進学先の明治大学政治経済学部には指定校推薦で入学した。高校時代の同級生には近藤徹志、ラグビー日本代表の豊田将万などがいる。
プレースタイル[編集]
豊富な運動量と抜群のスピードが武器のサイドバック。また、俊敏性に優れて1対1に強く、上背はないが大型FWにも競り負けないフィジカルと身体能力の高さを併せ持つと評された。
イタリアのスポーツ紙『ガゼッタ・デッロ・スポルト』では長友について「インテルに欠けていた闘争心に飢えている象徴的存在」と評している。
選手として[編集]
- 明治大学在学中に教職課程にも通った。卒業論文のテーマは「イギリス文化研究」。
- 幼少期に和太鼓を習っていた経験から、明治大学で負傷欠場していた際は出場選手を太鼓で応援。そのリズムはスタンドの話題となり、鹿島アントラーズのサポーター集団IN.FIGHTから勧誘を受けるほどだった。
- U-22代表に選考されたきっかけは、2007年1月初旬に明大監督の神川明彦が同大の1年後輩であり当時U-22代表のコーチを務めていた江尻篤彦に「どうしても見て欲しい選手がいるので、だまされたと思って一度(長友の)プレーを(試合会場まで)見に来て欲しい」と連絡し、総理大臣杯準々決勝を江尻が視察に訪れたことがきっかけとなった。神川は「(後輩の)江尻が(U-22代表の)コーチでなければ電話はできなかった。直接話せる人がそういう立場(U-22代表のコーチ)にいることはなかなかないし、運命だった」と語っている。
- 2010年2月、FC東京がキャンプ地としている宮崎県都城市の特派大使に任命された。同市は、父方の祖父の出身地でもあり、名前の「佑都」もここから付けられた。5月には、既にFC東京選手会および城福監督が口蹄疫被害への義援金を同市に提供していたが、個人としても義援金を提供。
- 地元愛媛県の久万高原天体観測館職員中村彰正は、自ら発見した小惑星(登録番号158241)に『Yutonagatomo』と命名している。
- インテル加入に際し、長友はイタリア語で書かれた契約書を読めず交渉が難航していた。困ったレオナルドは日本に国際電話をかけ、親交のあった鈴木国弘(ジーコJAPAN通訳)に通訳を依頼。レオナルドがイタリア語からポルトガル語へ、鈴木がポルトガル語から日本語へ翻訳し、長友に伝えられ無事に契約書へサインした。
- セリエA初得点を決めたときにハビエル・サネッティと披露したお辞儀のパフォーマンスは地元紙で大きく報じられた。このお辞儀は元々、長友がインテルの練習で行っているもので、いまでは長友がお辞儀をすると観客もお辞儀を返すほど有名になった。当初はゴールパフォーマンスだったが、「お辞儀」が広く認知されたことでアシストなど長友が活躍した場合にも、選手たちが輪になってお辞儀をする光景が見られた。また若手選手の下部組織であるプリマヴェーラでも、ゴールの後にお辞儀を行う場合がある。
- インテル移籍後の2011年4月30日、アウェーのチェゼーナ戦では、チェゼーナに在籍していたシーズン前半で16試合にフル出場しチームに多大な貢献を与えたという理由で、試合前にチェゼーナのマンチーニ副会長から特別表彰のトロフィーが贈られた。また2011年12月18日のアウェー戦でも試合開始前にチェゼーナサポーターから「ユウト」コールが上がり長友もこれにお辞儀で応えるなど、わずか半年間の在籍にもかかわらずチェゼーナとはクラブ、サポーター共に非常に良好な関係を保っている。
- インテル在籍時のチームメートだったヴェスレイ・スナイデルとは公私共に仲が良く、スナイデルが自宅に招いた長友とチャンピオンズリーグを一緒にテレビ観戦する様子をtwitterに投稿して話題となった。またキャプテンのサネッティは長友について「ユウトはたまたまインテルでポジションを手に入れたわけではない」とサッカー選手として評価しながらも、「時々、動くクマのぬいぐるみじゃないかと思っちゃうんだよね。かわいすぎるよ!あんなにチームのフィーリングとマッチする選手って、滅多に居ないんじゃないかな。だからみんなから好かれてるんだよ」と語っている。
- アントニオ・カッサーノはインテルに移籍した際の記者会見で、以前から顔見知りだった長友の名前を挙げ「私がインテルに来たのは、長友のためというのもあります」「ユウトはすでに私の愛弟子になっています」と発言し、会場の記者たちの笑いを誘った。その後、練習やプライベートでの親密ぶりはもとより、試合でも攻撃で抜群のコンビネーションを見せた。両者の関係はカッサーノがインテルを去ってからも良好で、頻繁に電話やメールのやりとりを続けている。
- インテルの会長マッシモ・モラッティはチームで最もフレンドリーな選手に長友を挙げ、「チームのマスコットとなり、震災の影響を感じさせず明るく振舞っている」と評価している。チームの合宿でも他の選手から「同じ部屋にいると楽しめる」という理由で同室を希望する声が殺到したり、新シーズンに向けたイベントでは5,000人のサポーターをチャントで煽り盛り上げるなど、卓越したコミュニケーション能力を見せた。チェゼーナでチームメイトだったジュゼッペ・コルッチは「長友は日本人なんかじゃない。あれはラテンの血が混ざってる。むしろイタリア人だよ」と語っている。コルッチはレッジーナで中村俊輔と、カターニャで森本貴幸と共にプレーした経験があり、「最初は大人しくてまじめな選手なんだろうなって思ってた。いわゆる一般的な日本人像ってやつだ。礼儀正しくて物静か。あまり輪の中に入ってこない、いつもクールな日本人。中村は根っからに真面目だったな。初めて彼の声を聞いたのは半年くらい経ってからじゃないかな。森本もそこまで賑やかなタイプじゃない。中田(英寿)もそうなんだろう? でも長友は違う。ロッカールームでふざけあってたし、冗談も言いあってた。最初は言葉も話せなかったのにね。今考えると、それは新たな環境への適応力だったんだと思うよ」と語っている。
- 2011年5月にはピッチ内外でエレガンスとフェアプレーを示した選手としてサネッティらと共に「サン・シーロ・ジェントルマン賞」を受賞した。
- 自身初の著書『日本男児』が、2011年6月6日付のオリコン本ランキングで、スポーツ選手としては初となる売上1位を獲得した。後にイタリア語に訳され『Un ragazzo giapponese』として出版されている。
- 2011年12月、ESPNSTAR.comが発表した「2011年度世界のディフェンダートップ5」の一人に選ばれた。
- 2013年6月14日からディズニーXDで、本人をモデルとし、監修したアニメ『ゆうとくんがいく』が放送された。
- イタリアのスポーツサイト「sportcafe24.com」が発表した2013-14シーズンにおけるセリエAのベストプレーヤー左サイドバック部門で最優秀プレーヤーに選出された。
- 2016年、リオデジャネイロオリンピック日本代表のオーバーエイジ(OA)候補に挙げられ、自身も出場に意欲的であったが、クラブからの協力が得られなかったことやワールドカップアジア最終予選との兼ね合いにより 選外。長友の次善案として OAには藤春廣輝が選ばれた。藤春選出について長友は「(藤春は)攻撃に特徴があるが、守備でも(チームを)引っ張ってほしい」とコメントしている。
- 2020年4月、イギリスメディアの選ぶ21世紀の日本代表ベスト11に選ばれた。
- 先輩の中村俊輔からもサッカー選手との考えの観点などから尊敬されている。
経営[編集]
- 2015年4月から自身がオーナーを務める「長友佑都フットボールアカデミー」を開校する。
- 2016年4月1日、「運動・食事・精神」の事業を柱にした「株式会社Cuore」を設立し代表取締役社長に就任(cuoreはイタリア語で「心」の意)。
プライベート[編集]
- 2016年12月1日、流行語大賞で交際中のタレントで女優の平愛梨に向けた「(僕の)アモーレ」といった言葉がトップテンに受賞された。
- 2016年12月24日、平との婚約会見を行い、翌2017年1月29日に婚姻届を提出した。
- 2017年9月2日、自身のInstagramで平の妊娠を発表。2018年2月5日、第1子男児の誕生を報告。
- 2019年3月15日、平の第2子妊娠を報告。8月13日、第2子の誕生を報告。
- 2021年4月22日、自身のTwitterで第3子男児誕生を報告。
- 2022年2月6日、自身のTwitterで平の第4子妊娠を報告。4月22日、自身のInstagramで第4子男児誕生を報告。
所属クラブ[編集]
- 神拝サッカースクール (西条市立三芳小学校、西条市立神拝小学校)
- 1999年 - 2002年 西条市立西条北中学校
- 2002年 - 2005年 東福岡高等学校
- 2005年 - 2007年 明治大学体育会サッカー部
- 2007年 FC東京 (特別指定選手)
- 2008年 - 2011年1月 FC東京
- 2010年7月 - 2011年1月 ACチェゼーナ (loan)
- 2011年1月 - 同年6月 ACチェゼーナ
- 2011年1月 - 同年6月 インテルナツィオナーレ・ミラノ (loan)
- 2011年7月 - 2018年6月 インテルナツィオナーレ・ミラノ
- 2018年2月 - 同年6月 ガラタサライSK (loan)
- 2018年6月 - 2020年6月 ガラタサライSK
- 2020年8月 - 2021年6月 オリンピック・マルセイユ
- 2021年9月 - FC東京
個人成績[編集]
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2006 | 明治大 | 12 | - | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||
2007 | 2 | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||||
2007 | FC東京 | 36 | J1 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | 1 | 0 | |
2008 | 5 | 29 | 3 | 3 | 0 | 3 | 0 | 35 | 3 | ||
2009 | 31 | 1 | 4 | 1 | 1 | 0 | 36 | 2 | |||
2010 | 12 | 1 | 1 | 0 | - | 13 | 1 | ||||
イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2010-11 | チェゼーナ | 5 | セリエA | 16 | 0 | 0 | 0 | - | 16 | 0 | |
インテル | 55 | 13 | 2 | 3 | 0 | - | 16 | 2 | |||
2011-12 | 35 | 2 | 1 | 0 | - | 36 | 2 | ||||
2012-13 | 25 | 0 | 2 | 0 | - | 27 | 0 | ||||
2013-14 | 34 | 5 | 2 | 0 | - | 36 | 5 | ||||
2014-15 | 14 | 0 | 1 | 0 | - | 15 | 0 | ||||
2015-16 | 22 | 0 | 4 | 0 | - | 26 | 0 | ||||
2016-17 | 16 | 0 | 0 | 0 | - | 16 | 0 | ||||
2017-18 | 11 | 0 | 2 | 0 | - | 13 | 0 | ||||
トルコ | リーグ戦 | トルコ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2017-18 | ガラタサライ | 55 | スュペル・リグ | 15 | 0 | 1 | 0 | - | 16 | 0 | |
2018-19 | 17 | 1 | 0 | 0 | - | 17 | 1 | ||||
2019-20 | 15 | 1 | 2 | 1 | - | 17 | 2 | ||||
フランス | リーグ戦 | F・リーグ杯 | フランス杯 | 期間通算 | |||||||
2020-21 | マルセイユ | 25 | リーグ・アン | 25 | 0 | - | 1 | 0 | 26 | 0 | |
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2021 | FC東京 | 50 | J1 | 10 | 0 | 0 | 0 | - | 10 | 0 | |
2022 | 5 | 30 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 31 | 0 | ||
2023 | 29 | 0 | 6 | 0 | 2 | 0 | 37 | 0 | |||
通算 | 日本 | J1 | 141 | 5 | 15 | 1 | 7 | 0 | 163 | 6 | |
日本 | 他 | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | ||||
イタリア | セリエA | 186 | 9 | 15 | 0 | - | 201 | 9 | |||
トルコ | スュペル・リグ | 47 | 2 | 3 | 1 | - | 50 | 3 | |||
フランス | リーグ・アン | 25 | 0 | - | 1 | 0 | 26 | 0 | |||
総通算 | 399 | 16 | 33 | 2 | 10 | 0 | 442 | 18 |
- 2007年は特別指定選手として出場。
- その他の公式戦
- 2018年
- トルコ・スーパーカップ 1試合0得点
- 2019年
- トルコ・スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
UEFA | UEFA EL | UEFA CL | ||||
2010-11 | インテル | 55 | - | 3 | 0 | |
2011-12 | - | 7 | 0 | |||
2012-13 | 8 | 2 | - | |||
2014-15 | 2 | 0 | - | |||
2016-17 | 4 | 0 | - | |||
2018-19 | ガラタサライ | 2 | 0 | 5 | 0 | |
2019-20 | - | 6 | 0 | |||
2020-21 | マルセイユ | 25 | - | 2 | 0 | |
通算 | UEFA | 16 | 2 | 23 | 0 |
年度 | その他の国際公式戦 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
2012 | UEFA EL 予選 | 4 | 1 |
2013 | インターナショナル・チャンピオンズ・カップ | 1 | 0 |
2014 | UEFA EL 予選 | 1 | 0 |
インターナショナル・チャンピオンズ・カップ | 3 | 1 | |
2015 | インターナショナル・チャンピオンズ・カップ | 2 | 0 |
2016 | インターナショナル・チャンピオンズ・カップ | 3 | 0 |
総通算 | 14 | 2 |
- 出場歴
- 2007年7月8日:公式戦初出場 - ナビスコカップ準々決勝第1戦 vs横浜F・マリノス (三ツ沢球技場)
- 2008年3月8日:Jリーグ初出場 - J1第1節 vsヴィッセル神戸 (味の素スタジアム)
- 2008年5月3日:Jリーグ初得点 - J1第10節 vs大宮アルディージャ (NACK5スタジアム大宮)
- 2010年8月28日:セリエA初出場 - セリエA第1節 vsASローマ (スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ)
- 2011年3月6日:セリエA初得点 - セリエA第28節 vsジェノアCFC (スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ)
- 2011年3月15日:UEFAチャンピオンズリーグ初出場 - 決勝トーナメント1回戦2ndレグ vsバイエルン・ミュンヘン (アリアンツ・アレーナ)
タイトル[編集]
クラブ[編集]
- FC東京
- ナビスコカップ:2009年
- インテルナツィオナーレ・ミラノ
- コッパ・イタリア:2010-11
- ガラタサライSK
- スュペル・リグ:2017-18、2018-19
- テュルキエ・クパス:2018-19
- トルコ・スーパーカップ:2019
代表[編集]
- AFCアジアカップ:2011年
- キリンカップ:2008年、2009年、2011年
個人[編集]
- 関東大学サッカーリーグ戦ベストイレブン:2007年
- Jリーグ優秀新人賞:2008年
- Jリーグ優秀選手賞:2008年、2009年
- Jリーグベストイレブン:2009年
- AFC年間ベストイレブン:2011年、2012年
- AFC年間国際最優秀選手賞:2013年
代表歴[編集]
- 2008年5月24日:国際Aマッチ初出場 - キリンカップ vsコートジボワール (豊田スタジアム)
- 2008年11月13日:国際Aマッチ初得点 - キリンチャレンジカップ vsシリア (ホームズスタジアム神戸)
出場大会[編集]
- 全日本大学選抜
- ユニバーシアード日本代表
- 2007年 - 2007年夏季ユニバーシアード (6位)
- U-23日本代表
- 2007年 - 北京オリンピックサッカーアジア予選
- 2008年 - 北京オリンピック (グループリーグ敗退)
- 日本代表
- 2010 FIFAワールドカップ・アジア予選
- キリンカップサッカー2008 (優勝)
- アジアカップ2011 予選
- キリンカップサッカー2009 (優勝)
- 東アジアサッカー選手権2010 (3位)
- 2010 FIFAワールドカップ (ベスト16)
- AFCアジアカップ2011 (優勝)
- キリンカップサッカー2011 (優勝)
- 2014 FIFAワールドカップ・アジア予選
- FIFAコンフェデレーションズカップ2013 (グループリーグ敗退)
- 2014 FIFAワールドカップ (グループリーグ敗退)
- AFCアジアカップ2015 (ベスト8)
- 2018 FIFAワールドカップ・アジア予選
- キリンカップサッカー2016
- 2018 FIFAワールドカップ (ベスト16)
- AFCアジアカップ2019 (準優勝)
- 2022 FIFAワールドカップ・アジア予選
- 2022 FIFAワールドカップ (ベスト16)
試合数[編集]
- 国際Aマッチ 142試合 4得点 (2008年 - 2022年)
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2008 | 7 | 1 |
2009 | 11 | 2 |
2010 | 16 | 0 |
2011 | 10 | 0 |
2012 | 10 | 0 |
2013 | 12 | 0 |
2014 | 10 | 0 |
2015 | 10 | 0 |
2016 | 5 | 0 |
2017 | 10 | 0 |
2018 | 9 | 0 |
2019 | 12 | 1 |
2020 | 1 | 0 |
2021 | 8 | 0 |
2022 | 11 | 0 |
通算 | 142 | 4 |