錯乱武者
Lua エラー package.lua 内、80 行目: module 'Module:Message box/configuration' not found 錯乱武者(さくらんむしゃ)は、日本のダンスユニット。2000年に開催された「JAPAN DANCE DELIGHT FINAL Vol.7」で優勝を果たしている[1]。
概要[編集]
1990年から2000年にかけて日本のヒップホップダンス界はステップ重視であった[1]。錯乱武者はフィンガータットや、動きと動きをつなげるコンビネーションを中心としたスタイルで、当時のヒップホップダンス界で話題を呼び、2000年にはJAPAN DANCE DELIGHT FINAL Vol.7で優勝を果たす[1]。他のダンサー達からリスペクトを込めて「変態系」とも呼ばれていた[1]。
『Gパラダイス』(テレビ東京系、1998年4月 -)の金曜枠『RAVE2001』に出演し、アングラながらも注目を集め始める[1]。
2000年代前半。そのダンススタイルは【錯乱スタイル】と呼ばれ、ストリート・アンダーグラウンドシーンで流行した。
当時【ジャンルのひとつ】とまで言われる程のインパクトを残したが、後のダンスシーンの多様化、進化により自然消滅。
現在、そのスタイルを継いでいるダンサーはいない。
しかし、わずかに残る当時の映像等により若手ダンサー達への影響は色濃く残っている。
来歴[編集]
90年代中期、KAZUがROCK STEADY CREW(ロックステディークルー)のMR.WIGGLES(ミスター・ウイグルス)misfits(ミスフィッツ)一派のMar-Quest(マークウエスト)Kito(キート)等のスタイルを融合しつつ【日本独自のスタイル】を生みだせないかと模索。
本人談いわく、最初は「クラブでサークルバトル用に特化させ、目立って女性をお持ち帰りする為だった」という。
その為か、サークル内に飛び込む瞬発的な動きや奇をてらう仕草が多い。
メンバー[編集]
正規のメンバーは、
KAZU(カズ)、O-TOMO(オオトモ)、TAKAYUKI(タカユキ)、k-en(ケン)、おかだっちa.k.a.自爆(海外ではSUSHI)
[時系列]
98年
KAZU・O-TOMO・千秋(チアキ)
JAPAN DANCE DELIGHT vol.6予選敗退
千秋、料理人になる為脱退
99年
KAZU・O-TOMO
TOKYO DANCE DELIGHT vol.1準優勝
以後、TAKAYUKI、マシ、ABIRUが加入
ABIRU脱退
00年 k-en加入
JAPAN DANCE DELIGHT VOL.7優勝
マシ脱退
01年 おかだっち加入
現在の5人での活動はわずか2年。
以後、業界の目に留まり、女性ボーカリストWOOH(ヒップホップ雑誌WOOFIN'上でオーディション)を加え、ダンスボーカルユニット【KAMUI】を結成。
アーティスト活動に拠点を移す。
現在の5人での活動はわずか2年。
以後、業界の目に留まり、
女性ボーカリストWOOH(ヒップホップ雑誌WOOFIN'上でオーディション)を加え、ダンスボーカルユニット【KAMUI】を結成。
アーティスト活動に拠点を移す。
追記:【KAMUI】
初期のアルバム、ライブ活動では【アンダーグラウンドの天然記念物】と呼ばれた錯乱武者時代と変わらないスタイルで、楽曲・ダンススタイル共に【一般受けしない】マニアックな物が多い。
以後、メジャーデビュー。5年の活動ののちに解散。
錯乱武者独特の動き[編集]
90年代後半、テレビ東京系ダンス番組【RAVE2001】などの影響によりダンスシーンが活性化。99年KAZU・O-TOMOが【RAVE2001】出演。
海外からの流行をいち早く取り入れる事に重きを置く当時のダンサー達の中において、ダンスの枠に囚われない独特な動きを生み出した。
代表的なものに【首抜きバイブ】がある。
音楽性[編集]
90年代のビートに上音が【和】を思わす曲を多用。日本で独自に進化したヒップホップを体現しようとする拘りがある。
現在[編集]
2018年6月、18年ぶりにJAPAN DANCE DELIGHTにて復活。8月FINAL出場。(O-TOMO・TAKAYUKI・k-enにより)
KAZUは闘病中。
O-TOMOはダンススタジオオーナー、イベントオーガナイザー。
TAKAYUKIはダンサー・映像クリエイター。
k-enは振付・演出・デザイナー。
おかだっちは不明。
出典[編集]
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