銀座
銀座(ぎんざ)は、東京都中央区の地名で、旧・京橋区の地域にある。現行行政地名は銀座一丁目から銀座八丁目。郵便番号は104-0061。地域ブランドなどとしても知られている。
概要[編集]
日本有数の繁華街であり、広義における下町でもある。東京都心を代表する高級商業地として、日本国外においても戦前よりフジヤマ、ゲイシャ、ミキモト、赤坂などとともに知られる。海外のハイブランドの旗艦店や高級クラブ、高級バー、高級時計専門店、百貨店などが多数集積しており、東銀座駅前には歌舞伎座が位置している。「銀座」の名は一種の地域ブランドになっており全国各地の商店街には「○○銀座」と呼ばれる所がそこかしこに見受けられる。ただし近年はユニクロなどのファストファッションやドラッグストアなど大衆的な店舗も増えている。ハイブランドのアパレルだけでなく、マクドナルドやスターバックス、H&M、Apple Storeなどの外資系の日本1号店が銀座に置かれ、長年銀座を通して欧米文化が発信されてきた歴史をもつ。
北から南にかけて一丁目から八丁目まで続き、中央通りと晴海通りが交差する銀座四丁目交差点付近は銀座の街の中心であり、商業地として日本一地価の高い場所としても知られている。同交差点に位置する銀座和光の時計台は銀座のランドマーク的存在になっている。また西側で有楽町と隣接しており、有楽町駅や日比谷駅からも徒歩圏内である。
地理[編集]
東京都中央区の西部に位置し、西を千代田区、南を港区に接する。北側より銀座一丁目から銀座八丁目まで存在する。また、江戸城外堀を埋め立てた東京高速道路の1・2階部分は商店街となっているが、行政区画が未確定な部分もあり、俗に銀座九丁目・銀座西◎丁目地先などと呼ばれる。こうした事情から、銀座は4丁目と5丁目を除き、1番地が存在しない。こうした未整理区域があることを利用し、銀座八丁目と新橋の間には銀座九丁目を示す「銀座ナイン」と呼ばれる商業施設が3棟あり、2号館には「銀座九丁目」というおでん屋が入居している。
街路に関しては、仙台、秋田、会津若松、駿府(静岡)、名古屋、大坂(大阪)、広島など多くの近世城下町の町人地と同じく、直交街路を基本としており、これは近隣の日本橋、京橋地区と同様である。
しかし、大阪の船場や名古屋の錦周辺、あるいは京都の四条室町周辺などと異なり、街区は正方形ではなく細長い短冊形となっている。これは、京都のうち豊臣秀吉による都市改造を受けた地域や、大阪の平野町や天満周辺、松山などと共通する。
また、街路網は北東から南西に向かう中央通り(銀座の部分だけ特に「銀座通り」と呼ばれる)を中軸として設計されており、大阪、京都、名古屋、札幌のように東西南北の方位を基準とした構造を有していないばかりか、銀座における中央通りの軸線は、京橋、日本橋、神田における軸線と異なる方向を向いている。これは、徳川家康による当初の都市計画の際、江戸前島以来の微高地の尾根筋沿いに、地形に沿った主軸線として通町筋(とおりちょうすじ、現在の中央通り)を設定し、そこから両側に向かう道路を設けることにより、効率的な排水の便を図ったものといわれる。
近代になってからの都市計画に基づきさらに整備が加えられている。関東大震災後、後藤新平による震災復興の都市計画における目玉として、中央通りの東側に、新たな北東-南西軸(東京全体の南北軸の一部)として昭和通りが設けられた。また、数寄屋橋から銀座四丁目交差点、歌舞伎座前を経て勝どき橋方面へ至る、北西-南東方向の主要な直交街路として晴海通りが大通りとして整備され、銀座街区の西側には外堀通りが整備された。
このような整備にも関わらず、銀座内部の街路は昔ながらのものであり、通りから通りへと抜ける路地が多く点在し銀座らしい空間を醸し出している。
地域の郵便番号は104-0061で統一されている。
区域[編集]
南東側を現在の首都高速都心環状線、その他を東京高速道路にぐるりと囲まれた地域である。かつては、東を三十間堀川、西を江戸城外堀、南を汐留川、北を京橋川に囲まれた人工の島であった。
昭和通りの南東に位置する地域は、かつて木挽町と呼ばれる地域だったが、三十間堀川の埋め立てにより銀座と地続きとなったことから銀座東と改名し、1960年代後半に銀座西と共に銀座に統合された。首都高速都心環状線を挟んだ地域も含めて東銀座駅を最寄りとする一帯は、一般的に東銀座と呼ばれている。
一方、数寄屋橋を中心とする地域はかつて銀座西という町名だったが、地下鉄丸ノ内線の西銀座駅(現在の銀座駅)があったことなどから、町名が銀座となった今でも西銀座の名を冠した施設も散在する(例:西銀座デパート・西銀座チャンスセンター・西銀座通り)。
隣接する地区[編集]
地価[編集]
住宅地の地価は、2019年(平成31年)1月1日の公示地価によれば、銀座4-5-6の地点で5720万0000円/m2となっている。
経済[編集]
東京都心部に位置する銀座は、明治時代より商業の中心地として日本でも有数の繁華街を形成している。
商業地域は銀座通り(中央通り)沿いの地域を軸とした銀座の西部、特に晴海通りと交わる銀座四丁目交差点の周辺を中心としている。また、七丁目や八丁目周辺は高級クラブや飲食店などが立ち並んでいる。
一方で、東銀座地域は企業の社屋などが立ち並ぶオフィス街となっており、新橋演舞場のある六丁目から八丁目にかけては新橋の花街が形成されている。
商業[編集]
銀座は、東京の中心的な商業地の一つであり、有楽町エリアを合わせた2002年の年間商品販売額は4088億2100万円で、東京都内では新宿駅東口地域に次ぐ規模である。
明治時代に舶来品などが並んだ銀座は高級商店街として発展してきた。昭和初期のデパート進出などにより、銀座は東京随一の盛り場としての地位を確実なものにしていくが業態は少しずつ変化していった。従来は高級婦人服飾店といえば銀座セキネ、銀座マギー、マミーナ、小松ストア、銀座ダイアナ、三愛、創作洋品店(オートクチュール店舗)、日本初のセレクトショップであるサンモトヤマなどが代表だったが1990年代のバブル崩壊以後は海外の有名ブランドが続々と旗艦店を銀座に構えた、その一方でカラオケ店、ブランド品買取専門の質店などといった大衆的な業種のチェーン店化が活発になっていく。
銀座は、老舗の集積地でもあり、松屋・三越のほかにも、隣接する有楽町にルミネ・阪急MEN'S TOKYOが立ち並ぶ。しかし、有楽町駅再開発・一億総中流社会解体によって、有楽町そごうは2000年、有楽町西武は2010年、有楽町阪急は2011年、松坂屋は2013年、プランタン銀座は2016年に閉店しており、銀座・有楽町エリアの百貨店は7店から2店にまで急減している(阪急MEN’S TOKYOを含めると3店)。銀座というと百貨店というイメージをもつ人も多いが、実際はエリアごとの百貨店売上高では新宿や日本橋の方が多い。
家電メーカーはオーディオ製品を中心にしたショールームを銀座に相次いで開設した。1963年1月三菱電機が三愛ドリームセンター内に三菱電機スカイリングを、1966年4月にはソニーがソニービルを建設した(松下電器=テクニクス銀座ショールーム、日立製作所=Lo-Dプラザ、東京芝浦電気=東芝銀座セブン、日本ビクター=ニッパーズギンザ)。また、日産自動車も銀座ギャラリーを開設した。
新築されて2016年にオープンした東急プラザ銀座や銀座プレイス、2017年にオープンしたGINZA SIX(ギンザ シックス)、改装されて2015年にリニューアルオープンしたイグジットメルサ(旧ニューメルサ)などの大型の複合商業施設が数多く並ぶ。
情報通信業[編集]
かつて銀座にマスメディアの集中が見られた時期があった。明治時代、銀座煉瓦街の建設に伴い、丸の内や日本橋に近い銀座に、多くの新聞社が集中した。一時期は、東京日日新聞(現:毎日新聞)、東京朝日新聞(現:朝日新聞)、読売新聞や國民新聞などといった新聞社のほとんどが銀座に集中し、それに伴って印刷業や広告代理店なども集中した時期もあった。しかし関東大震災により東京在来の新聞社が壊滅的打撃を受けると、読売が大手町へ移転するなど銀座への集中も途絶えることとなった。現在は、隣接する築地に朝日新聞東京本社が、隣接する汐留に日本テレビがそれぞれ社屋を構えていることが目立つくらいである。
また、日本電報通信社(現:電通)が銀座(外堀通り、現在も(旧)電通通りとも言う)に設立されたことにより、広告原稿の受け渡しの利便性から地方新聞社の多くが銀座周辺に東京支局を構えた。このことから、現在でも地方のテレビ局・ラジオ局などのうち、比較的小規模なものを中心に、銀座に支局や支社を構えるところが少なからず存在する(地方民間放送共同制作協議会も、銀座に事務所を置く地方ラジオ局支社長達が「火曜クラブ」として定例会合を開いたことに因む)。
出版社や大手出版取次店をはじめとする印刷出版業に関しては、東京における集中地区は、主要な大学にほど近い本郷をはじめとする文京区内や千代田区神田神保町周辺を含む、皇居の北側のエリアに一大中心地があり、銀座は中心地とはいえない。しかし、前述したような事情から、明治時代から社屋を構える教文館や実業之日本社など、古い出版社には銀座に本社を残しているところも残存する。
銀座に本社を置く企業[編集]
- 鳩居堂
- 和光
- 伊東屋
- 松崎商店
- マロニエゲート(旧プランタン銀座)
- 松屋
- J.フロント リテイリング
- 王子製紙
- 紀文食品
- 資生堂(実質的な本社機能は港区東新橋にある)
- ヤマトホールディングス
- 電源開発
- 東映
- 日本香堂
- 弘電社
- 東京高速道路
- パナソニック コネクト
- 東京テアトル
- 博品館
- 天賞堂
- 山野楽器
- 時事通信社
- マガジンハウス
- ドワンゴ
- 安田松慶堂
- 教文館
- プロダクション尾木
- 歌舞伎座(株式会社歌舞伎座)
文化[編集]
明治時代、煉瓦街建設や横浜と新橋を結ぶ鉄道の開業、また築地(明石町)鉄砲洲(湊)に外国人居留地があったために舶来品の往来が盛んとなった銀座にはそれらの品を扱う商店が軒を連ね、銀座は西洋文化の発信地として日本文化の近代化に大きな役割を果たした。
食文化[編集]
食においても、銀座は西洋の味覚を紹介する場となった。1871年、「文英堂」(現:木村屋總本店)が尾張町にて創業し、あんパンの販売を始めた。また、1895年には洋食屋の「煉瓦亭」が開業した。銀座で調剤薬局を営んでいた資生堂は1902年、店舗内に「ソーダ・ファウンテン」(現:資生堂パーラー)を併設し、ソーダ水やアイスクリームを売りだした。他にも、1897年に開業した「銀座千疋屋」は輸入果物の販売や日本初のフルーツパーラーを開業するなど銀座には様々な食文化が流入した。
1911年3月、パリのカフェを模した「カフェー・プランタン」が開店し、作家や画家などの文化人の社交場となった。その後も「カフェー・ライオン」や「カフェーパウリスタ」などが続々と開店し、学生なども出入するようになり、文壇の議論が盛んに行われた。しかし、関東大震災を境に関西資本のカフェーが進出し、カフェーは女給による濃厚なサービスを行う場に変貌していった。昭和初期にはエログロナンセンスの流行とともに大衆化・俗化し、カフェーは全盛を極めることとなった。また、この頃に関西の料亭の進出も相次いだ。
戦後、銀座は徐々に世界各国の高級料理店が進出し、代表的なフランス料理店のレカン、マキシム・ド・パリや高級クラブなどが林立する街として認知されるようになっていく。1980年代後半に差し掛かるとそれまでとは比較にならない勢いで世界の一流レストランが挙って出店する一方、外食フランチャイズも盛んになる。まず1970年に「ダンキンドーナツ(現・ダンキン。日本からは米軍基地を除き1998年に撤退)」、次いで1971年に「マクドナルド」の1号店が銀座に開店。1990年代後半には「スターバックスコーヒー」や「タリーズコーヒー」が相次いで進出し、その後も「サンマルクカフェ」や銀座四丁目交差点で銀座和光と並ぶランドマーク的な存在である三愛ドリームセンター内に「ル・カフェ・ドトール」の1号店が開店、銀座は戦前とは異なる形態のカフェ激戦地となり、カフェブームを全国へ広げる舞台として躍進する。
ファッション[編集]
服飾文化においても、銀座は西洋ファッションを紹介する場となった。その中で、資生堂は化粧品を扱うなど、ファッション文化の発展に大きく貢献する。
関東大震災後の大正末期から昭和初期にかけてはモボ・モガと呼ばれる当時の世界的流行であるアール・デコの影響を色濃く受けた若者たちが現れた。
1964年に並木通りやみゆき通り周辺で「みゆき族」と呼ばれる若者が出現した。男性は流行していたアイビールックかコンチネンタルルック、女性はロングスカートのバックに共布のリボンベルトを結び、二つに折ったハンカチーフを頭にかぶるというスタイルで、手には流行を扇動した「VAN」や「JUN」の紙袋かコーヒー豆の麻袋を持つというスタイルだった。しかし、同年に開催される東京オリンピックを前に風紀の乱れを懸念した警察によって一斉取締りが行われ、みゆき族はひと夏で姿を消す。
1990年代後半からは海外ブランドの進出が活発になり、並木通りを中心として次第に晴海通り、銀座通り(中央通り)へと多くの海外高級ブランド店が進出。しかし、2008年9月にアメリカで起きたリーマンショックを端とするバブル崩壊と経済危機の煽りで、海外ブランドの閉鎖が相次ぎ、2割ほどが撤退すると予想された。近年では、プランタン銀座とマロニエゲートの間を南北に走る銀座マロニエ通りに、カルティエ、シャネル、ルイヴィトン、ブルガリ等のラグジュアリーブランドが軒を連ねている。 最近ではユニクロやFOREVER 21等のファストファッション専門店が進出し様変わりしている。2017年に松坂屋銀座店の跡地を含む銀座六丁目10番街区(4,600m2)、隣接する銀座六丁目11番街区(4,400m2)の2つの街区約1.4haがGINZA SIXとしてオープンし、盛況である。
文化施設[編集]
1900年代から1920年代前半にかけて、歌舞伎座や東京宝塚劇場など、銀座・有楽町周辺には多くの劇場が開場した。
1950年代以後はカントリー・ミュージックやジャズなどをバンドの生演奏で楽しむジャズ喫茶の開店が相次ぎ、1960年代に入ると銀座ACBが盛況を博し、シャンソン喫茶「銀巴里」は多くのシャンソン歌手を生んだ。しかし、1970年頃より、新宿や御茶ノ水などへ音楽の拠点は移っていった。
劇場や映画館は1970年代までと比べ減少したが、現在ではコンサートホールなどの文化施設が多く存在している。特徴的なのは、ヤマハホールや王子ホールといった企業の文化支援活動の一つとして開いているものが多いことである。また、画廊は全国の4分の1が銀座に集約しているとされる。
劇場
- 歌舞伎座
- 新橋演舞場
- 博品館劇場
- ル テアトル銀座 by PARCO(2013年5月末閉館)
- 能楽堂
- 観世能楽堂
- 映画館
- 銀座シネパトス(2013年3月末閉館)
- 銀座テアトルシネマ(2013年5月末閉館)
- シネスイッチ銀座
- 丸の内TOEI
- 音楽ホール
- 王子ホール
- ヤマハホール
- ギャラリー
- ガーディアン・ガーデン
- ニコンサロン
- 資生堂ギャラリー
- 富士フォトサロン
- ポーラ・ミュージアム・アネックス
- 銀座メゾンエルメス フォーラム
交通[編集]
銀座へは地下鉄とバス網が整備されており、またJRの有楽町駅、新橋駅からも徒歩圏内にある。このため、1998年に行われた銀座への交通手段に関するアンケート調査では地下鉄利用者が半数以上を占め、JRの利用者も3割以上だったことから、大半が鉄道を利用して銀座へ来ていることが分かった[要出典]。
道路[編集]
晴海通りや中央通り、昭和通りなどの大通りが縦貫し、これらの通りでは自動車の交通量が多いことにより渋滞が深刻化している。
銀座全域が首都高速道路に囲まれた形になっており、直に利用する以外にも目印等の用途がある。
道路[編集]
- 南北に延びる道路(新橋〜京橋間)を西からの順
- 銀座コリドー通り
- 数奇屋通り
- 東京都道405号外濠環状線(西銀座通り・外堀通り、旧電通通りとも言う) - 数寄屋橋交差点より南西側が「西銀座通り」。
- ソニー通り
- 並木通り
- 西五番街
- 金春通り・すずらん通り・ガス灯通り
- 中央通り - 銀座通過部分は「銀座通り」になる。
- 信楽通り・あづま通り
- 三原通り
- 昭和通り
- 東西に延びる道路(築地〜日比谷間)を北からの順
- 銀座桜通り
- 銀座柳通り
- 銀座マロニエ通り
- 松屋通り - 沿道に松屋銀座があるため。
- 東京都道304号日比谷豊洲埠頭東雲町線(晴海通り)
- みゆき通り
- 交詢社通り - 沿道に交詢社があるため。
- 花椿通り - かつては出雲通りだったが資生堂が買収。
- 御門通り
首都高速道路・出入口[編集]
- 首都高速都心環状線
- 京橋出入口
- 新富町出口
- 銀座出入口
- 東京高速道路
- 西銀座入口
- 新京橋出口
- 東銀座出口
鉄道[編集]
1882年に東京馬車鉄道が新橋〜日本橋間で開業した。1903年、馬車鉄道は「東京電車鉄道」と名を変え電化し、同年には数寄屋橋〜神田橋間に東京市街鉄道が開業した。これらの鉄道路線は、後に東京市電として公営化し、路線・系統の拡大がされた。1934年には東京地下鉄道によって敷設された地下鉄(現・東京メトロ銀座線)が銀座まで延伸した。
1950年代より地下鉄整備が着々進められ、西銀座駅の丸ノ内線が開業したことを機に整備されていく。その一方で自動車の増加に因り都電は徐々に撤去されていった。
- 鉄道駅
東京地下鉄(東京メトロ)
- 銀座駅(○銀座線、○日比谷線、○丸ノ内線)
- 東銀座駅(○日比谷線)
- 銀座一丁目駅(○有楽町線)
東京都交通局(都営地下鉄)
- 東銀座駅(○浅草線)
路線バス[編集][編集]
- 都営バス
店舗・施設[編集]
ゲームセンターの類が無く、家電量販店・カラオケボックス・パチンコ店・ファーストフード店は他の繁華街に比較して少ない。それらの店は隣の有楽町や新橋などに集中している。法人については本店・旗艦店ないし路面店、あるいはそれに準ずるもののみ掲載。
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銀座を舞台・背景とした作品[編集]
日本映画の黎明期から黄金期となる戦後混乱期から高度経済成長期まで、東京を代表する町として頻繁に銀座が登場。歌謡曲でも銀座を歌った歌が数多く、『東京行進曲』や『東京音頭』などといった東京の歌の歌詞にも銀座が登場する。
詳細は「Category:銀座を舞台とした作品」を参照
- 映画
- 東京の女性(1939年、東宝)
- 肉体の門(1948・1964・1977・1988年、東宝・日活・東映)
- 銀座カンカン娘(1949年、新東宝)
- 銀座化粧(1951年、新東宝)
- 君の名は(1953年、松竹)
- ゴジラ(1954年、東宝)
- 銀座二十四帖(1955年、日活)
- 太陽の季節(1956年、日活)
- 夜の蝶(1957年、大映)
- 嵐を呼ぶ男(1957年、日活)
- 銀座のお姐ちゃん(1959年、東宝)
- 銀座旋風児シリーズ(1959年 - 1963年、日活)
- 秋立ちぬ(1960年、東宝)
- 女が階段を上る時(1960年、東宝)
- セクシー地帯(1961年、新東宝)
- 銀座っ子物語(1961年、大映東京)
- 銀座の恋人たち(1961年、東宝)
- 銀座の若大将(1962年、東宝)
- 閉店時間(1962年、大映東京)
- 銀座の恋の物語(1962年、日活)
- 風速七十五米(1963年、大映)
- 二人の銀座(1967年、日活)
- 007は二度死ぬ(1967年、ユナイテッド・アーティスツ)
- 続組織暴力(1967年、東映)
- 女の警察(1969年、日活)
- 続 女の警察(1969年、日活)
- 夜をひらく 女の市場(1969年、日活)
- 女の警察 国際線待合室(1970年、日活)
- 女の警察 乱れ蝶(1970年、日活)
- 経験(1970年、東映)
- 赤頭巾ちゃん気をつけて(1970年、東宝)
- 実録 私設銀座警察(1973年、東映)
- 逆襲! 殺人拳(1974年、東映)
- 白昼の死角(1979年、東映)
- ロスト・イン・トランスレーション(2003年)
- ラジオドラマ
- 君の名は(1952年、NHKラジオ)
- テレビドラマ
- 君の名は(1962・1966・1976・1991年)
- 孤独の賭け(1963年)
- 白い魔魚(1965年)
- 銀座わが町(1973年)
- 東京大地震マグニチュード8.1(1980年)
- 教師びんびん物語(1988年)
- ギンザの恋(2002年)
- 肉体の門(2008年)
- 小説
- 肉体の門(田村泰次郎、1947年)
- 黒蘭姫(横溝正史、1948年)
- 女が見ていた(横溝正史、1949年)
- 魔弾の射手(高木彬光、1950年)
- 青の時代(三島由紀夫、1950年)
- 女王蜂(横溝正史、1951年)
- にっぽん製(三島由紀夫、1953年)
- 暗闇の中の猫(横溝正史、1956年)
- トランプ台上の首(横溝正史、1957年)
- 白昼の死角(高木彬光、1959年)
- 赤頭巾ちゃん気をつけて(庄司薫、1969年)
- 黒革の手帖(松本清張、1980年)
- ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり(柳内たくみ、2010年)
- 漫画
- 女帝(倉科遼作、和気一作画)
- 哀愁荒野(梶原一騎作、松久由宇画)
- 虹色仮面(高口里純)
- おいしい銀座(酒川郁子)
- XXXHOLiC(CLAMP)
- バーテンダー(城アラキ作、長友健篩画)
- 銀座の番ねこ(高梨みどり)
- 銀座ギャラクシー(長尾謙一郎)
- 江戸前の旬(九十九森作、さとう輝画)
- 美味しんぼ(雁屋哲作、花咲アキラ画)
- アニメ
- アイドルマスター XENOGLOSSIA(2007年)
関係者[編集]
- 出身者
- 吉田暁芳 - 浮世絵師。実家は銀座2丁目にあった呉服屋。
- 内田清之助 - 鳥類学者。実家は銀座5丁目にあったたばこ屋。
- 池田彌三郎 - 民俗学者。実家は天ぷら屋の銀座天金。
- 岸田劉生 - 洋画家。実家は薬屋の銀座楽善堂。漢口楽善堂も参照。
- 金子光晴・大鹿卓兄弟 - 共に詩人。少年期に銀座の祖父宅に越してきた。
- 久保栄 - 劇作家。出生地は札幌だが10歳頃から木挽町育ち。
- 由良三郎 - 推理作家。実家は銀座の老舗の小間物屋。
- 稲山嘉寛 - 実業家。第5代経団連会長、新日本製鐵初代社長
- 福原信三 - 実業家、写真家。資生堂社長、日本写真会会長
- 福原路草 - 写真家
- 松本重雄 - 日本銀行理事。実家は蓄音機・レコード販売の銀座三光堂。
- 篠沢秀夫 - 仏文学者、学習院大学教授。タレント教授の走り
- 矢代静一 - 劇作家。実家は銀座ヨシノヤ。
- 岸田辰彌 - 演出家、オペラ歌手。
- トニー谷 - 司会者、ボードビリアン
- 山本嘉次郎 - 映画監督、俳優
- 居作昌果 - 元TBSプロデューサー
- 和泉雅子 - 女優、冒険家。実家は銀座・三原橋で三代続いた寿司割烹店であった。現在は自社ビルとなっている。
- 泉ピン子 - 女優
- 岩下志麻 - 女優
- 北林谷栄 - 女優
- 藤井貢 - 男優、ラグビー選手
- 柄本明 - 男優、コメディアン
- なぎら健壱 - シンガーソングライター
- 吉田尚記 - ニッポン放送アナウンサー
- 三州ツバ吉 - 格闘家、プロレスラー。世界3大砂漠マラソンを覆面仮装で完走した唯一の男。実家は銀座に2店舗ある大衆割烹の三州屋。
- 大谷桂三 - 歌舞伎役者
- 銀座にゆかりある人物
- 田中久重 - 1875年(明治8年)に京橋区南金六町9番地(現在の銀座8丁目9番15号)に、のちの東芝の前身の一つとなる田中製造所を設立。
- 武藤山治 - 実業家、言論人。1880年代後半、銀座界隈で日本で初めての広告取扱業「新聞広告取扱所」を創業。旧鐘紡(カネボウ)中興の祖。
- 岡崎えん - 俳人、女将。文豪らが集った西銀座にあった和風酒場「おかざき」女将。
- 山崎晃嗣 - 終戦後、銀座で最盛期を迎えた学士金融光クラブ主催者で戦後アプレ犯罪の象徴。三島由紀夫の『青の時代』や高木彬光の『白昼の死角』などの小説のモデルとなる。
- 鳥尾鶴代 - 元子爵夫人、通称「GHQの女」。終戦後、銀座の洋装店に勤め、1953年には銀座でバー「鳥尾夫人」を開店したが、3年もたずに閉店。
- 伊東絹子 - ファッションモデル、第2回ミス・ユニバース第3位。1958年、みゆき通りに洋装店「伊東絹子の店」を開店した。
- 細木数子 - タレント、占術家、実業家。1958年の20歳の時、銀座にクラブ「かずさ」を開店した。
- 白坂亜紀 - 実業家。20代で銀座にクラブを2店開店。「クラブ稲葉」オーナーママ。NHK『プロフェッショナル仕事の流儀』「銀座、夜の女たちスペシャル」出演。
世界各地の"銀座"[編集]
- シャンゼリゼ大通り(パリ8区)、モンテーニュ大通り(fr、パリ8区)、ジョルジュ=サンク大通り(fr、パリ8区) - シャンゼリゼは銀座と友好提携関係を結んでいる。上記3つのアヴニューに囲まれた周辺界隈がラグジュアリー関連の"黄金の三角地帯 (fr)"と呼称されている。また、下記フォーブール=サントノレ通りがシャンゼリゼ通り北側を並走している。
- フォーブール=サントノレ通り(fr、パリ8区)、サントノーレ通り(パリ1区) - ロワイヤル通りを挟んで続くこの2つの通り界隈は、世界屈指の高級ブランド店街。
- ヴァンドーム広場(パリ1区)、オペラ地区(パリ2区、パリ9区) - ヴァンドーム界隈の高級宝石商街からガルニエ宮(オペラ座)のあるオペラ広場周辺の、劇場映画館、プランタンやギャルリー・ラファイエットなどのグラン・マガザン(百貨店)街へ続く界隈。
- ナイツブリッジ(シティ・オブ・ウェストミンスター、ケンジントン・アンド・チェルシー区) - ウェスト・エンド・ロンドンにある、百貨店ハロッズやハーヴェイ・ニコルズから高級ブランド店まで高級商業施設が集積する地区。
- オックスフォード・ストリート、リージェント・ストリート、ニュー・ボンド・ストリート、オールド・ボンド・ストリート("ボンド・ストリート", en)、及びピカデリー(シティ・オブ・ウェストミンスター) - メイフェア地区を中心とするこれら通り一帯は、百貨店や高級ブランド店から劇場までが集積するウェスト・エンドにある代表的な歓楽街。
- オコンネル通り(ダブリン)
- モンテナポレオーネ通り(en、ミラノ)
- コルソ通り(ローマ)
- グランビア通り(マドリード)
- ランブラス通り(バルセロナ)
- 5番街、ブロードウェイ(ミッドタウン・マンハッタン)
- 西47丁目のダイヤモンド地区(en、ミッドタウン・マンハッタン)- 上記5番街と6番街との間にある高級宝石商街。
- ロデオドライブ(ビバリーヒルズ)
- ヤング・ストリート(トロント)
- クアフュルステンダム通り(通称クーダム通り、ベルリン)
- メンケベルク通り(ハンブルク)
- カイザー通り(フランクフルト・アム・マイン)
- トゥヴェルスカヤ通り(旧ゴーリキー通り、モスクワ) - ロシア革命前からロシア随一のメインストリートであり、古くから多数の日本人駐在員より「モスクワ銀座」とも呼ばれている。首都モスクワと(ロシア革命前まで首都であった)サンクトペテルブルクを結ぶ幹線道路の(モスクワ側からの)始点でもある。
- ネフスキー大通り(サンクトペテルブルク)
- スヴェトランスカヤ通り(ウラジオストク)
- レーニナ通り(旧豊原大通り)、サハリーンスカヤ通り(旧真岡通り)、ミーラ大通り(ユジノサハリンスク)
- フレシチャーティク(キエフ)
- マーシャル通り、イェロゾリムスキェ通り(ワルシャワ)
- ナロードニ通り、ヴァーツラフ広場(プラハ)
- アンドラーシ通り、ヴァーツィー通り(ブダペスト)
- ヴィクトリア通り、マゲル通り(ブカレスト)
- ヴィトシャ通り(ソフィア)
- クネズ・ミハイロヴァ通り(ベオグラード)
- イリツァ通り(ザグレブ)
- アマリアス通り(アテネ)
- イスティクラル通り(イスタンブール)
- バリアス通り(テヘラン)
- コンノートプレイス、パハールガンジ(別名「メインバザール」)(ニューデリー)
- ドバイ・モール等のショッピングモール界隈(ドバイ)
- "ベイルートのシャンゼリゼ"と呼ばれているハムラ通り (en)(ベイルート)
- アレンビー通り (en) 界隈のシェンキン通り (Sheinkin Street)、ディゼンゴフ広場 (en) 界隈(テルアビブ)
- ヘリオポリス地区南端近接のシティ・スターズ、ニューカイロ地区のカイロフェスティバルシティ等のショッピングモール界隈(カイロ市内東部)
- サリットセンター、ウェストゲート等のショッピングモール界隈(ウェストランド・ナイロビ)
- サントン(ヨハネスブルグ)
- パウリスタ通り(サンパウロ)
- アトランティカ通り(リオデジャネイロ)
- フロリダ通り(ブエノスアイレス)
- レフォルマ通り(メキシコシティ)
- 狎鴎亭、明洞(ソウル)
- 黎明通り(平壌)
- 人民大街(長春)
- 王府井街(北京) - 古くから多数の日本人駐在員より「北京の銀座」とも呼ばれている。
- 南京東路(上海)
- 銅鑼湾(香港)
- 頂好(台北)
- アヤラ・センター (en) 地区、ロックウェル・センター (en) 地区(マニラ首都圏マカティ) - 界隈の高級ショッピングモールの代表格グリーンベルト (en) はアヤラ・センターにある。
- オーチャード・ロード(シンガポール)
- サイアム(バンコク都パトゥムワン区)
- ドンコイ通り(ホーチミン(旧サイゴン))
- ジョージ・ストリート(シドニー) - 同ストリートのクイーン・ヴィクトリア・ビルディング周辺界隈が高級商業施設街。