鉄道の電化
鉄道の電化(てつどうのでんか)とは、鉄道の動力を電気にすることである。
概要[編集]
電化された路線では、動力に電気を使用する電気機関車や電車が用いられる。そのため、燃料や水を車両に積載する必要がない。電化方式は世界でいくつかの種類が存在する。
鉄道において電気動力は、蒸気機関や内燃機関に比べエネルギー効率で優れ、速度向上や快適性の向上といった輸送サービスの改善にも向くが、地上側に数々の電気設備が必要となり、それらの障害による停電には弱い。
方式[編集]
車両の外から電気を取り入れるものが一般的で、車両の外から電気を送ることを「饋電」(きでん)と呼び、車両側でその電気を取り入れることを「集電」(しゅうでん)と呼ぶ。集電方式は架空電車線方式と第三軌条方式の2つに大別される。また、電源の電流は直流を用いるものと交流を用いるものの2種類に分かれる。なお、車両に蓄電池などの電源を搭載するものや、ケーブルカー(鋼索鉄道)・超電導リニアのような車両側に走行用の電力が不要なものも存在する。
外部から取り入れた電力は、主電動機の種類に応じて車両内で変換した上で使用される。
直流饋電・交流饋電[編集]
- 直流饋電
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- 長所
- 複数の鉄道変電所から同時に並列して給電できるので、事故や工事などでも冗長性がある。
- 最近まで主流であった直流整流子電動機がそのまま使用できた。
- 短所
- 車両側で変圧するには向かないので、電動機の電圧に合わせることが求められるため、高電圧/小電流にはできず、低電圧/大電流では送電ロスが大きくなる。また、送電ロスを減らすために鉄道変電所を多く設ける必要がある。
- 大電力を供給できないので、高速鉄道や重貨物列車を走らせる路線には不向き。
- 直流に変換する鉄道変電所は機器が割高になる。
- 交流饋電
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- 長所
- 変圧器を用いて、主電動機に加える電圧を容易にロス無く制御できる。
- 高電圧/小電流にできるので送電ロスが少なく、大電力が供給でき変電所も少なくてすむ。
- 短所
- 直接饋電方式という単純な交流饋電では、電線からの電磁波によって周囲の通信線へ障害を及ぼす「通信誘導障害」と呼ばれる現象が起きやすい。BT饋電やAT饋電などの工夫が行われる。
- 車両に搭載する機器のコストが高額となりやすい。すでに直流電化が普及している地域では、交直接続などの維持コストも必要となり、高額となる。そのため直流電化が普及した地域での部分的な交流電化は、全て直流化した時よりも総コストは大きくなる傾向にある。
歴史[編集]
元々鉄道は人力もしくは馬力を使ったトロッコのようなものから始まり、その後蒸気機関車の開発などもあったが、電気鉄道は1879年にドイツのジーメンスがベルリン博覧会で軌間490mm・総距離300mほどの小さな線路(なお、集電はこの間にある第3軌条から行った。)に外部集電で電気を取る機関車を走らせたのが始まりとされる(これ以前にも電気鉄道を考案した人はいたが、いずれも「電気動力車に電池を搭載する」という形式で電池容量に乏しく重量もかさむため実現の陽の目を見なかった。)。こうした見世物的ではない電車営業運転は、1881年のドイツのベルリンにおける路面電車が最初であったといわれる。
- 1879年:ドイツのシーメンス社がベルリン工業博覧会において試作した電気機関車を披露した。
- 1881年:ドイツのベルリン郊外で世界初の電車の営業運転が開始された。なお、この頃は振動する電車の車輪にモーターの歯車が外れないように動力を伝達できず、ベルトで回転を伝えていた。
- 1882年8月:イギリスの電気技師マグナス・フォルク(英語版)(「ヴォルク」とも)によって(路面電車ではない)世界初の電気鉄道フォルクズ電気鉄道(ヴォルク電気鉄道)がイギリスの保養地であるブライトンの森で開通した。軌間2ft(約610mm)で路線も短く、全長約400mであった。なお、電圧は160V2線式で電車はベルト駆動。その後1884年4月に825mmに改軌され、路線も1820mにまで延長された。
- 1883年10月:オーストリアのウィーンで世界初の架線集電によるModling and Hinterbruhl路面電車が運行を開始した。
- 1888年:米国人フランク・スプレイグがこれ以前に考案した架線から集電できるトロリーポール(1880年)と電動機を床下に備え歯車でずれずに伝達できる吊り掛け駆動方式(1885年)を使った路面電車をリッチモンドで走らせた
- 1890年:上野公園で開かれた第3回内国勧業博覧会で日本初の電車の運転が披露された。同年シティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道(イギリス)で世界初の地下鉄の電化が行われるが当時は機関車牽引だった。
- 1895年:京都で日本初の電車による営業運転が開始された。同年、アメリカのボルチモア・アンド・オハイオ鉄道で電気機関車が3両作成され、ハワードストリートの1マイル以上ある急勾配トンネルに使用された、なおこれが幹線の蒸気鉄道初の電化に成るが、電化区間はこのトンネルの部分のみでここを蒸気機関車ごと牽引した。
- 1897年:イタリアで蓄厚器・650V第三軌条・3000V15Hz三相交流という送電システムを比較し、3000V15Hz三相交流が安全性などから一番優れているとされた。後に1906年にシンプロントンネル(ブリーク-イゼル区間)でこの方式を採用。
- 1899年:スイスのブルグドルフ-トゥーン鉄道の山岳線で世界初の交流電化(三相750V)の営業が開始。
- 1905年:スイスのエーリコン社で単相交流が開発。
- 1911年:日本で碓氷峠が電化された。
- 1913年:スイスでベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道(BLS)が単相交流で1万5千ボルトの高圧による電化に成功(なお、周波数は16と2/3Hzと、一般的な商用周波数50Hzの1/3だった。)。
- 1915年:アメリカのシカゴ・ミルウォーキー鉄道において直流3000V電化が開始され、1927年までこの方式で区間を広げ当時世界一長大な電化区間となる。
- 1922年:イタリアが直流3000Vを標準方式に置き換え、三相交流方式の新規電化を停止(三相交流既存区間は続けて使用しており二次大戦後も残存)。
- 1923年:ハンガリーのブダペスト西駅 - ブダケスィ・アラグ駅間で16kV50Hzの商用周波数による単相交流を使う「相変換式交流電気機関車」の試験運行が開始。
- 1932年:1923年からの実験後ハンガリーのブダペスト- コマロン駅間で16kV50Hzによる「営業運転」が開始。
- 1935年:ドイツ南部のヘレンタール線の一部でそれぞれ交流整流子電動機と水銀整流器+直流電動機を使った電気機関車を比較し、交流2万V50Hzの研究を開始、商用単相交流饋電方式の基盤構築。第二次世界大戦後、フランスがこれらの機関車と設備を接収して国内の交流電化を進める。交流電化ではBT饋電方式からAT饋電方式が主流になる。
各国の事例[編集]
電化は当初どこでも大都市の交通としての路面電車や地下鉄に採用されており、電気方式は600V直流を送電して軌道の上に架線を設ける(路面電車)か軌道の片側に第3レールを設ける(地下鉄)のが一般的だった。このように輸送機関に対する電気の応用は良い成績を示したので次に汽車の電化が問題となるに至った。
20世紀初頭になるとそれまで路面電車に使用されていた500-600Vよりはるかに高圧の交流電流が商用に供給されるようになったが、こうした交流送電における一般の電力の50~60Hzは(当時の)機関車の電動機に使いにくかったので、路面電車などで行われた「電流を変換し直流で使用する」か、3000V15Hzという「比較的電動機に使いやすい低周波数の三相交流を使う」案が生まれたものの、三相交流による交差点の架線複雑化や三相交流電動機が使いにくいが懸念され、ここから交流送電はのちにイタリアで見られる「それでも三相交流低周波数を使う」かスイスで新しく見られた「はるかに高電圧(1万5千V)の単相交流を使う」という2案に分かれ、高電圧単相交流はその後ドイツやオーストリアにも普及した。しかしこの単相交流は駆動用に適した交流整流子電動機には商用周波数では整流が困難であったため低周波数の交流を使う(低周波交流饋電方式)必要性があり、このため他と融通の利かない鉄道独自の電源が必要になるという問題があった。
1910年(明治43年)頃までには(欧州の)各国で汽車の電化計画が盛んになったが、煙害根絶目的のために電化したごく一部の地域(サンゴッタルドトンネルなど)を除き「石炭の輸入もしくは移入を抑えるため水力などでも得られる電力で鉄道を走らせる」という経済的な目的で始めたので、まず周到に採算性の計算を行った所、この時は大半の国で否定的な結論が出ており、後に電化大国になるスイスなどでも1912年の調査報告で「いずれの線路でももっと運輸量が増加して施設の利用率が良くなるまでは、電化が利益になる路線はない。」と結論を下している。他のヨーロッパ諸国で電化されたのは元々石炭がルール地方から移入して高価だったバイエルンの山間部(山の水力発電所近くなので電力は安い)やプロイセンのデッソーからビッターフェルトの試験的な電化区間、スウェーデンの北部線(元々鉄鉱石輸送が盛んで、水力も利用でき、北極圏のため蒸気機関車が不利だった)などごくわずかであった。
こうした「長距離鉄道の電化は経済的でない」とされた理由には、朝倉希一によると以下のような理由があげられている。
- 電力は備蓄できないので、多忙期と閑散期で輸送量が激しく変動する鉄道では電力消費量が大きく変わり、電力荷重として好ましくない。 さらに通常の電力として使われる三相交流は架線が2本必要なので複雑化するので、単相交流を使いたいがこれでは特別の発電所が必要で他と融通がない。
- 電気機関車の構造について信用が十分ではない。(朝倉自身、日本の例でイギリスから輸入した電気機関車の不具合が電化の遅れにつながったとしている。)
- 都市近郊なら列車の加速度や列車単位増大による輸送量増加を見込めるが、長距離鉄道ではそこまで増発が見込めない。
一方、アメリカでは私鉄各自の判断で大規模な電化に踏み切った物もあり、長距離鉄道の送電に単相交流方式の他に直流高圧(3000V程度)の送電方式も選ばれ、1913年にこの直流3000V電化方式に成功したシカゴ・ミルウォーキー鉄道は1917年からシカゴからロッキー山脈やシエラネバダ山脈を越える710㎞近くにも及ぶ電化区間(当時世界最長)を設置し、1920年には太平洋岸の350㎞の電化も済ませ、こうした電化で煙からの解放の他に運転時間の20%短縮や回生ブレーキによる山越えのエネルギー回収(20~25%ほど)というメリットもあったものの、運転費そのものは蒸気機関車時代の方が安く済んでいたと判明した(鉄道会社の方では多少電力費が高コストになっても電化による乗客数増加などを期待していた)。その後、アメリカ合衆国ではミルウォーキー鉄道のような長距離電化はあまり考えられず、電化区間ごとに機関車をつけ変えていては大変なので、直通できる電気式ディーゼル機関車牽引で通しで走るようになった。
一方、アメリカ以外の各国で鉄道の電化が盛んになったのはスイスやイタリアなどを除くと1945年以後で、オランダのようなほとんど鉄道が壊滅した国では戦争で破壊されたシステムの復旧が必要で、他の国でも自国産の動力源を使いたいと考えていたことで電化が大きなうねりとなった。
ヨーロッパでは元々電化が進んでいたイタリアでは戦前から前述の3000V直流饋電を採用して三相交流から徐々に切り替えていたが、戦後、残存三相交流路線を直流3000Vに交換して電化の統一を行うことに決定し、これによってまず戦火にやられた路線が補修時に直流に変更され、次いでモダーヌ-トリノ-ジェノヴァ線、ジェノヴァ - ヴェンティミーリア線、ジェノヴァ-ヴォゲーラ線、ボルツァーノ-ブレンネロ線などが1960年代までに変更された。最後まで三相交流方式が残ったのはピエモンテ州南部の地方路線で1970年代半ばだった。
ドイツは戦争の痛手が大きく、東西分裂などの悪影響もあったが、それでも戦前通り単相交流15000V 16・2/3Hzによる電化を広げていった。
イギリスは自国内に大きな炭鉱があることもあって電化の経済的メリットが薄く、大都市周辺と南部に電化区間が集中し、全体ではしばらく蒸気機関車の時代が続いた後、1955年にディーゼル機関車による動力近代化計画を発表した。
フランスはパリ-リヨン線を1946年に直流1500V電化を行って同国南部の路線にも拡大したが、25000V 50Hz電化も検討し始め、1951年のエクスレバン-ラロシュ・シュル・フォロン間48マイル(78㎞)を試験的に電化し、水銀整流器と直流電動機の組み合わせた機関車が成功し、南部(その後もだいぶ直流1500V)より電化が遅れたフランス北部はこの方式で電化された。世界的に交流電化が広がるきっかけになったのは、この単相商用交流饋電の成功からで、その後全域とまではいかなくとも新規幹線にこれを採用した国がコンゴ(1952)、ポルトガル(1955)、インド(1958)、イギリス(1959)、ソ連、ハンガリー、中国と次々に現れた(日本も1954年に試験・1957年に営業運転開始を行っている)。
日本国外の例[編集]
国によって電化の時期や経緯が異なるので電圧や(交流の場合)周波数もバラバラであり、ヨーロッパを例にとると第二次世界大戦前はフランス・オランダ・イギリスは直流1500V、ドイツとスカンディナビア諸国は単相交流1万5千V16.67(16と2/3)Hz、イタリア(三相交流切り替え後)・ロシア・スペインは直流3000Vを使用し、いずれも専用の発電所から送電していることが多かったが、1970年代になると1920年代から研究されていた50Hzの単相交流という一般の商用周波数を用いた饋電が広がり、イギリス・フランス・トルコ・日本などで新たな電化路線に使用されたが古い方式を残す路線も多かったので場所によっては電気車は3種類または4種類の電力を使える必要が生じたものもあった。
電化区間自体も国策や資源(電力)事情、産業の動向などにより、各国での電化率には偏りが見られる。スイス、オランダといった国々が90%を越えるほか、ドイツやフランス、ロシアなどのヨーロッパ諸国や、中国、韓国、台湾、日本などの東アジア諸国は50%を越える。北米大陸やオセアニア、東南アジアなどは電化率が低い。 スイスなどでは比較的電化費用が安価で石炭産出が少なかったことから比較的早いうちに鉄道路線はほぼ全線が電化されている。アメリカやオーストラリアなどの大陸横断鉄道は電化されていない区間がほとんどであるが、ロシアを横断するシベリア鉄道は電化されている。
なお、都市鉄道や地下鉄では電化のデメリットである「高コスト」が輸送量増大が見込めることで打ち消せられるため、全線が電化されているのが原則である。
電化・非電化区間が混在する路線[編集]
後述の通り、日本国内で電化・非電化区間が混在する路線は運行系統が途切れて別々の路線として扱われることが多い。例外的に大井川鉄道井川線のように輸送量増大目的ではなく何らかの理由で電気運転をやむを得ず使用する路線では非電化側の列車が直通する場合もある。
外国の例ではアメリカでペンシルバニア鉄道のワシントン‐ニューヨーク電化以前は、ニューヨーク手前まで来た蒸気機関車の列車がニューヨーク入口のボルティモア・ベルトラインのトンネル(ここのみ電化)だけ蒸気機関車ごと電気機関車が牽引していた事例がある。
一方、インドなどの国では、このような非電化混在路線においては機関車を交替することで、運行系統が分断されずに直通運転に対応することがある。
日本[編集]
電気軌道では、路面電車系統では1895年(明治28年)に京都市で京都電気鉄道が開通しているが、一般の鉄道では甲武鉄道(現在のJR中央本線)が1904年(明治37年)に飯田町 - 中野間を電化したのが始まりである。当時の電化には、600 V(京都電気鉄道などのように500 Vの所も一部存在)の直流饋電が採用されていた(というより用いないといけなかった)。甲武鉄道は1906年(明治39年)の鉄道国有法によって国有化され、国営鉄道初の電化区間となった。以降、大正期は山手線など東京都市圏での通勤電車の走行を目的に実施され、昭和初期には城東線(現在の大阪環状線)など大阪都市圏でも実施された。
一方私鉄では蒸気機関車運行だった南海鉄道(後の南海電気鉄道)が1907年(明治40)年から電化を始め、1911年(明治44年)には60 ㎞以上の区間の電化を完成させるなど国営鉄道より長大な電化区間が誕生し、この時期国営鉄道にもなかった総括制御付きのボギー車(電2形、1909年)や、貫通扉や便所のある電車(電3・電附1形、1911年)導入など、この当時は私鉄の方が電化に関しては先進的な面が強かった。
もっとも国営鉄道側も手をこまねいていたわけではなく、1912(明治45)年に煤煙問題に悩まされていた碓氷峠を電化し、初の電気機関車の導入、1914年(大正3)年には、京浜線(現在の京浜東北線)の電車運転開始に際し輸送量増加に伴う電圧降下防止に昇圧されることになり、当時の技術などを考慮した結果、それまでの600 Vから1,200 V(ちょうど2倍の電圧なので電動機の直列並列を切り替えれば従来の600 V区間との直通もできた)が使用され、その後技術向上もあってさらに電圧をあげられるようになり、1922年(大正11年)に出された東海道本線の全線1,500 V電化の計画に先立って試験を行い、その結果を私鉄にも公開した所、同年の大阪鉄道が私鉄で初めて1,500 V直流電源を採用(河内長野 - 布忍間)し、東海道線電化以後開業の私鉄は基本的に1,500 Vを採用するようになり、国営鉄道側も京浜線・中央線・山手線を1931年(昭和6年)までに1,500 Vに昇圧した。
この間、1927年(昭和2年)9月26日の東京朝日新聞「近く電化調査員会を設け電化区間の順位決定」という記事によれば、以下の区間が電化候補になったと報じられている。(路線名は出典ママ)
- 中央線 - 甲府 - 下諏訪
- 上越線 - 長岡 - 高崎
- 篠ノ井線 - 松本 - 多治見
- 宮地線 - 肥後大津 - 玉来
- 北陸線 - 柳ヶ瀬 - 今庄
- 高山線 - 高山 - 富山・岐阜 - 高山
- 山陰線 - 豊岡 - 鳥取
- 鹿児島線 - 人吉 - 吉松
- 越美線 - 福井 - 美濃太田
- 東北線 - 郡山 - 福島・福島 - 白石
- 津山線 - 姫路 - 津山
- 因美線 - 鳥取 - 津山
- 奥羽線 - 米沢 - 福島
- 東海道線 - 山北 - 沼津
その後、北陸線米原~今庄、奥羽線福島~米沢、山陰線鳥取~豊岡、東海道山陽線大津~明石の電化が昭和4年度予算に必要経費が計上されたが、 浜口雄幸内閣による緊縮財政により各線の電化が中止に追い込まれてしまった。
時系列的に少し戻るが、昇圧のきっかけとなった東海道本線電化計画は試験機関車が来る前から丹那トンネルの開通まで見越して(実際の開通は1934年〈昭和9年〉)東京から国府津まで1,500 Vで直流電化(1925年〈大正14年〉)したが、その後は東海道線の電化は一時考えないで大阪付近の輸送量が多い地域の電化や清水トンネル・仙山線といった長大トンネル付近の電化を優先的に行い、手間取っていた丹那トンネルの工事完了後は再び東海道線電化も考えられたが、1937年(昭和12年)に日中戦争が勃発、その先行きも不透明な中1941年(昭和16年)に対米開戦と、日本は戦争へと突き進み、電化工事は戦後まで持ち越されている。 (これら以外では関門トンネル(1941年(昭和16年))、外地の朝鮮総督府鉄道京元本線の福渓 - 高山間(1944年(昭和19年)なども電化)
こうした限られた部位のみの電化は当時の軍部が国営鉄道を建設・運営する鉄道院・鉄道省に対し、戦時に変電所を攻撃されると運転不能になることを理由に、基本的には非電化とすることを主張していたと言われているが、国鉄の技師であった朝倉希一によると電化の遅れについては軍隊の話は一切出ず「イギリスから輸入した電気機関車のトラブルとそれに伴う高コストが電化を遅らせた」としている
なお、一から路線を作る予定だった「弾丸列車計画」(後に東海道新幹線として帰結する)でも東京-静岡・名古屋-姫路の2か所のみを直流3,000 Vで電化し、ここ以外は当面非電化による蒸気機関車牽引予定で、そのために大型の蒸気機関車の設計がいくつか行われていた。
この時期は私鉄でも電化工事が進み、1927年には小田原急行鉄道で82km、そして1929年・1930年には関東の東武鉄道と関西の参宮急行電鉄で立て続けに、130 kmを超す当時としては異例の長距離電車が運行され、目黒蒲田電鉄・宮城電気鉄道・富山電気鉄道など当初より電気軌道の利便性を兼ね備えた電気鉄道の開業が相次いだ。 (外地も含めると金剛山電気鉄道の鉄原 - 内金剛なども長大電化区間になる)
こうした大手の私鉄と異なり中小私鉄では戦前は電化ではなく内燃動車で効率を上げたところも多かったが、太平洋戦争の影響でガソリンなどは配給制(闇市場でも高騰)になったため内燃動車に頼れなくなり、蒸気機関車が復帰を始めるも、戦争末期から石炭も品質が低下し数量確保さえ困難な時代に成ったため、石炭産地の北海道と九州以外の非電化私鉄は燃料の確保に支障をきたすようになった。
これに反し電気事業の進歩は著しく発電力は戦前以上に進んだため、中小私鉄でさえ多少の投資をしてでも電化した方が採算が合うと電化に踏み切ったところが多かった。
(特に昭和21年から26年(1946 - 1951年)は電化の件数が多く、1946年1月の近江鉄道八日市線から、1951年12月の長岡鉄道(後の越後交通長岡線)の大半まで、(既存電化区間有無にかかわらず)一部分の電化や軌道・貨物線も含めると24社もあり、大半は十数km程度の電化だったが、大井川鉄道39.5 km、長岡鉄道31.6km(翌年残り2.0 kmも電化)と30 km以上も一度に電化している鉄道も存在している。)
しかし、その後はドッジ・ラインによる金融引締めが始まり電化工事の資金繰りが困難になった事、さらに燃料事情が好転、石油類の安定供給ならびに気動車の普及に伴い、非電化路線の電化事例は1954年(昭和29年)の三岐鉄道を最後に、約20社程度に留まった。
国鉄でも組織内部のみならず参画院方面からも鉄道電化が要望されることとなり、十河信二が国鉄総裁の時、3,000 kmの順次電化計画のため電化委員会が設けられ、蒸気運転の状態において電気と蒸気の経済比較の結果、直流1,500 Vでも十分電化運転が有利で、交流なら(地上設備を減らせるので)なお 有利となった、1950年代以降、多くの路線が電化されていき、東海道本線については1956年(昭和31年)11月19日、米原 - 京都間を最後に、支線を除く全線の電化が完了した。これを記念し、1964年(昭和39年)に鉄道電化協会がこの日(11月19日)を「鉄道電化の日」に制定した(→日本の鉄道史・1956年11月19日国鉄ダイヤ改正も参照)。
また、直流饋電は多くの地上設備が必要でありコスト高となるため、電化が遅れていた東北、北陸、九州、北海道の電化を今後進めることも見越して、1954(昭和29)年から仙山線で商用周波数による交流電化の試験が開始され、1957年には同じく交流電化試験を行った北陸本線と共に、仙台 - 作並間 (50 Hz) と、田村 - 敦賀間 (60 Hz) での営業運転がはじまるなど実用化され、その後北海道・関東の太平洋側と東北・北陸(新潟周辺除外)・九州などに広がった。戦後の電化は東海道本線を皮切りに、山陰地方を除く本州と九州で進められて行ったが、一方で北海道と四国の電化区間は短区間に留まった。特に四国では国鉄時代は国鉄分割民営化直前に本四備讃線開業に合わせて香川県内の一部区間で実施されたに過ぎない。 分割民営化後も引き続き電化区間の延長が実施されているが、内燃動車の性能向上およびハイブリッド気動車や電気式気動車の発達で必ずしも電化の必要はなくなっているほか、蓄電池電車のバッテリー大容量化による航続距離伸展のため駅構内のみ電化されるケースも起きている。2018年現在、JRの在来線は北海道、東北、北陸、九州を中心に交流2万V(海峡線は交流2万5千V)饋電が行われているほかは直流1500V饋電、新幹線はすべて交流2万5千Vである。
旅客線の電化[編集]
輸送量の多い都市圏では電化の進捗率が高く、都府県単位では既に全ての旅客線が電化された地域もある。しかし、電化工事には変電所の増設や架線設備の設置をはじめ、歴史が古く建築限界が小さい区間ではトンネル改修を要するなど多額の費用がかかる。そのため国鉄では、大都市近郊や都市間路線でも非電化の路線が長らくそのままにされていた。特に並走する私鉄がある区間では近距離輸送でも積極的な競争を行わないため、比較すると旧態依然としていたほか、電化した路線でも特急列車以外は内燃動車を継続して用いる例が見られるなど、消極的な経営が批判されることもあった。もっとも、民営化と前後して大都市近郊の路線の電化も少し行われた。
一方、閑散路線でも急勾配路線は高速化のため電化することがあった。しかし財政難などから北海道・四国の主要幹線や宗谷本線・高山本線などでは国鉄時代に工事が中止された。その後気動車の性能が電車並に向上し、電化するよりも新製気動車を購入するほうが低廉となったため、これらの路線では非電化のまま路線の高速化工事を実施し、出力を強化した気動車を投入して近代化を進めている。また、沿線の地方自治体が費用を負担した一部の路線で、簡易方式による電化が行われた例もある。
旅客線が完全電化[編集]
- 奈良県 - 1984年、関西本線・和歌山線を最後に全線電化。2006年の急行「かすが」廃止で定期気動車列車も消滅。ただし、主に天理教の祭事が行われる時は、気動車による団体臨時列車が多数運行される。
- 大阪府 - 1989年、片町線を最後に全線電化。ただし1973年に関西本線の大阪府内区間が電化されたことで、片町線長尾駅から京都府境までの区間を除いて全線電化されていた。なお、非電化区間へ直通する特急列車(「はまかぜ」・「スーパーはくと」・「ひだ」)や、間合い運用で気動車を使用する特急列車(びわこエクスプレスの一部)があるため、府内を走行する定期気動車列車は存在する。
- 神奈川県 - 1991年、相模線を最後に全線電化。
- 東京都 - 1996年、八高線を最後に全線電化。
- 沖縄県 - 唯一の鉄道(厳密には軌道法準拠路線)である沖縄都市モノレール線は2003年の開通当初から電化。戦前に存在した沖縄県営鉄道などの非電化区間は戦争で破壊されたまま事実上廃止となっている。
旅客線がほぼ電化[編集]
- 和歌山県 - 紀勢本線のJR東海区間のうち新宮駅から三重県との県境に当たる熊野川橋梁までの区間、および紀州鉄道線を除いた残りの線・区間は電化。
- 静岡県 - JRの旅客鉄道路線は全線電化。非電化路線は天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線、大井川鐵道井川線(アプト区間のアプトいちしろ駅 - 長島ダム駅間を除く)のみ。このうち大井川鐵道井川線は2004年の名鉄三河線非電化区間の廃止以降、中部地方で唯一残る非電化私鉄路線(第三セクター鉄道およびJR東海子会社の東海交通事業城北線を除く)となっている。
- 滋賀県 - JRの旅客鉄道路線は全線電化。非電化路線は信楽高原鐵道信楽線のみ。一時期、全線電化の近江鉄道がレールバスを使用したことがあったが、電車運転に戻された。
- 石川県 - JRの旅客鉄道路線は全線電化。非電化路線はのと鉄道七尾線のみ。
- 愛知県 - 2015年3月1日の武豊線電化以降、JRの旅客鉄道路線は全線電化。非電化路線は東海交通事業城北線のみ、軌道路線を含めても名古屋ガイドウェイバスガイドウェイバス志段味線の2路線のみ。
- 福井県 - 非電化路線は越美北線のみ。
- 埼玉県 - 非電化路線は八高線の高麗川駅以北の区間のみで、私鉄・その他JR線は電化。
- 群馬県 - 非電化路線は八高線の倉賀野駅以南の区間、およびわたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線のみで、その他私鉄・JR線は電化。
- 栃木県 - 非電化路線は烏山線、わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線および真岡鐵道真岡線のみ。烏山線は全列車が蓄電池電車(EV-E301系)で運行されるため、JRの路線では定期気動車列車が運行されていない。
- 山梨県 - 非電化路線は小海線のみ。
- 参考
- 千葉県 - 非電化路線は房総半島内陸部を走る久留里線、小湊鉄道線およびいすみ鉄道いすみ線のみで、他のJR線・私鉄・第三セクター鉄道は電化。
- 富山県 - 私鉄と第三セクター鉄道線、北陸新幹線は電化されている。2015年3月15日の北陸新幹線開業に伴う並行在来線の分離により北陸本線があいの風とやま鉄道に転換されたため、JR在来線から電化路線が消滅した。
- 三重県 - JR線の電化路線は関西本線の亀山駅以東の区間と草津線のみ。近畿日本鉄道などの私鉄は電化されている。県庁所在地の津市にはJR電化路線がなく(第三セクター鉄道の伊勢鉄道伊勢線も非電化)、JRの電車が走らない。
旅客線がほぼ非電化[編集]
- 島根県 - 電化路線は山陰本線の西出雲駅(後藤総合車両所出雲支所)以東の区間、一畑電車のみで、その他JR線は非電化。
- 鳥取県 - 電化路線は伯備線、山陰本線の伯耆大山駅以西の区間、境線の米子駅 - 後藤駅間のみで、私鉄、その他JR線は非電化。日ノ丸自動車法勝寺電鉄線が廃線になった1967年から伯備線電化の1982年の間は、電化路線が存在しなかった。なお、鳥取市内の路線が電化されていないため、鳥取市は徳島市と並んで電車が自走しない県庁所在地である。
- 高知県 - JRの旅客鉄道路線は全線非電化。電化路線はとさでん交通のみ。現存する電化線は軌道法準拠の路線(=路面電車)のみであるが、過去には地方鉄道法準拠の電化路線である土佐電気鉄道安芸線が存在した。
参考
- 宮崎県 - 幹線級の日豊本線と日南線・宮崎空港線の南宮崎駅 - 宮崎空港駅間の電化が完了しているが、1974年の日豊本線南宮崎電化まで電化路線が一切存在しなかった。沖縄県には戦前に電車が存在し、徳島県に未だ電化路線がないため、電車が走ったのは全国で46番目と最も遅かった。なお、かつて存在した宮崎交通線では旅客列車では珍しい蓄電池機関車・電車を使用しており、電化以前に蓄電池式の旅客列車を走らせた点は特筆される。
- 長崎県 - 電化路線は西九州新幹線、佐世保線、大村線早岐 - ハウステンボス、長崎電気軌道のみ。2022年9月に西九州新幹線が暫定開業したことに伴い長崎本線の県内区間の電化が廃止されたため、在来線の電化率が大幅に低下した。電化区間でも日中の列車を中心に気動車は多く使われている。県庁所在地の長崎市には在来線の電車が走らない。
- 北海道 - 道全体ではほとんどの鉄道路線が電化されておらず、電化区間は札幌都市圏などごく一部の地域に偏っているだけである(JRに関しては、北海道新幹線、千歳線、海峡線、学園都市線のみが全区間電化)。電化区間でも非電化区間へ直通する気動車列車や電化区間のみで完結する気動車列車は日常的に運行されている。
旅客線が非電化[編集]
- 徳島県 - 索道以外の鉄道線には電化区間がなく、全国で唯一電車が自走しない。なお、過去にも一切電化された路線が存在しないため、歴史的にみても電車が自走したことのない唯一の県である。
電化・非電化区間が混在する路線[編集]
旅客需要の差から、一部区間のみが電化された路線もある。このほとんどは運転系統が分断されるため、別路線のようになっている(交流・直流のデッドセクションを挟む場合も同様)が、大井川鐵道井川線のように一部の急勾配区間用に電化している場合は電化区間で補機がつくのみで非電化用の車両で全線を走破する運行をしているケースもある。
電化・非電化が混在する路線の中には、可部線や札沼線のように電化区間を残して非電化区間のみが廃止された例もある。江差線も海峡線と一体化している電化区間を残して非電化区間のみが廃止された。
以下に電化区間を記す。太字になっている駅は電化・非電化の境界となっているものである。なお、入出庫用に電化された区間は除く。
- JR
- 函館本線 函館 - 七飯 - 新函館北斗、小樽 - 旭川。後者の電化区間は千歳線・札沼線と一体化。前者の電化区間のうち函館 - 五稜郭間はかつては江差線・海峡線と一体化していた。
- 室蘭本線 室蘭 - 東室蘭 - 沼ノ端。電化区間は千歳線と一体化。
- 津軽線 青森 - 中小国。運行系統は蟹田で分断。電化区間はかつては海峡線と一体化していた。
- 磐越西線 郡山 - 喜多方。
- 八高線 八王子 - 高麗川。電化区間は川越線西部と一体化。
- 大糸線 松本 - 南小谷。電化区間は中央本線・篠ノ井線と一部直通運転も有り。南小谷でJR東日本とJR西日本に分断。
- 関西本線 名古屋 - 亀山、加茂 - JR難波。亀山でJR東海とJR西日本に分断。後者の電化区間は大阪環状線と一体化。
- 紀勢本線 新宮 - 和歌山市。電化区間は阪和線と一体化。新宮でJR東海とJR西日本に分断。
- 山陰本線 京都 - 城崎温泉、伯耆大山 - 西出雲。前者の電化区間は、舞鶴線、福知山線、京都丹後鉄道宮福線と一体化。後者の電化区間は伯備線と一体化。
- 播但線 姫路 - 寺前。
- 福塩線 福山 - 府中。
- 予讃線 高松 - 伊予市。電化区間は本四備讃線と一体化。
- 土讃線 多度津 - 琴平。電化区間は予讃線・本四備讃線と一体化。
- 筑豊本線 折尾 - 桂川。電化区間は鹿児島本線・篠栗線と一体化し、これらの路線を通して福北ゆたか線という愛称を持つ。
- 豊肥本線 熊本 - 肥後大津。電化区間は鹿児島本線と一体化。
- 長崎本線 鳥栖 - 肥前浜 。
- 大村線 早岐 - ハウステンボス。電化区間は佐世保線と一体化。
- 筑肥線 姪浜 - 唐津。電化区間は福岡市地下鉄空港線・唐津線と一体化。電化時の路線変更により分断、唐津 - 山本は唐津線に。
- 唐津線 唐津 - 西唐津。電化区間は筑肥線と一体化。
- 日南線 南宮崎 - 田吉。電化区間は日豊本線・宮崎空港線と一体化。
- 私鉄・第三セクター
- 会津鉄道会津線 会津田島 - 会津高原尾瀬口。電化区間は東武日光線、鬼怒川線・野岩鉄道会津鬼怒川線と一体化。
- 大井川鐵道井川線 アプトいちしろ - 長島ダム。電化区間はアプト式による運転。
- 京都丹後鉄道宮豊線 宮津 - 天橋立。電化区間は山陰本線(京都 - 福知山)・宮福線と一体化。
電化設備の撤去[編集]
電化は初期投資を要するが、輸送量の大きい路線では輸送単位あたりの維持費用は一般に低い。このため、一度電化が行われた路線の電化設備が撤去されることはまれである。
しかしながら内燃動力が一般的でなかった時代には、急勾配と長大トンネルにおける蒸気機関車の煤煙問題を解決するために行われた電化の場合、ディーゼル機関車と強力な換気装置が登場することで電化が必ずしも経済的に有利でないケースが生じてくる。アメリカのグレート・ノーザン鉄道(現・BNSF鉄道)が建設したカスケード山脈越えの路線(カスケードトンネル)は蒸気機関車時代に電化されていたが、このような理由からディーゼル化が行われている。
このほかには、アメリカなどのインターアーバンが貨物鉄道に転換された際、電車による頻発運転の旅客列車の消滅により電化が不要になり、電化設備が撤去された事例も多い。
また、上記の理由以外で設備が撤去された例としては、運用される電気機関車を含めた従来からの直流電化設備全般の老朽化による設備の更新を行わずに、高性能のディーゼル機関車へ置き換えるといったものが挙げられる。例えば、ブラジルのサンパウロ州には急こう配の区間と近郊鉄道が運行される区間を除いたほぼすべての電化区間の電気設備が撤去され、再び非電化となった路線が複数存在するほか、同様の例はチリのサンティアゴ - バルパライソの郊外の間や、コンセプシオン郊外 - テムコの間などにも存在する。
緊急的な電化の解除(意図的に行ったもの)では第一次世界大戦時のドイツで資源不足になり、電化鉄道の架線を撤去して銅を使用した結果、電気機関車が走れなくなったというケースもある。
日本での事例[編集]
日本での類似事例としては、以下の路線で経費節減のために電車・電気機関車を気動車に置き換えた事例がある。
電化施設を撤去・使用中止した路線[編集]
下記の路線は電化施設を撤去または使用中止し、電車・電気機関車の運行を中止した路線である。なお、こういった事例の路線のほとんどはもともと不採算路線だったため路線の大半が廃線となっている。
- ★印は2023年4月現在で現存している路線。
- 池田鉄道 - 1936年に気動車・ディーゼル機関車を新規に導入し内燃化。1938年6月6日廃止。
- 千歳線 - 1957年10月1日の定山渓鉄道旅客列車の苗穂乗り入れの廃止に伴い、苗穂 - 東札幌間の直流電化設備を撤去。1973年9月9日に当該区間は新線切り替えで廃止。1980年10月1日に千歳線自体は交流20,000 Vで再電化。
- 小坂製錬小坂線 - 1962年10月1日から改軌と同時に内燃化。2009年4月1日廃止。
- 玉野市営電気鉄道 - 1964年12月24日に気動車を譲り受け内燃化。1972年4月1日廃止。
- 茨城交通茨城線 - 1965年4月25日、水浜線、上水戸 - 水戸駅前の営業廃止(6月11日)を控え、赤塚 - 大学前間の電車運転を廃止。1971年2月11日廃止。
- 羽後交通雄勝線 - 1971年7月26日、同社横荘線の廃止で捻出された気動車で内燃化。1973年4月1日廃止。
- ★福塩線(府中 - 下川辺) - 1962年4月1日から。
- 名鉄八百津線 - 1984年9月23日から気動車を新規に導入し内燃化。2001年10月1日廃止。
- 名鉄三河線
- (猿投 - 西中金) - 1985年3月14日から。2004年4月1日廃止。
- (碧南 - 吉良吉田) - 1990年7月1日から。2004年4月1日廃止。
- くりはら田園鉄道 - 1995年4月1日から第3セクター化と同時に気動車を新規に導入し内燃化。2007年4月1日廃止。
- ★長崎本線(肥前浜 - 長崎) - 2022年9月23日から。
- ★磐越西線(会津若松 - 喜多方) - 2022年3月改正以降、定期運行の電車なし。設備の撤去も計画している。
電化施設を存置しているが、経費節減の目的で気動車列車を運行する路線[編集][編集]
下記の路線は電化施設を存置しているが、経費節減の目的で気動車列車を運行する(または過去に運行していた)路線である。架線下DC(DC=ディーゼルカー)とも呼ばれる。普通列車のみ全列車気動車で運行する路線については後述する。
- 東北本線(黒磯 - 新白河) - 2017年10月より黒磯駅構内のデッドセクションが移設されたことに伴い、交流型車両の乗り入れが不可能になった。このため、同区間を走る普通列車は、通勤通学時間帯はE531系電車(5両編成、ツーマン運転)が、それ以外の時間帯はキハ110形気動車(2両編成、ワンマン運転)が使用された。2020年のダイヤ改正により全列車がE531系のワンマン運転に統一された。
- 東京横浜電鉄(現・東急東横線) - 変電所の増設費用を抑える目的で1936年からの一時期、キハ1形気動車を8両導入、従来からあった電車とともに運用されていたが、のちの日中戦争などに伴う燃料統制によって運用は短期間で終了。
- 近江鉄道本線(八日市 - 貴生川) - 1986年にLE10形気動車を導入し、大半の電車列車を置き換えたが、1日1往復は電車列車が設定されていた。1996年に気動車使用中止、再び全面電車化。
- 富山港線 - JR時代末期の2001年から2006年まで日中の列車をキハ120形気動車で運行。富山ライトレールへの移行で廃止され、全面電車化。
- 名鉄広見線(新可児 - 御嵩) - 1984年より八百津線が電化施設を廃止して気動車化された際に、同線を走るキハ10形気動車の出入庫と給油のため新可児 - 明智間の一部列車は同形式で運行とされた。翌1985年には明智 - 御嵩間の一部列車も気動車で運行されるようになった。2001年の八百津線廃止によって全面電車化。
普通列車を気動車で運行する路線[編集]
下記の路線は電化設備を有し、特急列車・貨物列車は電車・電気機関車牽引で運行するが、普通列車は全列車気動車で運行する(または過去に運行していた)路線である。大半が交流電化路線で、交流電車自体が最低でも2両は必要であるため、1両でも運転できるようにあえて気動車を導入しているところがある。
- ●印は2020年4月現在でも実施している路線。
- 湖西線(近江今津 - 近江塩津) - 1974年7月20日の開業時より全線電化されているが、この区間には交流・直流デッドセクションが存在したため優等列車は電車または電気機関車牽引、貨物列車は電気機関車牽引で運行され、普通列車のみ電車化されず気動車が使用された。1991年9月14日の北陸本線米原 - 長浜の直流化と同時に湖西線の普通列車も交直流電車に移行。さらに2006年10月21日よりこの区間は直流化され、直流電車に移行。
- ●道南いさりび鉄道線 - 1988年3月13日の海峡線開業と同時に電化され、電気機関車牽引の客車列車である快速「海峡」が走っていたが、2002年12月1日に特急「スーパー白鳥・白鳥」へ格上げされて廃止となった。それ以降は優等列車が電車または電気機関車牽引、貨物列車は電気機関車牽引で運行され、普通列車は電車化されず気動車で運行されている。2016年3月26日の道南いさりび鉄道への転換以降は優等列車の運行はなくなったが、貨物列車および臨時列車直通のために電化設備は残されている。この区間にデッドセクションは存在しないがき電区分セクションがあり電圧が変化する。なお、終着駅である木古内駅の当線の到着ホームは架線が張られていない。
- ●津軽線(蟹田 - 新中小国信号場) - 江差線(現・道南いさりび鉄道線)電化と同時に電化されたが、新中小国信号場は駅ではなく途中の中小国駅は海峡線の全列車が通過するため、普通列車は蟹田駅以北は気動車でのみ運行されている。
- 田沢湖線 - 1982年11月15日に電化されたが、特急「たざわ」のみが485系電車で運行され、普通列車は電車化されず引き続き気動車が使用された。1997年3月22日、秋田新幹線運行に伴う改軌で全列車が701系電車に移行。
- 仙石線(高城町 - 石巻) - 東日本大震災による電化設備損壊のため、暫定的に陸前小野駅 - 石巻駅間をキハ110系気動車で運行していた。2015年5月30日に全線復旧し、同日から電車による運行が復活するとともに仙石東北ライン経由のHB-E210系気動車が乗り入れを開始した。東北本線(交流電化)と仙石線(直流電化)の連絡線は電化されていない。
- ●七尾線(七尾 - 和倉温泉) - 1991年の電化時から。特急列車はJR西日本の電車で運行され金沢・大阪方面からそのまま和倉温泉駅まで直通するが、普通列車は七尾駅で運行系統が分断されており、当該区間はのと鉄道の気動車で運行されている。
- ●羽越本線(村上 - 酒田) - 1993年から全列車が気動車化された。それ以前は電気機関車牽引の客車列車も運行されていた。この区間には交流・直流デッドセクションが存在する。
- ●肥薩おれんじ鉄道線 - 2004年3月13日の肥薩おれんじ鉄道への転換時から。電気機関車による貨物列車や、JR九州の電車による臨時、回送列車や、787系によるD&S列車『36ぷらす3』を直通させるために電化設備は残されている。電化路線であるため、JR西日本のDEC741形気動車による架線計測対象区間であり、この線内は肥薩おれんじ鉄道の運転士が担当している。始発駅である八代駅の行き止まり式ホームは肥薩線専用ホームを流用した架線が張られていないホームを肥薩おれんじ鉄道所属車両が使われている。
- 日豊本線(佐伯 - 延岡) - 2009年10月1日から2018年3月16日まで。翌3月17日より電車による運転に移行。
- 室蘭本線(苫小牧 - 東室蘭) - 2012年10月27日から2023年5月19日まで。翌5月20日より、新たに導入されたワンマン運転対応電車(737系)による運転に移行。
- ●鹿島線(鹿島神宮 - 鹿島サッカースタジアム) - 鹿島サッカースタジアム駅は臨時駅であり、通常は旅客列車がすべて通過することから非電化の鹿島臨海鉄道大洗鹿島線から気動車を鹿島神宮駅まで直通させている。
- ●京都丹後鉄道宮福線・宮豊線(宮津 - 天橋立)1996年にJR西日本から宮津線の天橋立駅まで電車による特急列車を直通させるため全線が電化されたが、電車を保有していない北近畿タンゴ鉄道から京都丹後鉄道が車両を借り受けていることから線内のみの普通列車は気動車で運行されている。ただしJRの電車(113系・115系)による普通列車が下り2本・上り1本と快速が1本(大江山2号)存在する。
- ●えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン・あいの風とやま鉄道線(直江津 - 泊) - 2015年3月14日の転換時から。区間内のみの列車は気動車で運行されている。貨物列車およびJR東日本・あいの風とやま鉄道からの定期、臨時列車直通のために電化設備は残されている。この路線には交流・直流デッドセクションが存在する。なお、2022年7月より第三セクター移行前のJR西日本が使用していた455系・413系交直流電車を譲受し観光急行列車として運行している。
- 野岩鉄道会津鬼怒川線・会津鉄道会津線(上三依塩原温泉口 - 会津田島) - 2015年9月10日に発生した大雨等の影響で、2015年9月19日に運転再開されたが、東京電力の送電鉄塔傾斜による停電のため、暫定的に会津鉄道から気動車が乗り入れていた。同年12月11日より全線で電車運転が復活した。2022年3月12日のダイヤ改正で会津鉄道にて特急以外の普通列車が全て気動車化された。
- ●大村線 - 1992年3月に早岐 - ハウステンボスの一区間が電化され、特急「ハウステンボス」が電車で運行されるようになったが、普通列車・快速列車は非電化区間へ直通するため従来どおり気動車で運行されている。ただし2017年11月30日までは臨時列車「ハウステンボスリレー号」が気動車のほかに電車でも運行されていた。