金融ビッグバン
金融ビッグバン(きんゆうビッグバン)は、1996年から2001年度の日本において、政府が実行した大規模な金融制度改革を指す経済用語。
この時期に、従来、銀行など金融機関を規制してきた「護送船団方式」を崩壊させるような大改革が進行し、その後、2002年以降には、銀行業・保険業・証券業の業界の垣根を越えて、各代理業解禁など大規模な規制緩和が行われた。これらは時期を分けて、1996年から2001年度までは「第1次金融ビッグバン」(橋本内閣)、2002年度以降は「第2次金融ビッグバン」(小泉内閣)と分けて指すこともある。
1986年にイギリスのロンドン証券取引所で行われたマーガレット・サッチャーによる証券制度改革が「ビッグバン (金融市場)」と呼ばれたことにちなみ、「日本版ビッグバン」は、1997年の新語・流行語大賞トップテンとなった。その時の受賞者はネット証券業界の先駆者として知られた松井証券社長の松井道夫であった。
経過[編集]
1996年10月、総理府経済審議会・行動計画委員会の金融ワーキンググループが報告「わが国金融システムの活性化のために」をまとめる。その背景として、経済の成熟化(経済成長の鈍化)及びバブル崩壊によって、1990年代に入り、衰退・空洞化しつつあるとされた日本国の金融市場をニューヨーク、ロンドンと並ぶ国際市場として地位を向上させ、日本経済を再生させる狙いがあった。
1996年11月、第2次橋本内閣が初めて「金融ビッグバン」を提唱する。橋本龍太郎首相はこの「金融ビッグバン」を橋本内閣の六つの改革の1つに位置づけ、金融制度改革を2001年までに行なうことを表明した。改革案の柱として、フリー(市場原理が機能する自由な市場)、フェアー(透明で公正な市場)、グローバル(国際的で時代を先取りする市場)の3つの原則を掲げた。
2001年6月、第1次小泉内閣でもこの「金融ビッグバン」の流れを継承し、小泉純一郎首相は「骨太の方針」の中で「貯蓄から投資へ」を初めてスローガンに掲げた。2003年からは、個人投資家の株式と株式投資信託の売却益や配当・分配金に対する税率を20%から10%に引き下げる証券優遇税制を実施した。
改革3原則[編集][編集]
- Free(市場原理が機能する自由な市場)
- 新しい活力の導入(銀行・証券・保険分野への参入促進)
- 幅広いニーズに応える商品・サービス(長短分離などに基づく商品規制の撤廃、証券・銀行の取扱業務の拡大)
- 多様なサービスと多様な対価(各種手数料の自由化)
- 自由な内外取引(為銀主義の撤廃)
- 1200兆円の個人貯蓄の効率的運用(資産運用業務規制の見直しとディスクロージャーの充実・徹底)
- Fair(透明で信頼できる市場)
- 自己責任原則の確立のために十分な情報提供とルールの明確化(ディスクロージャーの充実・徹底)
- ルール違反への処分の積極的発動
- Global (国際的で時代を先取りする市場に)
- デリバティブなどの展開に対応した法制度の整備・会計制度の国際標準化
- グローバルな監督協力体制の確立(G7サミット・蔵相会議等で確認)
具体的事項[編集]
1997年の行程表では、以下の事項が行程として挙げられた。1998年には「金融システム改革のための関係法律の整備等に関する法律」(金融システム改革法)が成立し、これら各種の改革が一括化された。
また、2002年8月の「証券市場の改革促進プログラム」、2002年10月の「金融再生プログラム」によって、さらに、改革が進められた。
投資家・資金調達者の選択肢の拡大[編集]
- 投資信託の商品多様化
- 「証券総合口座」の導入
- 証券デリバティブの全面解禁
- 資産担保証券など債券等の流動化
- 外国為替法の改正
- 1998年4月の改正により銀行ではそれまで殆ど取り扱わなかった、一般個人向けの外貨預金の取扱が認められるようになった。
- 日本の個人が外国為替市場への直接参加が可能となり、外国為替証拠金取引(FX取引)がスタートした。
- 銀行等の投資信託の窓口販売の導入(1998年12月から解禁)
- 解禁からおよそ1年後、米国でグラム・リーチ・ブライリー法が制定された。