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週刊現代

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週刊現代』(しゅうかんげんだい)は、講談社から発行されている週刊誌である。発行部数38.2万部で『週刊新潮』に次いで業界第3位。

概要[編集]

『週刊新潮』の成功による出版社系週刊誌ブームを受け、講談社第4代社長野間省一が主導して1959年(昭和34年)に創刊。講談社にとって、『週刊少年マガジン』に次ぐ、第2の週刊刊行物となる。ヌード、劇画などを特徴とするホワイトカラーのサラリーマン向け週刊誌というスタイルを築き、同じ音羽グループの光文社が『週刊宝石』、競合の一ツ橋グループを率いる小学館が『週刊ポスト』を立ち上げて追随した。

「週刊少年マガジン#1959年 - 1960年」および「週刊ポスト#概要」も参照

表紙には、秋山庄太郎(後に宮澤正明)が撮影した女優や女性タレントの顔写真を用いていたが、2012年からは大小の見出しや写真が並ぶスタイルの表紙に変わっている。競合誌は『週刊ポスト』で発売日が同じことから、店頭ではペアで並べて売られることが多い。

テレビなどのメディア・マスコミ関係の批評記事も掲載している(様々なテレビ番組、女子アナウンサーなど)。

医療に関する記事、連載も取り上げる事がある。

2019年5月から、毎月一週を合併号にすることが発表された。

発行部数・実売部数
創刊号は35万部を発行。1967年には100万部を突破し、川鍋孝文編集長時代の1973年に130万部を発行、元木昌彦編集長時代の1995年に150万部を発行して、幾度かの絶頂期を迎えていたが、その後は後退を続け、2005年の発行部数は717,756部と週刊文春、週刊新潮に次いで第3位。更に後述するような話題性重視の誌面作りを行っても部数は回復せず、2006年下半期(7月から12月)の平均発行部数が約41万5000部、2007年上半期(1月〜6月)はスクープ記事を連発したにもかかわらず、更に減って約34万9000部(実売部数)とのデータが発表されている。
実売部数においては、1989年には約60万部、1992年には約50万部に減少したが、1995年〜1999年の元木編集長時代には約70万部を売り上げた。しかし、2001年には約61万部と1989年の水準にまで下がり、2008年上半期の実売部数は26万4389部に、2008年下半期はさらに約1万5千部減少の24万9931部へと相次いで減少したと発表されている。
発売日
毎週月曜日に発売。一部地域では日曜日に前倒し発売する地域もあれば、火曜日-水曜日に遅れて発売する地域もある。
価格
創刊時の1959年は30円。2006年現在は350円

歴代編集長[編集]

氏名 在任期間 備考
大久保房男 1959年3月 - 1961年7月 文芸雑誌『群像』編集長と兼任。後に作家となる。
松井勲 1961年7月 - 1964年9月
椎橋久 1964年9月 - 1965年2月
牧野武朗 1965年2月 - 1967年8月 漫画雑誌『週刊少年マガジン』の初代編集長。後に独立してマイヘルス社、マキノ出版、わかさ出版を興す。
荒木博 1967年8月 - 1969年8月 編集長を退任した直後に小学館に移籍して、1969年8月に『週刊ポスト』の創刊(初代)編集長に就任。
名田屋昭二 1969年8月 - 1972年8月
川鍋孝文 1972年8月 - 1974年4月 企画部時代は『週刊現代』を週2回刊行のための準備として『週刊現代』増刊号を手がける。後に『日刊ゲンダイ』創刊を主導し日刊現代社社長・会長を歴任。
名田屋昭二 1974年4月 - 1975年9月 編集長を解任された川鍋の後任で再登板。
斉藤稔 1975年9月 - 1976年9月
鈴木富夫 1976年9月 - 1981年4月
伊藤寿男 1981年4月 - 1982年4月 退任後、写真週刊誌『FRIDAY』初代編集長。さらに独立して『週刊テーミス』(現・月刊THEMIS)を立ち上げる。
鈴木俊男 1982年4月 - 1983年8月
杉本暁也 1983年8月 - 1985年6月
江口拓 1985年6月 - 1987年4月
寺島昭彦 1987年4月 - 1988年7月 『FRIDAY』第2代編集長より異動。
土門康男 1988年7月 - 1991年3月
森岩弘 1991年3月 - 1993年3月 『FRIDAY』第4代編集長より異動。
元木昌彦 1992年3月 - 1998年3月 『FRIDAY』第5代編集長より異動。「ヘアヌード」という和製英語の産みの親。退任後はWeb現代を手がけ(1999年)、また、市民参加型ニュースサイトのオーマイニュースの記者としても活動を始めた。
鈴木哲 1998年3月 - 2001年7月 『FRIDAY』第6代編集長より異動。
鈴木章一 2001年7月 - 2004年7月
出樋一親 2004年7月 - 2006年2月 『FRIDAY』第10代編集長より異動。退任後『FRIDAY』に復帰し第12代編集長。
加藤晴之 2006年2月 - 2008年1月 『FRIDAY』第8代編集長を経て、学芸図書出版部担当部長より異動。退任後、総合編纂局へ異動。
乾智之 2008年2月 - 2009年5月 本誌編集次長から昇格。
鈴木章一 2009年6月 - 2012年5月 2度目の登板。退任後は第一編集局長兼本誌発行人を経て講談社常務取締役。
藤田康雄 2012年6月 - 2013年11月 『G2』初代編集長から異動。後に『FRIDAY』第16代編集長に就任。
鈴木崇之 2013年12月 - 2015年10月 本誌編集次長から昇格。
山中武史 2015年10月 - 2017年8月 本誌編集次長から昇格。
鈴木崇之 2017年9月 - 2020年6月 2度目の登板。企画部担当部長(部長待遇)から異動。
石井克尚 2020年7月 - 2021年11月 本誌編集次長から昇格。
片山勇人 2021年12月 - 2023年5月 本誌編集次長から昇格。
石井克尚 2023年6月 - 2度目の登板。


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