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近鉄百貨店

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株式会社近鉄百貨店(きんてつひゃっかてん、英: Kintetsu Department Store CO.,Ltd.)は、日本の百貨店の一つ。近鉄グループの主要企業。本社・本店は大阪市阿倍野区阿倍野筋一丁目1番43号あべのハルカス(大阪阿部野橋駅直結)。

旧・丸物時代から続き大阪証券取引所第1部に上場。2013年7月16日に東京証券取引所第1部に上場した(証券コード8244)。

概要[編集]

前身は、1920年に京都府京都市で創業した百貨店「丸物」(まるぶつ)をルーツとする旧京都近鉄百貨店と、近畿日本鉄道の直営百貨店部門から分離し発展した旧近鉄百貨店に分かれる。系列の近畿日本鉄道(近鉄)は三菱グループと密接な関係を持つが、近鉄百貨店は大輪会の会員企業である。

旧京都近鉄百貨店[編集]

旧京都近鉄百貨店の前身・丸物は、中林仁一郎によって創業された。創業時は「京都物産館」という名前だったが、そのマーク(○の中に物産館の「物」)と他地域への出店がきっかけで、1931年に「丸物」に改称した。最盛期には東京・池袋駅ビル(現在のパルコ本館)にも東京丸物を出店するなど全国展開していた。

仁一郎の死後は長男・中林仁良が社長に就任するが、伊藤忠商事との資本提携に失敗するなど経営が悪化した。このため、1966年4月に近畿日本鉄道の資本参加を受けて近鉄グループ入りする。近畿日本鉄道百貨店部出身の橋本達吉が協力して経営再建に取り組み、京都本店と岐阜店の2店のみが残った。しかし、1977年5月27日に中林仁良が会長、橋本達吉が社長となると同時に、社名・両店名とも「丸物」から近鉄グループの一員と示す京都近鉄百貨店に変更している。

なお、1975年(昭和50年)に近鉄流通グループの別会社として出店したひらかた丸物(社名は「枚方丸物」)は枚方近鉄百貨店に改称後、1998年に近鉄百貨店に吸収合併され、枚方店となった。また、1997年(平成9年)にも近鉄百貨店との共同出資で草津近鉄百貨店を草津駅前に出店し、京都店・岐阜店と一体的に運営した。

しかし、京都店は増床などの対策をとったものの、ジェイアール京都伊勢丹の開業で業績が悪化した。このため、郊外型商業施設や名古屋市内の百貨店との競合に負けて10年連続で赤字決算だった岐阜店は存続する余裕がないとして1999年(平成11年)9月30日に閉鎖した一方、残った京都店を複合商業施設「プラッツ近鉄」に業態変更して、ジェイアール京都伊勢丹との共存を図った。

旧近鉄百貨店[編集]

旧近鉄百貨店は、近畿日本鉄道の前身である大阪電気軌道(大軌)の直営で開業した上本町店と、旧大阪鉄道の子会社で開店した阿倍野店を基幹としている。 1972年(昭和47年)3月14日に奈良店を開業後、同年6月1日には近畿日本鉄道の百貨店部から独立して株式会社近鉄百貨店となった。

多店舗化[編集]

近畿日本鉄道の直営だった百貨店部門とは別に、1960年(昭和35年)6月15日には四日市近鉄百貨店を開業したほか、大分県別府市で1958年(昭和33年)開業の中村百貨店を買収して1960年(昭和35年)9月に別府近鉄会館として開業した別府近鉄百貨店、1960年(昭和35年)4月開業の和歌山近鉄ストアを3年後に百貨店化した和歌山近鉄百貨店や1962年(昭和37年)9月2日開業に合わせて出資した近鉄松下百貨店といった別会社方式で沿線以外への進出を行っていた。

これらの出店に続いて、1974年(昭和49年)5月には同様に首都圏第1号店として東京・吉祥寺に東京近鉄百貨店(1983年直営化)を出店している。吉祥寺は都心ではないが、情報化の進む東京を人材育成の拠点として活用するとともに、首都圏でのさらなる出店も検討した。また、同月には子会社が運営するファッション・雑貨の専門店「シェトワ」も原宿の1号店がオープンした。こちらは、以降、新宿サブナード地下街、京都朝日会館などに店舗を増やしていった。

1977年(昭和52年)に丸物が京都近鉄百貨店と改称して以降、当社を中心に各百貨店や近商ストアを合わせて近鉄流通グループと呼ばれるようになった。赤字でグループの足を引っ張った東京近鉄百貨店や「丸物」名義の「ひらかた丸物」として開業した枚方近鉄百貨店も1982年2月期には経常黒字に転換するめどが立ち、ニチイ(後のマイカル)やジャスコの近鉄沿線への出店に対抗するため、事業拡大を狙うことになった。このころから資金調達のために株式上場がうわさされ、当社も林修社長のころから目標とはしていたが、20世紀中には実現することはなく、東武百貨店や小田急百貨店と並び、非上場で資本的には電鉄の完全子会社といった状態が続いた。

阿倍野店の拡張と大規模出店[編集]

第2次増床が完了した阿倍野店ではさらなる増床計画を立案し、1975年(昭和50年)ごろには具体化寸前までいった。しかし、上記のように多店化などへの投資が続いたため、いったんは増床が見送られる。1988年(昭和63年)11月1日にようやく実現して阪急百貨店大阪・うめだ本店(当時)を超える西日本最大の百貨店になった。売場には大阪府のパスポートセンターなどを入居した旅行館やパリ・16区の「コクラン・エネ」のフランチャイズ店などを入居させるなどしてキタ・ミナミの百貨店と差別化を図った。また、この時開業した阿部野橋ターミナルビル新館には当社の阿倍野店新館に加え、近商ストアが展開する生活関連商品の大型専門店「オールウェイズ」、当社の子会社でデベロッパーの近鉄商業開発(1987年設立)が展開する若者向け専門店街「ラ・セレナ」なども開店し、近鉄流通グループの総力をかけた店舗とされている。

それに対し、当社もCIの導入やロゴマークの変更、大規模な流通センターの建設など新たな阿倍野店の建設以外にも大規模な投資を進めている。この翌年には中部近鉄百貨店が経営する名古屋店を「ヤングメッセ近鉄」(後の「近鉄パッセ」)に業態転換することで、「ラ・セレナ」とともに百貨店が弱い若年層の取り込みを図った。

また、これらに先立つ1986年(昭和61年)には新しい阿倍野店や今後の郊外店の実験台も兼ねて橿原店を出店し、奈良そごうや大阪の本店から外商部を展開する大丸や髙島屋への対抗のために奈良店の建て替え・増床を行った。この時点では1店舗展開のみだった阪神百貨店、あるいは首都圏などでの出店を優先した阪急百貨店や大丸、髙島屋、そごうといった在阪他社に比べて関西での店舗数は最大となっている。

スクラップ・アンド・ビルド[編集]

近畿地方においては、1994年(平成6年)には閉店第1号として、出店からわずか3年の桜井店を閉鎖し、三菱商事やジャスコ(現在のイオン)との協業第2陣として京都ファミリーへ出店した西京都店も増床する京都近鉄百貨店と競合するとして1995年(平成7年)に閉鎖することで店舗閉鎖を進めた。別府近鉄百貨店も地場百貨店トキハの別府店が完成したことで経営が悪化し、直営化して別府店とした後、1994年(平成6年)8月31日に閉店した。

これに対し、社長だった田中太郎は出店案件については多少苦しくとも続ける方針を示し、1997年(平成9年)3月19日には生駒店、同年9月5日には京都近鉄百貨店と共同出資の草津近鉄百貨店(現在の草津店)を出店している。

また、京都近鉄百貨店の経営再建を優先したため、橋本駅前(相模原市)や汐留貨物駅跡地など首都圏での多店化は実現しなかった。後述のように上場すると赤字店の営業継続が困難として、東京店も閉鎖を決めている。

京都近鉄百貨店と近鉄百貨店の合併[編集]

2001年2月28日に旧京都近鉄百貨店と旧近鉄百貨店は合併を行った。これは旧京都近鉄百貨店が旧近鉄百貨店を合併する形ではあったが、目的は経営が悪化して債務超過に陥っていた上場会社の旧京都近鉄百貨店を、非上場の旧近鉄百貨店が救済する合併であった(いわゆる逆さ合併)。合併時に、商号を「株式会社近鉄百貨店」に改めるとともに本店を旧近鉄百貨店の本店に移している。この直後には丸物創業者の長男・中林仁良が取締役から降りたため、経営陣から丸物創業者一族がいなくなり、近畿日本鉄道のカラーが強まることとなった。

リストラの実施[編集]

最古の店舗となった京都店は業態転換後も売り上げの改善が果たせず、2007年2月28日に閉鎖となった。渡辺節設計の文化財級名建築であった建物は2007年秋に取り壊されており、跡地にヨドバシカメラマルチメディア京都が2010年11月5日に出店した。2012年(平成24年)2月29日には枚方店も閉店し、丸物時代から営業していた近鉄百貨店の店舗はすべて閉店した。また、2013年には別会社の近鉄松下百貨店、2014年には桃山店も閉店し、店舗の集約を図った。

一方、2009年3月1日に和歌山近鉄百貨店と中部近鉄百貨店を合併し、前者から和歌山店、後者から草津店、四日市店、名古屋店(近鉄パッセ)を直営店にした。これに近鉄松下百貨店の閉店を合わせ、近鉄グループで百貨店を運営する企業は当社のみとなった。

また、経費節減策の一環として、2011年8月10日にエイチ・ツー・オー リテイリング(阪急阪神百貨店の親会社)と次世代情報システムの構築で提携することを発表した。しかし、2018年にこの提携は解消している。

本店の建て替え[編集]

支店からの撤退を進めた一方、阿倍野本店では梅田や難波での商業施設の増床に対抗を図った。本館の西側(旧館)部分を改築して、あべのハルカスを建設し、2014年2月22日に「あべのハルカス 近鉄本店」として、日本最大級の店舗として全館開業した。

また上本町店も、隣接の再開発ビル上本町YUFURAの開業に合わせて、一度全館改装が行われた。その後も都心回帰による若年層の人口増加など環境変化を踏まえ、テナントの誘致や食品フロアなどの改装を継続している。

新たな店舗づくり[編集]

大阪都心の2店舗に対し、地方・郊外の店舗でも新たな取り組みを実施している。2018年より、地域共創型の百貨店として、地域商社事業と称した取り組みを開始。既に存在する和歌山店「紀州路」に続き、奈良店地階の「大和路ショップ」、四日市店「伊勢路テラス」、草津店「近江路」の名称で地域産品を集めたコーナーを食品フロアに設けている。もともとの地元名産品に加え、当社と地元生産者の協力で開発した新商品も販売することで地域の活性化や百貨店の新たな役割づくりを目指す。

百貨店のうち、東大阪店、生駒店、草津店、近鉄パッセ(名古屋店)については専門店の比率が高いため、ほかの商業施設と同じ「商業開発本部」が担当していたが、2021年5月28日の組織改正からは上本町店、橿原店についても同本部の運営に移管した。これにより、複合商業施設としてタウンセンター化を図り、専門店中心のローコストな運営体制となる。本店、奈良店、和歌山店、四日市店については専門店の導入を行いつつも百貨店中心の営業形態を続けているが、2023年(令和5年)5月25日付で本社直轄として改革促進を図っている。

2021年には大阪・関西万博の機運醸成を目的とする公募で「公式ロゴマークを使用した商品を企画、販売する事業者」へ選出され、公益社団法人2025年日本国際博覧会協会とライセンス契約を締結した。9月16日からは近鉄百貨店インターネットショップ・あべのハルカス近鉄本店に常設店舗を設置し、10月6日からは上本町店、奈良店、橿原店、和歌山店、四日市店でも販売を開始している。2022年6月ごろまで販売を行う予定となっている。

2022年春からは、あべのハルカス近鉄本店を順次改装し、百貨店の主力商品であったものの売り上げが低迷している衣料品売場を3割減らす。空いた売場を活かして衣食住が混在したフロアを作り、消費者に全館を回遊させる店づくりによって従来の店舗構成からの脱却を目指している。ほかの9店舗についても25年2月期までにすべて同様に改装し、衣料品の売場を減らす予定である。

沿革[編集]

合併前[編集]

  • 1919年(大正8年)3月11日 - 「京都物産館」商号登記
  • 1920年(大正9年)
    • 1月1日 - 京都物産館が京都駅前で創業(のちの近鉄百貨店京都店)。
    • 2月6日 - 合名会社京都物産館設立。
  • 1926年(大正15年) - 大阪電気軌道(大軌・後の近鉄の直系母体)が上本町の大軌ビルディング内に直営食堂開業。同地下から3階まで三笠屋百貨店が開店。
  • 1930年(昭和5年)
  • 4月29日 - 合名会社京都物産館が岐阜市に支店を開設。
  • 6月1日 - 合名会社京都物産館が岐阜市柳ヶ瀬に本格的な支店を開店。
  • 1931年(昭和6年)9月21日 - 「合名会社京都物産館」を「合名会社丸物」に商号変更。
  • 1934年(昭和9年)
    • 9月28日 - 「合名会社丸物」を「株式会社丸物」に改組(資本金150万円)。
    • 10月1日 - 株式会社丸物としての営業を開始(丸物・京都近鉄百貨店の創立記念日)。
  • 1934年(昭和9年) - 大阪鉄道(大鉄・現在の近鉄南大阪線などの当時の運営会社)、株式会社大鉄百貨店を創立。
  • 1936年(昭和11年)9月 - 大軌百貨店全館開業(上本町) 。
  • 1937年(昭和12年)11月 - 大鉄百貨店全館開業(阿倍野橋、現在のあべのハルカス近鉄本店)。
  • 1941年(昭和16年)3月 - 大阪電気軌道、参宮急行電鉄を合併し、関西急行鉄道(関急)に社名変更。大軌百貨店は関急百貨店に改称。
  • 1944年(昭和19年)
    • 4月1日 - 関西急行鉄道は大阪鉄道を合併。大鉄百貨店は関急百貨店阿倍野店、関急百貨店は関急百貨店上本町店として再発足。
    • 6月1日 - 関西急行鉄道と南海鉄道(南海。1947年(昭和22年)に再度分離して現在の南海電気鉄道となる)が合併して近畿日本鉄道(近畿日本)が発足。百貨店は「近畿日本鉄道上本町百貨店」と「近畿日本鉄道阿倍野百貨店」に名称変更。
  • 1945年(昭和20年)
    • 3月14日 - 空襲により阿倍野店罹災、地階食料品売場のみ残る。
    • 3月20日 - 本社を上本町7丁目2番地に移転。
    • 12月10日 - 阿倍野店復旧工事に着手。
  • 1948年(昭和23年)
    • 7月18日 - 上本町駅 - 宇治山田駅間の近鉄特急で土産、弁当などの車内販売を実施。
    • 8月1日 - 「近鉄百貨店上本町店」・「近鉄百貨店阿倍野店」と店名を変更。
  • 1949年(昭和24年)7月 - 株式会社丸物が大阪証券取引所第1部に上場。
  • 1950年(昭和25年)
    • 5月16日 - 阿倍野店屋上に飛行塔「近鉄パーク」開業。
    • 5月17日 - 上本町店1階売店開業。
    • 7月25日 - 阿倍野店1階にドラッグストア開業。
    • 8月1日 - 阿倍野店にランチルーム開業。
    • 12月10日 - 阿倍野店の暖房復活。
  • 1951年(昭和26年)
    • 3月10日 - 上本町店1階売店をドラッグストアに業態転換。
    • 6月5日 - 阿倍野店1階に近鉄スタンドを開業。
  • 1960年(昭和35年)9月 - 別府近鉄会館開業。
  • 1961年(昭和36年)7月1日 - 「別府近鉄会館」を「別府近鉄百貨店」に変更。
  • 1965年(昭和40年)4月 - 阿倍野店の第2次増築工事が完了。
  • 1966年(昭和41年)4月 - 株式会社丸物が近畿日本鉄道の資本参加を受ける。
  • 1968年(昭和43年)12月10日 - 株式会社ダイヤモンドシティと株式会社近畿日本鉄道の共同出資で、「株式会社ダイヤモンドファミリー」設立。
  • 1969年(昭和44年)11月23日 - 上本町ターミナル整備の一環として上本町店新館1号館の増築を実施、23450m2に。
  • 1971年(昭和46年)
    • 4月10日 - 株式会社三越との業務提携に関する覚書を締結。
    • 6月9日 - 千代田区神田松永町の東京近鉄ビルに東京連絡所を開設。
  • 1972年(昭和47年)
    • 3月14日 - 「奈良ファミリー」に奈良店を開業。
    • 4月4日 -「株式会社近鉄百貨店」設立総会(会長:佐伯勇、社長:檜原敏郎)
    • 4月5日 - 「株式会社近鉄百貨店」(近畿日本鉄道単独出資)、「株式会社東京近鉄百貨店」(三越と共同出資)設立。
    • 6月1日 - 「株式会社近鉄百貨店」として分離独立。
      • 取締役阿倍野店長担当:佐藤恕、上本町店長:橋本喜典
      • 会社の正式名称「近鉄百貨店」、各店名「近鉄アベノ店またはアベノ近鉄」「近鉄上本町店または上本町近鉄」「近鉄奈良店または奈良近鉄」
  • 1973年(昭和48年)6月15日 - 上本町店新館2号館開業、38252m2で現在の営業面積となる。
  • 1974年(昭和49年)5月11日 - 東京近鉄百貨店開業(武蔵野市の中央本線吉祥寺駅前)。
  • 1977年(昭和52年)5月28日 - 「株式会社丸物」を「株式会社京都近鉄百貨店」に商号変更。
  • 1978年(昭和53年)10月5日 - 東大阪店開業。
  • 1982年(昭和57年)11月15日 - 西京都店開業(京都ファミリー内)。
  • 1983年(昭和58年)3月1日 - (株)近鉄百貨店が(株)東京近鉄百貨店を吸収合併。
  • 1986年(昭和61年)4月25日 - 橿原店開業。
  • 1988年(昭和63年)11月11日 - 阿倍野店増床。CIを導入しロゴマークを変更。
  • 1991年(平成3年)
    • 3月1日 - (株)近鉄百貨店が(株)別府近鉄百貨店を吸収合併。
    • 1991年(平成3年)4月12日 - 桜井店開業。
  • 1994年(平成6年)
    • 3月31日 - 桜井店閉店。
    • 8月31日 - 別府店閉店。
  • 1995年(平成7年)
    • 2月28日 - 西京都店閉店。
    • 3月 - 京都近鉄百貨店京都店が大規模に増床オープン。
      • 1997年に予定されていたJR京都伊勢丹を迎え撃つための措置であった。
  • 1996年(平成8年)11月26日 - 桃山店開業。
  • 1997年(平成9年)
    • 3月19日 - 生駒店開業。
    • 9月5日 - 草津近鉄百貨店開業。
  • 1998年(平成10年)
    • 9月1日 - (株)近鉄百貨店が(株)枚方近鉄百貨店を吸収合併。
    • 9月19日 - 桔梗が丘近鉄百貨店開業。
    • デパートでの「将棋まつり」の開催により、日本将棋連盟から第5回大山康晴賞を受賞した。
  • 1999年(平成11年)9月30日 - 京都近鉄百貨店岐阜店(通称:岐阜近鉄百貨店)が閉店。
  • 2000年(平成12年)
    • 3月25日 - 京都近鉄百貨店京都店全面改装。「プラッツ近鉄」として開業。
    • 7月28日 - 京都近鉄百貨店岐阜店の跡地を中日新聞社に売却すると決定。
    • 9月1日 - 本店南側にHOOP開業(近鉄百貨店運営)。
    • 9月1日 - 近鉄商業開発を京都近鉄百貨店が吸収合併。
  • 2001年(平成13年)2月20日 - 東京店閉店。

近鉄百貨店・京都近鉄百貨店合併後[編集]

  • 2001年(平成13年)
    • 2月28日 - (株)京都近鉄百貨店が(株)近鉄百貨店を吸収合併し「株式会社近鉄百貨店」に商号変更。
    • 3月1日 - 京都証券取引所廃止に伴い、大阪証券取引所のみの上場となる。
    • 6月28日 - 子会社の柳ヶ瀬ビルが岐阜地方裁判所に破産を申し立てる
    • 7月:柳ヶ瀬ビルに入居していたファッションビル「イマージュ」閉鎖。岐阜での事業が終焉
    • 9月末:中日新聞社に岐阜店跡地を明け渡す
  • 2005年(平成17年)
    • 6月 - 近鉄モータース株式をクインランドに売却。
    • 7月29日 - 京都店の土地・建物をヨドバシカメラに売却。店舗は2007年(平成19年)2月末までの営業となった。
    • 8月25日 - 旧別府店の敷地を県内業者に売却。跡地に高層複合マンション建設予定。
  • 2006年(平成18年)
    • 7月31日 - 旧東京店の土地・建物を投資会社に売却。
    • 12月30日 - 三重県の三交百貨店がこの日で閉店。営業権の一部を譲り受けた。
  • 2007年(平成19年)2月28日 - 京都店を閉店。なお京都店の建物は解体され、跡地に建設される新ビルにヨドバシカメラが出店することとなった。
  • 2008年(平成20年)
    • 3月頃 - 旧京都店の建物の解体が終了。
      • これ以降ヨドバシカメラのビルへ建て替えられ、2010年11月5日に京都ヨドバシが開店。
    • 9月9日 - HOOP南側にand開業。
  • 2009年(平成21年)
    • 3月1日 - (株)中部近鉄百貨店(持分法適用会社)と(株)和歌山近鉄百貨店(近畿日本鉄道完全子会社=兄弟会社に相当)を吸収合併し、四日市、名古屋、草津、和歌山の4店舗を直営化。
    • 3月19日 - 阿倍野本店の本館西側(旧館)部分を建て替えのため閉鎖。翌3月20日より、本館の東側(1988年に増床した新館(現:ウイング館))部分のみでの営業を開始(2014年の建て替え完成(あべのハルカス開業)まで)。
    • 11月20日 - 大阪市住之江区咲洲(南港)のアジア太平洋トレードセンター(ATC)のITM棟に、2010年2月末までの期間限定店舗「近鉄百貨店ショップATC」を開設。
  • 2010年(平成22年)8月26日 - 上本町店の全館リニューアルが完成。同店南側に「上本町YUFURA」が開業。
  • 2011年(平成23年)8月10日 - エイチ・ツー・オーリテイリング(阪急阪神百貨店)との間で、情報システムの共同開発に関する提携を発表。
  • 2012年(平成24年)
    • 2月29日 - 枚方店を閉店。
    • 3月3日 - 旧桔梗が丘店が、直営面積縮小・業態転換により「近鉄百貨店ショップ桔梗が丘」として新装開店。
    • 3月29日 - 子会社の書籍販売業「ビッグウィル」の株式の大半をジュンク堂書店に譲渡。
  • 2013年(平成25年)
    • 6月13日 - 阿倍野本店のうち、あべのハルカス・タワー館(地上14階〜地下2階)部分が先行開業(ウイング館の一部(9階催会場など)を含む)。売場面積は57,000m2(タワー館(西側:50,000m2)とウイング館(東側:7,000m2)の合計)。同日より店名を「あべのハルカス近鉄本店」に改称。あわせて包装紙・ショッピングバッグのデザインを変更。
    • 7月16日 - 大阪証券取引所と東京証券取引所との現物株市場統合に伴い、東京証券取引所第1部に指定替え。
    • 10月10日 - あべのハルカス 近鉄本店の第2期分(ウイング館の4階の一部〜8階部分)が開業。売場面積は77,000m2(タワー館(西側:57,000m2)とウイング館(東側:20,000m2)の合計)。
  • 2014年(平成26年)
    • 2月22日 - あべのハルカス 近鉄本店が全館開業(ウイング館の地下2階〜4階の残り部分の開業)。売場面積は100,000m2(タワー館(西側:57,000m2)とウイング館(東側:43,000m2)の合計)。
    • 3月7日 - あべのハルカスがグランドオープン(オフィスフロア・大阪マリオット都ホテル・あべのハルカス美術館・ハルカス300(展望台)を含む)。
    • 9月30日 - 桃山店閉店。
  • 2018年(平成30年)
    • 3月31日 - 近鉄百貨店ショップ桔梗が丘閉店。
    • 10月 - エイチ・ツー・オーリテイリングと情報システム分野で提携解約合意書締結。
  • 2021年(令和3年)
    • 5月28日 - 上本町店と橿原店を百貨店事業本部から商業施設や専門店中心の百貨店を運営する商業開発本部に移管する。
    • 9月16日 -大阪・関西万博関連グッズを近鉄百貨店インターネットショップ・あべのハルカス近鉄本店で販売開始。10月6日からは上本町店、奈良店、橿原店、和歌山店、四日市店でも販売し、2022年6月ごろまで販売予定

現在の営業店舗[編集]

大阪府、奈良県、三重県、愛知県と近鉄沿線の関西圏を中心に、沿線外の和歌山県に和歌山店、滋賀県に草津店をそれぞれ出店している。

あべのハルカス近鉄本店[編集]

当百貨店の本店であり、圧倒的な主力店舗となっている。高さ日本一の高層ビル「あべのハルカス」の低層階を占めるタワー館57,000 m2と、1988年に増床した部分を改装した東側のウイング館43,000 m2で構成され、売場面積も100,000 m2と百貨店では日本最大となる。それを活かし、ファッションや高級品にとどまらないフルラインナップ、そして客層を一部の年代・性別に絞らないフルターゲットの百貨店を目指しているのが特徴である。

以前は近鉄百貨店阿倍野店、まれに近鉄百貨店阿倍野本店と呼ばれていたが、2013年(平成25年)6月13日から「タワー館(あべのハルカスの低層階(西側)部分(地上14階 - 地下2階))」の先行開業(第1期分オープン)現在の名称に統一された。

上本町店[編集]

歴史[編集]

大阪電気軌道(大軌)の駅ビル・本社ビル「大軌ビル」が大正時代に建設された際、直営百貨店を開く構想があったが実現せず、外部テナントとして「三笠屋百貨店」を誘致した。三笠屋は一説によると阪急うめだ本店よりも先にできたターミナルデパートともいわれるが、実態は少し大きな商店に過ぎなかった。

このため、本社ビル中心に使うのではもったいないという声が上がり、ビルを改装して百貨店を開くことになった。そして、大軌直営の「大軌百貨店」を開いた。

第二次世界大戦中の大阪大空襲で阿倍野店が天王寺付近で唯一燃えたのに対し、上本町店は周囲で唯一燃え残ったため、百貨店と近鉄本社はこちらで業務を行うことになった。

現況[編集]

近鉄難波駅(現在の大阪難波駅)まで難波線が延伸するなど環境の変化もあり、現在は文教地区に立地する商業施設として性格を変えつつある。訪日客が多く、年間売上高1000億円を超える本店に対し、上本町店は地元客が多い売上高240億円強(2018年度)の中型店である。Osaka Metro谷町線で本店まではたった2駅であるが、大阪市内の百貨店としては足元商圏の顧客や50歳代以上の顧客が多く、本店とはターゲット層が異なるのが特徴である。

近年は高層マンションが近隣に立ち並び、30~40歳代の住民が増加している。そのため、既存の比較的高齢な客に限らず、新規顧客を取り込むため、幾度かの改装を繰り返している。 2016年春には約2億6千万円をかけて、子供服売場、スポーツ用品売場、婦人洋品売場について大型専門店を新規導入するほか、地下2階に富澤商店やゴディバを入居させるなどデパ地下の強化も実施。大規模なリニューアル効果もあり、売上高は2017年6月より9か月連続で前年を上回って推移した。2018年度も引き続き改装を実施し、特に次世代顧客の取り込みを目的に専門店(「ニトリ」の小型店舗「ニトリEXPRESS」)の導入や食料品売場の改装を実施するなど店舗のリニューアルが続けられている。2023年(令和5年)4月26日、「プラグスマーケット」が当店にも導入された。

2021年5月28日の組織改正では橿原店とともに「百貨店事業本部」から「商業開発本部」に移管され、ローコストな専門店中心の運営体制へのシフトを図る。

また、親会社の近鉄グループホールディングスでは将来的には周囲も含めた再開発も検討している。

奈良店[編集]

  • 奈良市西大寺東町、大和西大寺駅前、ならファミリー内 売場面積30,289 m2

橿原店[編集]

橿原市の代表駅であり、最も利用客の多い大和八木駅の駅前に1986年(昭和61年)4月25日開業した。大和八木駅の北口から地下通路で当店の地下1階(デパ地下)へ連絡している。

開業時は京阪百貨店守口店(1985年10月12日開業)や西武百貨店つかしん店(1985年9月27日 - 2004年5月9日、現在のグンゼタウンセンター つかしん)と並んで、都心への消費流出に挑戦する郊外型百貨店として業界の注目を受けていた。また、奈良店が大規模増床前で奈良そごう(現在のミ・ナーラ)も開業していなかったため、奈良県内で営業面積・売上高ともに最大の百貨店であった。

2021年5月28日の組織改正では上本町店とともに「百貨店事業本部」から「商業開発本部」に移管され、ローコストな専門店中心の運営体制へのシフトを図る。当店と上本町店は「百貨店+専門店」混合型の店舗構成を目指す。

生駒店[編集]

  • 生駒市谷田町、生駒駅前 売場面積18,000 m2
  • 商業開発本部が運営し、専門店を多数導入している。

東大阪店[編集]

東大阪市の中心駅である布施駅の高架下で1階の1フロアのみ展開している。以前は全館直営であったが、2007年(平成15年)6月に専門店を多数導入して、アパレルショップやドラッグストアなどが入居する「カジュアル・スポット Fusse(フッセ)」を設けたため、食品・ギフトセンター・商品券売場のみが直営売場となった。

2019年(平成31年)3月7日には2007年6月以来11年ぶりに改装して、リフレッシュオープンした。食品売場には新たに3ショップが登場。10ショップがリフレッシュオープンし、人気のスイーツショップや日常の買い物に便利な売場を充実させた。また、照明をLED電球に更新し、明るく買い物しやすい店に生まれ変わっている。当店は商業開発本部が運営しており、専門店の導入を積極的に行っている。

なお、宝塚阪急など大阪府と兵庫県には同様に鉄道駅の高架下に1~2フロアで入居する百貨店が存在する。その中では当店が最も先に開業しており、ほかの店舗はすべて平成期の開業である。

和歌山店[編集]

  • 和歌山県和歌山市友田町、JR和歌山駅前 和歌山ターミナルビル 売場面積32,400 m2
    2009年2月28日まで、旧和歌山近鉄百貨店の店舗だった。大丸、丸正、高島屋といったライバル百貨店が次々撤退し、現在は和歌山県内唯一の百貨店となっている。県内の岩出市にギフトショップ「ショップ岩出」を営業。

四日市店[編集]

  • 三重県四日市市諏訪栄町、近鉄四日市駅ビル 売場面積32,016 m2。県都・津の津松菱を上回り、三重県内最大の規模を誇る百貨店。2009年2月28日まで、中部近鉄百貨店の中心的店舗でもあった。

草津店[編集]

1997年(平成9年)9月に滋賀県草津市のJR草津駅前へ開業した。

京都店と岐阜店の間に立地することを理由として、京都近鉄百貨店(旧・丸物)が出店予定だったが、近鉄百貨店・近鉄不動産も出資する草津近鉄百貨店による運営となった。開業後も京都近鉄百貨店と連携を図り、京都店・岐阜店とは合同で社員研修を行うなど密接な関係にあった。草津近鉄百貨店はいったん中部近鉄百貨店との合併を経て、2009年(平成21年)3月1日 に近鉄百貨店の直営店となっている。

商業開発本部が運営して「成城石井」などのフランチャイズ方式での展開、「TSUTAYA BOOKSTORE」などの専門店の導入を積極的に行うほか、ハンズや滋賀県との連携で地域共創型百貨店を目指している。 県内のショッピングモールや京都市内の百貨店との競合は厳しいものの、県内で2番目に乗降客が多い草津駅前に立地することもあり、西武大津店よりも売上は多かった。そして、西武大津店は2020年8月31日に閉店したため、当店が滋賀県内唯一の百貨店となっている。

名古屋店(近鉄パッセ)[編集]

  • 愛知県名古屋市中村区名駅、近鉄名古屋駅ビル 売場面積8,929 m2
    旧・近鉄東海ストアで、2009年2月28日までは旧中部近鉄百貨店の店舗だった。1999年から若年層向け専門店ビル「近鉄パッセ」として営業しており、商業開発本部の管轄。

商業施設[編集]

商業開発本部が運営を行う。詳細は各個別項目を参考。

  • Hoop(近鉄百貨店阿倍野本店別館): 大阪市阿倍野区阿倍野筋 営業面積14,825m2 あべのハルカス近鉄本店南側
  • and(近鉄百貨店阿倍野本店新館): 大阪市阿倍野区阿倍野筋 営業面積14,000m2 Hoop南側
  • 上本町YUFURA:大阪市天王寺区上本町 営業面積8,275m2 上本町店南側(旧近鉄劇場)


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