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近藤真彦

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近藤 真彦(こんどう まさひこ、1964年〈昭和39年〉7月19日 - )は、日本の歌手、俳優、実業家、レーサー、タレント。KONDO Racing Team監督、エムケイカンパニー(同チームの管理会社)代表取締役社長。2023年4月より、スーパーフォーミュラ等を運営する日本レースプロモーション(JRP)取締役会長を務める。かつてジャニーズ事務所に所属しており、男性アイドルグループ・たのきんトリオの元メンバーである。愛称はマッチ(MATCHY、名付け親はジャニーズ事務所時代の先輩・松原秀樹)。

神奈川県大和市出身。所属レコード会社はSony Records。血液型O型。既婚。

略歴[編集]

1979年10月、TBSのテレビドラマ『3年B組金八先生』の生徒「星野清」役でデビュー。同じく生徒役だった田原俊彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」として活躍。

その後、1980年12月12日に「スニーカーぶる〜す」でソロ歌手としてデビュー。1980年代を代表する男性アイドルとして、『ザ・ベストテン』や『ザ・トップテン』などの歌番組を中心に活躍した。1981年、1983年のブロマイド年間売上成績で第1位を獲得。また、1982年には『ゴールデンアイドル賞』を受賞。1987年の『第29回日本レコード大賞』において「愚か者」で大賞を受賞した。代表曲として『スニーカーぶる~す』、『ギンギラギンにさりげなく』、『愚か者』などがある。

また、ファンによる数々の“親衛隊”も誕生(事務所では「応援グループ」という呼び名で統一。親衛隊という言い方はさせなかった)。ステージ用の応援コールとして「G・U・T・Sこんどーまさひこアダルトタッチのセクシーボーイ ま〜っさひ〜こ〜」というフレーズも作られた。男性アイドルとしては珍しく、同年代の男性ファンも多く獲得、歌手活動と並行してテレビドラマや映画などで俳優としても活躍した。

2005年末にデビュー25周年を迎え、ソロとしては7年7か月ぶりに新曲「挑戦者」をリリース(楽曲提供ロクセンチ)し、ディナーショーも開催。歌手としては約7年ぶりにファンの前に姿を現した(鹿児島、東京公演では少年隊がゲスト出演)。同年以降のジャニーズ年越しライブにもスペシャルゲストとして参加している。

2006年9月1日放送のテレビドラマ『内田康夫旅情サスペンス 岡部警部シリーズ〜倉敷殺人事件〜』では『ドンウォリー!』以来のドラマ主演を務め、2007年8月31日に第2弾として『多摩湖畔殺人事件』、2008年9月5日に第3弾として『十三の墓標』が放送された。

2007年5月9日に発売されたライブDVDについては、映像作品では1987年3月30日付にビデオ『OH! ROCK'A MONO』で獲得して以来、20年2か月ぶりの1位獲得となった。

2010年11月20日、『第52回日本レコード大賞』の最優秀歌唱賞に選ばれ、自筆のコメントを発表した。

2011年、『3年B組金八先生ファイナル』にて『3年B組金八先生』スペシャル9以来13年ぶりに「星野清」役として出演。

2020年11月16日、不倫疑惑が報じられたことに伴い、ジャニーズ事務所は、無期限の芸能活動自粛処分とした。

2021年4月30日、ジャニーズ事務所の公式サイトにて、同日をもって事務所を退所することが発表された。

2021年7月19日、Twitterで11月2日に中野サンプラザホールでコンサート「Masahiko Kondo ReSTART 20+21+1×1-2」を開催することを発表した。

2021年8月18日、同月14日に亡くなり、世話になった藤島メリー泰子にお悔やみのコメントを発表した。

2021年9月7日放送の文化放送のラジオ番組「松井佐祐里“new nomal”の小部屋」に出演することが発表され、芸能界に復帰。

ジャニーズ事務所 退所[編集]

2021年4月中旬に、近藤から事務所に4月いっぱいでの退所の希望を申し出た。事務所の幹部は本人の意思を尊重し、4月30日付での退所となった。芸能リポーターの駒井千佳子は、2021年5月3日に出演したテレビ番組『情報ライブ ミヤネ屋』内で、「近藤が退所の希望を出したのは4月中旬で、わずか半月後となる4月いっぱいで事務所を辞めさせて欲しいと申し入れた。ジャニーズ事務所の幹部の方も非常に驚かれたようだが、本人の意思も強かったということで尊重し、4月いっぱいで退所ということになった。」と報告した。

その後2021年5月16日に自身が監督を務めるレーシングチームの監督業に復帰。その際に退所に関して「(ファンには)申し訳ないことをしたので皆さんが笑顔になれる活動をしたい。一から出直す気持ちで頑張る」、ジャニーズ事務所の後輩達へは「本当にできの悪い長男でした。もう少し後輩にも頼られるような先輩でいたかった」とインタビューに答えた。なお、以後は芸能活動のマネジメントについても、レーシングチームの運営母体であるエムケイカンパニーが取り扱っている。

また、2021年9月7日に放送されたラジオ番組、文化放送『松井佐祐里“new normal”の小部屋』の番組内で、復帰後初のレギュラー新番組『近藤真彦 RADIO GARAGE』が9月28日よりスタートする旨の発表と同時に、退所についてのコメントが発表された。近藤は不祥事についての謝罪と共にジャニーズ事務所を退所したことを改めて報告。44年間世話になった事務所から巣立つ決断に至ったのは、不祥事が原因であることを認めると共に、あと数年で60代となり思い余るものもあり、芸能生活と共にレース活動は本業であるが故にスケジュール調整などでスタッフに苦労をかけてきたこと、世代交代の激しいジャニーズ事務所の中において仕事をし続けることの難しさを痛感し、「これ以上ジャニーズ事務所に迷惑をかけられない」と自分の想いを打ち明け、何度も話し合いを重ねた上での退所となった事を報告した。

なお、この件について、ジャニーズ事務所では近藤の次の年長者であった東山紀之からは、「僕自身は、今回の退所の仕方に大きな疑問が残っている」、「コメントがすごく薄っぺらく感じる」と、近藤への苦言ともとれるコメントがあった。尚、近藤はレーシングチームの監督業に復帰のインタビューで「(東山とは)話はしていない」と答えた。

レース活動[編集]

ドライバーとして1984年に富士フレッシュマンレース第2戦に日産・マーチで参戦(フレッシュマンレースとして異例の35,400人の観客を動員)したのを皮切りに、「日本一速い男」の称号を持つレーサーの星野一義のもとでレース活動を始め、1988年から1993年にかけては全日本F3選手権に参戦した。

1994年には世界三大レースの一つであるル・マン24時間レースにポルシェ・962Cで初参戦を果たした。またこの年、全日本GT選手権(JGTC)のGT1クラスにも962Cでアンソニー・レイドとのコンビで参戦し、初優勝をポール・トゥ・ウィンで飾った。この勝利は962Cがビッグレースで記録した最後の勝利でもあった。1995年にもポルシェ・911を駆りGT1クラスで優勝し、その後もGT500やGT300クラスにおいて数々の入賞を獲得した。

以降も全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポンなどの全日本格式の最高峰カテゴリーに参加し、入賞を獲得するとともに、ル・マン24時間レースにも引き続き参戦した。特に完走率の高さには定評があり、1995年ル・マンでは雨に祟られて荒れるレース展開の中、マクラーレン・F1やフェラーリ・F40等が跋扈する同じGT1クラスに日産・GT-R LMで総合10位という殊勲を遂げている。また翌年には同じように雨の中のレースでフォーミュラ・ニッポンで入賞している。

2003年をもって、監督業に専念するためにレーシングドライバーとしての活動を中止したが、その後も「ラ・フェスタ・ミッレミリア」などのクラシックカーラリーに参戦している。

ドライバー時代から日産とADVAN(横浜ゴム)と深い関わりを持っており、これは監督業に転向しても続いている。

オーナー兼監督として[編集]

1998年に、当時所属していた「チームTMS」の協力により、若手ドライバー育成を目的に「KONDO MASAHIKO RACING PROJECT」を設立して全日本F3選手権に1年間監督として参戦し、レーシングチームの運営ノウハウを学んだ。そして2000年に自らのレーシングチーム「KONDO Racing Team」を設立し、フォーミュラ・ニッポンへの参戦を開始し、2006年に日産勢としてSUPER GTのGT500クラスへの参戦も開始した。

2007年にはSUPER GT第4戦(マレーシア・セパン)にて、KONDO Racing Teamとしての初優勝を飾った。2008年も第4戦(セパン)で優勝し連覇を達成したのに続き、フォーミュラ・ニッポン第7戦(富士)でも8年目にして初優勝を達成した。

2009年は世界的な景気後退の影響を受けてフォーミュラ・ニッポンへの参戦は休止するが、SUPER GTには引き続き参戦した。第1戦(岡山国際サーキット)にて、豪雨を制し国内初優勝を飾った。2010年もSUPER GT第1戦(鈴鹿)で優勝し、開幕戦2連覇を達成した。フォーミュラ・ニッポンには第5戦から松田次生を擁して復帰し、その後同選手権が「スーパーフォーミュラ」に改称された後も参戦。

また2012年からKONDOレーシングは、育成の一環として日産自動車大学校とジョイントし、スーパー耐久のST-Xクラスにも参戦を開始。2016年にチャンピオンになった。

2015年SUPER GT第4戦(富士)では、5年ぶりとなる優勝を飾った。2016年は、タイヤ無交換の奇襲を2度成功し、双方で勝利を挙げた他、2018年にはスーパーフォーミュラのチーム部門でチャンピオンに輝き、2020年と2022年はSUPER GTのGT300でも年間チャンピオンを獲得(ドライバーは藤波清斗とジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ)するなど、いちアイドルを超えて他チームの監督やファンも認める一人前の監督に成長した。

2023年4月、中嶋悟の後任として、日本レースプロモーション(JRP)の取締役会長に就任。

なお公式ホームページには、肖像権がタレント活動とは別に管理されているためか、ジャニーズ事務所在籍中から近藤の顔写真が掲載されていた。

レース界での交友関係[編集]

30年を超える長いレース経験や、全日本格式のレースにおける複数回の優勝など、プロのレーシングドライバーに伍する成績を上げていることから、国内外のレース界では「歌手」ではなく、「元ドライバーのレース監督」として認識されており、レース界での広い交友関係を生かし、2006年から東京都のお台場で行われているモータースポーツジャパンでは、イベント全体のスーパーバイザーを務めている。

F1中継[編集]

フジテレビのF1中継(F1グランプリ)に1989年日本グランプリでピットレポーターとして初登場。その後、2003年から2011年までの地上波でF1中継のレギュラー解説者を務めた(2012年からは日本GPのBS中継のみ出演)。

トライアスロン・トレイルランニング大会[編集]

  • 2009年9月6日開催の第21回佐渡国際トライアスロン大会、Bタイプ(水泳2km・自転車105km・マラソン20km)に出場。自転車で転倒、右肩甲骨骨折したが完走。7時間13分9秒、順位は、Bタイプ完走者661人中389位。
  • 2010年4月18日開催の第26回全日本トライアスロン宮古島大会に参加し、13時間20分0秒で完走を果たした。
  • 2013年3月10日開催の第1回IZU TRAIL Journey 2013(和文表記:伊豆トレイルジャーニー2013伊豆松崎・修善寺間山岳競争大会)に参加し、12時間55分09秒で完走(順位は男子総合部門完走者1,004人中810位)を果たした。

人物[編集]

  • 自身のジャニーズ入りのきっかけは13歳の頃、出身地で所属していた少年野球チームの監督の娘がチーム全員の集合写真をジャニーズ事務所へ送付した際に、社長のジャニー喜多川がその写真の中から近藤真彦の顔に○印を付け、チーム監督の娘のところに電話をかけて近藤をスカウトしたことによるものである。
  • 1987年の日本レコード大賞受賞の際に、前年に事故死した母親の遺骨が墓から盗まれ、返してほしければ受賞を辞退するよう脅迫される事件が起きた。マスコミに発表したのは翌1988年の年初で、その遺骨は現在も近藤の元に返ってきていない(2021年時点)。2010年3月26日に放送された『中居正広の金曜日のスマたちへ』の「波瀾万丈スペシャル」では遺骨盗難事件などについて語り、19.9%の視聴率(瞬間最高は29.8%)を記録した。
  • 1988年10月22日・23日、全日本F3選手権デビュー戦となった第9戦・西日本では交通の便が非常に悪い立地(当時最寄りのインターチェンジから一般道で1時間以上かかっていた)にもかかわらず、2日間で30,000人の観客を動員した(結果は予選落ち)。
  • 1989年2月、当時神田正輝と結婚していた松田聖子とのニューヨークでの密会キス写真を写真週刊誌に掲載された(実際はキスシーンと断定できる写真はなく、松田は記者会見の場で2人きりでの密会を否定している)。
  • 1989年7月11日、近藤の自宅マンションで当時交際をしていた中森明菜が手首を切る自殺未遂事件を起こした。中森は一命を取り留め、中森が復帰するまでの間、近藤も活動を自粛していた。同年12月31日に中森が復帰会見を行う際、当初は出席の予定がなかった近藤も同席。
  • 1994年に一般人女性と結婚。その後、2007年10月8日に第一子となる男児が誕生。
  • 2004年8月4日の午前和歌山県白浜町の白良浜沖でゴムボートから転落して溺れていた当時小学2年生の男児を近藤が水上バイクで近づいて「大丈夫だ、お兄ちゃん(=近藤)が助けてやる」と海に飛び込み救助。近藤は名前も言わずその場を去ったが、少年の父親は後で救助してくれた人物が近藤だったことを知った。この事故を伝える朝日新聞記事の見出しは、自身の歌のタイトル(ギンギラギンにさりげなく)を拝借した「人命救助さりげなく」であった。
  • 2010年、NHK教育テレビ『いないいないばあっ!』むけに「GOGO☆パンダ!」を作曲した。
  • 「マッチ」の名付け親は松原秀樹。近藤は「僕が丸刈りで顔が小さくてひょろひょろだったから『マッチ棒』って呼ばれてたんです。『棒』がとれてよかったですよ」と当時を振り返った。
  • 趣味は自転車・ミニカー収集。また無類のメダカ好きでもある。
  • 自称「日本一の雨男」。特に花火大会を観に行こうとするとなぜか雨天中止になることが多いという。2010年8月に神宮外苑花火大会に出演した際も上空に雲が立ち込め開催が危ぶまれたほど(ただし雨は降らず、大会は無事開催された)。2010年10月のF1日本グランプリの解説を務めるため、鈴鹿サーキットに赴いたが、豪雨によってレースの予選が中止になるというハプニングに遭遇した(この時『すぽると!』の取材で現場にいた国分太一を「雨男」と言ったが、すぐに自分のことを「雨男」と訂正して周囲の笑いを誘った)。
  • 1994年におりも政夫と田原俊彦が事務所を退所して以降、2021年4月30日に退所するまでジャニーズ最年長の地位を約27年にわたり維持していた。ジャニーズ事務所退所時点での年齢は56歳285日で、東山紀之が2023年7月13日に記録を更新するまで、ジャニーズ事務所所属のタレントの最高齢記録保持者でもあった。
  • ジャニーズの後輩達に関しては、「本来は同じ芸能界で活動するライバルなので厳しくしなければならないが、自分が一番の年長者で歳も離れているので、慕ってくればつい優しくしてしまう」と発言している。なお、親しい間柄の後輩は東山紀之、木村拓哉、堂本光一と雑誌で語った。東山や光一はマッチの曲(「アンダルシアに憧れて」など)を踊り付きでカヴァーすることがよくある。
  • ジャニーズのタレントでは珍しく『NHK歌謡コンサート』や『NHKのど自慢』への出演経験がある。『NHKのど自慢』の出演は1997年4月13日に石川県川北町の放送で出演した後、2010年11月21日の放送(開催地は愛媛県松山市)で13年ぶりに出演した。
  • 坂上忍とは『ニッポン親不孝物語』で共演して、演技上で近藤がうっかり坂上に本気で平手打ちしてしまい、謝罪しない近藤に対して怒った坂上がそのまま帰った逸話がある。
  • 黒柳徹子とはプライベートで月に1度は会い、10代の頃から徹子の部屋に出演し、2017年11月23日まで17回出演している。
  • 『関口宏の東京フレンドパークII』のデリソバデラックスで一度も障害物に当たらずクリアしたことがある。
  • 2018年1月6日に放送された『MUSIC FAIR』で「テレビ番組の司会がやりたい」との目標があることを明かした。また、同番組内でこれまで近藤のものまねをする者が「マッチでーす」とよく言っていたが、近藤自身は1度も言ったことはなく、『オレたちひょうきん族』の「ひょうきんベストテン」で片岡鶴太郎が近藤のものまねをした際に言ったことから、そのインパクトの強さで広まったと真相を語っている。
  • 2020年2月29日に朋友・野村義男がリリースしたアルバム「440Hz with〈LIFE OF JOY〉」の11曲目『ありがとう』にドラマーとして参加。同曲のコーラスには世良公則なども参加している。
  • 2023年5月17日、長年悩んでいた頸椎症性脊髄症に対して社会医療法人財団仁医会牧田総合病院で手術を受けて退院した。

作品[編集]

シングル[編集]

  • レコード・CDレーベルは「永遠に秘密さ」までがRVC(後のアリオラジャパン)で、「ヨイショッ!」からがCBS・ソニー(後のソニー・ミュージックレコーズ)。
# 発売日 タイトル 最高順位 備考
RVC(アリオラジャパン)
1 1980年12月12日 スニーカーぶる〜す 1位 1981年度年間3位
2 1981年3月12日 ヨコハマ・チーク 2位 1981年度年間20位
3 1981年6月12日 ブルージーンズ メモリー 1位 1981年度年間11位
4 1981年9月30日 ギンギラギンにさりげなく 1981年度年間21位

第23回日本レコード大賞最優秀新人賞受賞、第32回・第66回NHK紅白歌合戦出場曲

5 1982年1月7日 情熱☆熱風☽せれなーで 1982年度年間9位
6 1982年3月31日 ふられてBANZAI 1982年度年間10位
7 1982年6月30日 ハイティーン・ブギ 1982年度年間7位
8 1982年9月30日 ホレたぜ!乾杯 1982年度年間26位

第33回NHK紅白歌合戦出場曲

9 1983年1月20日 ミッドナイト・ステーション 1983年度年間23位
10 1983年4月27日 真夏の一秒 1983年度年間29位
11 1983年7月15日 ためいきロ・カ・ビ・リー 1983年度年間34位

第34回NHK紅白歌合戦出場曲

12 1983年11月1日 ロイヤル・ストレート・フラッシュ
13 1984年3月1日 一番野郎 1984年度年間33位
14 1984年6月6日 ケジメなさい 1984年度年間26位

第35回NHK紅白歌合戦出場曲

15 1984年9月13日 永遠に秘密さ 1984年度年間49位
16 1985年2月13日 ヨイショッ! 1位 第36回NHK紅白歌合戦出場曲
17 1985年6月5日 夢絆 2位 第11回日本テレビ音楽祭グランプリ受賞
18 1985年10月21日 大将 6位 第16回日本歌謡大賞受賞
19 1986年2月26日 純情物語 6位
20 1986年7月4日 青春 7位 第37回NHK紅白歌合戦出場曲
21 1986年9月10日 Baby Rose 6位 織田哲郎の曲をカヴァー
22 1987年1月1日 愚か者 2位 1987年度年間35位

第29回日本レコード大賞受賞 第38回NHK紅白歌合戦出場曲

23 1987年6月11日 さすらい 4位 第13回日本テレビ音楽祭グランプリ受賞
24 1987年9月18日 泣いてみりゃいいじゃん 1位 第18回日本歌謡大賞受賞
25 1988年4月8日 Made in Japan 3位
26 1988年9月14日 あぁ、グッと 4位 第39回NHK紅白歌合戦出場曲
27 1989年2月3日 夕焼けの歌 7位
28 1989年6月1日 Just For You 11位 『ザ・ベストテン』で10位以内にランクインした最後の曲(1989年6月15日放送回:第8位)
29 1989年7月5日 いいかげん 11位
30 1989年11月10日 アンダルシアに憧れて 9位
31 1990年4月8日 気ままにWALKIN' 15位
32 1990年5月5日 気ままにWALKIN'-One Step At A Time- 35位
33 1990年7月12日 Ho Ho Ho… 16位
34 1990年10月24日 好き 18位
35 1991年7月19日 デスペラード -ならず者- 31位
36 1991年12月12日 無頼派 40位
37 1992年5月21日 少年のこころ 40位
38 1993年11月21日 北街角 41位
39 1995年7月21日 最後のラヴ・ソング 81位
40 1996年2月21日 ミッドナイト・シャッフル 4位 1996年度年間34位

第47回NHK紅白歌合戦出場曲

41 1997年2月21日 愛はひとつ 22位
42 1998年5月20日 KING and QUEEN 29位
43 2002年5月22日 ヨイショ!'02 〜日本の皆さんホメていきまショー〜 19位 MATCHY with O.A.I」名義

「ヨイショッ!」 のセルフカヴァー(鈴木おさむによって詞が大幅にリライトされている)。稲垣吾郎・浅野ゆう子・小林稔侍・矢田亜希子・市川染五郎(現十代目松本幸四郎)・畑野浩子とともに "MATCHY with O.A.I" として歌唱

44 2005年12月14日 挑戦者 15位
45 2007年1月24日 上海慕情/情熱ナミダ 28位
46 2008年1月23日 目覚めろ!野性 5位 MATCHY with QUESTION?」名義

Question?とのコラボバンドユニットとして発売

47 2008年12月23日 BANKA 〜男たちの挽歌〜 21位
48 2009年12月13日 -MOTTO- 28位
49 2010年2月22日 ざんばら 15位 第52回日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞
50 2012年11月21日 Let's Go! 21位
51 2014年2月26日 千年恋慕 22位
52 2015年12月9日 大人の流儀 15位
53 2017年12月3日 軌跡 35位

その他シングル[編集]

  1. 夢絆(1985年12月1日)12インチ
  2. 1987 LIVE SINGLES(1987年12月9日)12インチ
    • 1987年に発売された3曲のシングル「愚か者」「泣いてみりゃいいじゃん」「さすらい」を一発録りのライヴ・レコーディング形式で収録。
    • ジャニーズ事務所内公式ディスコグラフィーでは「アルバム」、オリコンチャートは「愚か者(12インチ)」表記でシングル扱い。

アルバム[編集]

オリジナル・アルバム[編集]

# 発売日 タイトル 最高順位
RVC(アリオラジャパン)
1 1981年3月5日 Thank 愛 You 1位
2 1981年12月16日 ギンギラギンにさりげなく
3 1982年7月18日 BANZAI 2位
4 1983年4月1日 RISING
5 1984年1月1日 WINNING
6 1984年8月1日 Shining
CBS・ソニー(Sony Records)
7 1985年8月1日 SUMMER IN TEARS
8 1986年4月10日 名場面
9 1986年12月12日 DREAM
10 1987年11月26日 FOR YOU 抱擁
11 1988年11月2日 Japan
12 1989年7月19日 夏のエアメール
13 1989年12月12日 KICKS
14 1990年11月10日 うそのない言葉 〜THE TRUTH〜
15 1991年12月21日 無頼派
16 1992年12月12日 綺麗 KI・RE・I
17 1993年12月12日 北街角
18 1997年7月1日 GET BACK

ミニ・アルバム[編集][編集]

発売日 タイトル 収録曲 最高位
1 1981年7月19日 17バースデー 6
2 1988年7月1日 SUMMER COLLECTION CBS・ソニー創立20周年企画として8センチCDで発売。過去4作のスタジオ・アルバムから1曲ずつ選曲。
  1. SUMMER IN TEARS
  2. 渚にて
  3. MOON & STAR CHILD
  4. 名もない恋人

ベスト・アルバム[編集]

# 発売日 タイトル 最高順位
1 1985年4月4日 THE MATCHY best song for you 2位
2 1987年6月4日 近藤真彦THE BEST
3 1990年12月12日 By Your Request
4 1996年11月21日 THE ROCK BEST
5 2006年2月8日 MATCHY★BEST 15位
6 2007年2月7日 MATCHY★BEST II 34位

セルフカバー・アルバム[編集]

  1. 三十五周年 近藤真彦×伊集院静=二十四曲(2015年7月19日発売)

ライブ・アルバム[編集]

  1. LIVE 10th Anniversary' 90(1990年7月19日)

サウンドトラック[編集]

  1. ブルージーンズ メモリー(1981年9月5日)
  2. 嵐を呼ぶ男(1983年8月4日)

BOXセット[編集]

  1. マッチ箱 〜25th Anniversary Complete Singles Edition〜(2006年1月1日)
  2. マッチにタッチ〈タッチ式サウンドペン〉(2016年7月19日)

トリビュート・アルバム[編集]

  1. MATCHY TRIBUTE 25th anniversary(2006年1月25日)
    1. ケジメなさい - 綾小路翔 loves DJ OZMA & XARAZOO
    2. 情熱☆熱風☽せれなーで - Low-Cuts(SHUN+SHUYA from SBK) feat. Lori Fine(COLDFEET) and GAKU-MC
    3. 夕焼けの歌 - 松岡充(SOPHIA)
    4. ブルージーンズ メモリー - 玉置成実
    5. アンダルシアに憧れて - アンダルシアユニット (東山紀之・赤坂晃・堂本光一・今井翼)
    6. ミッドナイト・シャッフル - 高橋瞳
    7. スニーカーぶる〜す - Scoobie Do
    8. 愚か者 - ヘビメタサンダーズ (マーティ・フリードマン・ROLLY・鮎貝健)
    9. ハイティーン・ブギ - PUFFY
    10. ギンギラギンにさりげなく - グループ魂

映像作品[編集]

# 発売日 タイトル 備考
日本ビクター
1 1984年6月15日 近藤真彦 武道館 同年3月29日に日本武道館で行われたコンサートを収録。
2 1984年7月21日 近藤真彦 武道館 2
3 1985年3月4日 近藤真彦 1985 1月13日に東京・NHKホールで行われたコンサートを収録。
CBS・ソニー(Sony Records)
4 1986年6月1日 ON THE ROAD ~ フロリダ物語
5 1987年7月19日 OH! ROCK'A MONO
6 1987年11月28日 OH! ROCK'A MONO DIGEST
7 1989年11月26日 近藤真彦 LIVE'89
8 1990年10月21日 MASAHIKO KONDO 10TH ANNIVERSARY 1990 MK-1 MATCHY YAON 収録年月:1990年7月21・22日,日比谷野外音楽堂
9 1990年11月21日 MASAHIKO KONDO 10TH ANNIVERSARY 1990 MK-2 MATCHY YAON P.S. I Love You.
10 1990年12月21日 MASAHIKO KONDO 10TH ANNIVERSARY 1990 MK-3 PRESENT
11 1992年3月25日 BuLai '92 収録年月:1992年1月7・8日 中野サンプラザ
12 1993年4月21日 KI・RE・I〜LIFE&LIVES〜 収録年月:1993年1月7・8日 中野サンプラザ
13 1996年11月21日 Midnight Shuffle 収録年月:1996年7月30・31日 中野サンプラザ
14 2007年5月9日 '07 Valentine's Day in 武道館 2枚組
15 2008年7月19日 近藤真彦ライブ 07.12.26-08.02.14

タイアップ[編集]

近藤真彦
曲名 タイアップ
スニーカーぶる〜す 映画『青春グラフィティ スニーカーぶる〜す』主題歌
ブルージーンズメモリー 映画『ブルージーンズメモリー BLUE JEANS MEMORY』主題歌
ギンギラギンにさりげなく CM:ハウス食品「ククレカレー」
恋のNON STOPツーリング・ロード CM:ハウス食品「ロッカッキー」
ハイティーン・ブギ 映画『ハイティーン・ブギ』主題歌
MOMOKO 映画『ハイティーン・ブギ』挿入歌
ためいきロ・カ・ビ・リー 映画『嵐を呼ぶ男』主題歌

CM:ハウス食品「ククレカレー」

北街角 CM:ハウス食品「うまいっしょ」
ミッドナイト・シャッフル 日本テレビ系ドラマ『銀狼怪奇ファイル』オープニングテーマ
愛はひとつ TBS系ドラマ『ストーカー・誘う女』主題歌
KING and QUEEN フジテレビ系ドラマ『ドンウォリー!』主題歌
挑戦者 フジテレビ系『金曜エンタテイメント』オープニングテーマ

舞台『DREAM BOYS』テーマソング

上海慕情 TBS系『Goro's Bar』テーマソング
-MOTTO- CM:H.I.S.30周年イメージソング
Let's Go! テレビ東京系アニメ『超速変形ジャイロゼッター』オープニングテーマ
千年恋慕 NHK時代劇『鼠、江戸を疾る』主題歌

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

  • 3年B組金八先生シリーズ(TBS) - 星野清 役
    • 第1シリーズ(1979年10月26日 - 1980年3月28日)
    • 第2シリーズ第13話「同窓会・贈る言葉」(1980年)
    • スペシャル1「贈る言葉」(1982年)
    • スペシャル3「小さな嘘」(1984年)
    • スペシャル5「先生の暴力 生徒の暴力」(1986年)
    • 第4シリーズ第11話「十五歳の母と父(2)」(1995年)
    • スペシャル9「子供を救え! 大人達よ立ち上がれ」(1998年)
    • ファイナル〜「最後の贈る言葉」(2011年)
  • ただいま放課後(1980年5月26日 - 1981年3月23日、フジテレビ)- 主演・岡田達也 役
  • それからの武蔵(1981年1月2日、東京12チャンネル)
  • 走れ青春42.195キロ(1984年4月11日、テレビ東京)- 主演・真彦 役
  • ニッポン親不孝物語(1985年4月12日 - 7月2日、日本テレビ)- 主演・大川高志 役
  • マイフェアねーちゃん(1987年1月18日、TBS、東芝日曜劇場)
  • 螢たちの挽歌(1988年4月8日、フジテレビ)- 主演
  • 逃亡者(1988年12月10日、NHK)主演
  • 大風呂敷(1989年4月10日、テレビ東京) - 主演・後藤新平 役
  • 炎の挽歌(1989年5月12日、フジテレビ、男と女のミステリー)- 主演
  • 私のカレは三代目(1989年11月27日、TBS、月曜ドラマスペシャル)- 主演
  • ある外科医の告白(1990年11月19日、TBS、月曜ドラマスペシャル) - 主演
  • 野望の国 嵐の章(1989年10月28日 - 12月23日、日本テレビ)- 主演・湊屋舟作 役
    • 花燃える日日 青春航路(1990年2月17日 - 24日)
  • 戦艦大和(1990年、フジテレビ、終戦45年ドラマスペシャル)
  • なんだらまんだら(1991年10月16日 - 12月18日、フジテレビ) - 浜崎英雄 役
  • 世にも奇妙な物語 「急患」(1991年、フジテレビ)- 主演
  • 拝啓、男たちへ(2)会議が長くて(1992年、毎日放送、東芝日曜劇場) - 主演
  • 実録犯罪史シリーズ「弘前大学教授夫人殺し 名乗り出た真犯人」(1992年、フジテレビ、金曜ドラマシアター) - 主演
  • 夏の嵐!(1992年8月13日 - 9月24日、TBS) - 謙介 役
  • 池中玄太83キロ さよならスペシャル(1992年10月6日、日本テレビ) - 八木邦宏 役
  • おやじのヒゲ13(1992年、TBS、月曜ドラマスペシャル)
  • 家族の物語(1993年1月4日 - 4月2日、TBS、花王 愛の劇場)
  • 桃太郎侍II(1993年、テレビ朝日、春の時代劇スペシャル)
  • 三匹が斬る!シリーズ!(1993年 - 1995年、テレビ朝日)- 吉良右近 役
    • ニュー・三匹が斬る!(1993年12月23日 - 1994年6月2日)
    • 痛快・三匹が斬る!(1995年4月6日 - 8月31日)
  • 大忠臣蔵(1994年1月1日、TBS、TBS大型時代劇スペシャル) - 片岡源五右衛門 役
  • 大江戸風雲伝(1994年4月8日〜7月15日、NHK、金曜時代劇)- 主演・青山信二郎 役
  • ドンウォリー!(1998年4月14日 - 6月30日、関西テレビ)- 主演・吉岡慎太郎 役
  • ヨイショの男「第7話」(2002年5月26日、TBS) - 町田吾郎 役
  • 美空ひばり誕生物語 おでことおでこがぶつかって(2005年、TBS)- 杉山先生 役
  • エンジン(2005年、フジテレビ)スタッフ(スーパーバイザー)※最終話特別出演
  • 岡部警部シリーズ(2006年 - 2009年、フジテレビ)- 主演・岡部和夫 役
    • 倉敷殺人事件(2006年9月2日、金曜エンタテイメント)
    • 多摩湖畔殺人事件(2007年8月31日、金曜プレステージ)
    • 十三の墓標(2008年9月5日、金曜プレステージ)
    • シーラカンス殺人事件(2009年11月27日、金曜プレステージ)
  • 恋して悪魔〜ヴァンパイア☆ボーイ〜(2009年7月7日 - 9月8日、関西テレビ) - カイト(ヴァンパイア)役(特別出演)
  • トットちゃん! (2017年10月2日-12月22日、テレビ朝日 40話、43話、51話、52話) -森繁久彌 役

テレビバラエティ[編集]

  • ばらえてい テレビファソラシド(1980年 - 1981年、NHK)

ウェブバラエティ[編集]

  • HITOSHI MATSUMOTO presents ドキュメンタル(2023年、Amazonプライム・ビデオ)- シーズン12出演

テレビアニメ[編集]

  • 超速変形ジャイロゼッター(2012年10月2日 - 2013年9月24日) - 友情出演・本人 役
    • なお、本作の主題歌も歌っている。

映画[編集]

  • たのきんスーパーヒットシリーズ(1981年 - 1983年、東宝映画)
    • 第1弾・青春グラフィティ スニーカーぶる〜す(1981年2月11日公開、【監督:河崎義祐】) - 主演・金沢昌也 役
    • 第2弾・ブルージーンズ メモリー(1981年7月11日公開、【監督:河崎義祐】) - 主演・金田一真 役
    • 第3弾・グッドラックLOVE(1981年12月20日公開、【監督:河崎義祐】) - 準主演・北野徹 役
    • 第4弾・ハイティーン・ブギ(1982年8月7日公開、【監督:舛田利雄】) - 主演・藤丸翔 役
    • 第5弾・ウィーン物語 ジェミニ・YとS(1982年12月18日公開、【監督:河崎義祐】) - 準主演・柴田隼人 役
    • 第6弾・嵐を呼ぶ男(1983年8月4日公開、【監督:井上梅次】) - 主演・国分良 役
  • Love Forever(1983年8月4日公開、東宝)※友情出演
  • エル・オー・ヴィ・愛・N・G(1983年12月24日公開、東宝) - 友情出演・海童征人 役
  • 愛・旅立ち(1985年1月26日公開、東宝)- 主演・五代誠 役
  • この愛の物語(1987年9月12日公開、松竹)- 大介 役
  • 首領になった男(1991年、東映)- 小倉勇武 役
  • 極東黒社会(1993年、東映) - 江口信久 役
  • 鏡花狂恋(1993年、東北新社)- 波野隆 役
  • 川の流れのように(2000年、東宝)- 友情出演

吹き替え[編集]

  • フットルース - レン・マコーミック〈ケヴィン・ベーコン〉※フジテレビ版

舞台[編集]

  • 「森の石松」(1985年8月11日 - 8月27日、大阪新歌舞伎座) - 史上最年少座長
  • 「森の石松」再演(1986年8月3日 - 8月29日、東京・明治座)
  • 「坊ちゃん」(1987年8月3日 - 8月25日、大阪新歌舞伎座)
  • 「イダマンテ」(1988年、東京・中野サンプラザ、名古屋・中日劇場、ジェームス三木:脚本、なかにし礼:作詞、甲斐正人:音楽、市川猿之助:演出。)
  • 「イダマンテ」再演(1989年、東京・中野サンプラザ)
  • 「若親分」(1990年、大阪新歌舞伎座)
  • 「DREAM BOYS JET」(2013年、帝国劇場)特別出演

イベント[編集][編集]

  • 2012 神宮外苑花火大会(2012年8月10日、東京・国立競技場)

ラジオ[編集][編集]

  • マッチとデート(1980年10月 - 1984年9月、文化放送)
  • 日産サンデーステーション 日曜日はマッチとデート(1985年 - 1987年3月、文化放送)
  • 近藤真彦 ベストクルージングミュージック(1987年4月 - 1988年3月、文化放送)
  • 近藤真彦 出逢いから物語へ(1988年4月 - 1990年3月、文化放送)
  • 近藤真彦 SUNDAY MOTOR RADIO(1992年4月 - 1992年10月、文化放送)
  • 近藤真彦 くるまっち(2002年 - 2006年3月、文化放送)
  • 近藤真彦 くるくるマッチ箱(2006年4月 - 2020年11月、文化放送)
  • 近藤真彦 RADIO GARAGE(2021年9月28日 - 、文化放送)
  • COME ON! ROCKIN' ROAD(2016年4月 - 2020年11月、FM COCOLO)

CM[編集]

  • ハウス食品「ロッカッキー」(1980年)
    当時まだジャニーズJr.だった薬丸裕英・東山紀之・松原康行・浜中隆の4名がバックを務めた。
  • 「チョコフレークバー」
  • ハウス食品「ククレカレー」
    1981年10月からは、ジャニーズ少年隊(錦織・植草・松原の3名)が共演した。
  • 不二家 ハートチョコレート
  • 大塚製薬「シーマックス1000」
  • 松下電器産業(ナショナルブランド)「オーディオテープ」/「レコーディングステレオ jump」/「ステレオミニラジカセ ラブコール」
  • 公共広告機構(現:ACジャパン)(1988年)
  • 小西六(現:コニカミノルタ)「ピッカリコニカ・カラーハンディ」
  • 日産自動車「マーチ」(初代K10型・1982年 - 1991年)
  • ポッカコーポレーション「ポッカコーヒー・ファーストドリップ」
  • サントリー「夕涼み生ビール」
  • Olympic
  • namco「R:RACING EVOLUTION」
  • トヨタ自動車「カローラセダン/カローラフィールダー」(9代目・E120/E120G系)(セダン・2000年)(フィールダー・2000年)
  • 首都高「山手トンネル(新宿線) - (池袋線)開通」(2007年12月)
  • ケンタッキーフライドチキン「レッドホットウィング」(2009年)
  • エイチ・アイ・エス(2009年)
  • フジ・コーポレーション(2012年9月 - 2020年11月17日)
  • サントリー『ICE GIN』「ジンジラジンにさりげなく」篇(2017年)

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

年度 放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1981年 第32回 ギンギラギンにさりげなく 01/22 河合奈保子 白組トップバッター
1982年 第33回 2 ホレたぜ!乾杯 02/22 あみん
1983年 第34回 3 ためいきロ・カ・ビ・リー 11/21 中森明菜
1984年 第35回 4 ケジメなさい 07/20 中森明菜(2)
1985年 第36回 5 ヨイショッ! 16/20 島倉千代子
1986年 第37回 6 青春 10/20 河合奈保子(2)
1987年 第38回 7 愚か者 08/20 小泉今日子
1988年 第39回 8 あぁ、グッと 04/21 中森明菜(3)
1996年 第47回 9 ミッドナイトシャッフル 05/25 TRF
2015年 第66回 10 ギンギラギンにさりげなく(2回目) 26/26 松田聖子 白組トリ

FNS歌謡祭[編集]

『FNS歌謡祭』(フジテレビ系列)には1981年に初出演していて、以降も多数出演している。

1991年〜1998年はデータ不明の為、1999年以降の出演データを記載。

年度 放送回 曲目 曲順 コラボレーション
2005年 第34回 不明 スニーカーぶる〜す 13/35
愚か者 14/35
ミッドナイト・シャッフル 15/35
2010年 第39回 スニーカーぶる〜す 71/74 近藤真彦×堂本剛
ミッドナイト・シャッフル 72/74 近藤真彦×堂本光一
ざんばら 73/74
2012年 第41回 ハイティーン・ブギ 13/79 近藤真彦×綾小路翔
嵐を呼ぶ男 55/79 舘ひろし×近藤真彦
Let's Go! 77/79 近藤真彦×TOKIO×KinKi Kids×テゴマス
2014年 第43回 ギンギラギンにさりげなく 51/105 近藤真彦×嵐×KAT-TUN
スニーカーぶる〜す 52/105 近藤真彦×V6×ジャニーズWEST
ブルージーンズ メモリー 53/105 近藤真彦×Sexy Zone×A.B.C-Z
ハイティーン・ブギ 54/105 近藤真彦×SMAP×Kis-My-Ft2
ケジメなさい 55/105 近藤真彦×NEWS×Hey! Say! JUMP
愚か者 56/105 近藤真彦×TOKIO×関ジャニ∞
千年恋慕 57/105 近藤真彦×KinKi Kids×滝沢秀明
2015年 第44回

(第1夜)

ハイティーン・ブギ 21/79 近藤真彦×綾小路翔
北街角 22/79 近藤真彦×横山剣
大人の流儀 23/79
2017年 第46回

(第1夜)

ミッドナイト・シャッフル 67/70 近藤真彦 with FNSマッチバンド
ハイティーン・ブギ 68/70
軌跡 69/70
近藤真彦 デビュー35周年スペシャルメドレー

2014年12月3日放送の『2014 FNS歌謡祭』では、自身のデビュー35周年を記念としたスペシャル企画して、ジャニーズ事務所の後輩であるSMAP、TOKIO、KinKi Kids、V6、嵐、滝沢秀明、NEWS、関ジャニ∞、KAT-TUN、Hey! Say! JUMP、Kis-My-Ft2、Sexy Zone、A.B.C-Z、ジャニーズWESTの14組70人とのそれぞれのコラボレーション(共演)でスペシャルメドレーを披露した(披露曲は上記参照)。

近藤真彦 with FNSマッチバンド

2017年12月6日放送の『2017 FNS歌謡祭 第1夜』では、自身初の試みとなるスペシャル企画として、自身がボーカルで、ギター・高見沢俊彦(THE ALFEE)、ギター・城島茂(TOKIO)、ベース・丸山隆平(関ジャニ∞)、ドラムス・大倉忠義(関ジャニ∞)、ギター・山本彩(NMB48)、キーボード・武部聡志による番組限定の一夜限りのスペシャルバンドを結成してスペシャルメドレーを披露した(披露曲は上記参照)。

連載[編集]

  • 『Safari』 「近藤真彦のつれづれ遊び!」 (日之出出版)
  • 『AERA STYLE MAGAZINE』「マッチと町中華」(2023年3月 - 、朝日新聞出版)

レース戦績[編集]

主な参戦レース[編集]

  • ル・マン24時間レース
  • 全日本GT選手権(現:SUPER GT)
  • フォーミュラ・ニッポン(現:スーパーフォーミュラ)
  • インターナショナルF3リーグ
  • 全日本F3選手権
  • ミッレミリア
  • スーパー耐久
  • 十勝24時間レース

全日本ツーリングカー選手権[編集]

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
1985年 日産・スカイライン DIV.3 SUG TSU

Ret

NIS SUZ FSW
1991年 Cherena Racing Team BMW・M3 JTC-2 SUG

4

SUZ TSU

6

SEN

5

AUT FSW

Ret

1992年 JTC-2 TAI AUT SUG SUZ

8

MIN TSU

Ret

SEN FSW

4

全日本GT選手権[編集]

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
1994年 TEAM TAISAN ポルシェ・962C GT1 FSW SEN FSW1 SUG MIN

3

9位 32
1995年 フェラーリ・F40 GT1 SUZ

11

FSW 15位 16
ポルシェ・911 SEN

3

FSW9 SUG

1

MIN

9

1996年 NISMO 日産・スカイラインGT-R GT500 SUZ

6

FSW

Ret

SEN

17

FSW

5

SUG

3

MIN

10

11位 27
1997年 GT500 SUZ

5

FSW

Ret

SEN

14

FSW

9

MIN

Ret

SUG

Ret

19位 10
1998年 Xanavi Racing with NISMO Jr. 日産・シルビア GT300 SUZ

4

FSW

C

SEN

2

FSW

Ret

TRM

14

MIN

Ret

SUG

4

6位 35
1999年 cdmaOne TOYOTA TEAM CERUMO with Key's トヨタ・スープラ GT500 SUZ

8

FSW

6

SUG

8

MIN

Ret

FSW

Ret

TAI

11

TRM

15

16位 12
2000年 GT500 TRM

11

FSW

Ret

SUG

16

FSW

19

TAI

13

MIN

Ret

SUZ

10

23位 1
2001年 TOYOTA TEAM CERUMO WITH UKYO GT500 TAI

12

FSW

14

SUG

13

FSW14 TRM

9

SUZ

Ret

MIN

13

24位 2
2002年 TOYOTA TEAM CERUMO GT500 TAI

15

FSW SUG

9

SEP

7

FSW

16

TRM

12

MIN

11

SUZ

13

21位 6

全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポン[編集]

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
1995年 NAVI CONNECTION RACING TEAM SUZ FSW MIN SUZ

10

SUG

10

FSW

Ret

TOK

9

FSW

13

SUZ

12

NC 0
1996年 SUZ

Ret

MIN

9

FSW

16

TOK

14

SUZ

Ret

SUG

Ret

FUJ

14

MIN SUZ

Ret

FSW

6

17位 1
1997年 TEAM TMS SUZ

15

MIN

Ret

FSW

12

SUZ

14

SUG

8

FSW

14

MIN

Ret

TRM

13

FSW

11

SUZ

Ret

NC 0
1998年 SUZ

9

MIN

8

FSW

11

TRM

10

SUZ

7

SUG

8

FSW

C

MIN

7

FSW

7

SUZ

Ret

NC 0
1999年 MIRAI SUZ

Ret

TRM

13

MIN

Ret

FSW SUZ SUG FSW MIN TRM SUZ NC 0
2000年 Olympic KONDO Racing Team SUZ

7

TRM

14

MIN

Ret

FSW

13

SUZ

13

SUG

7

TRM

Ret

FSW

Ret

MIN

11

SUZ

10

NC 0

全日本フォーミュラ3選手権[編集]

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
1988年 IMPUL ラルト・RT32 日産 SUZ FSW SUZ TSU NIS SUZ SEN SUZ NIS

DNQ

SUZ

21

NC 0
1989年 ラルト・RT33 SUZ

22

FSW

DNQ

SUZ

DNQ

TSU

DNQ

SUG TSU

DNQ

SUZ

21

NIS

DNQ

SUZ

22

SUZ

26

NC 0
1990年 NISSEKI IMPUL ラルト・RT34 無限・MF204 SUZ

10

FSW

12

SUZ

21

TSU

DNQ

SEN

17

SUG TSU SUZ

DNQ

NIS

DNQ

SUZ

19

NC 0
1991年 ラルト・RT35 SUZ

15

FSW SUZ

DNQ

TSU

10

SEN

18

MIN

DNS

TSU

DNQ

SUG

Ret

SUZ

23

SUZ

DNQ

NC 0
1992年 CHERENA RACING SUZ

16

TSU

DNQ

FSW

Ret

SUZ

Ret

SEN

15

TAI

11

MIN

11

SUG

Ret

SUZ

17

SUZ

22

NC 0
1993年 HOSHINO RACING ラルト・RT36 SUZ

Ret

TSU

13

FSW SUZ SEN TAI MIN NC 0
QueenS Landカントリー倶楽部 with HOSHINO RACING トムス・033F トヨタ・3S-G SUG

Ret

SUZ

12

SUZ

12

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「ざんばら」のみ歌詞の権利関係上ジャニーズ・エンタテイメントから発売。
  2. ^ 当初はタッキー&翼として出演する予定だったが、メンバーの今井翼がメニエール病で休養中だったため、出演を辞退した。

出典[編集]

  1. ^ “近藤真彦、ジャニーズ退所後初のイベント 東山紀之とは「話してません」 家庭は「円満です」”. スポーツ報知 (2021年6月9日). 2021年6月9日閲覧。
  2. ^ a b 近藤真彦JRP新会長、「先輩たちの力を借りて、みんなでスーパーフォーミュラを盛り上げていく」 - Car Watch・2023年3月5日
  3. ^ 『レッツゴーヤング』1982年7月4日放送回(2015年6月現在NHKアーカイブスの番組公開ライブラリーで視聴可能)時点でこの英語表記が使われている。
  4. ^ https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202011160001104.html
  5. ^ “過去の『レコード大賞』受賞者一覧”. TBS. 2012年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月5日閲覧。
  6. ^ “近藤真彦「最後まで迷惑をかけてごめんなさい」メリー氏死去受けコメント”. 日刊スポーツ (2021年8月18日). 2021年8月18日閲覧。
  7. ^ “松井佐祐里"new normal"の小部屋”. 文化放送 (2021年1月29日). 2022年4月6日閲覧。
  8. ^ “駒井千佳子さん、近藤真彦のジャニーズ退所は「わずか半月前の申し入れで事務所幹部も驚いた」”. スポーツ報知. 報知新聞社 (2021年5月3日). 2021年5月3日閲覧。
  9. ^ “マッチ、16日レース業に復帰 ジャニーズ事務所退所後初の公の場”. サンスポ.com. サンケイスポーツ (2021年5月16日). 2021年5月16日閲覧。
  10. ^ “近藤真彦、ラジオで本格復帰 ジャニーズ事務所退所の真相告白「これ以上迷惑かけられない」 28日から新番組”. ORICON NEWS. オリコン (2021年9月7日). 2021年10月29日閲覧。
  11. ^ “東山紀之、ジャニーズ事務所退所の近藤真彦に疑問「退所のコメントも薄っぺらく感じる」”. スポーツ報知. 報知新聞社 (2021年5月2日). 2021年5月3日閲覧。
  12. ^ “近藤真彦、退所後に東山紀之とは連絡とらず 芸能活動に意欲「また一から頑張る」”. ORICON NEWS. オリコン (2021年6月9日). 2021年10月29日閲覧。
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