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農林水産大臣

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農林水産大臣(のうりんすいさんだいじん、英: Minister of Agriculture, Forestry and Fisheries)は、日本の農林水産省の長および主任の大臣たる国務大臣。

通称は農水相(のうすいしょう)、または、農相(のうしょう)。

概説[編集]

広く農林水産行政を統括するポスト。農村を重要な支持基盤としていた戦後の自民党政権において、重要な閣僚の一つであり、有力政治家の歴任も数多い。

第一次産業従事者が人口の最も多くを占めた戦前日本において、農相(農林大臣)は現在よりさらに枢要なポストであり、敗戦直後は現下の国難である食糧危機を乗り越えるため最重要のポストとも目された。近年はWTOの通商交渉や「食の安全」などを巡って注目されることが多く、とりわけ通商交渉にあたっては国際交渉力に加え、国内の農業団体・農林族議員を押さえ込める政治力が求められる。このため、農水省OBや農林族の有力政治家が任命されることが多いとされる。

自民党議員の政策秘書は「自らに有利な計らいを求める業者や団体の数が、他の省庁に比べてはるかに多い。そうした業者や団体は古い体質や体制が維持されたままで、献金を持ち掛ける慣習が続いている」と話しており、後述のような大臣の不祥事が相次ぐ原因とされている。

その他[編集]

閣僚としての重要性が増す一方で、就任した政治家は就任尚早不祥事に直面し、職をまっとう出来ず辞任したり、退任後に不幸に見舞われたりしている。このため、マスコミなどでは「鬼門」「呪われたポスト」と呼ばれている。

古くは片山内閣の平野力三農林大臣が西尾末広内閣官房長官と対立し、GHQの意向も手伝って片山哲首相から罷免された後、公職追放の憂き目に遭った。廣川弘禅農林大臣は吉田内閣における吉田首相懲罰動議に欠席して本会議で可決されたため罷免され、バカヤロー解散による解散総選挙で落選した。最後の農林大臣であり、初代の農林水産大臣である福田赳夫改造内閣の中川一郎は退任の5年後、57歳で自殺(不審死)している。よど号ハイジャック事件の人質身代わりとしても知られる第2次中曽根内閣の山村新治郎は離任の8年後に次女に刺殺され、その次女も後に自殺を遂げた。第2次中曽根再改造内閣と竹下改造内閣で農林水産大臣を務めた羽田孜は、初の非自民政権で2人目の内閣総理大臣に就任するが、わずか2か月で退任に追い込まれてしまい村山内閣をもって自民党が政権に参加したため、結果的に自民党の政権復帰を許してしまった。第3次中曽根内閣で農相を務めた加藤六月はリクルート事件で一時謹慎、三塚博との三六戦争で敗れ、清和政策研究会を除名され、自民党を離党した。羽田内閣で再び農相を務めるが、羽田内閣が2か月で総辞職した為、2か月で退任。細川内閣で農林水産大臣だった畑英次郎は1994年1月26日には食糧自給をめぐる問題で、参議院に問責決議が提出され、一部の日本社会党議員が造反して賛成票を投じたが、反対多数で否決された。畑への問責決議案の採決は、1955年の自由民主党結党以来、初の非自民閣僚への問責決議案採決の例であった。第2次橋本改造内閣の農林水産大臣に就任した越智伊平は直後に脳梗塞で倒れ、就任してわずか16日で辞任した。第1次森内閣の農林水産大臣だった玉澤徳一郎は現職の閣僚でありながら第42回衆議院議員総選挙で落選し、政界引退後の2019年12月10日に突然銃撃される事件が起き、足を撃たれるが命に別状はなかった。

省庁再編後、2001年に就任した武部勤はBSE問題を巡る失言などで批判を浴び、翌年の内閣改造で事実上の更迭、後任の大島理森は様々な疑惑から事実上更迭された。続く亀井善之は離任後まもなく病に倒れて死去している。2004年に就任した島村宜伸は翌年の郵政解散直前、閣議で衆議院解散に反対して閣議決定への署名を拒否し、辞表を提出したが、小泉純一郎首相により罷免された(解散選挙では当選)。島村の罷免を受け、副大臣から昇格した岩永峯一も離任後に献金問題を指摘された。2005年に2度目の就任を果たした中川昭一(初代農林水産大臣・中川一郎の長男)は無難に職務をこなし退任したが、4年後には財務大臣辞任、落選の憂き目を見て、2009年10月に56歳で急死した。

特に2006年9月26日に発足した第1次安倍内閣では農水相の交代が頻繁に起こっており、最初就任した松岡利勝は光熱水費問題や緑資源機構談合問題を国会で追及され、戦後の閣僚としては初めて在任中に自殺。若林正俊の臨時代理を経て後任の赤城徳彦も自身の数々の疑惑により、これが一因で7月の参院選における自民党敗北を招いたとされ、2007年8月1日に事実上の更迭、2009年の第45回衆議院議員総選挙は落選した。

そして、若林の環境大臣の兼任を経て8月27日に発足した安倍改造内閣では遠藤武彦が就任するも、置賜農業共済組合掛金不正受給問題などを追及され、9月3日に辞任。在任期間8日間という近年では稀に見る異例の事態となった。後任はまたも若林。同一政権下で臨時兼任も含めると3か月余りの間で3度目の農水相就任となった。若林は退任後の2010年4月2日、参議院本会議での不正投票問題によって議員辞職に追い込まれた。

2008年8月、太田誠一による事務所費問題も浮上し、在任中に事故米不正転売事件に関する発言が問題視された。9月19日、事故米の不正転売の責任を明確にするということで、福田康夫首相に辞表を提出。太田も赤城同様、同選挙で落選した。太田の辞任後は内閣官房長官の町村信孝(町村は同総選挙で小選挙区落選。比例で復活)が臨時代理を務めていたが、麻生内閣で農林水産大臣に就任した石破茂は、この事態に「誰から事務引き継ぎするの?」と就任時のインタビューで皮肉を漏らした。

2009年に誕生した鳩山内閣の赤松広隆は翌年の口蹄疫問題への対応の遅れで強い批判を浴び、閣僚の大半が残留した6月の菅直人内閣の誕生に当たって、事実上責任を取る形で退任した。後任として副大臣から昇格した山田正彦は、職務そのものは無難につとめたものの、2010年9月民主党代表選挙で菅直人首相と対立する小沢一郎候補を支援したこともあり、わずか3か月で退任となった。菅直人第1次改造内閣からは第1次海部内閣でも大臣を務めた鹿野道彦が職務を無難にこなしたが、中国書記官のスパイ疑惑(李春光事件)に直面してしまい、2012年6月の野田第2次改造内閣発足に伴い退任した。後任として鳩山・菅内閣で農水副大臣を経験した郡司彰が大臣に就任し、政権交代までつとめた。同年12月に行われた第46回衆議院議員総選挙では山田・鹿野両者とも比例復活できずに落選(赤松は比例復活で当選)、その後の2013年7月に行われた第23回参議院議員通常選挙では山田・鹿野両者とも比例区に出馬したものの落選した。山田は短期間ながら職務そのものは無難にこなし、スパイ疑惑に直面するまでの鹿野が1年以上大臣職務を無難にこなし、後任の郡司も解散総選挙による政権交代で退任となっており、民主党政権に入ってからは不祥事による大臣辞任や大臣辞任後の不幸は減った。

民主党政権から自民党へ政権が戻り、大臣に就任した林芳正は鹿野同様1年以上職務を無難にこなしたものの、後任の西川公也は就任早々数々の不祥事が発覚。2014年の第47回衆議院議員総選挙で民主党の福田昭夫に敗北、現職の閣僚ながら比例復活となり、2015年2月23日に自身の政治献金問題で引責辞任。前任の林が再登板することとなった。西川は2017年の第48回衆議院議員総選挙で落選。2016年8月3日発足の第3次安倍第2次改造内閣では山本有二農水相がTPP法案の採決に関する失言を繰り返し、野党から追及を受けて法案採決拒否に持ち込まれた。また、翌年の第48回総選挙では上記の失言のせいか辛くも比例四国ブロックの最後の1枠に滑り込む結果となった。続く第3次安倍第3次改造内閣では、齋藤健が当選3回ながら農水相に大抜擢。職務を無難にこなしたものの、自民党総裁選をめぐり、「石破さんを応援するんだったら辞表を書いてからやれ」(齋藤自身は石破派)と圧力をかけられたと主張し、その後の内閣改造で退任となった。第4次安倍第1次改造内閣で就任した吉川貴盛は、在任中に大手鶏卵生産会社アキタフーズの元代表から500万を受け取っていた鶏卵汚職事件が発覚し、体調不良を理由に自民党の役職と自身が所属する二階派の事務総長を辞任し、衆議院議員も辞職した。その後収賄罪で在宅起訴され、東京地方裁判所で執行猶予付きの懲役刑が言い渡された。

2022年8月10日に発足した第2次岸田第1次改造内閣において農水相として初入閣を果たした野村哲郎は就任してから約1年強の間、職務を無難にこなしていたが、在任期間も終盤を迎えた2023年8月31日に首相官邸で行われた会議に出席後にマスコミから取材を受けた際に「それぞれの役所の取り組み状況あるいは、汚染水のその後の評価などで情報交換をした」と述べ、東京電力福島第一原発にたまるALPS処理水について、中国政府などが使う「汚染水」と発言。その後岸田文雄内閣総理大臣が野村に対し発言の撤回と謝罪を指示し、同夜ぶら下がり取材で発言を撤回し謝罪。2週間後の内閣改造で退任した。後任の宮下一郎は自身が所属する自民党安倍派(清和政策研究会)の政治資金パーティー収入の裏金問題でわずか3カ月で辞任した。なお、野上・金子・野村の3人は宮崎県での口蹄疫の流行が関心事になった2010年の参院選で当選した議員である。

なお、日本国憲法下において罷免された閣僚は5名であるが、うち3名が農水相である。



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