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軽自動車

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軽自動車(けいじどうしゃ)は、現行の道路運送車両法からすれば、日本での自動車規格の中で最も小さい規格に当てはまる、排気量660 cc以下の三輪、四輪自動車のこと。125 cc超250 cc以下(側車付きの場合は、50 ccを超え250 cc以下)の二輪車も指す。自動車は軽三輪軽四輪、二輪車は軽二輪ともいう。一般的には単にと呼ばれる事が多い。

概要[編集]

日本の軽四輪[編集]

日本独自規格となる軽四輪は、道路運送車両法施行規則で定められており、現在の規格(1998年10月に規格改定)は、

  • 全長 3,400 mm (3.40 m) 以下
  • 全幅 1,480 mm (1.48 m) 以下
  • 全高 2,000 mm (2.00 m) 以下
  • 排気量660 cc以下
  • 定員 4名以下
  • 貨物積載量 350 kg以下

となっている。 なお、この条件を1つでも超えると小型自動車(登録車)の扱いになり「白地に緑文字」の自家用、または「緑地に白文字」の運送事業用でのナンバープレート登録となる。この規格は日本への輸入車にも適用される(スマートやナノも排気量は660 cc以内であるが、全幅が1,480 mmを超えるため、日本に輸入されれば「排気量1.0リッターの小型車」扱いで登録される。日本の軽自動車規格車にエアロパーツ、オーバーフェンダーを装着して寸法が規格値を超えた場合、改造にて小型自動車に構造変更手続きをしなければ自動車税の脱税行為となり、処罰の対象となる)。

また、本田技研工業(ホンダ)のS500やS600、T500、三菱自動車工業(1960年代当時は新三菱重工業→三菱重工業)の三菱・500とコルト600はいずれも現在の軽自動車と同規格に当てはまるが、旧規格の「排気量360cc時代」に生産された車両であるため、新規登録時はこれらも同様に「小型車」扱いで登録される。

ナンバープレート[編集]

ナンバープレートの色は、自家用は「黄色地に黒文字」、事業用は「黒地に黄色文字」となっている(360 cc時代の車両については小型のプレートに「白地に緑文字」〈自家用〉または「緑地に白文字」〈運送事業用〉)。詳しくは、ナンバープレートを参照。

特例で2019年の「ラグビーワールドカップ特別仕様ナンバープレート」または「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会特別仕様ナンバープレート」であれば、追加の料金で「白基調に緑文字」のナンバープレートにできた(現在は交付終了)。外見上、普通車との見分けが付きにくいが、軽自動車の分類番号は「580 - 599」で、このうち「580-582」までが一般払い出しとなり、「583-599」までが一般希望ナンバーに使われる。なお、普通車とは異なり「登録車」ではなく「届出車」となるため、封印は付かない。

超小型自動車の沿革[編集]

1910年代から1930年代にかけて、サイドカーを含む自動二輪車の延長線上、あるいは、三輪を含む自動車のダウンサイズ版として、それらのギャップを埋める簡易車両が多数誕生した。その後、オースチン・7(1922年 - 1939年)やシトロエン・5CV(英語版)(1922年 - 1926年)に代表される、「まともな」四輪大衆車の量産化による高品質と低廉な価格を前にしては競争力は最早なく、急速に衰退している。

第二次世界大戦後、敗戦国を中心に、二輪車や航空機の余剰部品や材料を利用した簡易車両が庶民の足として生まれ、経済復興とともに再び隆盛を極めた。日本と同じく第二次世界大戦における敗戦国であるドイツやイタリア、植民地運営が行き詰り、不況となったイギリスやフランスなどにも見られた。

自動車史では、これらの車両をサイクルカー、キャビンスクーター(英語版、ドイツ語版)、バブルカー、マイクロカーなどと呼び、現在では、自動車趣味の一ジャンルとして定着し、大切に保存されている。

現在では発展途上国の手軽な移動手段としてのほか、省資源の観点から先進国でも超小型自動車を見直す気運が高まりつつあり、新規開発も増えている。

日本の軽自動車は規格としては1949年に戦後の経済成長の一助となる事を目指して成立した。当初から運転免許証も普通車、小型車とは区別され、時期や地域によっては、実地試験が免除となり、費用負担も少ない「軽自動車免許」なる優遇措置が存在したが、当時のモータリゼーションの主力および市場の需要はもっぱらオート三輪やオートバイに集中しており、軽四輪自動車の本格的な製造販売を手掛けるメーカーはなかなか出てこなかった。軽規格自体も1954年までほぼ1年おきに改正・拡大を繰り返すような有様で、実際に実用的な規格として固まり、その存在が国民に認知されるようになるのは、通商産業省(現・経済産業省)の国民車構想が週刊誌によってスクープされる1955年を待たねばならなかった。この時代までに軽四輪自動車の製造販売に挑戦した少数の零細メーカーはほとんどが商業的に失敗するか、資本の限界で製造の継続ができなくなるなどの理由で、ほどなく市場からの撤退を余儀なくされている。

1955年、鈴木自動車工業(現:スズキ)が「スズキ・スズライト」を発売、軽規格内でも国民車構想に充分に合致する本格四輪乗用車の製造が可能であることが証明されたが、販売価格は42万円と未だ価格面では庶民の手には届きにくいものであった。当時の平均月収は数万円程度であり、庶民の足となりえる原動機付きの乗り物はホンダ・カブFに代表される自転車後付エンジン(広義のモペッド)か原動機付自転車、250cc程度までの小型オートバイ(軽二輪)、高くてもダイハツ・ミゼットに代表される販売価格20万円台の軽三輪自動車までが精々という時代背景であった。

その後1958年に「スバル・360」が登場。先行車両をデザイン、性能、パッケージングなどあらゆる面で上回るものでありながら販売価格は45万円を切るものとなり、軽四輪自動車が国民に爆発的に普及する原動力となった。スバル・360の成功はそれまでもっぱらオート三輪の製造に注力していたマツダ、ダイハツ、三菱などのメーカーの経営方針を四輪中心に転換させる原動力ともなった。同時に各社とも貨物車の開発にも力を入れ、この過程で誕生した「軽トラック」や「軽ワンボックス」は日本の経済活動にとって欠かせないものとなった。またホープ自動車のホープスター・ON型4WDは改良発展で後にスズキ・ジムニーとなり、オフロード車としても成功を収めた。以降、業務用からレジャー用のバギーカーまでが出揃うほどの多様な車種展開を見せ、その発想は現在の車種にも受け継がれている。

世界各国の「サイクルカー」が姿を消していく中、日本の「軽自動車」は、本格的な自動車としての生き残りに成功した。その後、3度にわたって大幅な規格拡大があり、現在に至っている。1990年の660 ccへの排気量拡大以降は、それまで多くの車種でオプション設定に留まっていたカーエアコンやカーオーディオの標準装備化も進んでいき、1998年の現行規格登場後はエアバッグや衝突安全ボディーの実装、さらに2012年現在ではアイドリングストップや副変速機付きCVT、バックモニターなどの装備も進んでいる。また、ダイハツがムーヴを皮切りにスマートアシストを主力車種に投入したことから、2014年頃には各社とも衝突被害軽減ブレーキを主力乗用車種に設定し、2016年現在ではそれらに引っ張られる形で乗用型の存在する商用車(アルトバン、ハイゼットキャディー〈≒ウェイク〉など)にも設定があるなど、フルBセグメント以下の国産の小型車と比較して急速にASV化が進んでいる。このように軽自動車は単なる「廉価な四輪車両」の地位に留まらず、小型登録車と遜色ない快適性や安全性を有するまでになってきている。

しかし、軽自動車の自動車としての確立と性能向上に従い、当初の優遇措置は次第に打ち切られていき、車検の義務化や重量税の課税など登録車と同様の課税や規制が掛けられるようになっていった。また、その成立過程と税制、市場の特殊性故に今日まで国外での販売実績・普及はほとんどないままであり、国内市場からはコンパクトカーとの競合(特にリッターカークラス)での税制面の優遇における批判、海外市場からは「日本市場の閉鎖性と保護政策の象徴」として批判の対象となっている(後述のクワドリシクルなど日本以外にも類例の規格はないわけではない)。ただし、海外向けには軽自動車のエンジンだけを800 - 1,300 cc程度に拡大したものは多数あり、660ccのままでの海外進出の例もある。その一例としてはプロドゥア(マレーシア、ダイハツ合弁)のカンチル/ビバ(≒ミラ)のベースグレードやパキスタンで現地生産されるスズキ・アルト(HA36)があり、アルトの件に関しては、海外では無謀とされていた660ccのままでの進出に関し並行輸出車の利用実態から可能であるとされたことによる。日本からの完成車輸出や現地でのノックダウン生産を経て、完全国産化を果たしてその国(地域)独自の商品へと進化したものもある。1990年代以降の日本国内仕様にもスバル・ドミンゴやミラジーノ1000、パジェロJr.、ジムニーシエラなどがある、特に軽トラックや軽ワンボックスバンはその実用性が評価され、海外でも広くその姿をみることができる。軽自動車を製造しているメーカー各社は低コストで車を作る技術を蓄積し、新興国での競争力強化につなげることを目指している。しかしアメリカでは州にもよるが安全性の観点から公道の走行を禁止されており、農業用としての使用が一般的である。

ナンバープレートは、自家用・貸渡用・駐留軍は黄地に黒字、事業用は黒地に黄字の中板(330 mm × 165 mm)である。ただし、1974年以前に製造された軽自動車は、自家用・貸渡用・駐留軍は白地に緑字、事業用は緑地に白字の小板(230 mm × 125 mm)となる。このタイプでは、住所変更や所有者変更などで新規にナンバープレートを発行する場合でも従前どおりの小板が発行される。このため、21世紀になって登場したご当地ナンバーでもこのタイプのための小板が存在する。現在も小板が発行されている理由は車両の構造上中板が取り付けられないためであるが、1974年製造の一部車種(三菱・ミニキャブなど)はナンバープレートの取り付けスペースを中板対応にし、ナンバープレートを固定するナットを小板用と中板用の2組設置して小板・中板のいずれも取り付けられるようにしているものもあった。なお、小板は現在でも250 cc以下の軽自動二輪車で用いられている。ナンバープレートは、映像作品や、趣味の面においての時代考証でも重要な用件となる。

登録車のような所有権の登録制度がないので、届出に際し印鑑証明は不要である。また登録車とは異なり、多くの自治体で保管場所証明を申請する義務がなく、車庫証明も不要である。現在は東京23区・政令指定都市・県庁所在地および(おおむね人口10万人以上の)各市でナンバープレート交付後の届出が必要となっている。

軽二輪[編集]

軽二輪とは、側車(サイドカー)がない限り、125 cc超250 cc以下の自動二輪車のことである。なお、エンジンの総排気量が250 cc以下で側車(サイドカー)がある場合は、125 以下でも50 ccを超えていれば軽自動車として扱われる。この排気量帯の二輪車については、普通自動二輪車(エンジンの総排気量が50 ccを超え125 cc以下で、側車(サイドカー)がある二輪車の場合は小型自動二輪車)および検査対象外軽自動車を参照のこと。

成立までの経過[編集]

軽自動車の発展は、まだ日本の自動車普及率が高くなかった1950年代のモータリゼーション推進と日本の道路事情に見合った車の開発をめざした「国民車」構想の延長にあると、従来言われてきた。しかし実際にはこの構想において成功した自動車メーカーは皆無であった。 富士重工業(現・SUBARU)における「スバル・360」の開発は「軽自動車の枠で、普通乗用車と同じ能力を」という前提で開発されており、最初から国民車構想をさらに上回る企画であった。

また平均的日本人における成人男子の体格が世界的に見て小柄であったことも、同車種が日本国内の市場に受け入れられた遠因に挙げられているが、当時のスバルやホンダの軽自動車がほぼエンジンのみを拡大して450 - 600 ccとし、そのまま北米などに輸出され好評であったことから、欧米人の体格でも日本の軽自動車サイズで特に問題はなかった。

過去3度における大幅な規格拡大も、排気ガス抑制のための4サイクルエンジンへの移行促進(360 cc→550 cc)、高速道路網の拡張への対応やカーエアコンの普及による馬力荷重の悪化(550 cc→旧660 cc)、普通車同様の衝突安全基準の採用(旧660 cc→新660 cc)が主たる理由である。

軽自動車の特徴と用途[編集]

特徴[編集]

軽自動車の特徴は

  • 車両本体価格のほか、税金・保険料などの維持費も安い
  • 車体が小さく取り回しが容易

などである。

道路が発達して渋滞が少ない、ロードサイド店舗が発達している、公共交通機関の便が悪いことなどから、自家用車の利便性が高い地方では、個人の通勤・買物などの生活の足として、一世帯で複数台の自動車を所有することが一般的である。その際、コストを抑えるためにセカンドカー(一世帯で保有する2台目以降の車)以降に軽自動車を購入する例が多い。これらの使用者は、女性、若者、あるいは高齢者などであり、軽自動車の中心的購買層でもある(詳細はJAMAレポートNo.107を参照)。

職業別においては、農林水産業、建設業、運送業などで、軽トラックや軽ワゴン・バンを所有している例が多く、購入価格(イニシャルコスト)が低廉であることのほか、税金や維持費(ランニングコスト)も低く、幅員の狭い道路を楽に往来できるというメリットもある。冬季間の積雪凍結路面を走行する際や未舗装の悪路走行する際に必要な4WDも設定されており、軽トラックではメーカーオプションで悪路走行用に副変速機やLSDやデフロックが設定されている車種や、セダン、ワゴン、オープンカー、4ドアハードトップのラインナップがある。

費用面の長所を生かし、普通車ほど費用をかけずに購入、使用できる軽スポーツカーもあり、スズキ・アルトワークス、ダイハツ・コペン、ホンダ・S660等がある。

都道府県別で見てみると、2020年3月末時点での軽自動車の保有台数は、青森県、岩手県、秋田県、山形県、山口県、熊本県、宮崎県を除く40都道府県で前年より増加しているものの、滋賀県、岡山県、愛媛県、福岡県、佐賀県、宮崎県、沖縄県の7県以外では登録車の保有台数が減少しており、軽自動車に取って代わられている傾向が見られる。2020年3月末現在、「軽自動車の保有台数」の1位は愛知県、2位は福岡県、3位は埼玉県、4位は千葉県、5位は大阪府となっており、保有台数上位は都市部で占められる。

一方、「全自動車に対する軽自動車の保有シェア」では、2008年3月末現在(全国平均:33.7%)において高知県が初めて全自動車の半数以上を軽自動車が占めたのを皮切りに、2020年3月末現在(全国平均:39.6%)ではいずれも西日本にある高知県(55.4%)、長崎県(55.1%)、沖縄県(54.2%)、和歌山県(54.1%)、島根県(53.1%)、鹿児島県(52.8%)、鳥取県(52.6%)、愛媛県(52.2%)、宮崎県(51.9%)、佐賀県(51.1%)の10県において全自動車の半数以上を軽自動車が占めるようになり、大阪府・兵庫県を除く近畿地方以西は全府県40%以上となっている。なお、東京都は軽自動車に対する軽貨物車の比率が36.6%で全国1位であり、軽ワンボックスバンと軽トラックが都民の生活を支えている。



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