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赤石岳

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赤石岳(あかいしだけ)は赤石山脈の長野県と静岡県にまたがる標高3,120.5 mの山である。南アルプス国立公園内にあり、日本百名山及び新日本百名山に選定されている。

概要[編集]

北岳・間ノ岳・悪沢岳に次いで、南アルプスで4番目の高さである。山頂には一等三角点(点名が「赤石岳」)が設置されており、一等三角点としては最高所のものとなっている。山頂直下の南に赤石岳避難小屋があり、約700 m北に小赤石岳のピークがある。

稜線の東側斜面にはいくつかの圏谷が見られ、これは日本国内では最南端の氷河の痕跡である。南西斜面には「ゴーロ帯」と呼ばれる岩石氷河の地形が見られる。山頂付近では線状凹地が見られる。山体は輝緑凝灰岩や火砕岩などから構成される。また、小赤石岳から赤石岳山頂にかけては森林限界のハイマツ帯で、多くの高山植物のお花畑が広がっていて、ライチョウの生息地となっている。山域にも分布する赤石山脈が和名の由来である「アカイシリンドウ」は、環境省レッドリストの絶滅危惧IB類(EN)の指定を受けている。亜高山帯には、ダケカンバ、シラビソ、トウヒ、ツガなどの原生林が広がる。ニホンカモシカ、ツキノワグマ、ニホンジカなどの哺乳類が生息する。静岡県側の周辺の山域は、特種東海製紙の井川社有林となっている。

山名の由来[編集]

山腹の南斜面は大井川支流の赤石沢の源流になっている。山名は赤石沢に多い山体の一部を構成する赤色のラジオラリアチャート岩盤に由来し、明治以降に称されるようになったとされている。なお、異説として山全体が他の山に比べて赤く見えることに由来するという説もある。

赤石山脈の名はこの山から転用されたものである。1820年(文政3年)の『駿河記』で「赤石嶽」と表記されていた。日本の天文学者の秋山万喜夫は、1999年2月5日に発見した小惑星に「赤石岳」と命名している。

登山[編集]

明治時代には地質学者のハインリッヒ・エドムント・ナウマン、植物学者の河野齢蔵、ウォルター・ウェストン、小島烏水などが登頂している。1957年(昭和32年)に第12回静岡国体の登山部門が南アルプスが会場になって以降、この山域への登山者が増加した。

歴史[編集]

  • 1879年(明治12年) - 内務省陸地局の梨羽晴起と寺沢正明らが測量登山が行われた。
  • 1886年(明治19年) - 堀本丈吉が赤石岳への登山道を開拓し、1901年(明治34年)から1902年(明治35年)頃まで、多くの講中登山が行われた。
  • 1891年(明治22年)9月2日 - 山頂に一等三角点が設置された。
  • 1892年(明治25年)8月19日 - 英国人のウォルター・ウェストンが小渋川からのルートで外国人として初登頂。
  • 1906年(明治39年) - 日本山岳会の小島烏水が「赤石山の記」(『山岳』第1年1号)でこの山を紹介した。
  • 1909年(明治42年)7月 - 小島烏水らが西山温泉から悪沢岳などを縦走して登頂。小渋川を経て小渋温泉へ下った。
  • 1926年(大正15年)夏 - 特種東海製紙の前身の一つ、東海紙料の創業者で大倉財閥の大倉喜八郎が、88歳の時に「自分の所有地の一番高いところに登りたい」と、約200人の人足を引き連れ、駕籠に担がれて、大名登山のごとく赤石岳に登頂した。この登山にかかった経費は四万円で、2014年の通貨価値に換算すると1億円以上になる。
  • 1964年(昭和39年)6月1日 - 周辺の山域が南アルプス国立公園に指定される。


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