資本主義
資本主義(しほんしゅぎ、英: capitalism)または資本制は、国政によってよりも営利目的の個人的所有者たちによって貿易と産業が制御(コントロール)されている、経済的・政治的システム。特に近現代の資本主義の根幹は、自由資本主義・リベラルキャピタリズム(liberal capitalism)と呼ばれており、資本主義を肯定・擁護・推進する思想や主張は、普通は自由主義とされる。資本主義に基づく社会は「資本主義社会」「市民社会」「近代社会」「ブルジョア社会」等という。
資本主義は封建主義の後に現れた体制である。産業革命および、アメリカ独立革命やフランス革命等の資本主義革命(市民革命)によって確立された。資本主義は、一切全てを商品化していく「市場システム」であり、かつ、諸々の近代国家に蓄積・競合をさせる「世界システム」でもあるという。その主体は企業であり、これが物財やサービスを生産し流通させている。構造的には、資本(としての生産手段)を私有する資本家が、労働者から労働力を買い、それを上回る価値のある商品を生産し、利潤を得ている。
資本主義の弊害に対し、修正や反対をする概念や立場には修正資本主義、反資本主義、社会主義、共産主義、経済的国家主義(経済的ナショナリズム)、国家社会主義(ナチズム)、結束主義(ファシズム)、第三の道、第三の位置等がある。一方で、資本主義的な自由競争を更に推進する概念・立場には新自由主義、リバタリアニズム等がある。
用語[編集]
「資本」(英語: capital)の語源は、ラテン語で「頭」の意味を持つ「caput」で、12世紀から13世紀にかけて動産を意味するようになり、更に「資本家」や「資本主義」との言葉が派生した。「資本家」という用語は、17世紀に「資本の所有者」との意味で使用されるようになった。
「資本主義」という用語は、1850年にフランスの社会主義者ルイ・ブランによって現代の意味で使用され、「私が資本主義と呼ぶものは、ある者が他者を締め出す事による、資本の占有である」と記した。また1861年にピエール・ジョゼフ・プルードンは「資本主義の経済社会体制では、資本は労働する者には所属しない」と記した。1867年より発行されたカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによる著書『資本論』での用語「資本家システム」および「資本家生産様式」も、日本語訳では「資本主義」とされた場合が多い。
特徴[編集]
一般的に、経済システムおよび生産様式としての資本主義は、次のように要約できる。
- 資本蓄積:利益のための生産と、生産のすべてまたは大部分の暗黙の目的としての蓄積、以前は共通の社会的または私的な家庭ベースで行われていた生産の縮小または排除。
- 商品生産:市場での交換のための生産;使用価値ではなく交換価値を最大化すること。
- 生産手段の私的所有。
- 高いレベルの賃労働。
- 利益を得るためのお金の投資。
- 競合する使用の間で資源を割り当てるために価格メカニズムの使用。
- 生産プロセスの付加価値の最大化による生産要素および原材料の経済的に効率的な使用 。
- 事業や投資を管理する上での資本家の自己利益で行動する自由。
市場[編集]
自由市場と自由放任型と放任主義の形態では、市場は最も広く使用されており、価格設定のメカニズムに対する規制が最小限または全くない状態である。今日ではほぼ普遍的になっている混合経済では、市場は引き続き支配的な役割を果たしているが、市場の失敗を是正し、社会福祉を促進し、天然資源を保護し、国防や公共安全に資金を供給したり、その他の合理的な理由のために、国家によってある程度規制されている。国家資本主義体制では、市場への依存度は最も低く、国家は資本を蓄積するために国有企業や間接的な経済計画に大きく依存している。
供給とは、購入または販売のために利用可能な財またはサービスの量である。需要とは、人々がある時点で購入したいと思っている商品の価値の尺度である。価格は、利用可能な資源に対する需要が増加するか、その供給が減少すると上昇し、需要とともに下落するか、または供給が増加すると下落する傾向がある。
複数の生産者が同じバイヤーに同じか同じようなプロダクトを販売しようとしているとき競争は起こる。資本主義理論の支持者は競争が革新およびより現実的な価格に導くことを信じる。独占やカルテルは、特に競争がない場合に発展する可能性がある。独占は会社が市場上の独占を与えられるとき起こる。それ故に、会社は競争の恐れがないので、出力を制限し、価格を上げるなどの行動を求めてレントシーク行動に従事することができる。カルテルは、出力と価格を制御するために独占的な方法で一緒に行動する企業のグループである。
政府は、独占とカルテルの創造を防止する目的で法律を実施してきた。1890年、シャーマン独禁法は、独占を制限するために米国議会で可決された最初の法律となった。
利益動機[編集]
利益動機とは、資本主義の理論では、利益という形で収入を得たいという欲求のことである。言い換えれば、事業の存在理由は利益を上げることである。この利益動機は、合理的選択理論、すなわち個人が自分の最善の利益を追求する傾向があるという理論に基づいて機能している。したがって、企業は、利益を最大化することによって、自分自身や株主の利益を追求することになる。
資本主義理論では、利益動機は資源が効率的に配分されていることを保証すると言われている。例えば、オーストリアの経済学者ヘンリー・ハズリットは次のように説明する。「ある記事を作ることに利益がなければ、それは生産に捧げられる労働および資本が誤って方向づけられている兆候である: 記事を作ることに使い切られなければならない資源の価値は記事自体の価値より大きい」。つまり、利益は、その商品が生産する価値があるかどうかを企業に知らせてくれるのである。理論的には、自由で競争的な市場で利益を最大化することは、資源が無駄にならないことを保証する。
私有財産[編集]
国家とその形式的メカニズムと資本主義社会との関係は、19世紀から活発な議論が行われ、社会理論・政治理論の多くの分野で議論されてきた。エルナンド・デ・ソトは、現代ペルーの経済学者であり、資本主義の重要な特徴は、所有権や取引が明確に記録された形式的な財産制度の中で、国家による財産権の保護が機能していることにあると主張している。
デ・ソトによれば、これは、物理的資産が資本に変換される過程であり、市場経済において、より多くの方法で、より効率的に利用される可能性がある。多くのマルクス経済学者は、イギリスの囲い込み法や他の地域での同様の法律は、資本主義の原始的な蓄積の不可欠な部分であり、私有地所有の特定の法的枠組みは、資本主義の発展に不可欠であったと主張してきた 。
市場競争[編集]
資本主義経済学では、市場競争とは、価格、製品、流通、プロモーションなどのマーケティングミックスの要素を変化させることで、利益、市場シェア、販売量の増加などの目標を達成しようとする売り手間の競争である。メリアム-ウェブスターは、ビジネスにおける競争を「最も有利な条件を提供することによって、第三者のビジネスを確保するために独立して行動する2つ以上の当事者の努力」と定義している。それは、アダム・スミスの『国富論』(1776年)と後の経済学者によって、生産的な資源を最も高く評価された用途に配分することが効率を高めるするものとして説明された。スミスをはじめとするアントワーヌ・オーギュスタン・クールノー以前の古典的経済学者は、買い手の入札による最良の条件で商品を販売するための生産者間の価格・非価格競争に言及していたが、これは必ずしも多数の売り手がいるわけでもなく、また最終的な均衡状態にある市場でもない。競争は、市場のプロセス全体に蔓延している。それは、「買い手は他の買い手と競争し、売り手は他の売り手と競争する傾向がある」状態である。交換のために商品を提供する際に、買い手は、売り手がそのような商品を提供することを選択した場合に利用可能であるか、または利用可能であるかもしれない特定の商品の特定の量を購入するために競争的に入札する。同様に、売り手は、市場に商品を提供する際に、他の売り手に対して入札を行い、買い手の注目と交換資源を競い合う。競争は希少性から生じる-考えられるすべての人間の欲求を満たすのに十分なことは決してない-そして「人々が誰が何を得るかを決定するのに使用されている基準を満たすために努力するとき」起こる。
経済成長[編集]
歴史的に、資本主義は、国内総生産(GDP)、生産能力の利用率、または生活水準によって測定される経済成長を促進する能力を持っている。この議論は、例えばアダム・スミスが自由市場に生産と価格をコントロールさせ、資源を配分することを提唱した際に、中心となったものである。多くの理論家は、世界のGDPが時間の経過とともに増加したことは、近代的な世界資本主義システムの出現と一致していると指摘している 。
1000年から1820年の間に、世界経済は人口増加率の6倍の速さで成長したため、個人の所得は平均して50%増加した。1820年から1998年の間に、世界経済は50倍に成長し、人口の増加よりもはるかに速い速度で成長したため、個人は平均で9倍の所得増加を享受した。この間、ヨーロッパ、北米、オーストラレーシアでは、これらの地域ではすでに物価水準が高かったにもかかわらず、一人当たりの経済成長率は19倍、1820年に貧しかった日本では一人当たりの経済成長率は31倍となっている。第三世界では、増加はあったが、一人当たりの増加は5倍に過ぎなかった。
生産形態として[編集]
資本主義的生産様式とは、資本主義社会内の生産と分配を組織化するシステムを指す。資本主義的生産様式の発展に先立って、様々な形態の私的な金儲け(賃貸、銀行、商人貿易、利益のための生産など)が行われていた。賃金労働と生産手段の私有化と工業技術に基づく資本主義的生産様式は、産業革命から西欧で急速に成長し始め、後に世界の大部分に拡大した。
資本主義的生産様式という用語は、生産手段の私的所有、資本蓄積を目的とした所有階級による余剰価値の抽出、賃金ベースの労働、少なくとも商品に関しては市場ベースであることによって定義される。
金儲け活動の形をした資本主義は、文明の誕生以来、単純な商品生産に従事する消費者と生産者の間の仲介者として行動する商人と貸金業者の形で存在してきた(それゆえ、「商人資本主義」と呼ばれている)。「資本主義的生産様式」に特有なのは、生産のインプットとアウトプットの大部分が市場を通じて供給され(すなわち、それらは商品である)、本質的にすべての生産がこの様式であるということである。対照的に、繁栄している封建主義では、労働を含む生産の要因のほとんどまたはすべてが、封建的な支配階級によって完全に所有され、プロダクトはまた、いかなる種類の市場なしで消費されるかもしれず、それは封建的な社会的な単位内の使用のための生産であり、限られた貿易のためのものである。このことは、資本主義の下では、生産プロセスの組織全体が、社会全体が直面しているより大きな合理的な文脈よりも、投入物と出力物(賃金、非労働要素コスト、売上高、利益)の間の価格関係で表現される資本主義に制限された経済合理性に適合するように、再編成され、再編成されるという重要な結果をもたらすのである。本質的に、資本の蓄積は、資本主義生産における経済的合理性を定義するようになる。
社会、地域、国家は、分配されている所得と製品の主要な供給源が資本主義的活動であれば資本主義的であるが、そうであっても資本主義的生産様式がその社会で支配的であることを必ずしも意味するものではない。
近代化との関連[編集]
「近代化」とは「封建的なものを排して、物事を科学的、合理的に行うようにすること」であり、「産業化・資本主義化・民主化」等として認識される。
合理主義・法治主義・世俗主義[編集]
バード大学教授イアン・ブルマおよびヘブライ大学名誉教授アヴィシャイ・マルガリートによれば、19世紀ロンドンのような都市文明では、過大な富の不均衡があったと同時に、都市や個人の自由が相当保証されてもいた。その種の自由の起源はマグナ・カルタ(大憲章)まで遡り得るが、啓蒙主義に負うところも大きい。
啓蒙主義者・合理主義者ヴォルテールは、1726年にイギリスへ亡命し、自由を讃え、専制主義への攻撃を開始した。ヴォルテールは当代随一の論客であり、議論上いくらかの誇張は否めないが、鋭い観察を残したことは確実視されている。ヴォルテールが賞賛したものの中には、科学探求の自由・思想家の高い地位に並んで「王立証券取引所」もあった。それは
すべての国の代表が人類の利益のために集まってくる、大抵の裁判所よりも尊ばれるべき場所
だとヴォルテールは述べた。フランスで商人階級(ブルジョア階級)は、貴族や文化人から見下されていたが、ヴォルテールは商業こそ人間が自由を確保するための重要条件と見なした。王立証券取引所についてヴォルテールは
ユダヤ人、回教徒[ムスリム]、キリスト教徒が、まるで同じ神を崇拝するかのように互いに接している。この場で不信心者とされるのは破産者だけだ。
とも記した。ヴォルテールが見て取ったように、金銭は信条・人種といった違いを解消する。市場では誰もが、共通の規則・契約・法律で結び付けられている。そのような共通制度は(先祖代々からの神によって啓示されたものではなく)、個々の所有物を守り、他人に欺かれるリスクの削減のために人間が作ったものである。市場では、生まれはあまり重要ではなく、村落や氏族の間ではある程度有効だった慣習にも、頼ることはできない。合理性を重視することにより、世俗的な通商法は絶賛された。
世界的に、近代化は世俗化を伴っている。そのため通念上、産業革命を経験した西洋は他地域に比べて劇的に豊かになった一方、過去の伝統や農業と切り離された、と言われる。産業化には科学と技術の絶えざる応用が伴い、それは必然的に世俗化に繋がっている。何故なら、産業社会における合理的生産は、物事がどのように機能するのかという問いかけや、原因と結果の絶えざる探求無くしては成立しないからである。それは、因果関係を曖昧化する宗教の「呪縛」を除去し、マックス・ヴェーバーが呼ぶところの「世界の覚醒」(脱宗教化)をもたらした。
脱伝統・脱宗教化を経済成長と結びつける近代化のイメージは、特に非西洋世界の改革推進勢力の間で説得力を持った。そのイメージは完全には間違っていなかったが、反改革派の宗教的勢力と同様に、改革派の結論も極端な方向へ走りがちだった。
自由主義・民主主義・平和主義[編集]
自由民主主義は、商業国に最適な政治制度とされている。このシステムでは競争し合い、利益の相違は交渉・妥協を通じて解決することが前提となっている(当然、そのような制度は「英雄的」ではなく、反民主主義からは「卑劣」「軟弱」「凡庸」「腐敗」等と見なされてきた)。一例はアメリカの民主主義であり、アレクシ・ド・トクヴィルは以下のように論じている。
もしも人間の知的・道徳的活動を現実の生活の必要性に注ぎ込み、生活の向上に役立てたいのならば、
もしも理性の方が天才よりも人の役に立つと考えるならば、
もしも英雄的美徳ではなく穏やかな習慣の創造を望むならば、
もしも政府の主な目的が、最強の力や国家全体の栄光の獲得ではなく、すべての個人に最大の幸福を提供することであるならば、
条件の平等を整えて民主的政府を確立するのが良いだろう。
19世紀中頃のアメリカ訪問中には、こう述べている。
すべての人が積極的野心にみなぎるこの国では、崇高な理想は希薄である。
実際には民主主義と戦争の相性は悪くなく、近代史では、民主主義国家が独裁政権にことごとく勝利している。しかしトクヴィルの見解によると、民主主義下の市民(ゾンバルトの言う「ブルジョア」や「商人」)は、生命をかけて戦闘することを簡単には受容しない。
自由民主主義や資本主義は、「英雄的」信条とは異なり、自由思想(リベラリズム)に近い。観点によっては、自由社会(リベラル社会)は「凡庸さ」を奨励さえしている。ナチス・ドイツの国家主義者アルトゥール・メラー・ファン・デン・ブルックは、リベラル社会では自由が与えられ、「際立った人生よりもありふれた日常」に重きが置かれると見ており、その点ではトクヴィルも類似している。すなわちリベラルな資本主義社会では、大多数の人々は「普通の生活」を送る。ピューリタンの伝統に則り、自由主義者(リベラル)は普通に生きることを受け入れた。そして17世紀のオランダ絵画やイギリス文学(ジェーン・オースティンの小説)が描いたように、凡庸な日常生活にも威厳があり、それは嘲笑するのではなく大切に育むべきだという考えも確立されていった。英雄主義や結束主義(ファシズム)等は、これに対立する。
すべての近代ヨーロッパ思想の中で、非西洋の知識人に最も受容されたのはドイツナショナリズムだと考えられる。例えばナチズム(国家社会主義)は、バース党(アラブ社会主義復興党)へ多大な影響を与えている。その理由としてはドイツのナショナリズムが、近代西洋の普遍性の主張に反発するものだったことが挙げられている。