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西武鉄道

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西武鉄道株式会社(せいぶてつどう、英: SEIBU RAILWAY Co.,Ltd.)は、埼玉県所沢市に本社を置く日本の鉄道会社である。登記上の本店所在地は東京都豊島区南池袋にある。

東京都北西部と埼玉県南西部で12鉄道路線(総延長176.6キロメートル) と関連事業(バス・タクシー・旅行・観光・商業・不動産開発など)を運営する西武グループの主要企業で、日本の大手私鉄の一つである。また、プロ野球・埼玉西武ライオンズの親会社(2009年から)でもある。

「西武」の名称は「蔵国の西部」に由来する。また、利用客の多くは西武鉄道の路線のことを「西武線」と呼んでおり、車内放送などでも「西武線」と呼称している。

概要[編集]

西武鉄道は、東急や阪急電鉄(阪急阪神ホールディングス)などの大手私鉄と同じように、経営の多角化を早くに進め、また自社の不動産を中心とした非鉄道事業で大きな利益を上げている。祖業が堤康次郎率いる不動産会社の箱根土地(後のコクド、現在はプリンスホテルに合併)であることも、その背景である。不動産開発は西武沿線は勿論のこと、神奈川県、千葉県の房総や伊豆箱根地方にも広がり、堤康次郎の出身地である滋賀県も1943年から近江鉄道を傘下としていることなどにより西武鉄道の事業エリアとなっている。

昭和中期には箱根の不動産開発をめぐり小田急グループ(当時の東急系)と「箱根山戦争」と称される縄張り争いが繰り広げられた。現代では、2003年から小田急電鉄と観光地や鉄道沿線事業での提携や、「東急線西武線まるごときっぷ」といった共通商品の開発に乗り出しており、また2013年以降は東京メトロ副都心線を経由して西武池袋線と東急東横線が相互直通運転を開始するなど、対立していた小田急や東急と現在では協調している。

鉄道事業での収入より不動産部門の方が主となっているが、2006年のグループ再編により、日本国内のリゾート関係の不動産は兄弟会社のプリンスホテルや西武プロパティーズ(旧:西武不動産販売)へ段階的に譲渡されている。旧宮家(皇族)の持っていた東京都心や駅前の超一等地、神奈川県の箱根や湘南、長野県の軽井沢といった人気リゾート地にホテルやスキー場、ゴルフ場などの広大な土地を所有しており、企業の土地資産価値で日本一の時代もあった。かつては阪急や東急、近鉄を抑えて大手私鉄の中で時価総額が最大であった。その恵まれた土地資産を活用して、石神井公園駅、大泉学園駅、小手指駅周辺などの沿線再開発のほか、赤坂プリンスホテル跡地に大規模な再開発ビルである「東京ガーデンテラス紀尾井町」を開業した。また、所沢駅周辺や東京都区部の池袋・品川・高輪でも再開発を進行・計画中である。

西武グループとして商業施設や小売・外食店を展開している ものの、関東の大手私鉄では相模鉄道(相鉄)や東京地下鉄(東京メトロ)とともに、グループ内に百貨店を持っていない(百貨店の「西武」を経営するそごう・西武は後述するようにフォートレス・インベストメント・グループ傘下であり系列外)。これは、創業者である堤康次郎死後、西武鉄道などは堤義明率いる西武鉄道グループ(現:西武グループ)、西武百貨店などは堤清二率いる西武流通グループ(後のセゾングループ、2000年代に実質解体)の2グループに分かれたため。ただし、2003年のミレニアムリテイリング第三社割当増資時に和田繁明社長(当時)が堤義明会長(当時)へ打診し、西武鉄道が出資を引き受けた。2006年の西武ホールディングス設立に伴うコクドの第三者割当増資時にはミレニアムが10億円出資を引き受け、セブン&アイ・ホールディングスがミレニアム株式を現金で買上げるまでの数か月間は株式の持ち合い状態であった。2020年時点でも、西武グループの統括会社である西武ホールディングスとセブン&アイ・ホールディングスは「連携強化のため」にお互いに株式を持ち合っており、西武鉄道・プリンスホテルと西武池袋本店が共同で外国人観光客誘致を行う、秩父地方で採れた農産物を西武の特急列車で輸送し、西武池袋本店で販売するなどの協業を行っている(詳細は「そごう・西武#西武グループとの関係」参照)。なお、そごう・西武は2023年にアメリカ合衆国の投資ファンド「フォートレス・インベストメント・グループ」に売却されセブン&アイグループから離脱した。

西武百貨店の小店舗として登場したスーパーマーケットの西友が西武沿線に多いのは、グループ分裂前に発展過程で店舗と土地を賃貸しているのが、現在まで継続しているからである。西友が米ウォルマートの子会社になってからも西友とのつながりは未だに深く、西武鉄道の開発するニュータウンや駅改良工事後に、西友の新店舗が開店することが多い。また、西友の小売事業として発足したファミリーマートとは、駅ナカコンビニTOMONY(トモニー)の展開で提携しているなど、かつてのセゾングループとのつながりを見ることが出来る。

一方で西武鉄道グループとしても、西武リアルティソリューションズ(旧プリンスホテル)を介して、PePeやEmioなどの駅ビルやBIG BOX、アウトレットモールといった大型商業施設の運営を行っている(元は2022年にプリンスホテルに合併された西武プロパティーズの事業)。また、旅行業部門として西武観光を擁しており、一般客向けには西武線のターミナル駅構内に窓口が置かれている。

首都圏で東京都区部と周辺地域を結ぶ鉄道他社、特に小田急電鉄や東急電鉄では利用客の増加に対応し線路の複々線化が活発に行われたが、西武鉄道では複々線化について、池袋線では練馬駅から石神井公園駅までを複々線化した一方で、新宿線では西武新宿駅 - 上石神井駅間の複々線化が計画されたが、その後少子高齢化の進行に伴う利用客の減少の見込み等により、計画を中止した。

一方、老朽化した駅施設などのリニューアルを活発に進めており、1999年の田無駅を皮切りに野方、花小金井、狭山市、東長崎、江古田、東久留米、所沢の各駅で駅舎の全面改築が行われている。2007年からはファミリーマートと協業した駅売店「TOMONY(トモニー)」や2010年代以降は駅ビル型の中小規模な駅ナカ商業施設として「Emio(エミオ)」やより大規模な「Grand Emio(グランエミオ)」を開業させ、駅の改築に合わせて順次展開していく見通しである。

同族経営時代[編集]

西武鉄道は2006年2月の西武グループ再構築まで長きに亘り、堤家のコクドが株式の多くを保有する同族経営(=ファミリー企業)であった。

康次郎亡き後は後継者となった堤義明による経営手腕で1960年代以降、プリンスホテルとその近隣でのスキー場、ゴルフ場、スケートリンクなどのリゾート開発と、ニュータウン/宅地開発などが東日本を中心に大規模に推し進められた。兄弟会社であったプリンスホテル(旧)の不動産物件はほとんど西武鉄道の所有であり、プリンスホテル社は運営のみを行っていた。また、1978年にはコクド(当時は国土計画)がクラウンライターライオンズを買収して、西武ライオンズを誕生させプロ野球球団経営に進出する。建築には西武建設(旧)、庭や芝生管理に西武造園を用いるなど内部経済でコクド・西武鉄道グループとしての規模を拡大させ社員3万人を有し、「西武王国」と言われた。また、1980年代には堤義明は世界の富豪(世界長者番付)入りを果たした。

1957年から東証一部に上場していたが、2004年に発覚した証券取引法違反事件により同年12月に上場廃止処分となり、その後のコクド・西武鉄道・プリンスホテル間での事業領域の再構築と不採算物件の売却が行われるなど、大きな転換期となった(後述)。

プリンスカード[編集]

2007年2月には、西武鉄道とプリンスホテル・伊豆箱根鉄道など再編後の西武グループ各社が手掛ける物販・ホテル・リゾート各施設でのポイントサービス「プリンスポイント」と「プリンスポイントカード」を共同で導入。2006年9月に先行する形で提携カード「SEIBUプリンスカード」の発行がクレディセゾン・西武鉄道・プリンスホテルの提携によって開始された。同カードではクレジット決済による定期券購入が可能となり、2007年3月開始の「PASMOオートチャージサービス」へも対応している。なお、グループ再編前の1980年代(コクド資本下)より旧プリンスホテルと西武交通などの利用に限定されたハウスカード「プリンスカード」が存在しており(旧日本信販などと提携)、従業員関係者や西武グループの上得意客向けに限定されて発行されていた。2005年4月にクレディセゾンと旧プリンスホテルが提携した「プリンスカード《セゾン》」が一般向けにも募集されるようになったが、「SEIBU プリンスカード」とはサービス面で関連性が無く、新たに新規申込する必要が生じた。

外資ファンドによる路線廃止提案と敵対的TOB[編集]

2012年10月および2013年3月、親会社西武ホールディングスの大株主である外資ファンド、サーベラス・キャピタル・マネジメントは、大規模なリストラ案を株主提案した。具体的には不採算5路線(多摩川線・山口線・国分寺線・多摩湖線・西武秩父線)の廃止、埼玉西武ライオンズの売却、プリンスホテルのサービス料の値上げ、品川駅周辺の再開発案の策定とされる。これに対し西武が拒否したため、2013年4月下旬を期限とする敵対的TOBへ発展した。

なお、2013年3月21日の報道でサーベラスは、「路線廃止や球団売却などを強要したことはない」と否定している。また、沿線自治体(特に西武秩父線沿線)からは路線の存続を求める声も上がっており、若林久社長は埼玉県秩父市に対して「公共交通機関なので守る」と説明している。

社章・シンボルマーク[編集]

現在のシンボルマークは新生・西武鉄道を象徴する一環として、新社章を兼ねたものであり、2007年4月1日に制定された。その意匠は旧社章と同じく西武の"西"をモチーフにしている。それぞれマークの形の意味として、2つの輪は、様々なものが鉄道によって出会いつながる姿を、果実のようなデザインは、交流によって生まれる「実り」=「地域・社会の発展」を表現。カラーリングでは、グリーンで「自然との調和」、濃いブルーで「信頼」と「安心・安全」、明るいブルーで「新しいことへの挑戦」をイメージしている。

シンボルマークは2008年4月から既存車両側面に掲示されるようになり、同時に西武鉄道の制服もリニューアルされるなどして、多くの場所でこの社章を見かけるようになった。なお、社名ロゴのフォントも制定・変更され、「SEIBU」という英文表記もされるようになり、同社の広告に記載されたり、シンボルマークとともに全営業車両の先頭車両乗務員室扉横(8500系は車端部)に貼り出されたりした。ただし、近年、英文表記はあまり使わなくなり、同社が発行する広報誌『西武鉄道かわら版』の表紙には2013年度以降、記載されなくなった。また、2014年4月の消費税率変更時に運賃表を貼りかえた際、一部駅の運賃表下にあった「SEIBU」の英文表記が「西武鉄道」の漢字表記に変更され、駅のリニューアル工事後の駅入口看板も同様に変更されている。さらに、2013年度以降導入の30000系、近年に検査入場した車両、フルラッピングで車体色が変更された車両は、「SEIBU」の英文表記が「西武鉄道」の漢字表記に変更されている。

旧社章は西武軌道が1922年に制定したものである。西武の"西"をモチーフにしたもので、野球のボールに似た形をしている。新社章移行後、車両に掲示された旧社章は車体更新に併せて取り外しが進行中である。

歴史[編集]

西武鉄道は、現在の池袋線系統の路線を開業した武蔵野鉄道が、新宿線系統の路線を開業していた西武鉄道(旧)を合併して出来た会社である。

武蔵野鉄道[編集]

武蔵野鉄道は、1911年(明治44年)10月18日に鉄道免許を取得し、1912年(明治45年)5月7日に設立、当初は巣鴨駅を起点とする計画であったが、東京府が池袋駅を起点にするよう指示したため、1913年(大正2年)4月に計画を変更。1915年(大正4年)4月15日に現在の池袋線の一部である池袋駅 - 飯能駅間を開業した。1922年(大正11年)に池袋駅 - 所沢駅間、1925年(大正14年)に飯能駅までの全線を電化し、1929年(昭和4年)9月10日に吾野駅まで開業させた。なお西武豊島線は1927年(昭和2年)に、狭山線は1929年(昭和4年)に開業している。

一方、1924年(大正13年)に箱根土地(後のコクド。現在のプリンスホテル)が武蔵野鉄道沿線の東京府北豊島郡大泉村に大泉学園都市の分譲を開始。武蔵野鉄道に東大泉駅(現在の大泉学園駅)を建設した上で寄贈する。翌1925年には武蔵野鉄道の株式を取得した。また、箱根土地は1928年(昭和3年)、村山貯水池(多摩湖)および小平地区一帯を開発すべく、多摩湖鉄道を設立。4月6日に国分寺駅 - 萩山駅間を開業し、1936年(昭和11年)12月30日に村山貯水池まで開業させ、全通した。

1932年(昭和7年)に箱根土地社長の堤康次郎が経営危機に陥っていた武蔵野鉄道の株式を買い集め、再建に乗り出す。1934年(昭和9年)8月28日、武蔵野鉄道は鉄道抵当法に基づく強制執行が実施され、運賃収入が強制管理人に差し押さえられる(1937年〈昭和12年〉まで)。

1935年(昭和10年)1月21日からは、9か月分の電力料金17万円滞納を理由に東京電燈から制限送電を受け、最大5600 kWを必要とするところを4000 kWしか受電できなくなった。通勤時の輸送能力が激減して混乱を招いたため、東京電燈側は沿線住民に対して制限送電を行う経緯を記した文書を配布し理解を求めた。経営は一層苦境に立たされるが、1936年(昭和11年)に武蔵野鉄道と債権者の間で和議が成立する。1938年(昭和13年)、大口債権者である東武鉄道の初代社長初代根津嘉一郎らがようやく債務免除に応じ、経営再建に道筋をつけた。

1940年(昭和15年)3月12日、武蔵野鉄道は同系の多摩湖鉄道を吸収合併する。10月、堤は根津および浅野財閥(元々の親会社)から株式を取得して過半数を確保し、社長に就任した(長年、西武鉄道株式のうち約45%を箱根土地の後身会社であるコクドが保有していて、他に西武建設の保有分を合わせると関連会社による持分が過半数を占めていたのはこの一件に由来する)。

西武鉄道(旧)[編集]

西武鉄道(旧)は川越鉄道に始まる。川越鉄道は、甲武鉄道の関連会社として1892年(明治25年)8月5日に設立され、1894年(明治27年)12月21日に現在の西武国分寺線である国分寺駅 - 久米川(仮)駅(現在の東村山駅)間を開業させた。さらに、川越鉄道は1895年(明治28年)3月21日に、現在の西武新宿線の一部である久米川(仮)駅 - 川越駅(現在の本川越駅)間を開業させた。その後、1920年(大正9年)6月1日に武蔵水電に吸収合併された。武蔵水電の前身は、1906年(明治39年)4月16日に川越久保町駅 - 大宮駅間を開業させた川越電気鉄道である。合併後、川越久保町駅 - 大宮駅間の路線は川越東線となった。

1921年(大正10年)10月、武蔵水電は同年に淀橋町角筈 - 荻窪村間を開業させていた西武軌道を吸収合併した。「西武」の名前はこの会社が起源であり、現在の西武鉄道が2007年3月まで使用していた西武の西という字を図案化した社章もこの会社のものであった(ただし、6000系・10000系・20000系以外の現在も残っている車種は一部を除き2009年時点でもその旧社章を使用していたが、更新工事を施工した車両では取り外されている)。翌1922年(大正11年)11月に武蔵水電は帝国電灯に吸収合併されたが、帝国電灯は鉄軌道部門を、武蔵鉄道から改称して同年8月15日に設立された西武鉄道(旧)に分離した。また、川越久保町 - 大宮駅の路線は大宮線となった。

1925年(大正14年)、安比奈線南大塚駅 - 安比奈駅間を開業。1927年(昭和2年)4月16日にこれも現在の西武新宿線の一部にあたる村山線高田馬場駅 - 東村山駅間を複線・電化で開業。同時に東村山駅 - 川越駅間を電化し、高田馬場駅 - 川越駅間の直通運転を開始した。同年8月30日には、現在の多摩川線を開業させていた多摩鉄道を吸収合併した。

1935年(昭和10年)12月27日、西武軌道線(淀橋町角筈 - 荻窪村間)を東京乗合自動車に委託した。委託後、同区間を譲渡(1951年)するまでの歴史は、「都電杉並線#歴史」を参照のこと。

1941年(昭和16年)、前年に川越線の開業に伴い休止していた大宮線を2月25日に廃止した。

1943年(昭和18年)6月、箱根土地が経営権を獲得。堤康次郎が社長に就任した。

1944年(昭和19年)6月、第二次世界大戦下の食糧不足に対応するため、沿線の耕地を利用した大規模食糧供給を目的に、食糧増産株式会社を設立した。

また1944年には、東京都からの委託によって糞尿輸送が開始された。当時都内の糞尿処理は、トラックで東京湾岸へ運び船で海中に捨てていたが、人手不足とガソリン統制により、処理が追いつかなくなっていた。そこで東京都長官の大達茂雄からの要請で、武蔵野鉄道と西武鉄道(旧)と食糧増産の3社が一体となり、専用貨車と積込所・貯溜施設を造って大規模な糞尿処理にあたることとなったのである。同年9月10日夜から普通貨車による糞尿運搬の臨時運転を開始し、11月21日には専用貨車を用いた本運転に入った。この糞尿輸送列車は、「汚穢電車」「黄金電車」「黄金列車」などと呼ばれた。

この時の輸送力はあまり高いものではなく、積込所も2か所、貯溜槽も7か所しかなかった。社長の堤康次郎はさらに輸送規模を拡大させ、当時都内から排泄されていた1日約38,000石の糞尿全てを処理できるように構想を立てた。専用貨車を115両新造して輸送能力を1日20,000石に上げるとともに、両鉄道沿線の数十箇所に糞尿貯溜槽を置き、約271,000石の糞尿をためられるようにする。そして輸送は主に深夜に行い、その帰りは貨車の上に特設台を設置し、都内向けの野菜を運搬しようというものであった。

しかし衛生面などで問題が続出し、糞尿輸送は次第にその輸送量を減らして行った。書類上は1953年(昭和28年)3月30日までの契約であったが、実際には1951年に輸送が休止して以降、再開されないままの廃止で、堤の輸送拡大構想は結局実行されないまま終わった。

なおこの糞尿輸送が行われている最中に武蔵野鉄道と西武鉄道(旧)と食糧増産の3社が合併しているが、社名に「農業」を付して「西武農業鉄道」とした由来はこのようなことにある。

合併から現在まで[編集]

戦後、西武鉄道の復興は他社に比べ目覚ましいものだった。大手他社が国鉄モハ63形の割当てにより体制を整えようとしている中、西武鉄道では国鉄の戦災車や事故車、これらが枯渇すると老朽廃車となった木製車を大量に譲り受け、自社(当時は復興社のちに西武建設経営)の所沢車両工場で改造、修繕や木造車体の鋼体化を実施した。これにより、モハ63形新製割当ての見返りに従来車を地方私鉄に供出する義務から解放され、輸送力増強を成し遂げたのである。国鉄の改造車ばかり走っていたことから、利用者からは「第2の国鉄」とまで呼ばれていた。国鉄の事故車などを導入したためモハ63にTR11という大正時代の台車を履かせた、国鉄どころか国内でも最低な水準の電車も作られ運行が行われた。徐々に車両数が増えると車体を新造するようになったが、台車や機械類は国鉄から譲り受けたものだった。

しかし、1954年(昭和29年)からようやく車体の完全新造が始まった。この時、登場した351系(登場当時501系)はこれから長きにわたる西武電車の基本デザイン「湘南デザイン」を確立した。この時の西武線を走っている電車と言えば、雑多な形態の電車を連結して、武蔵野台地を駆け巡るという印象が強かった。戦後の西武鉄道の方針は「質より量」で、車両の高速化はいち早く実施されてはいるものの他社では1950年代中盤(昭和20年代終盤)から登場したいわゆる高性能車の導入はせず、他系列との併結を考慮し性能の統一化を図ることから、一貫して旧来の吊り掛け駆動の増備を続けていたため「見せかけの新車」と揶揄されていた。その後登場した西武初の高性能車とも言えるカルダン駆動の601系・701系電車にしても、旧来の吊り掛け駆動車との併結が前提で、機能的には動力伝達方式をアップデートしただけであり、吊り掛け駆動車と併結することによってカルダン駆動本来の性能を発揮できていなかった(詳細は各系列の記事を参照)。電動車の台車は新製されるようになったものの、付随車の台車は国鉄から譲り受けた旧式な釣合梁式のTR11系の改造品であった。従来車との混用を考慮しない、電気制動を可能とした真の意味での高性能車が導入されたのは、西武秩父線開業を控えた、実に1960年代終盤(昭和40年代中盤)のことであった。

1963年(昭和38年)11月1日からは、他社ではまだ6両編成が最長で、しかも18m級車両で編成を組んでいた時に、西武鉄道では池袋-所沢間に日本の私鉄で初めて10両編成を走らせ、単位輸送力を確保した。乗車率が最大で200%を軽く超えていた時代のことであり、西武鉄道の「質より量」という方針が初めて結果につながった瞬間となった。

1969年(昭和44年)には自社のイメージの確立に乗り出し、現在でも利用者の西武鉄道のイメージである「黄色い電車」の第1号となる101系 が登場する。その後、101系で冷房試作車が登場し、翌年に集中式冷房の採用が決定したのをきっかけに在来車両の高性能化および冷房化が急ピッチで施行されるようになった。この過程で、1977年(昭和52年)には西武鉄道で初の本格的な4扉車かつ界磁チョッパ制御・回生ブレーキを採用した2000系も登場し、省エネルギー化や乗降時間短縮にも貢献するようになった。こうした質的改善により、1985年(昭和60年)5月には車両冷房化率は92.2%と大手私鉄全社中3位、関東大手私鉄では1位に達した。戦後、復興の際の経営戦略が非常にユニークで他鉄道会社と異なっていることから、現在の沿線イメージ、会社イメージ共に他の関東圏私鉄と比較するとやや異質の存在として見られていることが多い。

他の大手私鉄では昭和20年代に東京都心部(主に東京駅・有楽町など)への路線延伸申請を競い合うように行なったが、西武はその動きとは一線を画した。

1986年(昭和61年)に西武鉄道本社は東京都豊島区から埼玉県所沢市へと移転した。同時に西武グループ本社も移転している。東京都区部に路線を持つ鉄道事業者は現在も都区内に本社を置く場合が多いが、このように中心機能を東京の中心地から離した例は、他に東京都新宿区から多摩市へ移転した京王電鉄や、2013年に本社を東京都墨田区から千葉県市川市へ移転した京成電鉄がある。本社移転の狙いは、主要路線が2本交わる所沢駅を中心とした都市開発を行って沿線の開発・活性化を図ることや、沿線や輸送サービスの実態確認の容易化のためである(京王電鉄や京成電鉄の本社移転も同様の理由である)。

2017年(平成29年)1月16日、西武ホールディングスは都心事業の展開を強化する目的で、2019年春にかつての本社所在地に建設するビル内に本社を移転した上で入居することを発表し、西武グループとしては33年ぶりに池袋の地へ復帰することになった が、西武鉄道の本社は所沢市に残る予定。

  • 1945年(昭和20年)9月22日 - 武蔵野鉄道は西武鉄道(旧)と食糧増産を吸収合併して西武農業鉄道に改称。これは陸上交通事業調整法に基づくものであったが、実際の合併は食糧増産に対する運輸通信省の査定に時間が掛かり、終戦後となった。
  • 1946年(昭和21年)
    • 2月14日 - 池袋線保谷駅 - 田無町駅(現:ひばりヶ丘駅)間で複線運転を開始。
    • 11月15日 - 西武農業鉄道が現在の西武鉄道に改称。バス事業を武蔵野自動車(現:西武バス)に譲渡して分社化。
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 - 村山線東村山駅 - 村山貯水池駅(現:西武園駅)間営業再開。
    • 5月18日 - 運賃改定。最低普通運賃2円。
    • 7月18日 - 運賃改定。最低普通運賃3円。
    • 11月5日 - 国分寺線東村山駅 - 国分寺駅間を電化。
  • 1949年(昭和24年)
    • 5月5日 - 運賃改定。最低普通運賃5円。
    • 11月15日 - 多摩湖線本小平駅を小平駅に統合。
  • 1950年(昭和25年)
    • 4月6日 - 国分寺線東村山駅 - 柳瀬信号所間で複線運転開始。
    • 5月12日 - 運賃改定。最低普通運賃5円。
    • 5月15日 - 旧日立航空機専用線を譲り受け、上水線として小川駅 - 玉川上水駅間営業開始。
    • 5月23日 - 村山線東村山駅 - 村山貯水池駅間に野口信号所を新設、野口信号所 - 西武園駅間営業開始。
    • 7月11日 - 多摩川線武蔵境駅 - 北多磨駅(現:白糸台駅)間を電化。
    • 8月1日 - おとぎ線多摩湖ホテル前駅 - 上堰堤駅間営業開始。
    • 11月1日 - 多摩川線北多磨駅 - 是政駅間を電化。
  • 1951年(昭和26年)
    • 4月1日 - 元西武軌道の路線で、東京乗合自動車時代の1935年から業務を委託していた新宿軌道線(新宿駅 - 荻窪北口)を正式に東京都に譲渡。
    • 9月16日 - おとぎ線上堰駅 - ユネスコ村駅間営業開始。
    • 10月7日 - 狭山線西所沢駅 - 狭山湖駅(現:西武球場前駅)間営業再開(ガソリンカー運転)。
    • 11月1日 - 運賃改定。最低普通運賃10円。
  • 1952年(昭和27年)
    • 3月21日 - 狭山線西所沢駅 - 狭山湖駅(現:西武球場前駅)間を電化。
    • 3月25日 - 村山線高田馬場駅 - 西武新宿駅間営業開始。同時に路線名を新宿線に改称。
    • 7月15日 - おとぎ線多摩湖ホテル前駅 - ユネスコ村駅間を地方鉄道に転換し、山口線に改称(「おとぎ線」「おとぎ列車」は愛称として残る)。
  • 1953年(昭和28年)
    • 1月15日 - 運賃改定。最低普通運賃10円。
    • 2月5日 - 西武観光営業開始。
    • 3月28日 - 池袋線田無町駅(現:ひばりヶ丘駅) - 東久留米駅間で複線運転開始。
    • 9月26日 - 池袋線東久留米駅 - 清瀬駅間で複線運転開始。
  • 1954年(昭和29年)
    • 戦後初の新造車501系(初代、のちの351系)通勤電車登場。
    • 10月12日 - 上水線小川駅 - 玉川上水駅間を電化。
  • 1957年(昭和32年) - 本線での蒸気機関車運用廃止。
  • 1958年(昭和33年)
    • 9月16日 - 新宿線から小平駅、萩山駅経由多摩湖駅への直通運転開始。
    • 12月19日 - 新宿線柳瀬信号所 - 所沢駅間で複線運転開始。
  • 1959年(昭和34年)
    • 451系登場。
    • 1月29日 - 運賃改定。最低普通運賃10円。
    • 12月21日 - 池袋線清瀬駅 - 秋津駅間で複線運転開始。
  • 1960年(昭和35年)
    • 5月25日 - 池袋線秋津駅 - 所沢駅間で複線運転開始。
    • 11月 - 新宿線西武新宿駅 - 上石神井駅間で6両運転開始。
  • 1961年(昭和36年)
    • 551系登場
    • 9月20日 - 多摩湖線0.4 km延伸、多摩湖駅新設。
    • 12月、池袋線池袋駅 - 所沢駅間で急行8両運転開始。新宿線西武新宿駅 - 田無駅間で6両運転開始。
  • 1962年(昭和37年)
    • 9月1日 - 上水線小川駅 - 萩山駅間営業開始。上水線から新宿線へ直通運転開始。
    • 11月1日 - 運賃改定。最低普通運賃10円。
    • 12月28日 - 西武鉄道初のカルダン駆動車601系通勤電車登場。変電所集中制御システム使用開始。
  • 1963年(昭和38年)
    • 池袋線池袋駅 - 所沢駅間で私鉄初の10両運転開始。
    • 701系通勤電車登場。
  • 1964年(昭和39年)
    • 4月26日 - 西武グループ創業者の堤康次郎死去。
    • 11月15日 - 新宿線新狭山駅開業
  • 1965年(昭和40年)
    • 2月18日 - 保有車両数400両突破。
    • 11月5日 - 池袋線所沢駅 - 西所沢駅間で複線運転開始。
  • 1966年(昭和41年)
    • 1月20日 - 運賃改定。最低普通運賃20円。
    • 5月16日 - 小手指検車区(現:小手指車両基地)開設。
    • 5月25日 - 池袋線西所沢 - 小手指ヶ原信号所(現:小手指駅)間で複線運転開始。
    • 10月28日 - 池袋線小手指ヶ原信号所 - 武蔵藤沢駅間で複線運転開始。
  • 1967年(昭和42年)
    • 1月13日 - 新宿線西武新宿駅 - 田無駅間で急行8両運転開始。
    • 6月1日 - 急緩行列車選別装置使用開始。
    • 10月28日 - 新宿線所沢駅 - 新所沢駅間で複線運転開始。
    • 11月7日 - 上水線小平駅 - 萩山駅間で複線運転開始。
    • 11月11日 - 801系通勤電車登場。
  • 1968年(昭和43年)
    • 5月15日 - 拝島線の玉川上水駅 - 拝島駅間営業開始。上水線を拝島線と改称。
    • 11月12日 - 国分寺線恋ヶ窪駅 - 羽根沢信号場間で複線運転開始。
    • 11月13日 - 池袋線武蔵藤沢駅 - 入間市駅間で複線運転開始。
  • 1969年(昭和44年)
    • 3月5日 - 西武初の黄色い電車である101系通勤電車が登場(当時は黄色とベージュのツートン、非冷房)。
    • 9月26日 - 新宿線新所沢駅 - 入曽駅間で複線運転開始。
    • 10月1日 - 南入曽検車区(現:南入曽車両基地)開設。
    • 10月2日 - 池袋線仏子駅 - 笠縫信号所間で複線運転開始。
    • 10月14日 - 西武秩父線営業開始とともに「レッドアロー」こと5000系特急車登場。自動列車停止装置 (ATS) 使用開始(多摩川線、安比奈線、山口線を除く)仏子駅 - 西武秩父駅間で列車集中制御装置 (CTC) 使用開始。
    • 12月16日 - ITV(駅ホーム監視用テレビ)使用開始。
  • 1970年(昭和45年)
    • 1月1日 - 横瀬検車区(現:横瀬車両基地)開設。
    • 8月16日 - 踏切支障検知装置使用開始。
    • 10月5日 - 運賃改定。最低普通運賃30円。
    • 11月20日 - 池袋線小手指駅開業。
  • 1972年(昭和47年)7月1日 - 通勤型初の冷房車101系試作冷房車登場。
  • 1973年(昭和48年)
    • 6月8日 - 新宿線田無駅 - 西武柳沢駅間立体交差化工事完成。
    • 11月29日 - 最高速度100 km/h運転開始。
  • 1974年(昭和49年)
    • 3月1日 - 電車行先方向幕を全列車に装備して使用開始。
    • 7月20日 - 運賃改定。最低普通運賃40円。
    • 9月6日 - 多摩川線単線自動化及びATS使用開始。
  • 1975年(昭和50年)
    • 3月20日 - 池袋線入間市駅 - 仏子駅間で複線運転開始。
    • 4月1日 - 西武新宿駅に群管理式券売機導入。
    • 6月2日 - 新宿線西武新宿駅 - 本川越駅間で急行10両運転開始。
    • 6月16日 - 定期乗車券集約発売開始。
    • 11月26日 - 新宿線入曽駅 - 入間川駅(現:狭山市駅)間で複線運転開始。
    • 12月8日 - 西武新宿駅 - 拝島駅・多摩湖駅間急行10両運転開始。
    • 12月13日 - 運賃改定。最低普通運賃60円。
  • 1976年(昭和51年)
    • 3月1日 - 所沢駅 - JR新秋津駅間に貨物連絡設備が竣工。同時に池袋・国分寺両駅の貨物中継を新秋津駅に変更。特急レッドアローの毎時運転開始。
    • 12月1日 - 列車無線を安比奈線、山口線を除く全線で使用開始。
  • 1977年(昭和52年)
    • 3月3日 - 西武新宿ビルオープン。
    • 4月1日 - 新宿線に西武初の界磁チョッパ制御車、4扉の2000系通勤電車が登場。2000系登場に従い、1980年頃に501系(2代目)とほぼ同時期に351系が本線系(新宿線系統・池袋線系統)からは運用終了。当時、3編成9両のみ多摩湖線のみ残る。
    • 12月19日 - 新宿線西武新宿駅 - 新所沢駅間準急10両運転開始。小平駅 - 多摩湖駅間折り返し運転開始。
  • 1978年(昭和53年)
    • 2月15日 - 保有車両数800両突破。
    • 9月16日 - 中央電気司令所(現:中央電気指令)を所沢へ移転。
    • 10月 - 日本のプロ野球球団・クラウンライターライオンズを西武グループが買収し、西武ライオンズとなる。
    • 12月15日 - 西武武蔵関ステーションビルオープン。
  • 1979年(昭和54年)
    • 1月8日 - 運賃改定。最低普通運賃70円。
    • 3月15日 - 変電所集中制御システムにコンピュータ導入。
    • 4月27日 - 西武狭山ステーションビルオープン。
    • 12月7日 - 拝島線萩山駅 - 小川駅間で複線運転開始。
  • 1970年代中盤頃 - 正確な時期は不明だが、2009年8月31日までの長期間使用されたドアステッカーが掲示されるようになる。客用ドアの窓ガラスの真ん中に外側から貼られており、「開くドアーにご注意」「手を引きこまれないように [西武鉄道]」と注意書きが書かれている。真ん中に黄色い(晩年はオレンジも)手を模したものが描かれ、下部には広告があるもの。厳密には前述した注意書きの文字の書体が1992年、1998年に変更されており、初代文字が石井ゴシック、1998年以降の文字はモリサワ新ゴである。
  • 1980年(昭和55年)
    • 3月12日 - 新宿線南大塚駅 - 脇田信号場間で複線運転開始。
    • 3月17日 - 従来は「普通」「急行」「準急」のみであった種別が、新宿線で「快速急行」(当時は行楽急行として休日のみ運転)を、池袋線で「準急」「快速急行」のほか「通勤準急」「快速」「通勤急行」を運行開始。
    • 3月28日 - 駅設備初のエレベータが新所沢駅で使用開始。
    • 6月16日 - 構内無線・乗務員無線使用開始。
    • 7月17日 - 拝島線東大和市駅立体交差化工事完成。
    • 12月25日 - 踏切支障報知装置使用開始。当時の注意書きには「非常の際は電車がもどらなくなるまでこのボタンを押してください 非常時以外にボタンを押すと処罰されます」と書かれていた。
  • 1981年(昭和56年)5月6日 - 運賃改定。最低普通運賃80円。
  • 1982年(昭和57年)
    • 4月1日 - 西武新宿駅に自動進路制御装置 (PRC) を導入して使用開始。
    • 6月26日 - 運転指令を所沢に移転。
    • 9月13日 - 遊園地前 - 西武遊園地間に地方鉄道免許。
    • 10月 - 「西武ライオンズ '82パリーグ優勝記念乗車券」発売。
    • 10月28日 - 西武田無ステーションビルオープン。
    • 11月 - 「西武ライオンズ '82日本シリーズ優勝記念乗車券」発売。
  • 1983年(昭和58年)
    • 10月 - 「西武ライオンズ '83パリーグV2優勝記念乗車券」発売。
    • 10月1日 - 西武有楽町線新桜台駅 - 小竹向原駅間開業。
    • 11月 - 「西武ライオンズ '83日本シリーズV2優勝記念乗車券」発売。
    • 11月10日 - 保有車両数900両突破。
    • 11月27日 - 池袋線に西武最後の3ドア・ツートンカラーの3000系通勤電車登場。
    • 12月1日 - 拝島線武蔵砂川駅 - 西武立川駅間で複線運転開始。
    • 12月12日 - 拝島線武蔵砂川駅開業。
    • 801系の新性能化・黄色塗装化完了をもって、801系・701系電車の新性能・全黄色塗装化終了。
  • 1984年(昭和59年)
    • 1月25日 - 運賃改定。最低普通運賃90円。
    • 5月14日 - 案内軌条式鉄道への改良のため、山口線営業休止。
  • 1985年(昭和60年)
    • この頃までに本線(新宿線・池袋線)からは赤電が引退、運行終了(当時、多摩湖線・多摩川線のみ残る)。山口線が新交通システムとして再開業し、おとぎ線時代に開業した一部区間が廃止。
    • 4月25日 - 国鉄(現・JR東日本)中央線方面からの野球開催時の利便向上のため、山口線新交通システム開業と同時に野球開催日のみ多摩湖線で臨時の「準急」が運行開始。
    • 6月1日 - ATS更新(多摩川線を除く)。停車場を除き出発信号機が進行定位になる。ホーム自動放送変更、声優も交代(声優不明)。
  • 1986年(昭和61年)
    • 3月23日 - 新宿線田無駅構内にて列車追突事故が発生。この事故で200名余の負傷者が出て、損傷の激しかった8両が廃車。この事故はブレーキシューに雪が挟まったことが原因と判明し、その対策として全形式に耐雪ブレーキが装備された。
    • 8月5日 - 本社を東京都豊島区南池袋(池袋旧本社ビル)から埼玉県所沢市(現在地・同年11月2日の地番変更により現住所)に移転。
    • 10月 - 「西武ライオンズ '86パリーグ優勝記念乗車券」発売。
    • 11月 - 「西武ライオンズ '86日本シリーズ優勝記念乗車券」発売。
  • 1987年(昭和62年)
    • 3月5日 - 拝島線西小川信号所使用開始。
    • 3月9日 - 小川変電所使用開始。
    • 5月25日 - 航空公園駅開業。この航空公園駅より当駅次駅前駅の案内表示サイン類の更新開始。
    • 8月1日 - レッドアローの1編成6両中、3両が禁煙車化、列車公衆電話も設置。
    • 10月 - 「西武ライオンズ '87パリーグV2優勝記念乗車券」発売。
    • 11月 - 「西武ライオンズ '87日本シリーズV2優勝記念乗車券」発売。
    • 11月20日 - CTC区間を高麗駅 - 西武秩父駅間に変更。
    • 12月10日 - 池袋線石神井公園駅 - 富士見台駅間立体交差化工事完成。
  • 1988年(昭和63年)
    • 黄色い電車(701系・801系・401系・旧101系)の初の廃車開始。多摩川線最後の赤電571系の廃車をもって多摩川線からも赤電が消滅する。
    • 701系・801系・401系・旧101系の置き換えとして新宿線に新2000系通勤車登場。
    • 4月1日 - プリペイドカードのレオカード発売開始。レオカードに対応した平成初代券売機登場。
    • 4月27日 - 池袋線東飯能駅 - 高麗駅間一部高架竣工。
    • 5月12日 - 誤通過防止装置使用開始。
    • 5月18日 - 運賃改定。最低普通運賃90円。
    • 6月1日 - 弱冷房車登場。
    • 10月 - 「西武ライオンズ '88パリーグV3優勝記念乗車券」発売。
    • 11月2日 - 拝島線東大和市駅 - 玉川上水駅間で複線運転開始。
    • 11月4日 - 2扉セミクロスシートの4000系近郊型車登場。池袋線・新宿線の最高速度を105 km/hに引き上げ。
    • 11月 - 「西武ライオンズ '88日本シリーズV3優勝記念乗車券」発売。
    • 11月16日 - 池袋線武蔵丘信号所(現:武蔵丘信号場)開設。
  • 1989年(平成元年)
    • 3月16日 - 駅管区制の導入。
    • 3月23日 - 保有車両数1000両突破。記念乗車券発売。
    • 3月31日 - 所沢、萩山鉄道電話局、デジタル電子交換機導入。
    • 4月1日 - 消費税導入に伴う運賃改定、最低普通運賃90円。秩父鉄道への直通運転開始(飯能駅 - 三峰口駅・野上駅)。「秩父鉄道直通運転開始記念乗車券」発売。
    • 12月14日 - 新宿線新狭山駅 - 南大塚駅間で複線運転開始。
    • 12月15日 - 多摩川線ATS更新。
  • 1990年(平成2年)
    • 6月30日 - 西武最後の赤電だった351系が最後の走行路線・多摩湖線でも運用終了・形式消滅。同時に全車両の冷房化・高性能化を達成。いわゆる「黄色い電車」に全車両統一(当時、101系・301系と3000系のみ黄色とベージュのツートン)。351系さよなら運転・イベントが行われた。「351系さよなら記念乗車券」を発売。
    • 制服を一新。
    • 9月16日 - 玉川上水車両管理支所(現:車両基地)開設。
    • 9月 - 「西武ライオンズ '90パリーグ優勝記念乗車券」発売。
    • 11月 - 「西武ライオンズ '90日本シリーズ優勝記念乗車券」発売。
  • 1991年(平成3年)
    • 2月1日 - 清瀬第3号踏切立体交差化工事完成、使用開始。
    • 3月9日 - 自動改札機導入、豊島園駅から使用開始。
    • 3月15日 - 西武研修センター使用開始。
    • 3月16日 - 特急券のオンライン発券サービススタート。オンライン発券サービス開始に伴い、初代特急券券売機登場。
    • 3月29日 - 拝島線小川 - 西小川信号所間で複線運転開始。
    • 5月11日 - 新宿線鷺ノ宮駅北口駅ビルオープン。
    • 7月27日 - 新宿線狭山市駅 - 新狭山駅間で複線運転開始。
    • 9月5日 - 西武本川越ステーションビルオープン。
    • 9月 - 「西武ライオンズ '91パリーグV2優勝記念乗車券」発売。
    • 11月 - 「西武ライオンズ '91日本シリーズV2優勝記念乗車券」発売。
    • 11月20日 - 運賃改定。最低普通運賃110円。
    • 12月12日 - 都営12号線(現:大江戸線)との連絡運輸開始。
  • 1992年(平成4年)
    • 1月14日 - 変電所集中制御システム更新。
    • 3月15日 - 車いす用階段昇降機を練馬駅にて初導入。
    • 4月1日 - 当時の運行管理システムの老朽化に従い、西武鉄道全線で運行管理システムの更新を実施した (SEMTRAC)。新しいホーム自動放送の声優は新宿線・池袋線では主に上り線担当の女性声優は河本俊美、主に下り線担当の男性声優は中村健治。なお、従来は「まもなく○番ホームに電車がまいります。白線の内側でお待ちください または、白線の内側までお下がりください」としか言わなかったものが、この時から種別、行き先、両数、先着するか、途中の駅で優等種別に乗り換えれば早く着くかどうかも分かるように改善された。
    • 4月8日 - 所沢総合管理事務所使用開始。
    • 6月1日 - 池袋線から初の10両固定編成、6000系ステンレス通勤車登場。
    • 9月 - 「西武ライオンズ '92パリーグV3優勝記念乗車券」発売。
    • 10月23日 - 西武飯能ステーションビルがオープン。
    • 11月 - 「西武ライオンズ '92日本シリーズV3優勝記念乗車券」発売。
  • 1993年(平成5年)
    • 2月10日 - 回数券発売対応マップ型平成2代目券売機登場(ただし、この2代目はレオカード非対応)。回数券を裏が白い非磁気券から裏が黒い完全磁気券化。
    • 5月12日 - 天皇・皇后、秩父行幸(池袋駅 - 西武秩父駅間乗車)
    • 12月6日 - 新宿線に「特急ニューレッドアロー」10000系登場。新宿線に朝ラッシュ時の上りのみ、「快速」「通勤急行」運行開始。特急停車駅に入間市駅を追加。
    • 12月11日 - 101系の車体更新車・10両固定編成の9000系通勤電車登場。
    • 西武鉄道初のLEDによる行先・種別・発車時刻案内表示器を、この年から西武新宿駅、池袋駅、所沢駅から設置開始。1999年までにかけて主要駅(主に急行停車駅全駅と各駅停車のみ停車駅の一部)すべてに設置され、幕式などによる旧型行先・種別・発車時刻案内表示器を置き換えた。
  • 1994年(平成6年)
    • 8月8日 - 新宿線にも6000系ステンレス通勤車登場。
    • 10月1日 - 池袋駅新特急ホーム使用開始。
    • 10月15日 - 池袋線にも「特急ニューレッドアロー」10000系登場。
    • 12月7日 - 西武有楽町線新桜台駅 - 練馬駅延伸、営業開始。練馬高野台駅開業と同時に「西武鉄道池袋線練馬高野台駅開業記念乗車券」発売。
    • 主要駅のみで発車メロディの使用を開始した( - 1999年)。
    • レオカード対応平成3代目券売機登場(この券売機はSFレオカードにも対応)。
  • 1995年(平成7年)
    • 9月1日 - 時差回数券、土・休日割引回数券発売開始。
    • 10月14日 - この日と15日に「特急レッドアロー」5000系さよなら運転実施。
  • 1996年(平成8年)
    • 特急券の発売駅全駅で端末更新。2代目特急券券売機登場。特急券が全発売駅・全券売機で裏が白い非磁気券から裏が黒い磁気券に更新(旅行会社の一部は現在も非磁気券で発行)。
    • 3月28日 - 多摩湖線で運行管理システム (SEMTRAC) の使用開始。
    • 4月1日 - 多摩川線ワンマン運転開始。所沢駅 - 東横瀬駅間貨物輸送廃止。
    • 3月28日 - 野球シーズン時の臨時増発を若干縮小。この年より多摩湖線の野球開催日臨時「準急」が廃止され1985年以来11年ぶりに再び多摩湖線は種別が「普通」のみになり、それまで通過していた新宿線からの直通快速急行停車駅に八坂駅、武蔵大和駅を追加。4両のみ停車対応だったこの2駅が8両編成停車対応になる。
    • 5月25日 - E851形電気機関車さよなら運転実施。
    • 9月1日 - 運賃改定。最低普通運賃130円。
    • 12月3日 - 池袋線に6000系アルミ通勤車登場。
    • 多摩川線・多摩湖線から701系・401系が運用終了。
  • 1997年(平成9年)
    • 西武グループウェブサイト開設と同時に西武鉄道ウェブサイト開設。
    • 2月21日 - 701系・401系が運用終了・形式消滅。701系・401系さよなら運転を実施(701系1編成4両が西武新宿駅-西武球場前駅」間を事前に抽選で当選した乗客を乗せて臨時往復、401系2編成4両が池袋駅-西武球場前駅間を事前に抽選で当選した乗客の乗せて臨時往復した)。さよならイベントが西武球場前駅構内で行われた。
    • 3月7日 - 保有車両数1200両突破。
    • 4月1日 - 消費税率3%から5%への改定に伴う運賃改定。最低普通運賃130円。
    • 4月26日 - 特急レッドアロー利用客1億人突破。
    • 8月2日 - 池袋線桜台駅 - 練馬駅間立体交差化工事完成。
    • 12月13日 - 池袋線中村橋駅 - 富士見台駅間立体交差化工事完成。
    • 12月28日 - 運賃改定。最低普通運賃140円。
  • 1998年(平成10年)
    • 3月26日 - 営団地下鉄(現・東京メトロ)有楽町線との相互直通運転開始。特急電車の停車駅を芦ヶ久保駅から横瀬駅に変更。
    • 3月 - 元加治駅 - 飯能駅間の複線区間を飯能方へ延伸、複線部分と単線部分の接続点を飯能駅構内とすることにより、笠縫信号場廃止。名目上、池袋駅 - 飯能駅間複線化(飯能駅構内に単線部分が残存)。
    • 10月1日 - 西武・電車テレホンセンター開設。
    • 10月10日 - 「平成10年10月10日 10記念乗車券」発売。
    • 11月20日 - 多摩湖線(国分寺駅 - 萩山駅間)でワンマン運転開始。
  • 1999年(平成11年)
    • 4月 - 田無駅の自動改札化をもって、多摩川線と武蔵横手駅 - 横瀬駅以外の全駅で自動改札化完了。
    • 6月1日 - 使用済乗車券再生資源活用開始。
    • 10月14日 - 「西武秩父線開通30周年記念入場券」発売。
    • 11月11日 - 「平成11年11月11日 1づくし記念乗車券」発売。
    • 1999年(平成11年)- 2000年(平成12年)までにかけて新宿線・池袋線の大半の駅で発車メロディの変更を実施した。車掌の手笛での発車の合図を廃止し(ワイヤレスマイク不具合によるメロディ再生不能の場合の、手笛合図による代用をのぞく)、多摩川線と池袋線・西武秩父線の一部(前者は東飯能駅 - 吾野駅間・後者は吾野駅 - 横瀬駅間)を除き各駅停車しか停まらない駅でも発車メロディが鳴るようになった。同時に約50種類前後あったメロディが全く違うメロディ6種類のものとなり(ただし、萩山・西武遊園地・西武秩父・武蔵境・白糸台・是政の各駅は例外)、メロディの後の男女声優の声による「電車が発車します、ご注意下さい」の案内が廃止。
  • 2000年(平成12年)
    • 2月20日 - 新宿線に20000系通勤電車が登場。
    • 3月4日 - 「平成12年3月4日 春うらら1・2・3・4カウントアップ記念乗車券」発売。
    • この年から翌年にかけて、客室窓に注意書きステッカーが貼られた(2007年7月 - 8月に現行のデザインのものへ変更)。
    • 6月15日 - 所沢車両工場閉鎖、50年の歴史に幕を下ろす。
    • 6月16日 - 武蔵丘車両検修場開設。
    • 7月1日 - 使用済定期乗車券再資源活用開始。
    • 10月1日 - 「SFレオカード」発売開始。
    • 10月14日 - 共通乗車カードシステムパスネット導入。パスネット導入に従い、1988年導入のレオカードのみ対応平成初代券売機、多摩川線以外の本線系全駅でマップ形の2代目と通常の3代目に交換終了。
    • 12月22日 - 武蔵丘車両検修場がISO14001を取得。
  • 2001年(平成13年)
    • 3月4日 - 池袋線練馬駅 - 中村橋駅間立体交差化工事完成(逆立体化)。
    • 4月1日 - すべての自動改札機がカードの二枚重ね対応完了。ペットの車内への持ち込み無料化。フェアスルーシステム(不正乗車防止システム)導入。
    • 12月6日 - 池袋線飯能駅構内の単線部分を複線化、池袋駅 - 飯能駅間で(完全)複線運転開始。
    • 12月15日 - ダイヤ改正で新宿線から朝ラッシュ時上りのみの「快速」廃止。池袋線から朝のラッシュ時上りのみの「通勤快速」、土休日の西武球場前駅 - 池袋駅間の不定期快速が廃止。中村橋駅 - 練馬高野台駅間高架複々線使用開始。
    • 踏切支障報知装置の注意書きをこの年、全箇所の踏切で更新。「非常の際は電車がもどらなくなるまでこのボタンを押してください 非常時以外にボタンを押すと処罰されます」から「非常の際はこのボタンを押してください」と短文へ改められた。
  • 2002年(平成14年)
    • 2月28日 - 一般認定鉄道事業者として認定を受ける。
    • 3月6日 - 西武球場前駅改札を一部改装、駅務員による売店業務を開始。
    • 4月1日 - 日本民営鉄道協会に加入。ウェブサイト上での運行状況の提供を開始。運賃改定、最低普通運賃140円。
    • 9月1日 - お忘れ物取扱システム導入。駅シェルパ開始。
  • 2003年(平成15年)
    • 3月12日 - ダイヤ改正で池袋線から「区間準急」廃止。練馬駅 - 中村橋駅間高架複々線使用開始。飯能駅 - 西武秩父駅間ワンマン運転開始。芝桜の開花シーズンの4月下旬 - 5月上旬とイベント時、12月の秩父夜祭時以外は通常は飯能駅 - 西武秩父駅間の区間列車は原則として4000系4両ワンマン車のみの運行となる。
    • 6月2日 - 池袋線で列車情報装置使用開始。
    • 8月8日 - 旅行会社での特急券発売開始。
    • 9月 - 11月までにホームの自動放送が「白線の内側で…」から「黄色い線の内側で…」へ変更された。
    • 初代のレオカードのみ対応の初代券売機多摩川線からも撤去、全線から平成初代レオカード対応券売機消滅。
    • 平成4代目のPASMO対応タッチパネル式券売機が登場。西武鉄道初のタッチパネル導入になる。
  • 2004年(平成16年)
    • 春に総会屋への利益供与問題、10月には有価証券報告書虚偽記載問題が相次いで浮上し、西武グループに君臨して来た堤義明(康次郎の三男)が会長を退任。株価は急落し、東証はペナルティとして、翌11月16日の取引終了後に監理ポストから整理ポストへ移動させ、1か月後の上場廃止を決定した。西武はジャスダックへの上場を表明していたが、上場申請が認められるかどうかは不透明であり、西武鉄道は経営上の岐路に立たされることになった。さらに、2005年(平成17年)3月3日に義明が証券取引法違反(有価証券報告書虚偽記載並びに内部者取引)容疑で逮捕されたため、国土交通省鉄道局は西武鉄道に対し処分を行ったが、「今回の逮捕は有価証券報告書虚偽記載問題によるものであり、鉄道事業の基本である安全運行に直接関わるものではない」として、厳重注意処分に留めた。
    • 1月13日 - 携帯電話の運行状況の検索サービスを開始。
    • 3月27日 - 車体広告電車運転開始(池袋線・新宿線)。
    • 5月24日 - 西武鉄道企業倫理規範制定。
    • 6月10日 - 新宿線で列車情報装置使用開始。
    • 7月26日 - 第1回企業倫理委員会開催。
    • 12月16日 - 企業倫理ホットライン開設。
    • 12月 - 西武最初の黄色電車だった(製造当初は西武イエローと西武ベージュのツートンカラー)旧101系が多摩川線以外の各線(ただし、西武有楽町・山口線は登場当初から走ったことがない)での運用終了。
  • 2005年(平成17年)
    • 5月9日 - 池袋線・新宿線に女性専用車両導入。
    • 6月28日 - 執行役員制度導入。
    • 7月3日 - 1992年から使用していた運行管理システムを老朽化に伴い、池袋線系統で13年ぶりに更新した。それによるホーム自動放送の変更に伴い、声優が上りは豊田真由美、下りは鈴木盛久に交代した。
    • 10月31日 - 有楽町線直通電車に女性専用車両導入。
    • 11月9日 - 電源二重化工事完成(池袋駅 - 武蔵丘駅、西武新宿駅 - 本川越駅)。
  • 2006年(平成18年)
    • この年から女性の駅員が採用されるようになる。
    • 2月1日 - 池袋駅、高田馬場駅、所沢駅にAEDを初設置。
    • 3月27日 - 西武グループの再編が行われ、西武鉄道は西武ホールディングスの子会社になる(持株会社方式)。西武グループ企業倫理規範が制定されるに伴い西武鉄道企業倫理規範が廃止される。グループビジョン策定。
    • 4月1日 - 西武鉄道お客さまセンター開設。
    • 4月27日 - 普通乗車券・特急券の払い戻し手数料が100円に統一された。
    • 9月24日 - 新宿線系統でも運行管理システムが14年ぶりに更新。前日にホーム自動放送の変更を実施。
    • 10月1日 - 特急レッドアローを完全禁煙車化。特急券の発売駅全駅で端末更新。3代目特急券券売機登場。
    • 11月11日 - 「小江戸川越鉄道開設111周年記念乗車券」発売。
  • 2007年(平成19年)
    • 3月18日 - PASMO導入。自動改札機のない多摩川線や西武秩父線(武蔵横手駅 - 横瀬駅間)などの駅にもICカード専用簡易改札機が設置された。それに伴い、本線系統での全駅更新に先駆け、多摩川線全駅で券売機が平成4代目のPASMO対応タッチパネル式自動券売機に置き換えられた。同日、JR東日本のSuicaと相互利用開始。
    • 3月28日 - 天皇・皇后、川越行幸(西武新宿駅 - 本川越駅間往復乗車)
    • 4月1日 - 新シンボルマークの採用及び、コーポレートカラーの制定を発表 した。
    • 4月27日 - 早期地震警報システム導入。
    • 5月8日 - PASMO導入に合わせ、特急券のインターネット予約サービスを開始。
    • 5月14日 - 自社で初めてお客さま満足度調査「アンケート配布調査」を実施。
    • 6月21日 - 踏切安全ホットラインを導入。
    • 6月27日 - 遠隔放送装置を導入。放送範囲は、全駅一斉、複数駅指定、駅個別の3種類であり、駅構内のうち、上りホーム、下りホーム、コンコースの3エリアである。優先順位は、電車の発車メロディ、車掌とホーム係員のワイヤレスマイク放送、遠隔放送、電車の行先種別を案内する自動放送、の順である。
    • 7月27日 - 簡易筆談器を小竹向原駅を除く全駅に設置。
    • 8月16日 - 新宿線で約40年ぶりに女性車掌が登場し乗務開始。
    • 12月3日 - 吾野変電所、正丸変電所に環境配慮型蓄電装置の導入により、飯能駅 - 西武秩父駅間で、常時回生ブレーキ車の走行が可能になる。
    • 12月8日 - 「多摩川線開通90周年記念乗車券」発売。
    • 1987年の航空公園駅以来、20年ぶりに拝島駅より当駅次駅前駅の案内表示サイン類の更新開始。
  • 2008年(平成20年)
    • 1月10日 - パスネット「SFレオカード」発売終了。
    • 3月9日 - 池袋線系統所属車を皮切りに新シンボルマークを車両に貼付。
    • 3月15日 - 初代レオカード使用終了。
    • 3月27日 - 18年ぶりに制服を一新(ただし、実際には1990年以来18年ぶりにもかかわらず、公式発表では20年ぶりとなっている)。
    • 4月26日 - 新宿線に30000系通勤車が登場。
    • 6月14日 - 東京地下鉄副都心線乗り入れ開始。新宿線で「拝島快速」運行開始。遅延証明書をウェブサイト上で発行開始。
    • 7月16日 - 新宿線で約60年ぶりに女性運転士が登場し。単独乗務開始。
    • 8月6日 - 固定編成の車両(3000系、9000系、6000系、20000系と30000系の一部の5車種が該当)のみ、車両内側ドアに点字案内を設置。
    • 11月22日 - 列車非常通報装置全駅(小竹向原駅を除く)に設置完了。
  • 2009年(平成21年)
    • 2月 - プリンスホテルから埼玉西武ライオンズの株式譲渡を受け、子会社化。
    • 4月1日 - 小田急電鉄などと共に関東私鉄では初めてスルッとKANSAI協議会と提携し、この日より同協議会と連携して資材の共同購入を開始。
    • 4月6日 - 埼玉県内初で小手指駅、西武球場前駅、航空公園駅の3駅で駅の緑化に取り組む。
    • 12月14日 - 西武鉄道ウェブサイトをリニューアル。西武車両のウェブサイトが閉鎖。
  • 2010年(平成22年)
    • 1月27日 - 同年3月6日からのダイヤ改正で西武ドームでの野球開催日の試合終了後、狭山線から池袋線に直通する臨時急行列車が運行されることが発表される。スポーツ新聞の記者が、これを埼玉西武ライオンズに雄星選手が入団したことによるものと推測したため、発表翌日のスポーツ新聞に「雄星ダイヤ」などと報じられた。
    • 3月28日 - E31形電気機関車さよなら運転実施。「E31形さよなら記念乗車券」発売。
    • 6月23日 - 同日に行われた株主総会により代表取締役社長が後藤高志から白山進に交代。後藤は取締役会長に就任。
    • 10月16日 - プロバスケットボール・bjリーグに所属する埼玉ブロンコスとオフィシャルスポンサー契約。
  • 2011年(平成23年)
    • 7月4日 - 次世代認定マーク「くるみん」を取得。
    • 10月25日 - 「第10回屋上・壁面・特殊緑化技術コンクール」において、『都市緑化機構理事長賞/壁面・特殊緑化部門』を受賞。
  • 2012年(平成24年)
    • 3月 - 窓口処理機更新に合わせ、新たに特急券発売機能が追加され23駅で使用。
    • 5月7日 - 西武鉄道が前身の武蔵野鉄道として設立して以来、「創立100周年」を迎える。
    • 6月30日 - 新宿線の快速急行と拝島快速を廃止。
  • 2013年(平成25年)
    • 3月16日 - 地下鉄副都心線を経由して東急東横線・横浜高速鉄道みなとみらい線と相互直通運転開始。
    • 3月23日 - Kitaca、manaca、TOICA、ICOCA、PiTaPa、nimoca、はやかけん、SUGOCAが交通系ICカード全国相互利用開始により利用可能になる。
    • 6月9日 - 特急電車向けに、チケットレスサービス「Smooz」が開始。
  • 2014年(平成26年)4月1日 - 消費税率5%から8%への改定に伴う運賃改定。運賃がICカード利用(1円単位)と切符購入(10円単位)に分けて制定され、最低普通運賃はそれぞれ144円、150円。
  • 2015年(平成27年)
    • 3月14日 - 台湾鉄路管理局との包括的事業連携に関する友好協定を締結。
    • 10月1日 - Emio武蔵関(前・西武武蔵関ステーションビル)オープン。
  • 2016年(平成28年)
    • 2月10日 - 休止中の安比奈線に整備する予定だった車両基地の計画の廃止を発表。安比奈線も廃止が決定され、翌2017年5月31日をもって廃止となる。
    • 4月17日 - 観光列車「旅するレストラン 52席の至福」運転開始。
  • 2017年(平成29年)3月25日 - 池袋線に40000系通勤車が登場し、S-TRAINが運行開始。
  • 2018年(平成30年)3月10日 - 新宿線・拝島線西武新宿駅 - 拝島駅間にて拝島ライナーが運行開始。車両は40000系を使用。
  • 2019年(4月までは平成31年、5月以降は令和元年)
    • 1月28日 - 池袋駅前に建設中の複合ビル「ダイヤゲート池袋」(2月28日竣工)に、災害時の帰宅困難者を収容する協定を豊島区と締結。
    • 3月16日 - 26年ぶりとなる新型特急車両「Laview」001系の運行を開始。
    • 12月1日 - 74言語対応の人工知能 (AI) 通訳機「ポケトーク」を91駅と特急車内に導入。
  • 2020年(令和2年)
    • 6月5日 - 特急車両「Laview」001系がブルーリボン賞を受賞。
    • 8月31日 - 子会社である株式会社豊島園が運営する「としまえん」が閉園。
  • 2021年(令和3年)
    • 3月13日 - 西武園ゆうえんちのリニューアルオープン(5月)に先駆け、遊園地西駅を西武園ゆうえんち駅に、西武遊園地駅を多摩湖駅に駅名を変更。
    • 7月1日 - 多摩川線で「西武多摩川線サイクルトレイン」を実証実験として開始。10月1日から本実施に移行。
  • 2022年(令和4年)
    • 6月20日 - 多摩川線が全線開通100周年を迎える。
    • 7月11日 - 乗車ポイントサービスを開始。
    • 9月17日 - 秩父鉄道直通の臨時夜行急行「奥武蔵51号」が運行される。
  • 2023年(令和5年)
    • 1月 - 多摩川線において、無線式列車制御(CBTC)システムでの実証実験に向けた準備工事に着手。
    • 3月18日 - 運賃改定。鉄道駅バリアフリー料金の収受開始。
    • 3月21日 - 池袋線・西武秩父線にてサイクルトレインの定期実施が開始。
    • 4月25日 - 「ワーナーブラザース スタジオツアー東京 ‐ メイキング・オブ・ハリー・ポッター」のオープン(6月)に向け、豊島園駅の新駅舎が使用開始、池袋駅のリニューアルが完成。
    • 6月2日 - 無記名式PASMOカードの発売を一時中止。(再開時期未定)
    • 7月1日 - 特急料金と座席指定料金を改定。
    • 8月2日 - 記名式PASMOカードの発売を一時中止。(再開時期未定)
    • 9月26日 - 東急電鉄と小田急電鉄から省エネ性能の高い中古車両を譲受すると発表。


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