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競輪

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競輪(けいりん、英字表記:KEIRIN)は、競艇・競馬・オートレースと並ぶ公営競技の1つで、北九州市を発祥の地とする自転車競技。及びその自転車競技の着順を予想するギャンブルである。

開催・運営[編集]

競輪は自転車競技法に基づいて運営されており、主催者は地方自治体である。監督官庁は経済産業省(製造産業局車両室) で、運営統括は公益財団法人JKA。運営を補佐する団体として全国競輪施行者協議会 (全輪協)[1]、日本競輪選手会がある。これらJKA、全国競輪施行者協議会、日本競輪選手会の3団体により『競輪最高会議』が形成され、各年度末の最高会議において翌々年度の特別競輪開催地が決定されるなどしている。

地方自治体は所管省庁の経済産業省へ競走の開催を届け出、競輪選手と呼ばれるプロの選手達と「競輪場」と呼ばれる自転車競技場における競走出場に関する契約を交わす。番組編成、選手管理、審判など、実際の自転車競走の運営については競輪場の存在する各地域のJKA競輪競技実施事業本部(旧・日本自転車競技会)の支部へ委託している。審判の方法など、受け持つ支部によって運営手法に違いがある。

競輪選手の登録・あっせん、育成については中央団体である公益財団法人JKAが行ない、2014年4月からは審判および番組編成・選手管理・検車の4つの業務もJKAが管掌している(経済産業省はJKAを通して競輪選手、競技会、施行者などの監督指導を行う) 。

勝者投票券(車券)の売り上げ金のうち75%は払戻金に充て、残り25%から一定額を選手賞金などの経費やJKAへの交付金(約3.3%)、公営企業金融公庫への納付金(約0.2%)を差し引いた額が純益として地方自治体の歳費となる。

競輪の収益金は、監督するJKAに納付される売上を元に各種の補助事業が行われ社会に還元されただけでなく、主催者として運営する自治体に多額の収入をもたらしたことで自治体財政を健全化し、戦災復興や公共施設の建設などに貢献することになった。収益金の使途として最も多かったのは主として土木事業費であるが、競輪のイメージ向上への期待も込めて、教育、福祉関連事業にも多くの費用が投入された。通産官僚の佐橋滋らによる発案で、当時資金調達が困難だった国産トランジスタ計算機の研究開発に競輪収益をあてたエピソード もある。

日本のプロスポーツでは選手数が最も多い競技とされ、2,300人程度で構成されている(2023年12月1日時点、2,385人)。また初期には女性選手による「女子競輪」が1964年(昭和39年)まで開催されたほか、2012年(平成24年)7月1日から女子選手による「ガールズケイリン」が開催されており、2023年12月1日時点で191人の女子選手が登録されている。

創設以来、日本独自のものであったが、現在は日本側による技術指導の下、韓国で国民体育振興公団(および地方自治体)が主催者となり、国内3つの競輪場で開催している。なお、過去には、1949年5月にタイとの間で競輪輸出契約がまとまり日本以外で初の競輪が開催される予定であったが、直後の政変によりご破算となった(競輪二十年史では「ピブン政権の失脚により」との記述があるが、史実ではピブン政権の失脚は1957年)。このほか、アメリカ占領下にあった沖縄でも競輪開催の動きがあったが結局立ち消えになっている。

概要[編集]

競輪選手は、日本競輪選手養成所において約1年間研修を受けて競輪に関する知識と技能を習得し、競輪選手資格検定に合格して同所を卒業し、選手登録された者である。選手の権利を守る団体として日本競輪選手会があり、各選手は36の都道府県にある日本競輪選手会のいずれかの支部に所属している。

競輪選手養成所の入所試験には一般試験と特別選抜試験があり、後者は各種スポーツ競技において特に優秀な成績を残した者を対象としている(特待生制度)。特別選抜試験の受験資格はオリンピックメダリストなどに限られるため非常に厳しく、ほとんどの受験生は一般試験を受験する。一般試験には「自転車の競技経験者が対象で自転車の走力を測る」技能試験と「自転車の競技経験がない者が対象で運動能力を測る」適性試験があり、いずれについても一次試験と二次試験が課される(但し適性試験に限り、他のプロスポーツ経験者を対象に一次試験を免除する制度がある)。合格率は、109期以降では、男子は概ね5倍程度、女子は2〜3倍程度 である。男子は受験1回目での合格率は約3割で、合格者の多くは複数回の受験を経験している。入学希望者は自転車競技愛好会や高校・大学の自転車部に所属して練習を積むケースが多い。

デビュー時点では、男子は全員A級3班に所属し、その後はS級戦(S級S・1・ 2班戦)、A級1・2班戦、A級チャレンジ戦(A級3班戦)に分けられた3クラス戦制の中で、2級6班制による半年毎の格付け入れ替えを経て、最上位のS級S班(9名)を目指す体系となっている。南関東公営競馬の予想屋で競輪ファンでもある佐々木洋祐は、最上位クラスの選手と最下級クラスの選手との実力差は、一緒に走ればほぼ100%最上位クラスの選手が勝つといえるほど絶対的なものであると述べている。なお、女子は現状では昇降級の制度はないため、全員がL級1班の所属である(そのため選手間の実力差は大きい)。

男子選手の所属する級および班は、競走得点および評価点に基づいて決められる。まず競走成績に応じて競走得点が算出される。競走得点は着順が良いほど、また格の高いレースほど高く設定されている。さらに競走得点をもとに評価点が計算され、それをもとに選手の所属する級および班が決められる。ちなみに、男子選手のランクはレーサーパンツの下地とラインの色から判断することができ、A級は黒地に緑のライン、S級は黒地に赤のライン、S級S班は赤地に黒のラインとなっている。

  • 男子の各級班の定員は、S級は1班220名(S班9名を含む)・2班450名、A級は1班・2班とも520名(3班は2019年10月時点で443名)となっている。

選手は月に2つないし3つの開催に出場する。出場レース数に換算すると、概ね月に6〜9レースである。出場は、JKAのあっせんに対し選手が意思表示を行うことによって決められる。出場が決まった選手は開催前日の指定時間までに競輪場へ入らなければならない。競輪場に到着した選手は参加登録および健康診断を受け、さらに分解してバッグに入れて持ち込んだ自転車を組み立てて検査を受ける。健康診断と自転車の検査に合格した選手は基本的に4日ないし5日間宿舎(主に4人部屋)に滞在し、外部との連絡を絶つ。開催当日は午前中に再度自転車の検査を受けた後で練習を行い、レースに備える。

レースへの出場がないとき、多くの競輪選手は練習漬けの日々を過ごすといわれている。競輪選手にはシーズンオフがない。そのためレースへの出場が続き、したがって練習のできない期間が長くなった選手は脚力に衰えが出る(「貯金がなくなる」と表現する)ようになる。各選手の過去の出場履歴は車券予想におけるファクターの一つである。

選手の収入源は賞金や出走手当で、実力下位であっても一般的なサラリーマンよりも高額の収入を得ているといわれている。JKAが公表した、2019年の全選手の賞金総額及び平均取得額によると、2019年12月31日時点での全登録選手2,325名の平均取得額は10,402,280円で、うちS級688名では16,597,852円、A級1,502名では7,962,748円、L級(女子)135名では6,468,313円であった。

但し、「競輪に係る業務の方法に関する規程」第83条第1項第3号には競走成績不良による登録消除の基準が定められており、一定期間連続して成績の振るわない選手はあっせんを保留され、一定期間審査されたのち選手登録を消除される(強制的に引退させられる)。一度登録を消除されると再登録することはできない(現役復帰は不可能)ため、俗に『代謝』と呼ばれるこの制度を適用することで競走レベルの維持を図っている。毎年期初(1月と7月)にこの代謝制度により多くの選手が引退を余儀なくされるが、2020年は特に4月から5月にかけて開催中止が相次いだこともあり、例外的に下期期初(7月)においては代謝制度の適用はなかった。

  • 男子は、通算3期(1年半)の平均競走得点が70点未満かつ最下位から30番目相当までに該当すれば、その次の期初(1月ないし7月)にあっせんが保留され、審査のち選手登録を消除される。ただしその3期のうち1期でも70点以上であった場合は対象外。
  • 女子は、通算3期(1年半)の平均競走得点が47点未満かつ最下位から3番目相当までに該当すれば、その次の期初(1月ないし7月)にあっせんが保留され、審査のち選手登録を消除される。ただしその3期のうち1期でも47点以上であった場合は対象外。

歴代賞金王[編集]

※は当年のKEIRINグランプリ優勝者とは異なるケース(第1回が開催された1985年以降。但し1989年は開催中止)。

1949年 小林源吉(埼玉) 1,921,000円
1950年 高橋澄(兵庫) 2,425,250円
1951年 (資料毀損のため集計せず)
1952年 高倉登(埼玉) 3,743,000円
1953年 山本清治(大阪) 3,532,100円
1954年 中井光雄(滋賀) 3,795,530円
1955年 松本勝明(京都) 3,793,780円
1956年 松本勝明(京都) 4,118,150円
1957年 西村公佑(大阪) 4,338,200円
1958年 石田雄彦(和歌山) 4,592,500円
1959年 山本清治(大阪) 5,010,370円
1960年 石田雄彦(和歌山) 5,796,080円
1961年 吉田実(香川) 4,876,590円
1962年 吉田実(香川) 6,160,800円
1963年 高原永伍(神奈川) 10,875,660円
1964年 石田雄彦(和歌山) 12,304,940円
1965年 白鳥伸雄(千葉) 12,101,480円
1966年 稲村雅士(群馬) 12,384,020円
1967年 平間誠記(宮城) 19,093,920円
1968年 吉川多喜夫(神奈川) 16,923,220円
1969年 高原永伍(神奈川) 17,899,460円
1970年 福島正幸(群馬) 16,866,540円
1971年 太田義夫(千葉) 17,642,200円
1972年 福島正幸(群馬) 23,799,720円
1973年 阿部道(宮城) 35,937,630円
1974年 阿部道(宮城) 40,595,800円
1975年 福島正幸(群馬) 39,613,900円
1976年 藤巻昇(北海道) 56,742,000円
1977年 中野浩一(福岡) 66,139,600円
1978年 中野浩一(福岡) 82,385,200円
1979年 中野浩一(福岡) 92,186,200円
1980年 中野浩一(福岡) 111,410,600円
1981年 中野浩一(福岡) 107,685,711円
1982年 井上茂徳(佐賀) 108,267,311円
1983年 中野浩一(福岡) 109,093,600円
1984年 井上茂徳(佐賀) 98,545,100円
1985年 滝澤正光(千葉) 96,287,600円※
1986年 滝澤正光(千葉) 100,883,000円※
1987年 滝澤正光(千葉) 131,285,100円
1988年 滝澤正光(千葉) 129,654,000円※
1989年 坂本勉(青森) 99,305,700円
1990年 坂本勉(青森) 121,627,000円
1991年 鈴木誠(千葉) 118,745,700円
1992年 吉岡稔真(福岡) 190,028,133円
1993年 神山雄一郎(栃木) 156,129,100円※
1994年 吉岡稔真(福岡) 158,604,533円※
1995年 神山雄一郎(栃木) 185,597,533円※
1996年 吉岡稔真(福岡) 178,409,511円※
1997年 神山雄一郎(栃木) 228,571,400円※
1998年 神山雄一郎(栃木) 183,822,500円※
1999年 神山雄一郎(栃木) 180,272,200円※
2000年 児玉広志(香川) 170,820,200円
2001年 伏見俊昭(福島) 203,315,600円
2002年 山田裕仁(岐阜) 244,348,500円
2003年 山田裕仁(岐阜) 215,344,600円
2004年 小野俊之(大分) 183,537,300円
2005年 加藤慎平(岐阜) 186,102,000円
2006年 有坂直樹(秋田) 191,489,111円
2007年 伏見俊昭(福島) 185,159,999円
2008年 井上昌己(長崎) 167,933,900円
2009年 海老根恵太(千葉) 224,791,000円
2010年 村上博幸(京都) 237,938,200円
2011年 山口幸二(岐阜) 197,653,511円
2012年 村上義弘(京都) 158,590,868円
2013年 金子貴志(愛知) 189,569,722円
2014年 武田豊樹(茨城) 220,921,000円
2015年 浅井康太(三重) 189,633,600円
2016年 村上義弘(京都) 229,204,000円
2017年 浅井康太(三重) 182,787,400円
2018年 三谷竜生(奈良) 255,313,000円
2019年 佐藤慎太郎(福島) 188,733,400円
2020年 和田健太郎(千葉) 163,064,800円
2021年 古性優作(大阪) 210,561,000円
2022年 脇本雄太(福井) 305,842,300円(歴代最高賞金獲得額)※年間3億円超えは公営競技初
2023年 松浦悠士(広島) 252,707,900円

グランドスラム[編集]

男子選手において、2023年時点では6つあるGIカテゴリ競走(グレード制が制定される以前は「特別競輪」と呼ばれた競走)を全て制覇すれば、「グランドスラム(グランドスラマー)」と称される。

現時点では、全日本選抜、日本選手権、高松宮記念杯、オールスター、寬仁親王牌、競輪祭の6つ全てを優勝することが条件である。なお、KEIRINグランプリはGPのカテゴリであり、GIではないため含まれない。

過去に達成したのは僅か4人。但し、井上と滝澤は共に寬仁親王牌が1994年にGI競走となる前の出来事であるため、現在でもそのままグランドスラムとして扱われている。なお、井上と滝澤はKEIRINグランプリも制覇したが、神山と新田は未制覇である(特に神山は第11回から第14回まで4年連続2着であった)。

  • 井上茂徳(1988年・5冠)
  • 滝澤正光(1990年・5冠)
  • 神山雄一郎(1999年・6冠)
  • 新田祐大(2022年・6冠)

2023年10月時点で、現役選手の中で最もグランドスラムに近いのは山崎芳仁で、残るは日本選手権のみだが年齢的にタイトル獲得は厳しくなっている。山崎に次ぐのは武田豊樹、脇本雄太、平原康多、古性優作の4名で、いずれも残り2つ(武田は全日本選抜と寬仁親王牌、脇本は全日本選抜と競輪祭、平原は日本選手権とオールスター、古性は日本選手権と競輪祭)である。

過去には、平間誠記(全国都道府県選抜競輪)、高原永伍(日本選手権)、中野浩一(高松宮記念杯競輪)、吉岡稔真(オールスター競輪)が、グランドスラムまであと1つという状態のまま引退した。

「ガールズケイリン」の名称で行われている平成期以降の女子競輪では、2023年よりグレードレースが創設され、うちGIはオールガールズクラシック、パールカップ、女子オールスター競輪(2025年よりGI)、競輪祭女子王座戦の4つ。なお、ガールズグランプリはKEIRINグランプリ同様GPのカテゴリであり、GIには含まれない。

  • グレード制が導入される前である2022年まででは、ガールズグランプリ、ガールズケイリンコレクション、ガールズケイリンフェスティバルに、2018年創設のガールズグランプリトライアル、さらに2019年創設の新人女王戦であるガールズ フレッシュクイーンを加えた5レースが、ガールズケイリン特別競走とされていた。このうち、新人選手のみを対象としたガールズ フレッシュクイーンを除く4特別競走全てを制覇したのは小林優香(2019年)のみ。更に、小林優香はガールズケイリンコレクションについても3月・5月・8月と3つあるステージ全てを制覇した。ほかに、ガールズグランプリトライアル以外の優勝賞金が200万円以上ある3大特別競走を全て制覇したのは、石井寛子(2018年)と高木真備(2021年)。
  • 昭和期の女子競輪では、田中和子が1955年に全ての特別競輪制覇(全国争覇競輪、高松宮妃賜杯競輪、全国都道府県選抜競輪、競輪祭)を達成しており、また女子では唯一の全冠制覇選手であった。


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