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稲盛和夫

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稲盛 和夫(いなもり かずお、1932年〈昭和7年〉1月21日 - 2022年〈令和4年〉8月24日)は、日本の実業家。京セラ・第二電電(現・KDDI)創業者。公益財団法人稲盛財団理事長。「盛和塾」塾長。日本航空名誉会長。一時経営破綻した日本航空の再建にリーダーシップを発揮するなど、日本経済に大きく貢献した。

人物・来歴[編集]

1932年(昭和7年)、鹿児島県鹿児島市薬師町に7人兄弟の次男として生まれる。父の畩市は「稲盛調進堂」という名で印刷工場を経営していた。西田尋常高等小学校(現在の鹿児島市立西田小学校)を卒業し、私立鹿児島中学校(旧制、現在の鹿児島高等学校)へ進む。銀行就職を考えたが周囲の勧めで[要出典]、旧制鹿児島中学校から新制鹿児島市高等学校第三部に進学。1950年に鹿児島市高等学校第一部と第三部の普通科が統合されて鹿児島県鹿児島玉龍高等学校(市立)となったため、翌年3月に同校の第一期生として卒業する。大阪大学医学部薬学科の受験に失敗し、当時は新設大学であった鹿児島県立大学(後年鹿児島大学に統合)の工学部応用化学科で、有機化学を専攻した。

1955年(昭和30年)、鹿児島県立大学工学部を卒業後、有機化学の教授の紹介でがいしメーカーの松風工業(歯科器材の松風とは創業者が同じ別会社)に入社。1958年(昭和33年)、退社する。

妻の朝子は、禹長春の四女である。

起業家・企業家として[編集]

1959年(昭和34年)業績が下降を辿り退職が相次いでいた、松風工業社員8人を引き連れ京都セラミツク(現・京セラ)を京都市中京区西ノ京原町で創業する。

1966年(昭和41年)代表取締役社長に就任。

1966年(昭和41年)稲盛自ら渡米し、当時世界最大を誇ったコンピュータ大企業IBMより、IC用アルミナ・サブストレート基板を受注することに成功させる。

1968年(昭和43年)優良中小企業として第1回中小企業研究センター賞(現·グッドカンパニー大賞)を受賞。

1971年(昭和46年)創業12年で大阪証券取引所に株式上場。

1972年(昭和47年)「大規模集積回路用セラミック多層パッケージの開発」により、第18回大河内記念生産特賞を受賞。

1972年(昭和47年)東京証券取引所市場に株式上場をはたす。

1973年(昭和48年)京都セラミックが音頭をとり、日米合併企業となるジャパンソーラーエナジー(JSEC)を設立。

1974年(昭和49年)「電子回路用セラミック積層技術の開発」により、第16回科学技術庁長官賞を受賞。

1984年(昭和59年)稲盛が音頭を取り国による通信事業自由化が決定すると、京セラが資金を投入し民間初となるDDIを設立。(後にケイディディや日本移動通信と合併し、現在のKDDIとなる)。

1988年(昭和63年)日本セラミックス協会会長に就任。

1998年(平成10年)複写機メーカーの三田工業が 経営に行き詰まり会社更生法の適用を申請した際、三田工業からの要請により、京セラは三田工業の支援を表明した。2000年の更生計画認可を受けて同社を「京セラミタ株式会社」に商号変更し、京セラの子会社とした。そして、9年間の予定の更生計画を2年間で達成した。

2009年(平成21年)ワールド・アントレプレナーシップ・フォーラムで世界起業家賞を受賞。

2010年(平成22年)2月 日本航空会長に無報酬で就任する。「JALフィロソフィ」の策定など積極的な社員の意識改革に取り組み、全従業員の3分の1にあたる1万6千人のリストラを断行して、着任の翌期には営業利益1800億円の高収益企業に生まれ変わらせることに成功。赤字続きだった日本航空を3年足らずで再上場させた。

伊丹空港を視察した時、カウンター勤務の若い女性社員が月2千円のコスト削減効果を発表した。金額の少なさに周囲は困惑したが、稲盛氏は「そういう努力が一番大事なんだ」と大いに褒めた。この話はメールで部署を超えて広まった。

死去[編集]

2022年8月24日(水曜日)午前8時25分、老衰のため、京都市伏見区の自宅で死去した。90歳没。

稲盛の死去について、京セラ以外にKDDIや日本航空などがコメントを出し、中華人民共和国外交部は定例会見で稲盛に哀悼の意を表明した。9月3日にサンガスタジアム by KYOCERAで開催された京都サンガF.C.の公式戦の試合前に黙祷が行われた。

経営手法[編集]

その独特な経営管理手法は「アメーバ経営」と呼ばれる。稲盛は全国に支部を持つ盛和塾と、PHP研究所や致知出版社などの出版社から出版した多数の経営指南書・自己啓発書を通じ、アメーバ経営や自らの経営哲学・理念の啓蒙・普及に努めている。また、その稲盛和夫の企業精神は世界のモーター業界で世界一のシェアを持つに至った、ニデック創業者の永守重信らにも多大な影響を与えた 。稲盛哲学を中国に広め、中国人経営者の心を高めるために「稲盛和夫管理顧問有限公司」を北京に設立しており、中国でベストセラーになった稲盛の著書も多い。また京セラ創業者でもある稲盛名誉会長が死去した際には、中国共産党系国際紙環球時報などの中国メディアでも、日本の報道を引用する形で速報で取り上げられるなど影響力の大きさをうかがえた。

啓蒙・慈善活動[編集]

企業家の育成にも力を注ぎ、1983年には若手経営者の勉強会「盛友塾(現:盛和塾)」を開塾。1984年に財団法人稲盛財団を設立して理事長に就任。1985年には同財団主催の京都賞を創設し、同年第1回授賞式で三笠宮崇仁親王夫妻やスウェーデン王国シルヴィア王妃列席の下、ノーベル財団に特別賞を授与した。稲盛財団の現在の資産総額は1,108億円で、民間で設立された財団法人としてはトップ5に入っている。なお、盛和塾は自身が高齢になり積極的な活動ができなくなったことや従来から自身の一代限りで活動を終了させると表明していたことから2019年末をもって活動を終える予定である。

1986年には京セラ会長に就任。1994年5月から1995年5月まで関西経済連合会副会長を務めた。1994年にはDDIポケット企画(ウィルコムの前身で後に関連会社のイーモバイルとともにソフトバンクグループが買収して現在ではワイモバイル)を設立。

母校の鹿児島大学に個人資産を寄附して大学キャンパス内に新しいホール「稲盛会館」(建築家安藤忠雄が設計を担当)を寄贈したほか、稲盛アカデミーへの援助を行なう。また地域社会はもとより国際社会において21世紀の更なる学術・文化の発展に貢献していくことを目的として、京都大学や九州大学の学術・文化趣旨に賛同し、稲盛財団記念館を寄贈竣工したほか、2013年11月、京都府に次世代を担う若者の創造教育の為に20億円を寄付し、2014年に完成した大学施設は稲盛記念会館と名付けられた。関西鹿児島県人会総連合会会長も務める。

2016年には郷里の鹿児島県と鹿児島市にそれぞれ10億円、計20億円を寄付した。

仏教とのかかわり[編集]

幼少時に郷里の鹿児島で祖母の隠れ念仏を行う姿を見て宗教に関心を持ち、1997年に臨済宗円福寺の西片擔雪の下で在家得度(法名:大和)。雲水と共に修行を重ねた。円福寺本堂と庫裏の建て替えに寄進したり、京都市と京都仏教会とを仲介したりするなど、居士としての活動も行なった。

政治[編集]

小沢一郎とは新進党時代からの仲であり、後の民主党を支持して、前原誠司の後援者ともなった。しかし、2011年2月8日、日本記者クラブで会見し、政権交代後の民主党の体たらくに落胆した、政権交代も民主主義の結果であるが、色んなことが起きて新たな政治体制もできあがるだろう、歳もとったので今後は党への支援には距離を置き静観すると述べた。2012年には小沢とともに日本未来の党の結党に参加、「びわこ宣言」の賛同人に名を連ねた。また、2018年の国民民主党、さらに2020年の国民民主党結党後も前原の東京後援会の代表者をしている。

2010年1月に日本航空 (JAL) の代表取締役会長として日航再建に取り組むよう、鳩山由紀夫首相(当時)から要請された。国土交通大臣の前原が鳩山に進言したことが就任の一つの理由とされる。2月1日からJALの会長を無給で務め、2012年に会社更生法の適用から2年で営業利益2000億円というV字回復を果し、建て直しに成功。同年2月末、鳩山からは、非常勤の内閣特別顧問に任命された。

エピソード[編集]

  • 少年期に肺浸潤という結核の初期の病に侵されたことがある。その時に隣家の女性に勧められて読んだ谷口雅春の『生命の実相』に衝撃を受け、心のあり方が現象として現れるという考え方(ニューソート)の基盤になったとのこと。
  • マクドナルドなどのファーストフードを強く好み、特に吉野家の牛丼(並盛)をよく食べていた。頻繁に客が来店するため、品質が安定して良い有楽町店を常連の店として利用しており、サッカー選手のラモス瑠偉などの重要人物への接待でも同店にて会食していた。

役職[編集]

  • 京セラ株式会社名誉会長
  • 株式会社京都パープルサンガ代表取締役名誉会長
  • 京都工芸繊維大学経営協議会委員
  • 一般社団法人京都経済同友会特別幹事
  • 京都商工会議所名誉会頭
  • 公益財団法人稲盛財団理事長
  • 財団法人日独文化研究所理事
  • 財団法人京都大学教育研究振興財団理事
  • 財団法人日本経済研究奨励財団評議員
  • 社団法人日本躾の会副会長
  • 財団法人松下政経塾相談役
  • 財団法人大河内記念会顧問
  • 社団法人京都モデルフォレスト協会特別顧問
  • 財団法人花と緑の農芸財団評議員
  • 財団法人鹿児島県文化振興財団理事長
  • 上賀茂神社崇敬会顧問
  • 京都福祉法人盛和福祉会理事長
  • 京都鹿児島県人会会長
  • 京都大学総長顧問
  • 鹿児島大学学長諮問会議委員・稲盛アカデミー名誉アカデミー長
  • 株式会社京都放送取締役相談役
  • 日本航空株式会社名誉会長
  • 内閣特別顧問(鳩山内閣、菅内閣、野田内閣)
  • 財団法人国立京都国際会館理事長
  • アメリカン・セラミック協会終身名誉会員
  • スウェーデン王立科学アカデミー海外特別会員
  • ワシントン・カーネギー協会名誉理事
  • 全米工学アカデミー外国人客員会員
  • 在京都パラグアイ共和国名誉領事
  • 中国友好平和発展基金会名誉顧問
  • 盛和塾塾長(全国61カ所、会員約5600人。経営者向けの私塾。)

言葉[編集]

動機善なりや、私心なかりしか
DDI(第二電電)を設立し、電気通信事業へ参入する際、自身の動機に利己的な心、「私心」がないかと、半年間にわたり自問した時の言葉。動機が善であり、実行過程が善であれば、結果は問う必要はない、必ず成功するという信念を表す。
経営に権謀術数は一切不要
企業経営には、権謀術数が不可欠だと感じている人が多いかもしれないが、そういうものはいっさい必要ない。今日一日を一生懸命に生きさえすれば、未来は開けてくる。正々堂々と人間として正しいやり方を貫けば運命は開けてくると考えている。実際に京セラやKDDIの経営に携わり、日々懸命に働いているうちに、次に打つべき手は自ずから見えてきたし、そうすることが素晴らしい成果をもたらせてもくれた(著書『人生と経営』より)。

著書等[編集]

2015年8月末に、世界での著書の累計発行部数が1000万部を突破した。うち日本では約490万部を発行。日本国外では中華人民共和国での発行が9割以上を占める(京セラ調べ)。

単著

  • 『成功への情熱 PASSION』PHP研究所、1996年2月、ISBN 978-4569550152 - 世界で80万部を発行(2015年8月末時点、京セラ調べ)
    • 2001年1月、ISBN 978-4569575063(文庫本)
    • 2007年11月、ISBN 978-4569696393(新装版)
  • 『敬天愛人 私の経営を支えたもの』PHP研究所、1997年5月、ISBN 978-4569555652
  • 『人生と経営』致知出版社、1998年9月、ISBN 978-4884745509
  • 『稲盛和夫の実学 経営と会計』日本経済新聞社、2000年、ISBN 978-4532190064 - 世界で74万部を発行(2015年8月末時点、京セラ調べ)
  • 『生き方 人間として一番大切なこと』サンマーク出版、2004年、ISBN 978-4763195432 - 日本国内の累計発行部数は120万部を超え(2015年12月時点、サンマーク出版調べ)、世界では307万部を発行(2015年8月末時点、京セラ調べ)。
  • 『アメーバ経営 ひとりひとりの社員が主役』日本経済新聞社、2006年、ISBN 978-4532312954
  • 『人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ』日経BP社、2007年、ISBN 978-4822244996 - 世界で64万部を発行(2015年8月末時点、京セラ調べ)
  • 『二十一世紀の子供たちへ 君の思いは必ず実現する』財界研究所、2004年、ISBN 978-4879320407
  • 『「成功」と「失敗」の法則』致知出版社、2008年、ISBN 978-4-88474-822-7
  • 『働き方』三笠書房、2009年、ISBN 978-4-8379-2310-7 - 世界で52万部を発行(2015年8月末時点、京セラ調べ)
  • 『ど真剣に生きる』日本放送出版協会、2010年、ISBN 978-4-14-088327-3
  • 『京セラフィロソフィ』サンマーク出版、2014年

共著

  • (梅原猛と)『人類を救う哲学』PHP研究所、2008年
  • (下村満子、村上和雄、渥美和彦、米沢富美子、中森じゅあん)『いのちとは何か生きるとは何か』ロングセラーズ、2010年
  • (瀬戸内寂聴と)『利他 人は人のために生きる』小学館、2014年
  • (鹿児島大学稲盛アカデミー編)『活きる力』プレジデント社、2017年

訳書(監訳を含む)

  • ロバート・シュラー『いかにして自分の夢を実現するか』三笠書房、1992年(監訳)

以上のほか、講演を収録したCD(複数)等もある

受賞・栄典[編集]

  • 1972年 - 第18回大河内記念生産特賞
  • 1974年 - 科学技術庁長官賞
  • 1979年 - 米国サンディエゴ市名誉市民
  • 1981年 - 第2回伴記念賞名誉賞
  • 1984年 - 紫綬褒章
  • 1995年 - 第45回「電波の日」郵政大臣表彰通信発明百周年記念賞
  • 1996年 - 中国広東省東莞市栄誉市民
  • 1998年 - 京都市自治百周年特別表彰
  • 2000年 - ブラジル連邦共和国南十字星国家勲章
  • 2001年 - 京都市市民栄誉賞、中国貴州省貴陽市栄誉市民
  • 2005年 - 全国日本学士会アカデミア賞
  • 2008年 - 第26回京都府文化賞特別功労賞
  • 2009年 - 世界起業家賞(World Entrepreneurship Forum)
  • 2011年 - Othmer Gold Medal(アメリカ化学会)
  • 2012年 - 第2回孔子文化賞(世界孔子協会)
  • 2014年 - 五井平和賞
  • 2015年11月16日 - 県民栄誉表彰(鹿児島県)、市民栄誉賞(鹿児島市)
  • 2018年12月 - 紺綬褒章飾版、賞杯
  • 2019年6月28日 - 鹿児島県名誉県民
  • 2019年11月 - 大英帝国勲章KBE
  • 2020年10月31日 - 紺綬褒章飾版、木杯

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 戸籍上は1月30日。
  2. ^ 中国の盛和塾については活動を当面継続すると報道されている。
  3. ^ 前原は、京セラ本社所在地の京都市を地盤とするが、前原は京都2区の選出で、京セラ本社は伏見区にあり、伏見区は前原の選挙区ではない。小沢が2008年9月21日に民主党代表として再選された際には来賓として挨拶する。
  4. ^ 鳩山内閣になっての内閣顧問の任命は初めて。

出典[編集]

  1. ^ a b 年譜|創業者 稲盛和夫 - 京セラ 2013年6月14日閲覧。
  2. ^ a b “(訃報)弊社名誉会長 稲盛和夫の逝去について”. 京セラ (2022年8月30日). 2022年8月30日閲覧。
  3. ^ 盛和塾 塾長紹介(2019年11月30日閲覧)
  4. ^ “J1京都の成長に寄与した稲盛和夫さんが死去 ラモス、カズらを獲得 京セラ創業者”. デイリースポーツ online (2022年10月15日). 2022年10月15日閲覧。
  5. ^ D-Com(ディシジョン・コンパス). “稲盛和夫氏の人柄に触れた40年(3ページ目) | D-Com(ディシジョン・コンパス)”. project.nikkeibp.co.jp. 2022年6月8日閲覧。
  6. ^ 角田房子『わが祖国―禹博士の運命の種』新潮社、1990年12月。ISBN 9784103258070
  7. ^ 歴代代表者 日本セラミックス協会
  8. ^ “稲盛和夫 OFFICIAL SITE | ORICON NEWS”. 2021年7月5日閲覧。
  9. ^ “京セラ稲盛和夫名誉会長が24日に死去、90歳 独自の経営論、京セラを世界的企業に育てる”. 日刊スポーツ (2022年8月30日). 2022年8月30日閲覧。
  10. ^ “「遺志を継承」 稲盛氏死去を受けKDDIトップがコメント発表”. ITmedia (2022年8月31日). 2022年9月5日閲覧。
  11. ^ “稲盛和夫さん死去 JAL「経営破綻から再生、多大な功績に感謝」”. 毎日新聞 (2022年8月30日). 2022年9月5日閲覧。
  12. ^ “中国外交部 故稲盛和夫氏の貢献を高く評価”. フランス通信社(AFP) (2022年9月1日). 2022年9月5日閲覧。
  13. ^ “京都サンガ、神戸に2-0勝利 7試合ぶり白星で残留へ希望 J1第28節”. 京都新聞 (2022年9月3日). 2022年9月5日閲覧。
  14. ^ “【京都】「INAMORI」パワーで「関西ダービー」制す 先制弾松田天馬「誇り持てる試合に」”. 日刊スポーツ (2022年9月3日). 2022年9月5日閲覧。
  15. ^ 「稲盛さんのようになりたいと頑張った」日本経済新聞社 日本電産永守氏2022年8月30日閲覧
  16. ^ 京セラ稲盛和夫名誉会長が死去。日本電産の永守会長が語る「夜10時の秘話」とは『致知』2021年4月号特集「稲盛和夫に学ぶ人間学」より‐MAG2 NEWS 2022.08.30閲覧
  17. ^ 稲盛哲学を中国に広め 中国人経営者の心を高める 2015年5月29日 SHANGHAI LEADERS。
  18. ^ a b c 世界で累計1000万部突破:中国で「稲盛和夫」“爆読み”のワケ (1/3)、ITmedia ビジネスオンライン(産経新聞)、2016年01月18日 7:00。
  19. ^ 稲盛和夫氏死去 「尊敬すべき日本人」「偉大な企業家」…中国でも死を悼む声 TBS NEWS 2022年8月30日閲覧
  20. ^ 稲盛財団 沿革
  21. ^ 日本の助成財団の現状 -資産総額上位100財団 - 公益財団法人助成財団センター。
  22. ^
  23. ^ “京セラ・稲盛名誉会長の「盛和塾」、19年末に解散へ”. ニュースイッチ. 2019年7月17日閲覧。
  24. ^ 獨家:稻盛和夫允許保留“盛和塾”中國分塾共同通信中国語サイト(2019年4月5日配信)同日閲覧。
  25. ^ 教養教育共同化施設の概要|京都三大学教養教育研究・推進機構(2019年11月30日閲覧)
  26. ^ 鹿児島県/県人会連合会(2019年11月30日閲覧)
  27. ^ 鹿児島県と鹿児島市への寄付について - 京セラ ホームページ(2015/06/05)2019年11月30日閲覧。
  28. ^ 「稲盛和夫が語る「幸せな人生の送り方」」【AERA】2013年11月8日
  29. ^ 「稲盛和夫(30)得度 托鉢・修行、信仰深まる 百円のお布施、万感の思い」【日経】2016年7月21日付
  30. ^ 〈証言そのとき〉不屈不撓の一心:10 会長を引退 65歳で得度[リンク切れ] - 朝日新聞デジタル(2014年6月2日01時00分)アーカイブ
  31. ^ 稲盛和夫>「多岐にわたる社会活動」
  32. ^ JAL稲盛会長「政権の体たらく、大変落胆」[リンク切れ]『読売新聞』2011年2月9日13S版4面
  33. ^ “政治団体一覧”. 総務省 (2017年12月31日). 2019年5月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。
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  35. ^ 『「利他」人は人のために生きる』小学館、ISBN 978-4093798273
  36. ^ 『稲盛和夫のガキの自叙伝』 - 日経ビジネス人文庫(私の履歴書)、日本経済新聞社。
  37. ^ 京セラ株式会社 (2018年9月12日). “【牛丼と稲盛和夫】”. Facebook. 2022年8月31日閲覧。
  38. ^ “追悼・稲盛和夫氏、大事な接待に「牛丼の吉野家」を選んだ経営の神様の真意”. ダイヤモンド・オンライン. pp. 2-3 (2022年8月31日). 2022年8月31日閲覧。
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  42. ^ 鹿児島県名誉県民の事績 (PDF) - 鹿児島県、2020年1月15日閲覧。
  43. ^ 京セラ (株) 名誉会長 稲盛和夫が英国より名誉大英勲章KBEを受章 京セラ(2019年11月29日)2019年11月30日閲覧
  44. ^ 『官報』第373号、令和2年11月13日


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