福原愛
福原 愛(ふくはら あい、1988年〈昭和63年〉11月1日 - )は、1990年代から2010年代にかけて活躍した日本の元卓球選手。
青森大学・客員准教授。Tリーグアンバサダー。株式会社J plus代表取締役。琉球アスティーダスポーツクラブ株式会社元社外取締役。株式会社omusubi代表取締役。
宮城県仙台市生まれ、身長155cm、血液型B型。マネジメントは電通完全子会社である電通スポーツパートナーズ。早稲田大学中退。2016年から2021年まで江宏傑と結婚していた。
史上初の全日本グランドスラム達成者であり、五輪2大会連続のメダリスト。ITTF世界ランキング最高位は4位(2015年10月)。段級位は7段。日本オリンピック委員会・選手強化キャンペーン・シンボルアスリート制度適用選手。
日本では幼少期からテレビなどマスメディアに頻繁に登場し、「卓球の愛ちゃん」「天才卓球少女・愛ちゃん」「泣き虫・愛ちゃん」などと呼ばれ、国際大会で活躍するようになってからは中華圏で「小愛」(シャオアイ)や「瓷娃娃」(ツーワーワー)などと呼ばれ親しまれている。
その注目度から、内閣府「災害被害を軽減する国民運動サポーター」、中国などとの間の様々な親善大使、出身地である仙台市の観光大使、CM出演なども務めてきた。
2018年10月、現役引退を表明した。
来歴[編集]
幼少期[編集]
秋田県大曲市(現・大仙市)出身の父親(当時宮城県仙台市で会社経営、2013年10月6日逝去)と、宮城県登米郡石越町(現・登米市)出身の母親(元・卓球選手)との間に、1988年(昭和63年)11月1日に宮城県仙台市の病院にて出生。福原自身は、仙台市青葉区国見ヶ丘出身としている。「愛」という名は、出生の1年前に亡くなった祖母「愛子」からもらった。
福原は生後6か月でスイミングを始めた。10歳年上の兄が、東京在住の中国の卓球元チャンピオンに仙台に来てもらって 1-2回/月の指導を受けていたが、費用面から仙台に移住してもらって毎日指導してもらえる環境を整えた。このような環境下、母と兄の影響で、1992年(平成4年)8月13日に母からラケットをもらい、福原も卓球を始めた。すなわち、3歳9か月から卓球の英才教育を受けたが、プレイするには身長が低かったため、ゴミ箱や並べた缶詰の上に乗って高さ調整をして、平日4時間、休日8時間の練習を毎日欠かさず行った。また、週末になると栃木県の有名な卓球クラブに出向き、泊まりがけで練習した。練習を始めて数か月でミスなく100本ラリーが出来るようになり、4歳6か月で1000本ラリーが出来るようになった。卓球クラブ「仙台ジュニアクラブ」に所属した。
「天才卓球少女」「泣き虫愛ちゃん」の始まり[編集]
初の公式戦出場は、1993年(平成5年)6月(4歳時)に開催された「宮城県小学生卓球選手権大会」であり、同大会で優勝、全国大会の同クラスでもベスト16に入った。公式戦中に泣き顔を見せたのはこの4歳のときだけである。マスコミは、幼稚園生が小学生のクラスで快進撃を続ける姿に注目し、「天才卓球少女」と報道した。これ以降、行く先々にマスコミが集まるようになるが(4歳でテレビでの初インタビューを受けた)、天真爛漫に振舞う福原はテレビでもしばしば取り上げられ「卓球の愛ちゃん」として知られるようになり、また、厳しい練習にも泣きながら耐える姿や、試合中に不利になり始めると泣き出す姿から「泣き虫・愛ちゃん」とも呼ばれるようになって、一躍国民的アイドルとなった。
同年12月10日放送のフジテレビ「第2回 明石家さんまのスポーツするぞ!大放送」に出演。すると、番組内での対戦で明石家さんま[出典無効](当時38歳)が福原(当時5歳)を泣かせた。デーモン小暮との対戦でも泣かされた[出典無効]。
1994年(平成6年)になると卓球専門誌「卓球レポート」の表紙に4月号で初登場し、同年5月には社会人リーグの大会(鹿児島県)、同年6月には社会人の全日本実業団卓球選手権大会(大阪府) に呼ばれてエキシビションマッチでプレーするなど、本来の卓球界においても全国各地に呼ばれる人気者となった。選手として2度目の全国大会に出場すると、個別にマスコミ対応していては福原の負担になるため初めて共同記者会見が開かれ、5歳10か月の幼稚園生ながら全日本選手権バンビの部(小2以下)において、史上最年少で優勝した。
同年12月にはウッチャンナンチャンの南原清隆[出典無効]が「泣いた瞬間の愛ちゃんと記念撮影を撮る」という企画で福原と対戦して泣かせた。「初泣き!初打ち! お正月の愛ちゃん!! 八丈島で(秘)特訓」でも母との1000本ラリーが完遂しなかったため、泣きながら再度ラリーを続ける姿が放送された。
すなわち、公式戦では4歳時にしか泣いていない が、後に福原が「泣くまで撮影が続けられた」と語った ように、長年『あっぱれさんま大先生』に出演し子役の扱い方を知っているはずの明石家さんまが泣かし、南原は泣かすことを公言して対戦し、母親から泣かせ方を伝授されるなど、バラエティ番組では制作側によって意図的に泣かされ、その泣き姿がスポーツ報道における福原の紹介ビデオなどでも繰り返し放送されたことで、まるで子役タレントのキャッチコピーのような「泣き虫・愛ちゃん」というイメージが固定化されていった。その一方、同年の大会以降も数ある大会で優勝し、史上最年少記録を多く作っていくことで、「天才卓球少女」の名に違わぬ活躍を続けた。
仙台白百合学園幼稚園年長の1995年(平成7年)3月(6歳時)にテレビゲームソフトメーカー「ハドソン」のCMに初出演。同年4月に仙台市立吉成小学校に入学。
略年譜[編集]
- 1988年(昭和63年)11月 - 宮城県仙台市にて誕生
- 1992年(平成4年)8月 - 卓球の練習をはじめる
- 1998年(平成10年)7月 - 大阪府八尾市に転居(9歳)。ミキハウスJSC(ジュニアスポーツクラブ)に所属。
- 1999年(平成11年)3月 - 日本卓球協会の理事会で承認され、レジスタードプロに登録(3月20日付け、10歳)
- 2005年(平成17年)4月 - グランプリと所属契約。(4年) 中国超級リーグに参加、遼寧省チームに入団(4月に契約、6月 - 12月まで中断をはさみ試合)
- 2006年(平成18年)
- 3月 - 中国スーパーリーグ、広東佐川急便チームに移籍(3月に契約、6月 - 8月まで試合)
- 8月 - 早稲田大学のスポーツ科学部トップアスリート入学試験に出願
- 9月13日 - 早稲田大学スポーツ科学部に合格
- 2007年(平成19年)
- 3月1日 - 青森山田高等学校卒業
- 4月1日 - 早稲田大学スポーツ科学部入学
- 4月3日 - 全日本空輸 (ANA) との所属契約(単年)を発表、同時にグランプリとの4年契約を2年で終了したことを発表
- 2010年(平成22年)3月 - 早稲田大学スポーツ科学部自主退学
- 2012年(平成24年)
- 1月 - 全日本選手権・女子シングルス初優勝
- 8月 - ロンドンオリンピック女子団体で銀メダル獲得
- 2013年(平成25年)
- 1月 - 全日本選手権・女子シングルス2年連続優勝
- 6月 - 荻村杯ジャパンオープン女子シングルス優勝
- 2015年(平成27年)
- 3月 - スペインオープン・女子ダブルス優勝ダブルスパートナー日本生命若宮三沙子選手
- 6月 - オーストラリアオープン・女子シングルス優勝
- 7月 - 韓国オープン・女子シングルス優勝
- 8月 - チェコオープン・女子シングルス優勝
- 2016年(平成28年)
- 8月 - リオデジャネイロ・オリンピック・女子シングルス 4位
- 8月 - リオデジャネイロ・オリンピック・女子団体で銅メダル獲得
- 9月 - 卓球選手の江宏傑(中華民国)と国際結婚、東京都内で婚姻届を提出し、共同記者会見で正式発表。
- 2017年(平成29年)
- 6月29日 - 第1子妊娠を報告。
- 10月13日 - 第1子女児を出産。
- 2018年(平成30年)
- 7月1日 - Tリーグ理事に就任。
- 10月21日 - 現役引退を表明。
- 12月5日 - 第2子妊娠を報告。
- 2019年(平成31年)
- 4月3日 - 第2子男児を出産。
- 2020年(令和2年)
- 7月8日 - Tリーグ理事を退任。
- 2021年(令和3年)
- 7月8日 - 離婚成立を発表。
- 11月4日 - 青森大学の客員准教授を委嘱される。
- 12月17日 - 琉球アスティーダスポーツクラブ株式会社の社外取締役に選任される。
- 2022年(令和4年)
- 1月27日 - ワールドテーブルテニスジャパンのジェネラルマネージャー(GM)に就任。
- 2023年(令和5年)
- 6月末 - 琉球アスティーダスポーツクラブ株式会社の社外取締役を退任。
プレースタイル[編集]
右利き前陣速攻。中国卓球の経験を積んでいる事から、中国スタイルのペースの速い卓球である。
2012年のロンドンオリンピックに際しては、課題とされていた下半身を中心とした筋力強化やフォアハンドの改善に取り組み、その成果が出たと評価されている。
小さい頃から天才少女と言われてきた理由の一つに、同世代の国内選手には負けなかった事がある。中1で全日本ジュニア(高校以下)を制すとその後3連覇。どの大会でも一度も負けなかった。だが2006年8月のインターハイ、シングル決勝で同じ年齢の宇土弘恵(就実)に初めて負けを喫した(ストレート負け)。
また、国際大会では世界の強豪相手に善戦して世界ランクを上げており、団体戦においても中国選手から勝利を収めてはいるが、国内大会の一般の部ではシングルの優勝が少なく、人気の割に実績が乏しいという印象を与えていた。全日本卓球選手権でも長年ベスト4を超えられず不本意な成績を残していたが、2012年1月、成長著しい連覇のかかった石川佳純を決勝で下し、ようやくシングルのタイトルを獲得した。なお、全日本の他の出場可能な部門(バンビ・カブ・ホープス・カデット13歳以下・カデット14歳以下・カデットダブルス・ジュニア・女子ダブルス・混合ダブルス)ではすべて優勝しており、史上初の全日本グランドスラム達成者となった。
マネジメント[編集]
福原の両親は福原に徹底的に卓球の英才教育を施した。3歳から卓球を始めて選手時代の練習時間は毎日4-5時間から7-8時間はこなしており、休みは年に3日程度であった。
マネージメントは父親が行っていたが2008年以降母親と兄が行っていた。
2004年度末まで日本代表監督の西村卓二から熱血指導を受けてきたが、その後代表監督となった近藤欽司から指導を受けた。
現役当時には元中国チャンピオンなど専属の中国人を招聘して住み込みでコーチとして契約し、カットマン専門のコーチなど常に福原と帯同する形を採っていた。また頻繁に中国合宿を繰り返し、中国の技術を体に染み込ませ、コミュニケーションのため中国語も身につけた。コーチが瀋陽出身であったことから福原の中国語には東北官話訛りがあり、そのことも中国で福原が人気を集める要因の一つになっている。
エピソード[編集]
- 時期により体重の増減が大きい(練習量が多く、その分食べるため)。大きな大会が始まると緊張、疲れから食が進まなくなり痩せてしまうため、大会前は多少体重を増やして臨むことが多い。ベストは48キロ。母親は小さい頃、食が細いのを心配したという。
- NHKの2004年正月の番組で足型を取ったところ、扁平足であった。足のサイズは24cmで本人はもっと身長が伸びると思っていたが中3で成長は止まってしまったという。公称155cm。
- 座右の銘は「よく寝て、よく食べ、よく笑う」だったが、2006年に兄から変更を促され「一意専心」に変わった。
- 子供好きだが、小、中学生ぐらいの大きな子は苦手と話している。
- 卓球以外のスポーツは苦手で、高校の時、体育は好きな教科ではなかったという。小さい頃は水泳教室にも通っていて、親は卓球と水泳のどちらに専念させるか考えていた時期があった。ランニングが苦手だったが、2005年以降ランニングなども強化し、筋力をつけスピード、パワーのアップを図っている。
- スコートをたまに履くことがあり、2006年1月の全日本選手権ダブルスで小西と共にスコートを履いた。同大会ではベスト4まで進出したものの、「試合に集中できない」というコメントを出した。
- アニメ「こてんこてんこ」で彼女の演じた役はその後かないみかが演じた。
- 大阪は2008年度五輪開催地として正式に立候補し、さまざまな招致活動を行ったが(大阪オリンピック構想)、福原愛を誘致のシンボルの一つとした(福原が大阪に引っ越した一つの要因ともされる)。大阪は大阪五輪の盛り上げの一環として、2001年に世界卓球選手権シングル、団体(同時開催)を大阪に誘致し、福原愛もエキシビションとして桂三枝(現・六代桂文枝)とオープニングマッチを行なうなどして盛り上げた。
- 2004年1月の「クロアチアオープン」の最中に39度の高熱になった。
- アテネ五輪では家族が大量のおにぎりを会場に持参したが、入り口のセキュリティ・チェックで「爆弾ではないか」と係員に一時引き止められた。
- 2004年10月、埼玉県彩の国まごころ国体では、会場のウイング・ハット春日部(客席3,500人)に連日5,000人もの客がつめかけ、国体初の入場規制がされることもあった。
- 2006年の「世界卓球選手権シンガポール戦では強豪リ・ジャウェイを下し予選リーグ通過を決めた。
- 秋田県湯沢市の稲住温泉敷地内に、卓球道場「友誼館」が完成し、2006年10月26日公開開始。移築してあった旧秋ノ宮村役場(白井晟一設計の建造物)を改装した。
- 2007年 - 2008年の年末年始に急性胃腸炎で入院した。
- 2008年6月、北京五輪選手で「さわやかな汗がもっとも似合う人」女子1位に選ばれた。
- 2008年9月、東京代々木体育館で、不審な男に追い掛け回されるハプニングがあった。男は婚姻届を持ち福原にサインを迫ったが、早大卓球部監督の機転で難を逃れた。
- 2016年夏季オリンピックにおける東京オリンピック構想のイメージキャラクターの1人として、都営バスの一部車両に福原が描かれたラッピング車両が存在した。
- バドミントンの藤井瑞希とは青森山田高校で同級生で出席番号(五十音順)も近いこともあって仲が良く、2012年のロンドンオリンピックで藤井瑞希・垣岩令佳ペアが銀メダルを獲得した際には選手村の宿舎で号泣しながら出迎えた(藤井とペアを組んでいた垣岩令佳も高校の後輩にあたる)。
- 幼少期に「ルックルックこんにちは」に出演した際、岸部シローらが馬鹿騒ぎばかりしたため「うるさい」と怒鳴った(放送時の東京新聞の芸能欄の投書から)。
戦歴[編集]
- 1992年8月 - 3歳で初めてラケットを握る。
- 1993年9月 - 全日本卓球選手権大会・バンビの部(8歳以下の部)ベスト16
- 1994年9月 - 全日本卓球選手権大会・バンビの部優勝
- 1995年9月 - 全日本卓球選手権大会・バンビの部優勝
- 1996年9月 - 全日本卓球選手権大会・バンビの部優勝
- 1997年8月 - 東アジアホープス大会(日本代表)
- 1997年9月 - 全日本卓球選手権大会・カブの部(10歳以下の部)優勝
- 1997年11月 - 全日本卓球選手権大会・カデットの部(13歳以下の部)優勝(小3)
- 1998年7月 - 大阪に転居。ミキハウスJSCに所属。
- 1998年8月 - 東アジアホープス大会(日本代表)
- 1998年9月 - 全日本卓球選手権大会・カブの部(10歳以下の部)優勝
- 1998年11月 - 全日本卓球選手権大会・カデットの部(14歳以下の部)ダブルス優勝・シングルス準優勝
- 1998年12月 - 全日本卓球選手権大会・一般の部 ダブルス ベスト32(史上最年少出場)、ジュニアの部(17歳以下の部)シングルス準優勝(史上最年少出場)
- 1999年3月20日 - レジスタードプロに登録
- 1999年8月 - 東アジアホープス大会(日本代表)シングルス ベスト8
- 1999年9月 - 全日本卓球選手権・ホープスの部(12歳以下の部)優勝
- 1999年11月 - 全日本卓球選手権・カデットの部(14歳以下の部)準優勝
- 1999年12月 - 全日本卓球選手権・ジュニアの部(17歳以下の部)ベスト4、一般の部 シングルス ベスト64(史上最年少出場、最年少勝利)
- 2000年6月 - ジャパンオープン(日本代表)シングルス ベスト64、ダブルス ベスト32 日本代表初出場(小6)
- 2000年9月 - 全日本卓球選手権・ホープスの部(12歳以下の部)優勝(7連覇)
- 2000年11月 - 全日本卓球選手権・カデットの部(14歳以下の部)優勝
- 2000年12月 - 全日本卓球選手権・ジュニアの部(17歳以下の部)ベスト32
- 2001年1月 - 第30回後藤杯選手権 女子シングルス 優勝(一般の部でのシングルス初優勝)
- 2001年4月 - 東アジアホープス大会(日本代表)団体2位、シングルス3位
- 2001年6月 - 中国オープン 決勝トーナメント進出
- 世界ランク:126位
- 2001年9月 - ジャパンオープン シングルス ベスト16、ダブルス ベスト8
- 世界ランク:98位
- 2001年12月 - デンマークオープン シングルス ベスト8、ダブルス ベスト8
- 世界ランク:67位
- 2001年12月 - 全日本卓球選手権 ジュニアの部優勝、一般の部 シングルス 7位、ダブルス 3位
- 2002年8月 - 全国中学校卓球大会 女子シングルス優勝
- 2002年9月 - ジャパンオープン ダブルス ベスト8
- 2002年10月 - 釜山アジア大会 女子団体 銅メダル
- 2002年12月 - 全日本卓球選手権 ダブルス優勝、ジュニアの部優勝
- 2003年2月 - アジア選手権 女子ダブルス準優勝
- 2003年3月 - 日本卓球リーグ実業団連盟ドリームチャレンジカップ 女子シングルス 優勝 推薦参加
- 2003年5月 - 第47回世界卓球選手権個人戦 シングルス ベスト8
- 2003年8月 - 全国中学校卓球大会 シングルス優勝
- 2003年9月 - アジアジュニア卓球選手権大会 女子団体ベスト4、ダブルス ベスト4
- 2003年9月 - 中国オープン 3回戦敗退
- 2003年9月 - ジャパンオープン 3回戦敗退
- 2003年11月 - ドイツオープン シングルス(アンダー21)優勝
- 2003年11月 - スウェーデンオープン シングルス(アンダー21)優勝
- 2003年12月 - 第1回世界ジュニア選手権大会(チリ)ダブルス 銅メダル、シングルス ベスト8
- 2004年1月 - 全日本卓球選手権 女子ダブルス優勝、ジュニアの部優勝
- 2004年3月 - 第47回世界卓球選手権団体戦 女子団体 銅メダル
- 2004年4月 - アジア大陸オリンピック予選 シングルス 3位(アテネオリンピック出場決定)
- 2004年8月 - アテネオリンピック シングルス ベスト16 ※(直後の世界ランキングwr19位に、初の10位台)次項に詳述あり
- 2004年10月 - 国体優勝 少年女子団体の部、青森県代表として(埼玉)
- 2004年12月 - 世界ジュニア卓球選手権大会2004 神戸大会
- 女子シングルス 3位
- 混合ダブルス 3位
- 女子団体 準優勝
- 2005年1月11~16日、全日本卓球選手権大会
- 女子シングルス 6回戦敗退
- 女子ダブルス 優勝
- 混合ダブルス 優勝
- 2005年2月 - ジャパントップ12卓球大会 準優勝
- 2005年3月12・13日 - 第17回女子アジアカップ シングルス 準優勝※(直後の世界ランキングwr32→wr23へ大幅アップ)
- 2005年3月28日 - 高等学校選抜卓球大会 団体戦準優勝(青森山田高校)
- 2005年3月31日 - ミキハウスジュニアスポーツクラブ満期終了、一時フリーになる
- 2005年4月1日 - 中国スーパーリーグ遼寧省チーム入団(一年契約)
- 2005年4月11日 - グランプリと4年契約を結ぶ
- 2005年4月30日~5月6日 - 第48回世界卓球選手権上海大会
- 女子シングルス 3回戦敗退
- 女子ダブルス ベスト8
- 混合ダブルス 3回戦敗退
- 2005年9月 - アジア卓球選手権、ダブルスで銅メダル、ペアは藤沼
- 2005年10月 - 国体2連覇 少年女子団体の部、青森県代表として(岡山)
- 2005年11月 - ITTF女子ワールドカップ3位(銅メダル)中国広州 ※(直後の世界ランキングwr25→wr16へ大幅アップ)
- 2006年1月 - 全日本卓球選手権大会
- 女子シングルス ベスト8
- 女子ダブルス ベスト4
- 混合ダブルス 準優勝
- 2006年2月 - ジャパントップ12卓球大会 準優勝
- 2006年3月5日 - 第19回グランプリアジアカップ シングル5位
- 2006年3月15日 - 超級リーグ広東チームへの移籍契約調印を行う
- 2006年4月9日 - 日本卓球リーグ実業団連盟 ビッグトーナメント 女子シングルス 優勝(推薦参加)
- 2006年4月24日 - 5月1日 - 第48回世界卓球選手権ブレーメン大会
- 女子団体 銅メダル
- 2006年6月 - ITTFワールドツアー台湾オープン ダブルス優勝 ツアーでは初の優勝、ペアは藤沼
- 2006年8月7日 - 11日 - インターハイ
- 女子団体 準優勝
- 女子シングルス 準優勝
- 女子ダブルス 優勝
- 2006年9月 - ITTFワールドツアージャパンオープン ダブルス銅メダル
- 2006年10月 - 国体優勝3連覇 少年女子団体の部、青森県代表として(兵庫)
- 2007年1月 - 平成18年度全日本卓球選手権大会
- 女子シングルス ベスト16
- 女子ダブルス 4回戦(初戦)敗退
- 混合ダブルス 優勝(坂本竜介ペア)
- 2007年2月10日 - ジャパントップ12卓球大会 準優勝
- 2007年4月8日 - ビッグトーナメント 初戦敗退
- 2007年4月30日 - 5月6日 - 第49回世界卓球選手権ザグレブ大会
- 女子シングルス 3回戦敗退
- 女子ダブルス 2回戦敗退
- 混合ダブルス 3回戦敗退
- 2007年10月 - ITTFワールドツアー オーストリアオープン ダブルス優勝(平野早矢香とのペア)ツアーでは2度目の優勝(ダブルス)
- 2008年1月 - 平成19年度全日本卓球選手権大会
- 女子シングルス ベスト16
- 女子ダブルス 優勝(照井萌美とのペア)
- 混合ダブルス 準決勝敗退(坂本竜介ペア)
- 2008年2月9日 - ジャパントップ12卓球大会 ベスト4
- 2008年2月 - 第49回世界卓球選手権広州大会
- 女子団体 銅メダル
- 2009年1月 - 平成20年度全日本卓球選手権大会
- 女子シングルス ベスト4
- 2009年2月 - ジャパントップ12卓球大会 準優勝
- 2009年7月 ITTFワールドツアーモロッコオープン
- 女子シングルス 優勝 ツアーでは初の優勝(シングル)
- 女子ダブルス 優勝(石川佳純ペア)ツアーでは3度目の優勝(ダブルス)
- 2009年11月 - 第19回アジア卓球選手権大会 混合ダブルス 3位
- 2009年12月 - 東アジア競技大会 女子ダブルス 優勝
- 2010年2月 - ジャパントップ12卓球大会 準優勝
- 2010年3月 - ITTFワールドツアーハンガリーオープン
- 女子ダブルス 優勝(石川佳純ペア)ツアーでは4度目の優勝(ダブルス)
- 2010年10月 - ITTFワールドツアードイツオープン
- 女子ダブルス 優勝(石川佳純ペア)ツアーでは5度目の優勝(ダブルス)
- 2011年1月 - 平成22年度全日本卓球選手権大会
- 女子シングルス ベスト4
- 2011年4月 - 日本卓球リーグ ビッグトーナメント石川大会
- 女子シングルス 優勝
- 2012年1月 - 平成23年度全日本卓球選手権大会
- 女子シングルス 優勝(初)
- 2013年1月 - 平成24年度全日本卓球選手権大会
- 女子シングルス 優勝(2)
- 2013年4月 - 日本卓球リーグ ビッグトーナメント愛媛大会
- 女子シングルス 優勝
- 2013年6月 - ITTFワールドツアー荻村杯ジャパンオープン
- 女子シングルス 優勝 ツアーでは2度目の優勝(シングル)単では日本人として初の優勝者である。
- 2013年11月ーITTFワールドツアードイツオープン
- 女子シングルス 準優勝
- 女子ダブルス 準優勝(若宮三沙子パートナー)
- 2014年1月 - 平成25年度全日本卓球選手権大会
- 女子シングルス ベスト4
- 2014年6月 - ITTFワールドツアー荻村杯ジャパンオープン
- 女子ダブルス 優勝(若宮三紗子ペア)ツアーでは6度目の優勝(ダブルス)
- 2014年8月 - ITTFワールドツアーチェコオープン
- 女子シングルス 準優勝
- 女子ダブルス 優勝(若宮三沙子パートナー)ツアーでは7度目の優勝(ダブルス)
- 2014年9月 - 仁川アジア大会
- 女子団体 準優勝
- 混合ダブルス ベスト4
- 2015年3月 - ITTFワールドツアースペインオープン
- 女子ダブルス 優勝(若宮三紗子ペア)ツアーでは8度目の優勝(ダブルス)
- 2015年5月 - ITTFワールドツアーフィリピンオープン
- 女子シングルス 準優勝
- 2015年6月 - ITTFワールドツアーオーストラリアオープン
- 女子シングルス 優勝 ツアーでは3度目の優勝(シングルス)
- 2015年7月 - ITTFワールドツアー韓国オープン
- 女子シングルス 優勝 ツアーでは4度目の優勝(シングルス)
- 2015年8月 - ITTFワールドツアーブルガリアオープン
- 女子シングルス 準優勝
- 2015年8月 - ITTFワールドツアーチェコオープン
- 女子シングルス 優勝 ツアーでは5度目の優勝(シングルス)
- 2016年3月 - 第53回世界卓球選手権団体戦 女子団体 銀メダル
オリンピックでの対戦成績[編集]
- アテネオリンピック女子シングルス
- 2回戦 - オーストラリアのミャオ・ミャオと対戦し、4-3で勝利。
- 3回戦 - アメリカのガオ・ジュン(世界ランク12位)と対戦し、4-0で勝利。
- 4回戦 - 韓国の金暻娥(世界ランク6位)と対戦し、1-4で敗退。8強ならず。
- 北京オリンピック女子シングルス
- 3回戦 - トルコの侯美玲(世界ランク80位)と対戦し、4-1で勝利。
- 4回戦 - 中国の張怡寧(世界ランク1位)と対戦し、1-4で敗退。8強ならず。
- ロンドンオリンピック女子シングルス
- 3回戦 - ロシアのアンナ・チホミロワと対戦し、4-0で勝利。
- 4回戦 - オランダのジエ・リーと対戦し、4-0で勝利。
- 準々決勝 - 中国の丁寧と対戦し、0-4で敗退。
- リオオリンピック女子シングルス
- 3回戦 - ルーマニアのダニエラ・モンテイロドデアンと対戦し、4-0で勝利。
- 4回戦 - 北朝鮮の李明順と対戦し、4-0で勝利。
- 準々決勝 - シンガポールの馮天薇と対戦し、4-0で勝利。
- 準決勝 - 中国の李暁霞と対戦し、0-4で敗退。
- 3位決定戦 - 北朝鮮のキム・ソンイと対戦し、1-4で敗退。
成績[編集]
※最高成績
シングルス[編集]
- オリンピック ベスト4(2016)
- 世界卓球選手権 ベスト8(2003)
- ワールドカップ 銅メダル(2005)
- ITTFワールドツアー・グランドファイナル ベスト4(2010)
ダブルス[編集]
- 世界卓球選手権 ベスト8(2005, 2009, 2013)
- ITTFワールドツアー・グランドファイナル ベスト8(2007, 2010, 2014)
混合ダブルス[編集]
- 世界卓球選手権 銅メダル(2011)
団体戦[編集]
- オリンピック 銀メダル(2012)
- 世界卓球選手権 銀メダル(2016)
- ワールドカップ 銀メダル(2011, 2013)
世界ランキング[編集]
1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001年 | 255 | 251 | 251 | 248 | 126 | 127 | 123 | 102 | 98 | 67 | 65 | |
2002年 | 60 | 75 | 74 | 74 | 67 | 76 | 67 | 68 | 74 | 79 | 85 | |
2003年 | 84 | 86 | 89 | 91 | 91 | 54 | 58 | 58 | 57 | 47 | 46 | 38 |
2004年 | 32 | 30 | 25 | 25 | 25 | 26 | 27 | 27 | 21 | 19 | 21 | 25 |
2005年 | 29 | 30 | 23 | 24 | 24 | 24 | 25 | 25 | 24 | 23 | 25 | |
2006年 | 17 | 19 | 17 | 16 | 16 | 14 | 14 | 14 | 16 | 16 | 15 | |
2007年 | 13 | 15 | 11 | 12 | 11 | 12 | 12 | 12 | 12 | 12 | 10 | 10 |
2008年 | 10 | 9 | 9 | 11 | 13 | 12 | 12 | 12 | 12 | 13 | 17 | 16 |
2009年 | 21 | 21 | 27 | 31 | 31 | 29 | 28 | 24 | 23 | 24 | 21 | 22 |
2010年 | 21 | 15 | 8 | 9 | 8 | 9 | 10 | 10 | 9 | 11 | 10 | 9 |
2011年 | 8 | 10 | 8 | 7 | 7 | 9 | 8 | 8 | 8 | 8 | 8 | 9 |
2012年 | 9 | 9 | 11 | 10 | 9 | 8 | 7 | 6 | 6 | 7 | 7 | 6 |
2013年 | 7 | 8 | 10 | 12 | 12 | 15 | 14 | 14 | 15 | 14 | 14 | 9 |
2014年 | 9 | 9 | 10 | 11 | 13 | 14 | 14 | 16 | 11 | 10 | ||
2015年 | 11 | 11 | 11 | 8 | 8 | 8 | 9 | 6 | 6 | 4 | 4 | 4 |
2016年 | 4 | 4 | 5 | 6 | 7 | 7 | 7 | 8 | 9 | 10 | 12 | 12 |
受賞など[編集]
- 1993年 - 功労賞(日本卓球協会)
- 1994年 - 未来賞(ミロ[要曖昧さ回避]スポーツ大賞)
- 1995年 - 日本スポーツ賞(読売新聞社)、特別奨励賞(宮城県体育協会)
- 1996年 - 奨励賞(宮城県体育協会)、感謝状(兵庫県卓球協会)、感謝状(ライオンズクラブ)
- 1997年 - 奨励賞(宮城県体育協会)、スポーツ奨励賞(仙台市教育委員会)
- 1998年 - 奨励賞(宮城県体育協会)、スポーツ奨励賞(仙台市教育委員会)
- 2003年 - 第5回王国大賞、プレイヤー・オブ・ザ・イヤー(卓球王国)
- 2004年
- 第4回日本卓球人賞
- 2月2日 - イタリア・テルニの親善大使を委嘱された。
- 2005年1月 - 夢見る女の子大賞(ロッテ主催)
- 2011年3月2日 - 仙台観光アンバサダー(親善大使)の初代大使を委嘱された(任期:2年)。
- 2012年
- 9月10日 - 賛辞の盾(仙台市)
- 9月22日 - 杉並区スポーツ栄誉賞
- 10月4日 - 宮城県特別表彰
- 2013年4月17日 - 仙台観光アンバサダーを再委嘱された(任期:2年)
- 2014年 - 第43回ベストドレッサー賞(スポーツ部門)
- 2016年 - 第3回Yahoo!検索大賞 パーソンカテゴリ アスリート部門賞
- 2017年 - 第28回日本ジュエリーベストドレッサー賞 特別賞
- 2017年 - BLOG of the year 2016
- 2018年 - 報知プロスポーツ大賞特別功労賞
主な出場イベント[編集]
2000年4月4日、東京ドームで日本ハムの始球式を務める。
2004年1月、ミキハウスの毎年恒例の新年会に最後の参加をした(ゲストは星野仙一)。同年6月、ミキハウスの五輪壮行会に参加、同年6月6日には新宿で2004年アテネオリンピックの聖火リレーの日本国内での最終ランナーを務めた。同年10月20日、新宿、都庁前で一日警察署長を務める。
2005年2月、中国大使館を表敬訪問、卓球交流を行った。同年3月2日、新潟県中越地震で被災した長岡市立南中学校を慰問、卓球交流。同年4月23日(反日感情が悪化していた時期) - 中国大使館訪問、王毅駐日大使に表敬。同年5月14日 - 映画『KARAOKE-人生紙一重-』(グランプリ製作)の試写会にゲスト出演。同年7月、「中国と日本60年の歩み」写真展(東京)ジャッキー・チェンとともにイベントに呼ばれる。(福原は晴れ着で登場した。同年9月、青森山田高校体育館で、幼稚園生を対象にこてんこてんこと気球イベント。同年9月19日、愛・地球博の上海ウイークのイベントに出場した。同年11月20日、青森市でスペシャルオリンピックスのトーチランの伴走者を務めた。
2006年3月31日、北京市で行われた日中卓球交流50周年記念イベントに参加、同年10月11日、外国特派員協会の昼食に招かれインタビューに応じた。同年10月12日、全国旅館生活衛生同業組合連合会(全旅連)の「お宿親善大使」に選ばれた
2007年5月、糖尿病対策の会見「グリコヘモグロビン認知向上運動」に出演。
2008年3月24日、谷村新司、コシノジュンコとともに、上海万博のイメージ大使に選ばれた。2010年7月19日、上海万博の日本のPR大使として見学中に突然、気分が悪くなって倒れ、1時間余り休憩した後、貧血だったと話した。
2012年9月22日、杉並警察署の一日警察署長を務めた。同年10月4日、日本製紙クリネックススタジアム宮城の楽天イーグルス対埼玉西武ライオンズ戦で始球式を務めた。
2016年9月10日、新宿警察署の一日警察署長を務めた。
テレビ出演[編集]
テレビ番組[編集]
- 愛が見えた!泣き虫愛ちゃん14年の挑戦(2003年3月2日、フジテレビ) - 特別番組。福原を幼少から成長を追って取り上げたドキュメント。司会は安藤優子。視聴率は14.3%。
- スポーツ大陸(2005年9月3日、NHK-BS1・BShi) - ドキュメンタリー番組。同日放送回において、超級を中心に取り上げた。NHK総合でも再放送。
- アンテナ22 もう泣かないヨ…卓球愛ちゃん 素顔の17歳(2006年1月16日、日本テレビ)
- 新春スペシャル対談 未来に架ける橋(2007年1月3日、NHK-BS1) - 谷村新司との100分に渡る対談番組。
- とっさの中国語(2007年4月 - 9月、NHK教育) - 2005年12月26日・2006年1月9日の2度にわたり同局で放送された『中国語会話』においてインタビューを受けたことなどがきっかけで、NHKの語学番組出演に関心を持つようになり、出演依頼を快諾した。番組では、共演者の盧思が「ネイティブ並み」と評する発音 で、その日のフレーズを紹介する役割を担う。毎週5分という短さであるが、福原にとって初めてのレギュラー番組である。福原の出演部分は時間的都合を考え、全25回分まとめ撮りされた。
- The Moments-北京へと続く瞬間-(2008年5月6日、日本テレビ)- 櫻井翔さんとの対談
- スポーツ大陸 北京で笑顔~卓球・福原愛~(2008年9月6日、NHK BS1)
- 密着ドキュメント!日本女子卓球の世界 卓球乙女 ~金メダル最有力競技・ロンドン五輪への道~(2009年3月21日、BS朝日)
- アスリート感動劇場 1億の心に響く物語 卓球・福原愛~“天才子役”としての苦悩を乗り越えて(2010年2月10日、テレビ東京)
- 卓球人生20周年の節目に誓う 福原愛ロンドンへの挑戦(2012年5月12日、テレビ東京)
- NHKスペシャル 愛と佳純~卓球女子・メダルに挑む~(2012年7月23日、NHK)
- 徹子の部屋
- (2012年12月26日、テレビ朝日)
- 春の最強夢トークスペシャル(2017年4月12日、テレビ朝日)※江宏傑と夫婦で出演
- (2021年2月18日、テレビ朝日)
- ザ・ドキュメンタリー 福原愛(2013年3月2日、テレビ東京)
- ソロモン流(2014年8月10日、テレビ東京)
- 卓球女子 アジア大会日本代表 福原愛 〜22年目の再スタート〜(2014年8月16日、TBS)
- 新春トップアスリート頂上決戦!“SHOW GUTS スポーツ2014”(2014年12月30日、テレビ東京)
- アスリートの輝石(2016年7月10日、BS日テレ)
- SPORTSウォッチャー 祝メダル!福原愛が緊急生出演…涙の全て語ります(2016年8月21日、テレビ東京)
- だから君を見つめてきた ~卓球愛ちゃん独占密着24年・ 完結編~(2017年2月10日、フジテレビ)
- インタビュー ここから 「福原愛」(2020年5月5日、NHK)
バラエティー[編集]
- SMAP×SMAP
- (2009年4月20日、フジテレビ)- 平野美宇選手とともにSMAPと卓球対決
- (2009年6月15日、フジテレビ)
- (2010年8月30日、フジテレビ)
- 2012ビートたけし&ロンドン五輪メダリストと真っ向勝負スペシャル!!(2012年10月1日、フジテレビ)※平野早矢香と共に出演
- めざせ!ロンドン金メダル アスリートのVメシ!いただきツアー(2012年3月4日、BSフジ)
- さんまのまんま 秋のさんまは脂がノッてますよSP(2012年9月26日、フジテレビ)
- おしゃれイズム(2012年9月30日、日本テレビ)
- 恒例 元日はTOKIO×嵐 3分間で奇跡を起こせ ウルトラマンDASH(2013年1月1日、日本テレビ)
- 中居正広の8番勝負!なでしこ&プロ野球メダリストと厄年中居が真剣勝負(2013年12月28日、日本テレビ)
- とんねるずのスポーツ王は俺だ!! 15回記念5時間スペシャル(2014年1月2日、テレビ朝日)
- 石橋貴明のスポーツ伝説…光と影 福原愛の光と影(2014年9月17日、TBS)
- 中居正広の6番勝負(2015年12月19日、日本テレビ)
- 中居正広の3番勝負(2022年3月23日、日本テレビ)
テレビ・アニメ[編集]
- こてんこてんこ(2006年1月、テレビ東京) - テレビアニメ。妖精アイちゃん役として、声の出演。
CM・広告[編集]
- ハドソン
- 日清オイリオ - 2007年4月より放送。また、福原の栄養サポートも行っている。
- 全日空 - 福原が中国の瀋陽で実際に好きなものをカメラで撮ってくるという企画があった。1.SL編(自分で石炭も入れた)2.竹筒マッサージ、3.散髪編(自分で他人の散髪にも挑戦)、4.卓球練習場、の4種類が放送された。
- 『福原愛@瀋陽』
- 『SL篇』
- 『竹筒マッサージ篇』
- 『体育学院篇』
- 『散髪篇』
- 企業CM
- 『ひまわり篇』
- LIVE/中国線就航20周年/ANA
- 『卓球編』 (2007年3月 - )
- 『福原愛@瀋陽』
- 全日空2017年 旅割(ゴールデンウィーク)
- 三井生命(現・大樹生命)
- 日本コカ・コーラ「アクエリアス」
- Yahoo!BB
- グランプリ
- トヨタ自動車
- 佐川急便
- グンゼ
- 永谷園「すし太郎」 - 和田アキ子と共演
- クラシエホールディングス(2016年1月 - 終了) - クラシエグループ・コーポレートキャラクター
- クラシエホームプロダクツ「ナイーブピュア」
- クラシエ薬品「クラシエの漢方 かぜシリーズ」など
- アサヒスーパードライ(2016年) - 江宏傑と夫婦共演
- アース製薬「サラテクト」(2018年) - 江宏傑と夫婦共演
アテネ五輪の試合放送[編集]
アテネ五輪初戦当日、福原の試合は20時頃から始まったが当初生中継はされていなかった。しかしテレビ東京は競泳の録画放送から彼女が2ゲーム取られピンチの状態から生中継を開始した。30分程度の放送がされ試合途中で番組は終了した。この試合ではフルゲームの末、逆転勝利した。
同日、NHK-BS1とNHK総合は23時頃から、TBSは0時頃から録画放送を開始。その3局は他局と時間がかぶっているにもかかわらず、ノーカットで試合放送した。次の3回戦はNHK、TBSが生放送をした(19:30-)。NHKだけで平均視聴率は20.1%、勝利した瞬間の最高視聴率は31.9%という高視聴率をマークした(関東地区、ビデオリサーチ調べ)。NHKが「卓球の愛ちゃん人気の高さには驚きました」と話したように、この数字は各局に少なからぬ衝撃を与えた。
最終試合となった3試合目、4回戦は開始が0時頃だったが、これはフジが生放送。2戦目に比べ数字の取りにくい時間帯だったが、これも高視聴率をマーク。福原が敗れた瞬間の最高視聴率は22.7%(フジ:19日0時34分)。
2004年にマクロミルが調査した「アテネオリンピックで注目・期待する選手」についてのアンケートで北島康介と谷亮子に次いで3位となった。福原はメダルを取れなかったが、マスコミは他のメダリストとともに福原を番組に呼んでインタビューを繰り返した。
アテネ五輪で初めて福原の試合を見たという人が多く、その人たちには福原が出す「サーッ!」という声をはじめて聞くことになり、小さい頃は泣きながら卓球をやっていた少女が、あんなに元気よく声を出していることに感銘を受けた人も多かった。各局のインタビューでは、必ず「サー」の質問がされ、「あれはサーなのか、ターなのか、シャーなのか」という論議がしばらく続いた。『報道ステーション』(テレビ朝日)のインタビューでは「気合いです。何て言ってるのか分からない。」とコメントした。声紋を機械にかけたところ、発音は「ター!」であることが判明した。
関連商品[編集]
- PS2ゲームソフト『いくぜ!温泉卓球』(2000年12月21日、彩京) - 小学6年の福原愛が対戦相手として登場
- PS2ゲームソフト『福原愛の卓球一直線』(2005年、サクセス) - 高校生の福原愛となって戦う。
- 体感ゲームシリーズ『愛ちゃんに挑戦! エキサイトピンポン』(2006年7月、エポック) - 子供の福原愛と、高校生の福原愛と戦える。ラケットにサインが印刷されている。
- 卓球ラケット「福原愛」(バタフライ)
- 卓球シューズ「WAVE FLORA AI」(ミズノ)
- 卓球練習マシーン「マシンガン愛I、II」(TSP)
- 卓球のレッスンDVDバタフライより発売されている。
- 中国の卓球選手ばかりが歌うラップ曲「乒乒乓乓 天下无敌」に参加(2005年・2006年)
- 2006年度福原愛カレンダー(2005年12月、ANA)
- ロッテ「LOTTE LOTTERY チャンピオンズキャンペーン」チャンピオンフィギュ・福原愛Ver.(2006年) - キャンペーン懸賞として2頭身フィギュア作成
関連書籍・出版物[編集]
- 卓球レポート(1994年 - )
- 小学一年生(1995年4月 - 1996年3月、小学館) - 表紙
- 卓球王国(1996年 - ) - 創刊号以来何度も表紙を飾り、インタビューも数多く取り上げられた。月刊福原愛という1Pの記事があり、名称は何度か変わったが、小学生の頃から続いている企画がある。
- 愛ちゃんのあ。(1997年10月、福原の母の著、リイド社)
- AERA(2003年5月12日、朝日新聞出版) - 表紙
- 福原愛物語(2004年8月4日、少年サンデーで漫画化、あおやぎ孝夫作)
- 愛は天才じゃない - 母が語る福原家の子育てって?(2005年1月、生島淳著、三起商行) - 母のインタビュー本
- 福原愛写真集「LOVE ALL」(2005年3月、卓球王国)
- 「世界卓球」(2005年8月) - 中国の卓球雑誌。表紙や本編などで大きく取り上げられた。
- スポーツのニューヒロイン〈2〉福原愛物語(2005年11月、本郷陽二著、汐文社) - 子供向け