You can edit almost every page by Creating an account. Otherwise, see the FAQ.

知能検査

提供:EverybodyWiki Bios & Wiki
移動先:案内検索

知能検査(ちのうけんさ)とは、知能を測定するための心理検査である。類似に発達検査、性格検査などがある。

検査結果の表示の仕方のうち代表的なものが知能指数(IQ)(偏差知能指数(DIQ)含む)である。また知能偏差値(ISS)や精神年齢(MA)で表す方法や、大まかに「優」「中」などの5〜7段階に分けて知能段階点で表す方法や、最下位から何パーセントの位置にあるかをパーセンタイル(知能百分段階点)で表す方法がある。

実施目的は学習指導や就学指導や障害者認定や就職活動などがある。

知能検査の入手に関しては、日本心理検査協会倫理要綱で心理検査の散逸が規制されているため(心理検査#入手を参照)、一般的な知能検査の本体(用紙・部品など)は、医療・教育関係者や、企業の人事担当者などの特定の相手のみに販売している。なお検査実施法(マニュアル)も同様である場合が多いが、田中ビネー知能検査など一部の製品の検査実施法は、一般書籍扱いで書店でも販売されている。(ただし、一般向けでない書籍でも、古書店で販売されている例も見かける。)

分類[編集]

検査内容で分類すると、言語能力が大きく関係する「A式」と、言語能力があまり関係しない「B式」、その中間の「AB混合式(C式)」に分けることが可能である。

A式検査
三段論法などの文章題が多く、社会生活面での知能を測れるが、学校教育が不十分だったり、母語が異言語だったりすると、低い結果が出る。「言語性検査」とも言う。
B式検査
図形や数字などの理数的な問題が多く、文化的な(後天的な)特性の影響を少なくできる。もともとは外国からの移住者を対象にしたものだが、一般の学校でも広く使われている。ただし、実施時の監督者からの教示に従うために、ある程度の指示聞き取り能力は必要である。「非言語性検査」、「ノンバーバル検査」とも言う。なお、「動作性検査」とほぼ同じ意味に使われる場合も多い。

実施方法で分類すると、精密な「個別式検査」と大量測定に向く「集団式検査」に分けることが可能である。

集団式検査
団体式検査」ともいい、学校などで大量に検査するための筆記式検査(質問紙法)である。一般の学力検査と同じ様に、教室の机で行われる。これで特徴的な結果がでたら個別式検査を行って再検査する。実施時間は、学校の授業時間(45分程度)内に収まるようになっている場合が多い。校内採点専用のもの、業者での校外採点専用のもの、両方選べるものがある。費用は1人200円〜500円程度。
検査の実物は#外部リンク3を参照。なぜかウェクスラー式という表記もあるが、ページ最下部の表記にあるとおり京大NXのなかの1ページである。
個別式検査
被検者と検査官が1対1で相互に対話しながら検査する、手数はかかるが正確な検査である。学校場面では、集団式検査で低い数値が出たような場合に、障害発見のための診断検査として用いられる場合が多く、手間がかかるので実施対象者は少ない。対象年齢層にもよるが、積木(1〜4歳程度)・ミニチュア模型(1〜4歳程度)・カラーチップ(12歳程度)・絵カード・文字カードなどの道具を使う場合が多い。いずれも30分から90分程度を要する。日本ではビネー式(主に田中ビネー)と、ウェクスラー式(対象年齢によって3種類がある)と、K-ABCが主流である。ビネー式は、フランスのアルフレッド・ビネーとテオドール・シモンによって開発された発達遅滞児の診断法が源流であり、ルイス・マディソン・ターマンによって大きく直されたものが現在まで使われている。ウェクスラー式は、デビッド・ウェクスラーによって開発されたものであり、言語性知能(VIQ)と動作性知能(PIQ)に分かれて算出される。
就学時検査
小学校(盲学校・聾学校・養護学校の各小学部を含む)の就学時の就学時健康診断の際に行われる検査である。個別式と集団式のどちらに該当するか明確でないのでこの記事では分離して扱う。「就学児検査」ともいう。

結果の表示方法で分類すると、「一般知能検査」と「診断性知能検査」に分類できる。一般知能検査は、結果が1つのIQで表示され、全体的な知能を表示するものである。診断性知能検査は、結果が複数の領域別IQで表示され、個人の長所・短所が良く分かる。ただし、代表的な一般知能検査とされてきたビネー式は、最新の田中ビネーVによって領域別IQが表示できるようになったため、診断性知能検査となった。

開発の歴史[編集]

知能検査には1世紀の歴史がある。当初は知的障害児を見分けるためのものであったが、集団式検査の開発により、さまざまな分野に用途が拡大していった。日本では、1960年代ごろから知能検査に対する厳しい批判のために発展が妨げられたという意見もある(#外部リンク1の16ページを参照)。

  • 1905年、アルフレッド・ビネーとテオドール・シモンによって「知能測定尺度(ビネー‐シモン法)」が作成された。
    19世紀にも、フランシス・ゴルトンらによる知能遺伝論や、キャッテルらによる知能を測定しようとする試みはあったが、広く受け入れられる検査法は確立していなかった。しかしながら、全員入学の学校制度が普及するにつれ、先天的に学力などで同年齢児に追いつけない児童の存在が問題となった。このため、1904年にフランスのパリで、「異常児教育の利点を確実にするための方法を考える委員会」が発足された。この委員であったソルボンヌ大学の心理学者アルフレッド・ビネーは、弟子の医師テオドール・シモンと協力して、1905年に世界初の近代的知能検査を作成した。この時点では、まだ知能指数や知能年齢は使われず、発達が遅れているか否かのみを知るものだった(知的水準という用語は使われていた)。ビネーは1908年と1911年にも改訂版を出したが、1911年に死去する。日本においては、ビネーの初版発表から程なくして紹介された。1908年に三宅鉱一(のちに松沢病院長になる)が、池田隆徳と連名の「知力測定」という論文の中で1905年版ビネー法を紹介し、また実際に児童に対して自作の検査を実施した。
  • 1912年、ドイツのウィリアム・シュテルンが心理学会にて、「知能指数」と「知能年齢」という指標を提唱した。
    知能年齢については、ビネーも知的水準という用語を使用していたが、用語としてはシュテルンが正式に発表したということらしい。この概念は現代までも広く用いられている。
  • 1912年にオーチスが集団式知能検査を開発した。
    これが集団式知能検査の起源である。そのあとオーチスは1918年にターマンと協力して軍人徴兵用の集団式の「陸軍A式検査」・「陸軍B式検査」を開発した。
  • 1916年にルイス・マディソン・ターマンによって「スタンフォード改訂増補版ビネー‐シモン知能測定尺度」(The Stanford Revision and Extension of the Binet-Simon Scale for Measuring Intelligence)が発表された。
    ビネー法は画期的なものだったため、世界各国に輸出されるが、フランス語のままでは使えないので、現地で翻訳されて標準化作業がなされた。この一環としてもっとも大規模なのが、1916年に1378人(2300人との資料もある)の被験者を対象に標準化された、スタンフォード・ビネー法である。これはスタンフォード大学のルイス・マディソン・ターマンがメリルの協力を得てビネーの1908年版を元に開発したものであるが、これの大きな特徴は、シュテルンが提案した知能指数を結果表示に使用していることである。ターマンは10歳のころに行商人から頭蓋骨の形をほめられ、将来性を予言されたというエピソードがある。ターマンはそのあと知能分野に興味を持ち、数度の転職を経験してから、1910年にスタンフォード大学(当時創立19年)の教員になって頭角を現していった。ビネーは知能検査の対象を主に障害児教育に想定していたが、ターマンは主にギフテッド教育や英才児教育に想定していたとされる。テストの開発中にターマンは、女児が男児よりも得点が高く、白人が黒人や移民よりも得点が高いことに気付いた。しかし、男女間の差はテストの不完全さに起因するとして修正したが、人種間の差はただの事実だろうと考えて修正しなかった(人種間の得点差があまりにも大きかったために修正が容易ではないということも判断の理由とされている)。ドイツ語版・英語版・ポーランド語版に記事がある。#参考文献11に基づく。
  • 1917年にロバート・ヤーキーズらによって陸軍用の知能検査が発表された。
    動物心理学者のヤーキーズは、ターマンと共同して集団式知能検査を作成した。ヤーキーズが陸軍から要請を受けたとも、ヤーキーズから陸軍に持ちかけたともいわれる。検査結果は数字ではなくAからEの5段階評価だった。これは折からの第一次世界大戦に参加する新兵に対して実施された。#利用の歴史も参照。
  • 1919年に久保良英によってビネー法の日本での本格的な標準化がなされた。
    久保良英はそれ以降も1942年の「国民学校児童知能査定法」などいくつかの検査を発表している。
  • 1930年に鈴木治太郎によって「実際的・個別的智能測定法(鈴木ビネー知能検査)」が発表された。
    近畿地方で教員を務めていた鈴木治太郎は、1920年からビネー法の日本での標準化に着手し、1925年までに大阪地域の3814人の児童を対象に標準化を行った。そのあと統計面などの改良を行い、1930年に「実際的・個別的智能測定法(通称鈴木ビネー)」と名づけて発表した。これがビネー法の日本版として田中ビネーとともに有名なものである。鈴木はそれ以降も16000人を対象に標準化するなど、外国にも類を見ない研究活動を行って、1956年まで数回の改訂を行い続けた。
  • 本テストは極めて使いやすいものであるが使用カードに人権上不適切なものがあるという指摘があり、それもあって現在では使用頻度が低いものとなってはいるが、指摘のあったカードの改訂と標準化により十分使用に耐えるだけの吟味された完成度の高い検査と言うことができる。
  • 1936年に田中寛一によって「田中B式知能検査」が発表された。
    山梨県師範学校の教員を3年勤めた田中寛一は、京都大学哲学科、東大大学院に入学し、松本亦太郎の下で心理学を学んだ。その後の研究生活の課程で、日本人の知能を見下していた欧米の心理学者を驚かせようと思い、異言語間で使用可能な知能検査を開発しようと考え、1933年から1938年にかけて東洋や欧米の諸民族の知能検査を行い、これを参考に非言語式で集団式の「田中B式知能検査」を発表した。これは知能偏差値を使用して表示しているのが特徴である。なおほぼ同時に言語式の「田中A式知能検査」が発表されている。
  • 1939年にデビッド・ウェクスラーによって「ウェクスラー・ベルビュー知能検査」が発表された。
    ニューヨーク大学付属ベルビュー病院の心理診断部長のデビッド・ウェクスラーが、ウェクスラー・ベルビュー知能検査を開発した。これは成人向けの個別式知能検査である。彼はビネー法を成人を対象として実施したとき、知能年齢や従来の知能指数は正確な指標にならないと感じたため、ウェクスラー式ではDIQを指標として表示することにした。彼はのちにWPPSI、WISC、WAISを開発するが、いずれも言語性と動作性の2領域を診断的に検査するのが特徴である。これらの日本語版は、児玉省、品川不二郎らにより作成された。
  • 1947年に田中寛一によって「田中ビネー知能検査」が発表された。
    B式検査を発表した田中だったが、個別式検査の方は既存のものでは不十分だと考え、1937年版スタンフォード・ビネー法を基にして、4歳級以下と11歳級以上の部分を強化し、1947年に「田中びねー式智能検査法」を発表した。標準化時の延べ被験者は4886人である。完成したのは1943年であったが、「大御宝(おおみたから:子供の意)を測定するのはおかしい」などの非難があった様であり、発表は戦後にずれ込んだ。
  • 1949年にウェクスラーによってWISCが発表された。
    児童向けの知能検査である。
  • 1955年にウェクスラーによってWAISが発表された。
    成人向けの知能検査である。
  • 1966年にウェクスラーによってWPPSIが発表された。
    幼児向けの知能検査である。
  • 1986年にロバート・ソーンダイク(有名なエドワード・ソーンダイクの孫)他2名によって「スタンフォード・ビネー知能尺度第4版」が発表された。
    この版では、ビネー法の特徴である知能年齢などの概念を捨て去り、ウェクスラー系に著しく近いものとなった。すでに1960年版で従来のIQを捨て去り、DIQを採用していたため、徐々にビネー法の特徴は薄れていっていた。
  • 2003年に田中教育研究所によって「田中ビネー知能検査V(ファイブ)」が発表された。
    これが田中ビネーの最新版である。ビネー系の知能検査は知能年齢・従来のIQを使用することが特徴であったが、世界的な流れに合わせ、生活年齢14歳以上にDIQを取り入れることにした。ただし13歳以下でDIQを算出することも、14歳以上でも場合により(知的障害など)知能年齢を算出することも可能である。この14歳以上のDIQの採用と、14歳以上の知能を「結晶性」・「流動性」・「記憶」・「論理推理」の4領域別に算出できること、1歳以下対象の発達チェックの採用などが特徴である。

利用の歴史[編集]

知能検査には1世紀の歴史がある。過度な優生政策、人種政策などに悪用された歴史もあるが、学校や企業など多くの場で活用されてきた歴史もあり、学習指導や障害者福祉に貢献した側面も大きい。しかし、人間の内的な部分を直接測るというデリケートなものであるため、欠点を非難されたことも多い。

  • 1917年にアメリカで、徴兵時に陸軍式知能検査が使われた。
    1914年から始まっていた第一次世界大戦にアメリカが1917年に参戦し、大量に徴兵された新兵を対象に知能検査が実施された。これは大戦中に175万人の兵士が受け、その成績によって軍内での担当部署が決まった。これ以降しばらくの間、アメリカでは学校や企業で知能検査がよく利用されることになる。
  • 1921年にアメリカで、移民制限法が施行された。
    知能検査で移民の知能を測定し、点数が低かったら移民を認めないという取り扱いが行われた。これは、移民の言語能力をあまり考慮せず、英語主体のテストで低い点が出るようなことがあったとされている。
  • 1946年に日本で、GHQからストッダードらのアメリカ教育使節団が、日本を視察して日本の教育を指導した。
    この指導は、知能検査の使用の推進にも影響が大きかったとされている。 「アメリカ教育使節団報告書」も参照
  • 1947年に日本で、高等教育の学校の入学試験で知能検査が開始された。
    アメリカのSATを模範として、1947年に旧制官立学校の入学試験の一部として知能検査が行われ、この年は6万564人が受験した。この検査は1948年から進学適性検査(進適)と命名され、この年は13万7121人が受験した。1949年には、新制大学で初めての入学試験が始まったが、この年以降、大学受験生全員が進適を受験することになった。ただし、この結果が本試験に影響する場合とそうでない場合があったらしい。これは、のちの能研テスト、共通一次試験や現在の大学入試センター試験と同様な、大学受験の一次試験であったが、知能検査的な性質が強かったといわれている。またこれは文科系・理科系の適性が分かるものであった。進適については#外部リンク2を参照。
  • 1954年に日本で、進学適性検査が廃止された。
    受験者への負担や、利用に関する大学側の消極性、予算の問題により、この年限りで進学適性検査が廃止された。この年度は、33万8542人がこれを受験した。 大学入試への適用については「知能指数#大学入試」を参照
  • 1958年に日本で、学校保健法(現行の学校保健安全法)が制定され、就学時健康診断が開始された。
    学校保健法施行規則では、就学時健診で知能検査も実施し、小学校と養護学校(のちの特別支援学校小学部)のどちらに就学すべきかを判断することに決められた。
  • 1963年に日本で、能研テストが開始された。
    財団法人能力開発研究所が、大学受験の一次試験として能研テストを開始した。これは学力検査と適性検査と職業適性検査があったが、適性検査は言語的推理能力と非言語的推理能力を測定するものであり、知能検査の一種であったとされている。
  • 1969年に日本で、能研テストが中止された。
    やはり進適同様に、さまざまな理由から中止された。次に大学入試の共通試験が実施されるのは、1979年の共通一次試験である。
  • 1971年に、アメリカの連邦最高裁判所が、ほとんどの業種の入社試験での知能検査を禁止する判決を出した。
    当初は知能検査がもてはやされたが、万能性があるものではないことが分かってきた。ただし、実際には同様のものが実施されている。
  • 2002年に日本で、就学時健康診断で行われる知能検査が、「適切な検査」に改められた。
    学校保健法施行規則の改正にともない、知能検査に限定されていたものが、それ以外の適切な検査でもよいとされた。ただし、実態はあまり変わらないといわれている。


Read or create/edit this page in another language[編集]