目黒区
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目黒区(めぐろく)は、東京都の区部南西部に位置する特別区。
地理[編集]
東京23区の南西部、武蔵野台地の南東部に位置する。目黒川と呑川が形成する谷とその支谷が台地を刻んでおり、標高5m未満から35m以上まで起伏に富んだ坂が多いことが特徴である。
面積は1,470haであり、これは東京23区中で16番目となる。
隣接する自治体・行政区[編集]
次の特別区に囲まれている。
- 渋谷区・世田谷区・品川区・大田区
港区は三田(港区の三田とは別)一丁目の近傍にあるが、わずかに接していない。
河川・水路・池[編集]
区内には、以下の二級河川がある。
- 目黒川
- 蛇崩川
- 立会川
- 呑川
- 柿の木坂支流
- 駒沢支流
- 九品仏川
これらの川は、呑川の一部と目黒川のみが地表を流れており、他は支流の羅漢寺川なども含めて区内では暗渠にされている。
主な池は以下の通りである。
- 碑文谷池 - 碑文谷公園内
- 清水池 - 清水池公園内
歴史[編集]
- 原始、古墳時代
- 東山貝塚遺跡:23区内の3大貝塚の一つ。旧石器時代から古墳時代の遺跡が重層的に発見されており、氷期、縄文海進期、古代海退期と超長期的に利用された場所である。縄文時代の遺跡は区内に数多い。
- 古代
- 武蔵国荏原郡に属す。
- 9世紀ごろ大鳥神社、目黒不動、法眼寺が建てられる。
- 横山党目黒氏の荘園「菅刈荘」であったと伝えられる(目黒高校近辺が居館であったという伝承がある)。
- 中世
- 区内に鎌倉道幹線が整備された。
- 後北条氏勢力下となってからは、吉良氏の所領となった。
- 近世
- 江戸時代には孟宗竹の産地であり、現在の目黒区南部、品川区境で採れる筍は名産品であった。
- 近・現代
- 1874年 八雲小学校設置。
- 1896年 ビール工場開場。
- 1907年 目黒競馬場開設。
- 1927年 東急東横線開通。
- 1933年 目黒競馬場廃止。
- 1994年 防衛庁移転計画に基づき統合幕僚学校・三自衛隊の幹部学校が移駐、目黒駐屯地として開設。
- 2003年 - 目黒区ポイ捨てなどのないまちをみんなでつくる条例制定。
- 区の沿革
- 1867年 武蔵知県事管轄地となる。
- 1869年 品川県の一部となる。
- 1871年 東京府の一部となる。
- 1889年5月1日 荏原郡三田村、上目黒村、中目黒村、下目黒村が目黒村に、碑文谷村、衾村が碑衾村になる。
- 1922年12月1日 荏原郡目黒村が荏原郡目黒町になる。
- 1927年4月1日 荏原郡碑衾村が荏原郡碑衾町になる。
- 1932年10月1日 目黒町と碑衾町が東京市に編入、2町の区域をもって東京市目黒区となる。
- 1936年 区役所を中央町二丁目に移転。
- 1980年9月20日 区歌「めぐろ・みんなの歌」を制定。
- 1981年8月1日 防災行政無線運用開始。
- 2003年1月6日 区役所を上目黒二丁目に移転。
昼夜間人口[編集]
2005年の夜間人口(居住者)は248,749人であるが、区外からの通勤者と通学生および居住者のうちの区内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は271,320人で昼は夜の1.091倍の人口になる。