田中マルクス闘莉王
田中 マルクス 闘莉王(たなか マルクス トゥーリオ、ブラジル名:マルクス・トゥーリオ・リュージ・ムルザニ・タナカ;Marcus Túlio Lyuji Murzani Tanaka、1981年4月24日 - )は、ブラジル・サンパウロ州パルメイラ・ド・オエスチ出身の元プロサッカー選手、YouTuber。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)だったが、フォワードとして起用されることもあった。元日本代表。
父親が日系ブラジル人で、母親がイタリア系ブラジル人。2003年に日本に帰化した。2006年のJリーグ最優秀選手賞(MVP)受賞者。
来歴[編集]
生まれて初めて喋った言葉は「ママイ(お母さん)」「パパイ(お父さん)」「ボーラ(ボール)」だったという。その言葉どおり、物心ついたときには既にボールを蹴っていた。
1989年1月、オレステス小学校入学。当時の担任教師によれば「優しい子で、困っている友達を見ると放っておけない性格だった」「勉強が得意で、努力家で、学業成績が良かった。水泳も得意で、学校の水泳大会ではいつも優勝していた。」という。ただし本人は「数学は得意だったけど、国語は苦手だった。友達と喧嘩することも多かった」と回想した。サッカーを本格的に始めたのは9歳の時で、ボランティア活動で子どもたちにサッカーを教えていたコーチが近所に引っ越してきたことがきっかけ。そのサッカー教室へ通い上達していった。しだいに少年チームだけでは物足りずに父親の試合について行き、大人に混じってサッカーをすることもあった。
中学時代は「自分の人生に責任を持つ人間に育ってほしい」という父親の厳しい教育方針のもと、昼間は会計事務所で働き、夜間はオレステス中学校夜間部へ通う生活を送った。中学校では体育教師の熱心な勧誘でバレーボール部に所属してエースアタッカーとして活躍し、地区大会で優勝するほどであった。また数学教師の推薦でオレステス中学校代表としてブラジル数学オリンピックに出場し、全国大会にまで進んだ経歴も持つ。中学時代に本格的にサッカーをやっていなかったプロ選手はほとんど存在せず、この時期にサッカーから離れていたトゥーリオは非常に珍しい存在であった。
1997年、人に勧められて受けたミラソウFCのセレクションに合格し、その頃からプロサッカー選手を目指すようになった。その1ヶ月後の1998年1月、留学生を探しにミラソウFCを視察していた千葉県の渋谷教育学園幕張高等学校のサッカー部監督・宗像マルコス望に才能を見出され、日本の高校への留学を誘われた。1998年3月、カバン1つだけを持参して16歳で来日した。日本語ができなかったことで大変な思いをし、日本に来て最初の1年間が人生で最も辛かったという。しかし、日本語も英語も必死に勉強したらしい。サッカーに関しては、本来は攻撃的ポジションの経験しかなかったが、宗像の意向でセンターバックにコンバートされた。ブラジルではトップ下か攻撃的MFを担当しており、それまでヘディングの練習はしていなかったため、毎日ヘディングの練習を繰り返した。ただし幼少期の乗馬の経験が、空中戦におけるバランス感覚やポジショニングに大きく役立ち、また中学時代のバレーボールの経験が、跳躍力とタイミング判断に大きく役立つことになった、と本人は回想した。個人としては千葉県選抜チームのメンバーに選出されて国体に出場し、全国優勝を果たした。サッカー部の一員としては、本人のフリーキックからのゴールが決勝点となり、サッカー部を初の全国高等学校サッカー選手権大会出場へ導くという実績を残した。
所属クラブ[編集]
- ミラソウFC (pt:Mirassol Futebol Clube)
- 1998年 - 2000年 渋谷教育学園幕張高等学校
- 2001年 - 2003年 サンフレッチェ広島
- 2003年 水戸ホーリーホック (期限付き移籍)
- 2004年 - 2009年 浦和レッズ
- 2010年 - 2015年 名古屋グランパス
- 2016年9月 - 同年12月 名古屋グランパス
- 2017年 - 2019年 京都サンガF.C.
個人成績[編集]
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2001 | 広島 | 23 | J1 | 17 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 22 | 1 |
2002 | 6 | 22 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 27 | 1 | ||
2003 | 水戸 | 28 | J2 | 42 | 10 | - | 3 | 0 | 45 | 10 | |
2004 | 浦和 | 4 | J1 | 21 | 3 | 6 | 1 | 1 | 0 | 28 | 4 |
2005 | 26 | 9 | 7 | 1 | 2 | 0 | 35 | 10 | |||
2006 | 33 | 7 | 7 | 1 | 1 | 0 | 41 | 8 | |||
2007 | 26 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 27 | 3 | |||
2008 | 31 | 11 | 1 | 0 | 1 | 0 | 33 | 11 | |||
2009 | 31 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 32 | 5 | |||
2010 | 名古屋 | 29 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 30 | 6 | ||
2011 | 31 | 6 | 2 | 2 | 0 | 0 | 33 | 8 | |||
2012 | 33 | 9 | 2 | 1 | 3 | 3 | 38 | 13 | |||
2013 | 27 | 3 | 4 | 1 | 0 | 0 | 31 | 4 | |||
2014 | 31 | 7 | 4 | 3 | 4 | 2 | 39 | 12 | |||
2015 | 30 | 5 | 6 | 2 | 0 | 0 | 36 | 7 | |||
2016 | 7 | 0 | - | 0 | 0 | 7 | 0 | ||||
2017 | 京都 | J2 | 31 | 15 | - | 0 | 0 | 31 | 15 | ||
2018 | 31 | 4 | - | 0 | 0 | 31 | 4 | ||||
2019 | 30 | 0 | - | 0 | 0 | 30 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J1 | 395 | 75 | 51 | 13 | 13 | 5 | 459 | 93 | |
日本 | J2 | 134 | 29 | - | 3 | 0 | 137 | 29 | |||
総通算 | 529 | 104 | 51 | 13 | 16 | 5 | 596 | 122 |
その他の公式戦
- 2004年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2006年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2011年
- スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 | FIFA | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
2007 | 浦和 | 4 | 8 | 0 | 2 | 0 |
2008 | 4 | 1 | - | |||
2011 | 名古屋 | 5 | 0 | - | ||
2012 | 5 | 2 | - | |||
通算 | AFC | 22 | 3 | 2 | 0 |
その他の国際公式戦
- 2007年
- A3チャンピオンズカップ 3試合1得点
- 記録等
- プロ初出場・初得点 - 2001年3月11日 J1 1st第1節 鹿島アントラーズ戦(国立競技場)
- ハットトリック達成 - 2008年7月17日 J1第17節 東京ヴェルディ戦(埼玉スタジアム2002)
- J1通算50得点達成 - 2011年11月26日 J1第33節 モンテディオ山形戦(豊田スタジアム) ※DFとして歴代初
- ハットトリック達成 - 2012年8月4日 J1第20節 ヴィッセル神戸戦(名古屋市瑞穂公園陸上競技場)
- J1通算300試合出場 - 2012年12月1日 J1第34節 浦和レッズ戦(埼玉スタジアム2002)
代表歴[編集]
主な出場大会[編集]
- 2004年 - アテネオリンピック
- 2010年 - 2010 FIFAワールドカップ
試合数[編集]
- 国際Aマッチ 43試合 8得点(2006年 - 2010年)
- (先発出場試合数 43)
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2006 | 5 | 1 |
2007 | 4 | 1 |
2008 | 10 | 2 |
2009 | 13 | 2 |
2010 | 11 | 2 |
通算 | 43 | 8 |
- A代表初出場 - 2006年8月9日 キリンチャレンジカップ トリニダード・トバゴ戦(国立競技場)
- A代表初得点 - 2006年11月15日 AFCアジアカップ2007 (予選) サウジアラビア戦(札幌ドーム)
タイトル[編集]
クラブ[編集]
- 浦和レッズ
- J1リーグ:1回(2006年)
- J1リーグ 2ndステージ:1回(2004年)
- 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会:2回(2005年、2006年)
- スーパーカップ:1回(2006年)
- AFCチャンピオンズリーグ:1回(2007年)
- 名古屋グランパス
- J1リーグ:1回(2010年)
- スーパーカップ:1回(2011年)
個人[編集]
- 日本年間最優秀選手賞(フットボーラー・オブ・ザ・イヤー):1回(2006年)
- Jリーグ最優秀選手賞(MVP):1回(2006年)
- Jリーグベストイレブン:9回(2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2012年)
- Jリーグ優秀選手賞:9回(2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2012年)
- Jリーグ功労選手賞:(2022年)
- J30ベストアウォーズ ベストイレブン:(2023年)
その他[編集]
- 報知プロスポーツ大賞 Jリーグ部門:(2007年)
- 国民体育大会 優秀選手:2回(1998年、1999年)- 高校時代
- 千葉県知事特別賞:(2010年)- W杯での功績により
出演[編集]
CM[編集]
- 富士フイルム『あしたに続く写真 闘莉王篇』 (2004年)
- コカコーラ 『アクエリアス』 (2006年)
- VISAカード 『自動車保険もgo with Visa篇』 (2009年 - 2010年)
- 日本ケンタッキーフライドチキン 『40th Anniversary篇』 (2010年)
- スカパー! 『名古屋 闘莉王篇』 (2011年)
テレビ番組[編集]
- 「情熱大陸」(MBSテレビ、2009年4月19日放送)
- 「S☆1」(TBSテレビ、2010年8月28日放送) 魔裟斗との対談。
- 2022 FIFAワールドカップカタール大会 - NHK総合テレビジョン、フジテレビジョンコメンテーター
※その他多数
テレビアニメ[編集]
- 「ドラえもん」(テレビ朝日、2010年6月4日放送) W杯の特別企画で、絵かき歌に挑戦した。
広告[編集]
- 成田国際空港 『情熱が集う篇』 開港30周年イメージキャラクター ※知花くららと共に (2008年)
- Product Red (en:Product Red) 『Lace Up. Save Lives』 ナイキとの提携によるチャリティー ※日本におけるイメージキャラクター(2009年)
- 全国高等学校サッカー選手権大会- イメージキャラクター (2010年)
プロモーション[編集]
- ナイキ 『Write The Future(未来をかきかえろ)』 W杯応援キャンペーン(2010年)
- 映画『ホワイトハウス・ダウン』 試写会特別ゲスト(2013年)
- 映画『47RONIN』 宣伝隊長(2013年)
CD[編集]
- Tanaka Marcus Tulio 『TRIP IN BRAZIL』 Prima★Stella Records、2008年11月。