演歌
演歌(えんか)は、
- 明治時代の自由民権運動において政府批判を歌に託した演説歌の略。
- 1920年代「船頭小唄」流行頃には演歌師が活動していた。
- 1960年代半ばに日本の歌謡曲から大衆芸能として人気となったジャンルで、日本人独特の感覚や情念に基づく娯楽的な歌曲の分類の一つである。当初は同じ音韻である「艶歌」や「怨歌」の字も当てられていたが、1970年代初頭のビクターによるプロモーションなどをきっかけに「演歌」が定着した。なお、音楽理論的には、演歌の定義はない。
ここでは1.2.3含めて概説する。
特徴[編集]
音階法(ヨナ抜き音階)[編集]
演歌が用いる音階の多くは日本古来の民謡等で歌われてきた音階を平均律に置き換えた五音音階(ペンタトニック・スケール)が用いられることが多い。すなわち、西洋音楽の7音階から第4音と第7音を外し、第5音と第6音をそれぞれ第4音と第5音にする五音音階を使用することから、4と7を抜くヨナ抜き音階と呼ばれる音階法である。
この音階法は田中穂積による日本初のヨナ抜き短調曲である「美しき天然」の影響を受けた古賀正男(後の古賀政男、1904年(明治37年)-1978年(昭和53年)) による古賀メロディとして定着し、以降演歌独特の音階となる。ただし、ヨナ抜き音階そのものは演歌以外の歌謡曲などでもよく使われる音階である(例えば1920年代に演歌師が歌い流行した「船頭小唄」「籠の鳥」等はヨナ抜き音階を用いて現代の演歌にも似る)。古賀メロディーについては、初期、クラシックの正統派・東京音楽学校出身の藤山一郎(声楽家増永丈夫)の声楽技術を正統に解釈したクルーン唱法で一世を風靡したが、やがてそのメロディーは邦楽的技巧表現の傾向を強め、1960年代に美空ひばりを得ることによって演歌の巨匠としてその地位を確立した。小節を利かしながら、それぞれの個性で崩しながら演歌歌手たちが古賀メロディーを個性的に歌った。
楽器はクラシック・ギター・スティール弦アコースティックギターやヴァイオリンが多用され(「流し」も参照)、TVでの収録や大ホールでの演奏などの時にはドラムスやベース、キーボードなどが入る(バンド編成になる)事もある。
歌唱法[編集]
歌唱法の特徴としては、「小節(こぶし)」と呼ばれる独特の歌唱法(メリスマとほぼ同義)が多用される。又、必ずと言ってよいほど「ビブラート」を深く、巧妙に入れる(例えば2小節以上伸ばす所では2小節目から入れる、等)。この2つは演歌には不可欠といって良いが、本来別のものにもかかわらず、混同される場合も多い。
歌詞・テーマ・曲想[編集]
歌詞の内容は、都はるみ「大阪しぐれ」、大川栄策「さざんかの宿」などのように、“海・北国・北国の漁船・酒・涙・女・雨・歓楽街・雪・別れ”がよく取り上げられ、これらのフレーズを中心に男女間の切ない情愛や悲恋などを歌ったものが多い(「酒よ」に至っては“演歌”の語が歌詞にズバリ出て来る)。また、細川たかし「北酒場」、藤圭子「新宿の女」など、水商売の女性が客に恋をするモチーフも頻繁にみられ、そうした接客産業の顧客層である男性リスナーを中心に、支持を得ている。
切ない感情・真剣な心情を表すため、短調の曲が多いとされているが、詳細な統計は無い。長調で書かれているものは、ヨナ抜き音階のものが多い。
男女間の悲しい情愛を歌ったもの以外のテーマとしては、
- 幸せ夫婦物…村田英雄「夫婦春秋」、三笠優子「夫婦舟」、川中美幸「二輪草」など。
- 母物…菊池章子・二葉百合子「岸壁の母」、金田たつえ「花街の母」など。
- その他家族物…鳥羽一郎「兄弟船」、芦屋雁之助「娘よ」、大泉逸郎「孫」など。
- 人生物、心意気物…村田英雄「人生劇場」、「花と竜」、北島三郎「山」、「川」、中村美律子「河内おとこ節」など。
- 股旅物…ディック・ミネ「旅姿三人男」、橋幸夫「潮来笠」、氷川きよし「箱根八里の半次郎」など。
- 任侠物…北島三郎「兄弟仁義」、高倉健「唐獅子牡丹」など(股旅物に近いが、股旅物は軽快、任侠物は重厚な曲調が多い)。
- 歌謡浪曲物…三波春夫「俵星玄蕃」、「大利根無情」、「紀伊国屋文左衛門」、村田英雄「王将」、「無法松の一生」、真山一郎「刃傷松の廊下」など。
- 劇場型ドラマチック物…山口瑠美「山内一豊と妻千代」、「至高の王将」、「白虎隊」など。
- 望郷物…春日八郎「別れの一本杉」、三橋美智也「リンゴ村から」、北島三郎「帰ろかな」、千昌夫「北国の春」、「望郷酒場」など。
- 音頭
分類[編集]
上記のような特徴を兼ね備えた、いかにも演歌らしい演歌に対して、「ド演歌」(ど演歌)といった呼称が使われることがある。また、男女の情愛に特化されたジャンルで、演歌よりも都会的なムード歌謡というものがある。とはいえ上記の特徴をもってしても、演歌とそれ以外のジャンル(歌謡曲など)を明確に分類することは難しい。たとえばジャズピアニストの山下洋輔は、“音楽理論的に両者を区分できない”の意で「演歌もアイドル歌謡曲も同じにしか聞こえない」と述べていたといわれる。
演歌は日本の大衆に受け容れられ、流行音楽の一つの潮流を作り出してきたが、一方でその独自の音楽表現に嫌悪を示す者も少なくないのもまた事実である。日本の歌謡界に大きな影響力のあった歌手の淡谷のり子は演歌嫌いを公言し、「演歌撲滅運動」なるものまで提唱したほどだった。作曲家のすぎやまこういちも「日本の音楽文化に暗黒時代を築いた」と自著に記している。
「日本のソウルミュージック」とも呼ばれる。