滋賀県
滋賀県(しがけん)は、日本の近畿地方に位置する県。県庁所在地は大津市。かつての近江国に相当するが、1876年から1881年までは若狭国および越前国敦賀郡(嶺南)も含んでいた。
1,406,103人
(推計人口、2023年10月1日)
概要[編集]
令制国の近江国(江州)と完全に一致する。県名は大津が属していた郡名「滋賀郡」から採用された。「滋賀」の発音は、共通語では「し」にアクセントを置く(頭高型アクセント)が、地元では「が」にアクセントを置く(尾高型アクセント)ことが多い。
「滋賀」の語源については「滋賀郡」を参照
「近江」が「近つ淡海」に由来し、現在も滋賀県が「湖国」と呼ばれるように、県の面積の6分の1を占める琵琶湖は県のシンボルである。産業用水、飲用水の源、観光資源としてその存在は大きく、地域性も琵琶湖を挟んで異なる。琵琶湖があるために内陸県で唯一漁港を持ち、その数も20港と多い。水運交易が盛んだった中世や近世には若狭湾と上方を繋ぐ中継地として、大津や堅田など内水系の重要港湾が数多く発展した。東海道・東山道(中山道)・北陸道が合流する陸上交通の要衝であり、「近江を制する者は天下を制す」としてたびたび戦乱の舞台となった。
交通利便の良さは人材の流出をもたらし、戦前まで滋賀県は流入人口よりも流出人口の方が多かった。中世から近代にかけては多くの出身者が近江商人として大坂や江戸など全国各地に進出し、「琵琶湖の鮎は外に出て大きくなる」という諺まで生まれた。太平洋戦争後、高速道路の整備やトラック流通の興隆に伴って交通利便のよさが再認識され、流通拠点や工場・研究開発施設が相次いで進出。近年はJR西日本の看板列車である新快速の拡大に伴って、琵琶湖線(東海道本線)沿いの大津市や草津市といった湖南地域は、京都市や大阪市といった大都市のベッドタウン・衛星都市としても注目されるようになり、首都圏以外の地方では数少ない人口増加県へと転じた。なお、開発が進むのは京都や大阪に近い南部であり、北部とは経済格差が起こっている。南部では新興住宅地が広がり、南草津駅などの駅前にはマンションが林立するなど賑わいがある一方で、北部や西部は田園風景が広がり、地域によって人口動態の開きが大きい。ただ人口が停滞している湖北・湖東地域であっても地域再生の議論や実践が活発である。また、滋賀県は西日本有数の工業県でもあり、県内総生産の48%を第二次産業が占める(全国1位)。
滋賀県は近畿地方に分類され、文化的・経済的に関西2府7県の一つとして京都・大阪との結び付きが強い。特に隣接する京都とは「京滋」と呼ばれるほど古くから密接なつながりを持ち、県庁所在地である大津市と京都市は隣接している。県南部を中心に京都府・大阪府に通勤通学する、いわゆる「滋賀府民」も多い。
また、地理的な立ち位置から中部地方との交流も盛んである。近畿圏整備法で定める「近畿圏」と中部圏開発整備法で定める「中部圏」の両方に含まれ、滋賀県知事は近畿ブロック知事会と中部圏知事会議の両方に出席している(福井県と三重県も同様)。また福井県・岐阜県・三重県とともに「日本まんなか共和国」を設立し、知事サミットや文化交流事業などを行っている。愛知万博では中部8県とともに「中部千年共生村」を共同出展した。北部は近畿・中京・北陸の交点であり、工場や物流センターの設置計画が進む。なお、NHK名古屋放送局で制作する東海3県(愛知県・岐阜県・三重県)向けの天気予報には常時滋賀県の予報が表示される。また、かつてテレビ東京系列で放送され滋賀のびわ湖放送でも放送された「メガTONニュースTODAY」の最後の天気予報 では、少なくとも1985年10月以降は、全国の天気予報の後各地の天気を報じる際「滋賀・東海地方」の区分で報じられ、次の「近畿・せとうち地方」には京都府・奈良県以西のみが表示されていた。
高度成長期に水質汚染の被害を受けた琵琶湖があることから、県民や行政の環境への意識が高く、また環境関連企業や人材が集積していることから全国でも屈指の「環境先進県」として知られている。
本県は琵琶湖及びそれを取り囲む山々(比叡山・比良山系・伊吹山・鈴鹿山系)を有し、早くから都が置かれ、古代・中世から交通における重要拠点であったことから日本史上の関わりが極めて強く、県全土にわたり自然・歴史・文化的資源が豊富に存在する(後述)。
地理・地域[編集]
周囲を山脈・山地が取り囲み、中央部に琵琶湖と近江盆地が広がる。面積は全国で10番目に狭い。面積の半分以上は山地、およそ6分の1は琵琶湖が占めており、可住地面積は大阪府よりも狭い。
地形[編集]
- 山地:比良山地、野坂山地、伊吹山地、鈴鹿山脈、丹波高地
- 山:伊吹山、比叡山、比良山、三上山(近江富士)
- 盆地:近江盆地
- 丘:水口丘陵、饗庭野台地
- 湖:琵琶湖、余呉湖、西の湖、伊庭内湖、大中湖(1957年(昭和32年) - 1967年(昭和42年)に干拓された内湖。諏訪湖に匹敵する面積であった)
- 島:沖島、竹生島、多景島、沖の白石、矢橋帰帆島(人工島)
- 川:北川、安曇川、姉川、犬上川、愛知川、日野川、野洲川、瀬田川、藤古川
気候[編集]
全域が内陸性気候であるが、北部は北陸・山陰型の日本海側気候、南部は太平洋側気候および瀬戸内海式気候を併せ持つ。 他の地域のように日本海側気候と太平洋側気候の境目に山地があるわけではなく、湖岸に広がる同一の平地のなかで漸次的に気候が変化していくのが大きな特徴である。しかし、琵琶湖があるため他の盆地と比較すると、夏の暑さと冬の寒さは幾分穏やかである。湖西・湖北は大部分が特別豪雪地帯や豪雪地帯に指定されており、特に旧余呉町は近畿以西唯一にして日本最南端の特別豪雪地帯となっている。
- 過去の最深積雪・降雪量記録
伊吹山では昭和2年2月14日に11.82メートルの積雪を観測した。これは正式に観測された積雪量としては世界記録である。滋賀県の主な豪雪地帯は県西部の朽木村、県北西部のマキノ在原、県最北部の余呉町、県北東部の米原甲津原の4地域に分けられる。[要出典]
なかでも長浜市余呉町旧片岡村・丹生村では高い数値の降雪が記録されている。町の最北端に位置する中河内で1981年の五六豪雪時に6メートル55センチを記録した。特に積雪の多かったとされる1936年には、いずれも公式の気象観測施設によるものではないが、尾羽梨で7メートル30センチ、中河内で7メートル20センチを記録した。『日本残酷物語 第4部 保障なき社会』(平凡社、1960年)には、丹生北部の雪の惨状として「この辺りでは雪が平年で20尺 (約6メートル)多い年は30尺(約9メートル)は積もる。この年の大雪では30尺以上積もった。その場所と言うのが奥川並の集落のようである。」との記載がある。また比良山地東麓では比良おろしという北西の局地風があり、3月下旬に吹くものは「比良八講荒れじまい」と呼ばれ、春の訪れを告げる風物詩となっている。