浜松駅
浜松駅(はままつえき)は、静岡県浜松市中区砂山町にある、東海旅客鉄道(JR東海)東海道新幹線および東海道本線の駅である。東海道本線の駅番号はCA34。遠州鉄道の新浜松駅と相互乗換駅である。
概要[編集]
東海道新幹線と東海道本線が乗り入れる浜松市の中心駅であり、新幹線・在来線間の乗換駅としても機能している。
隣接する遠州鉄道の新浜松駅と合わせて、静岡県西部の拠点駅としても機能している。
新幹線は、「こだま」の全列車が毎時2本と、「ひかり」が毎時1本停車する。また、朝・夜に当駅発着の「こだま」が設定されている。
在来線は、日中は静岡方面が毎時4本、豊橋方面が毎時3本運転され、普通列車の多くが当駅で乗り換えとなる。また、通勤客向けに当駅と静岡間を結ぶホームライナーが設定されている。特急列車は寝台特急「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」の下り列車が停車する。上りは運転停車で乗降はできない。
JR浜松駅の事務管コードは、▲520127となっている。
歴史[編集]
年表[編集]
- 1888年(明治21年)9月1日:鉄道局(のちの鉄道省→日本国有鉄道〈国鉄〉)による浜松 - 大府間の官設鉄道線開通により、その終点として開業。
- 1889年(明治22年)4月16日:官設鉄道が静岡まで延伸し、新橋までの既存線と直結。途中駅となる。
- 1895年(明治28年)4月1日:線路名称制定。東海道線(1909年に東海道本線に改称)の所属となる。
- 1926年(大正15年)12月12日:駅舎を洋風の近代的建物に改築(2代目)。
- 1945年(昭和20年)6月10日:浜松空襲により2代目駅舎焼失。
- 1948年(昭和23年)10月15日:木造2階建の3代目駅舎完成。
- 1964年(昭和39年)10月1日:東海道新幹線が開業。乗換駅となる。在来線ホームとは、跨線橋により連絡
- 1970年(昭和45年)3月15日:新幹線のホームが16両対応に延伸される。
- 1971年(昭和46年)4月26日:貨物取扱業務の一部を新設の西浜松駅に移管。
- 1976年(昭和51年)10月1日:貨物の取扱を全廃。これと同時に遠州鉄道西鹿島線の貨物輸送が終了し、遠州馬込駅で行われていた国鉄からの乗り入れ貨車の収受が終了した。
- 1979年(昭和54年)10月15日:東海道本線の高架化完成。これにより駅は東海道線から離れて設置された新幹線ホームと一体化。
- 1980年(昭和55年)10月1日:新幹線「ひかり」が停車開始。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR東海の駅となる。
- 1988年(昭和63年)5月1日:浜松駅ビル「MayOne(メイワン)」開業。
- 1992年(平成4年)11月14日:在来線改札口に自動改札機導入。
- 1996年(平成8年)2月:南口外観を改装。
- 1998年(平成10年)3月7日:新幹線改札口に自動改札機導入。
- 2001年(平成13年)3月16日:在来線にエレベーター・エスカレーターが各2基新設される。
- 2005年(平成17年)4月:構内の耐震補強および改良工事に着手。
- 2006年(平成18年)11月11日:構内商業施設「メイワン エキマチ・ウエスト」開業。なおこれにより構内の構成(切符売場・旅行センター・売店・トイレ等の位置)が大きく変更になった。
- 2007年(平成19年)
- 3月15日:構内商業施設「メイワン エキマチ・イースト」開業。
- 6月:耐震補強および構内改良工事が完工。
- 2008年(平成20年)
- 2月:連動装置の電子化が完了(浜松運輸区も同時に電子化)。これをもってJR東海の主要駅・車両基地などの電子連動化計画が完了した。
- 3月1日:東海道本線でICカード「TOICA」の利用が可能となる。
- 11月20日:駅西側高架下に「メイワン ビックカメラ館」を核とした商業施設を開業。
機関車交換駅時代[編集]
1949年5月20日に東海道本線静岡 - 浜松間の電化が完成すると、浜松駅は電化区間の境界となり、東京方面の電気機関車と名古屋方面の蒸気機関車との付け換えが行われるようになった(戦前では沼津駅でのそれが知られる)。これに伴う長い停車時間は、浜松駅に以下のような「名物」を生むことになった。
- 乗客の気分転換を目的としたホーム上でのラジオ体操。
- 日本楽器製造(現・ヤマハ)によるハーモニカの立ち売り「ハモニカ娘」の登場(1951年から)。
1953年7月21日に浜松 - 名古屋間の電化が完成すると機関車交換駅の役割は終わりを告げた。ただし、「ハモニカ娘」はその後も駅の名物として1969年まで営業を続け、乗客に親しまれた。なお、楽曲や映画でも『僕は特急の機関士で』の「東海道の巻」や『喜劇 駅前弁当』などで「ハモニカ娘」が取り上げられている。
新幹線駅併設[編集]
東海道新幹線の計画段階では、市の南部を通過し新幹線駅を在来線の浜松駅ではなく、国鉄浜松工場付近に設置する予定であった(南線案)。しかし、この案では市の通過する区間がすべて土盛りとなり、南北の交通が分断されるなど浜松市にメリットがほぼないとして、市は新幹線駅を浜松駅に併設し、浜名湖の中間を渡る対案(北線案)を要望した。この対案も通過地域からの反発や浜名湖の漁業補償がより増大すること等もあったため、国鉄の静岡工事局の坂本局長は一旦両案を白紙に戻し、現東海道線の高架化を見据えたコース(坂本私案)を提案した。この案は新幹線駅が東海道線と80メートル離れてはいるが市案の希望をほぼ満たす現状のルートとなった。しかし、浜松駅に併設としたことで商店の密集する地域を通過することから、用地買収が非常に難航した。また、駅前広場の設置についても、市や地権者と国鉄側で協議が難航し、決着までにかなりの時間を要した。
東海道線の高架化以前は、新幹線ホームがカーブで建設されているのに対し、在来線ホームは直線のホームとなっていて、駅構内の西側で急なカーブを描く線形となっていたため、在来線ホームと新幹線ホームの間に大きな隙間が生じることとなり、在来線ホームの高架化が完成するまでかなり長い距離の跨線橋により連絡することになった。