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欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞

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欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞』(きんちゃんアンドかとりしんごのぜんにほんかそうたいしょう、英字表記:ALL JAPAN KASOH GRAND-PRIX)は、日本テレビ系列で年1回、1月あるいは2月に放送される日本の視聴者参加型番組で、萩本欽一と香取慎吾の冠番組でもある。これまでに99回放送されている。

概要[編集]

番組内容[編集]

視聴者が試行錯誤した「仮装作品」を競う番組である。

初期は『ズームイン!!朝!』の番組内で募集告知したが、現在は電話、はがき、インターネットで応募受付している。全国各地の予選から約30組が東京国際フォーラム、TOKYO DOME CITY HALL、東京ビッグサイト、日本工学院専門学校片柳アリーナや幕張メッセなどで行われる本選へ出場する。

番組テーマ曲は独自曲だが、マイケル・ジャクソンの「Ease on Down The Road」をアレンジしている。

番組の歴史[編集]

コント55号の萩本欽一が司会で、1975年から3年連続で大晦日に放送された『コント55号の紅白歌合戦をぶっ飛ばせ!なんてことするの!?』を基に企画されている。初放送は1979年12月31日21:00から23:30まで『欽ちゃんの紅白歌合戦をぶっ飛ばせ!第1回全日本仮装大賞〜なんかやら仮そう!〜』として新宿コマ劇場から生放送され、78組が出場した。当初は仮装行列的作品が多数であったが、後に洗練された作品の比率が増加していく。

萩本は1985年3月に当時のレギュラー番組をすべて降板して休養を宣言したが、本番組は例外としてその時期に放送された第15回・第16回放送分も司会を務めた。本番組も降板するつもりが、日本テレビの齋藤太朗から「欽ちゃんの番組は欽ちゃんがやめると言えば終わりだけど、これは素人の番組だ。俺が一生懸命作って、素人ががんばったんだよ。欽ちゃんはその司会をしているんであって、勝手にやめるって言えないんじゃないの」と説得されて降板を思い留まった、と述懐している。

番組名は、第64回までは『欽ちゃんの爆笑仮装コンテスト 第○回全日本仮装大賞』、香取が参加以降の第65回と第70-76回までは『欽ちゃん&香取慎吾の新!仮装大賞』、第66-69回と第77回以降は『欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞』と変遷している。

第1回から第4回までは年末年始と春期の年2回放送だが、応募者の増加と第4回の視聴率20.8%により、1982年の第5回から2003年の第70回までは正月・春期・秋期の年3回放送された。2004年の第71回から2013年の第90回までは、正月と春期の年2回放送された。2014年の第91回からは年1回放送されている。

放送時間は原則として19:00から20:54までの2時間枠である。過去には『木曜スペシャル』(1994年3月まで)→『スーパースペシャル』(1994年4月から)などの枠で放送され、1982年から2001年の正月放送は18:30から20:54までの2時間半枠、香取が参加した2002年から2004年の正月放送は18:00から20:54までの3時間枠で放送された。

香取加入後のトピックス(2002年 - )[編集]

  • 放送開始から2001年までの23年間は萩本が単独で司会を担当していたが、2002年1月1日放送の第65回以降は萩本と香取慎吾の共同司会になり、香取は萩本のアシスタントとして進行している。
  • ペット・ショップ・ボーイズが2003年に発表した曲「フランボヤント」(Flamboyant)のプロモーション・ビデオで、本番組に出場する日本のサラリーマンがドキュメント風に描かれており、過去の作品の映像が随所で用いられている。主演は俳優の中島けんこうだが、出場シーンは第44回優勝作品「ビリヤード」の映像が使用されている。
  • 2005年の『24時間テレビ』内で、「史上最大の生・仮装大賞」と題して歴代の出場者や岩手の養護学校生徒達が仮装している。
  • 2011年は3月11日東北地方太平洋沖地震の影響で番組編成が大幅に変更され、3月17日の19:00 - 20:54に当初放送予定だった『東野・岡村の旅猿 プライベートでごめんなさい…旅猿スペシャル in ハワイ』を変更して、『欽ちゃん香取慎吾の元気が出る仮装大賞!汗と涙と感動の71作品大連発スペシャル!!』を放送した。
  • 第81-85回は審査員が5人体制で一人の持ち点が4点となる。合格ラインは第81-83回までが12点以上、第84回と第85回は15点以上というルールであった。香取参入以降は20点満点が8-15組と数多く出ていたが、第81回は3組、第82回は4組、第83回は1組、第84回は2組、第85回は1組と激減した。
  • 第83回は香取慎吾参入以降の回で初めて満点が1組しか出ない大会となった。
  • 第86回以降は審査員の仮装と共に人数は10人に戻る。審査が10人体制に戻ってからは満点が平均10組以上と再び急増するようになった。
  • 第87回大会で番組史上初トップバッターの優勝作品が生まれる(作品名 龍の骨ダンス)。また番組史上初めて棄権を除くすべての作品が合格する
  • 第89回から視聴者生投票を始める。また上位3作品以外の各賞賞金が10万円に減少する。
  • 第91回で番組史上最多の満点19組を記録する(それまでの最高記録は第79回と第86回の15組)。また出場者の半分以上が満点を獲得するのもこの回が初めてである。
  • 第94回で番組史上初めて、萩本の提案で不合格者同士の敗者復活戦を兼ねたコラボ仮装が行われる(作品名 日本伝統文化 ※17番の「流鏑馬」と26番の「あばれ御輿」の合体作。萩本が命名。満点を獲得し両者敗者復活で合格となった)。不合格者への敗者復活の再演技が行われたのはこの時が唯一。
  • 2017年の『24時間テレビ40』内で、「仮装大賞 24時間テレビ特別編」が行われ、知的障害がある盛岡の高校生5名による仮装や、第91回の「なんだこの顔」・第93回の「えだまめ」も生披露された(特別編のため審査は行っていない)。但し香取の出演は無く、萩本が単独進行。また指原莉乃(当時・HKT48兼STU48)が高校生の仮装時に黒子として出演した。
  • 第95回で第64回以来17年ぶりの5作品連続不合格と、番組史上初めての0点作品(演者:ブリリアン、作品名:「山頂アタック」)が発生。また、合格19組中満点は4組、不合格が16組という、全体的に厳しい審査が行われた。厳格な審査は第96回以降も踏襲される。
  • 第96回は合格が17組、不合格が18組と、香取加入後初めて合格が不合格を下回った。また不合格数も香取加入後最多で、合格数は番組史上最少となった。ちなみに、前回0点に終わり、今回客席座っていたブリリアンはこの回は真剣に参加した予選も突破できなかった。
  • 第95回と第96回は一部生放送を行い、香取慎吾が視聴者生投票の結果を発表した。
  • 第98回(2021年2月6日放送分)は新型コロナウイルス感染症対策のため、出場作品を単独または家族での物に限定し、無観客で開催され、部門賞の発表は集団感染を避ける為、出場者は通常のステージ上からではなく観客席で待機する形式となった。エスコートアシスタントは、バニーガールの衣装では前回の第97回を最後にエスコートをしておらず、本回は初のスーツでのエスコートになっている。また、萩本が番組降板を仄めかす発言をしたが、放送中や放送後の関係者などから降板に関しての公式な発表は一切されておらず、第99回開催発表時に引き続き務めることを発言していた。そのため、安全に開催することが困難な状況となり、安全に開催できる環境が整った時点で検討するという旨の内容が公式HPから発表されていた。2022年(令和4年)・2023年(令和5年)は開催されなかったため、1979年(昭和54年)の番組開始から毎年開催されていた記録は43年で途切れる結果となってしまった。
  • しかし2023年(令和5年)8月3日、同日から地区予選の募集を開始。第99回は第97回以来の新型コロナウイルスによる制限がない通常開催となり、2023年(令和5年)12月24日に3年ぶりに開催。2024年(令和6年)2月12日に放送が予定されている。
    • 98回での萩本による降板示唆については、99回放送前のインタビューで、本人がこれまでの経緯を明かした。当時は体力的に無理と判断し、日本テレビを通さずに一方的に会場で引退宣言を行い、以降暫くの間、日本テレビから度々の出演依頼を会うことなく門前払いで断ってきたが、年単位で日本テレビが折れずに自分へ出演依頼をかけ続けていて、自分にそこまでしてくれる礼だけを告げるつもりでに2023年春に面会、そこで99回の演出が旧知の仲である田中裕樹と告げられると話が変わった。萩本は、番組内容ではなく、番組を作る人間に惚れることを出演基準としており、「田中が出るとなると(事情が)変わる」として、萩本の体調などに配慮した香取主体での進行にするなど演出の変更などを受け入れて再出演を果たした。

受賞[編集]

  • 1982年 - 「第20回ギャラクシー賞」テレビ部門・月間賞
  • 1995年 - 「第12回 ATP賞」バラエティ部門・特別賞
  • 2004年 - 「アジア・テレビジョン・アワード2004」娯楽番組部門・最優秀賞

海外での展開[編集]

本番組はアジア圏を中心とした海外でも放送されており、中国などの様に本番組の知名度が高い国もある。

1988年1月2日放送の第23回大会は海外予選がハワイで行われ、以後ロサンゼルス、香港、台湾などで地区予選が行われる国際的番組となる。

日本テレビによる番組フォーマット権販売も行われており、フランスでは2006年にTF1にて、イタリアでは2008年にメディアセットにて、それぞれ現地版の『仮装大賞』が制作されている。

2021年7月23日に開催された東京オリンピックの開会式では同式典で披露されたピクトグラムの演出について、開会式を生中継した中国中央電視台(CCTV)では「仮装大賞」と紹介した。

出演者[編集]

司会者[編集]

ナレーター[編集]

2代目の小澤と3代目の堀は、キー局制作のバラエティ番組としては珍しく地方局のアナウンサーが起用された。

  • 初代:橋本テツヤ - 第3-24回                                                           (第6回は橋本に代わり福留功男が審査員と兼務でピンチヒッターを務めた)
  • 2代目:小澤一彦(当時鹿児島テレビアナウンサー) - 第25回
  • 3代目:堀敏彦(浅井企画所属タレント→テレビ新潟アナウンサー→フリー) - 第26回 - 現在                             (テレビ新潟時代は新潟地区予選のスタッフも兼務)
  • 4代目:鈴江奈々(日本テレビアナウンサー)進行兼審査員

番組の流れ[編集]

本選までの道のり[編集]

  1. 申し込み 申込書を郵送あるいはFAXで「日本テレビ・仮装大賞本部」へ送付する。
  2. 書類審査 合格すると電話で予選日程日時を通知される。
  3. 作品製作 セットや道具を自費で製作する。
  4. 地区予選 現在は札幌(北海道)、仙台(東北地方で尚且つ太平洋側)、新潟(東北地方で尚且つ日本海側・新潟県も含む)、東京(関東・海外)、長野(甲信)、静岡(静岡)、福井(北陸)、名古屋(東海)、大阪(近畿)、広島(中国)、高松(四国)、福岡(九州・沖縄)で開催されている。
  5. 本選会場 番組へ出場して公開審査を受ける。
  6. 『土曜トップスペシャル』で放送していた時期があり、1984年3月まではネットしていた長崎放送(TBS系)で出場者募集を行っていた。
  7. 山形県では山形放送で出場者募集を行っていたが、1993年3月まで日曜日に放送される場合は山形テレビ(当時はフジテレビ系、現在はテレビ朝日系)で放送していた。

本選の基本的な構成[編集]

  1. オープニング、審査員紹介、萩本・香取の掛け声。
  2. 作品発表、審査
  3. 合格者紹介
  4. 各賞表彰式
  5. エンディング、視聴者投票結果発表、優勝作品紹介

審査[編集]

審査方法の変遷[編集]

第1回 第2-80回 第81-83回 第84-85回 第86回-
審査員の人数 15人 10人 5人 10人
1人あたりの持ち点 1点 2点 4点 2点
合格点 8点以上 15点以上 12点以上 15点以上
満点 15点 20点
  • 第1回の審査方法は、15人の審査員が、15点満点から持ち点1点を減らしていく減点方式で、演者の演技終了時に得点が10点以上なら合格であった。
  • 第2-80回と第86回以降は、10名の審査員が、1人あたり2点の持ち点で計20点を投票する加点方式。演技が終了した時点から審査が始まる。得点が15点以上になった時点で合格となり、ファンファーレが鳴る。逆に得点が14点以下で加点が途切れた状態が一定時間(近年では10秒程度)続くと不合格となり、鐘の音が鳴り響く。但し、鐘が鳴ったあとも演者が退場するまでは加点が可能なため、演技終了後の講評中に萩本、香取のフォローなどにより、審査員のおまけで加点され合格となることがある。
  • 第81-85回の審査員は5人で、1人あたりの持ち点は4点だった。
  • 合格点も第81-83回は20点満点中12点以上に引き下げられたが、第84回から再び15点以上に戻された。
  • 第89回からは視聴者生投票を実施している。テレビのデータ放送やパソコン、携帯電話、スマートフォンからリアルタイムで作品を会場の審査員同様に持ち点2点で審査することができる。

審査員に関する備考[編集]

  • 審査員長 ※表彰式で各賞の発表や審査の統括、講評を行う。第64回まで設置。席順では5枠に配置されることが多かった。
    • 青島幸男 - 第1・3-6・8・10-17・19-32・35-44・59-64回
    • 藤本義一 - 第2回
    • 赤塚不二夫 - 第7・9回
    • 岡田真澄 - 第18・33回
    • 植木等 - 第34・45・48回
    • 大島渚 - 第46・47・49-54回
    • 浅井慎平 - 第55-58回
  • 審査員10人中1-2人、日本テレビのアナウンサーや読売新聞の記者・編集委員が務めることが多い。テレビ雑誌のスタッフや読売以外の一般紙・スポーツ紙の新聞記者が審査に加わることもある。
  • 第54回の猿岩石や第78・94回のキャイ〜ン、第86・88回のオードリーなど、2人で1人分として持ち点2点、1人あたりの持ち点1点で審査する組が登場することがある。最多は第94回の3組。但し、第79回のタカアンドトシや第92回のキャイ〜ンは、2人それぞれ持ち点2点で審査した。
  • 審査員の紹介肩書きは、構成作家の意向による本番組独自のものが多く、久本雅美は毎回「大女優」と冠が付いており、山田まりやなどは「お茶の間タレント」と紹介されていた。また、第13回では審査員に肩書をつけていた中で、近江敏郎が一人だけ肩書がなかった。
  • 芸能人審査員の中には演者として大会に出場したことがある人物もいる。
  • 第98回では番組の常連出場者のひとりで優勝8回を記録している梶原比出樹が審査員に招かれた。

表彰[編集]

  • 出場者は、本選大会で合格した時点で「入賞」扱いとなり、メダルが授与される。メダルは徐々にデザインが変化している。
  • 最終審査で、合格者の中からアイデア賞などの各賞や第3位・準優勝・優勝を選定し、表彰を行う。合格者のみ表彰式に参加することができる。各賞の発表は第1-48回と第55-64回は審査員長が行っていたが、第65回からは香取慎吾が担当している。

現在の賞と賞金[編集]

第90回以降
  • 優勝:100万円
  • 準優勝:50万円
  • 第3位:30万円
  • それ以外の部門賞は以下の通り。それぞれ10万円。
    • 技術賞
    • 努力賞
    • ファンタジー賞
    • 演技賞
    • ユーモア賞
    • アイデア賞

部門賞、第3位、準優勝を受賞すると盾が、優勝するとトロフィーが授与される。また上位3賞には賞金パネルも授与される。

第89回より98回まで視聴者生投票を実施。最多得票数を獲得した組に視聴者賞が授与される。



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