槙原寛己
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槙原 寛己(まきはら ひろみ、1963年8月11日 - )は、愛知県半田市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者・野球評論家・タレント・YouTuber。
斎藤雅樹、桑田真澄とともに1990年代の読売ジャイアンツを支えた先発3本柱の一人。愛称は「マッキー」「マキさん」「ミスター・パーフェクト」など。所属事務所はノースプロダクション→オールラウンド。
1994年5月18日、史上15人目、平成唯一の完全試合を福岡ドームで達成している。
平成30年10月より、オフィスコンサルティング株式会社の代表取締役をしている。
経歴[編集]
大府高校在学時から同期の工藤公康(愛工大名電高校→西武6位指名)・浜田一夫(愛知高等学校→中日2位指名)とともに愛知三羽烏と呼ばれ剛速球投手として有名だった。1981年の第53回選抜高等学校野球大会に出場、ストレートが当時の甲子園最速記録となる147km/hを記録する。
1981年11月25日のドラフト会議にて読売ジャイアンツから1位指名を受け、入団。
人物[編集]
- 元木大介は自著において冗談交じりに「義兄弟の盃を交した仲」と語り「面倒見のいい人だった」と槙原を評している。特に新人や、他球団から移籍した選手をよく食事や、飲みに誘ったと書かれてある。
- 花火が大好き。愛犬に花火を見せる目的でライターで直接着火しようとしていたら花火が急に引火し、勢いよく散った火花が槙原の右手親指に接触し、大きな水ぶくれができた。その翌日(1988年7月20日・対阪神戦)は先発登板日だったため、チーム内や報道陣には「マメが出来た」と言ってごまかし登板した。8回に水ぶくれが破れたが、事実を知らない解説者が「血が出ながらも頑張っている」といい、槙原は本当のことも言えず、耐えながら投げ続けた。
- 競馬が大好きで、2008年有馬記念のトークイベントに出席したり、TCK・東京競馬場でも度々目撃されている。広島から巨人に移籍した川口和久は東スポのコラムで、槙原に1996年の日本ダービーに招待してもらったことを「今でも恩義に感じている」とコメントしている。
- 金遣いは荒く、現役時代は少なくとも20億は稼いだが、引退後にテレビ出演した時には、その多くを使い果たしたことを告白している。また、株取引にも金を多く費やしており、夫人は不満をもっていることを述べている。本人も「江川卓にカーブを教わろうとしたら、株取引を教わった」と出演番組で度々ネタにしている。
- 2004年5月には、愛知県碧南市内で発生した強盗傷害事件で実兄が現行犯逮捕されたため、出演した番組内にて謝罪する形に至った。
- 上述の完全試合達成から28年が経過した2022年4月、佐々木朗希が槙原以来の完全試合を達成したことに伴い、槙原の存在が再び注目されることになった。
- 崎陽軒をこよなく愛する人物として知られている。空港と新幹線での食事は崎陽軒(の弁当)と決めている。
タイトル[編集]
- 最多奪三振:1回(1988年)※当時は連盟表彰はなく、セントラル・リーグでは1991年より表彰。ただし日本野球機構オフィシャルサイトには槙原の獲得タイトルに「最多奪三振」と記載されている。
表彰[編集]
- 新人王(1983年)
- 月間MVP:3回(1986年8月、1988年5月 投手部門:1989年5月)
- 日本シリーズMVP:1回(1994年)
- 日本シリーズ優秀選手賞:1回(1987年)
記録[編集]
- 初記録
- 初登板・初先発登板・初完投・初勝利・初先発勝利・初完投勝利・初完封勝利:1983年4月16日、対阪神タイガース2回戦(阪神甲子園球場)、10回無失点
- 初奪三振:同上、2回裏に藤田平から
- 初セーブ:1983年8月27日、対ヤクルトスワローズ17回戦(後楽園球場)、9回表に3番手で救援登板・完了、1回無失点
- 節目の記録
- 1000投球回:1989年6月27日、対広島東洋カープ10回戦(広島市民球場)
- 1000奪三振:1991年6月16日、対横浜大洋ホエールズ9回戦(北九州市民球場)、3回表に宮里太から ※史上82人目
- 1500投球回:1992年9月1日、対ヤクルトスワローズ21回戦(明治神宮野球場) ※史上133人目
- 100勝:1993年7月13日、対広島東洋カープ14回戦(札幌市円山球場)、先発登板で8回無失点 ※史上107人目
- 1500奪三振:1994年5月31日、対中日ドラゴンズ7回戦(東京ドーム)、5回表に仁村徹から ※史上36人目
- 2000投球回:1995年7月31日、対ヤクルトスワローズ18回戦(明治神宮野球場) ※史上72人目
- 2000奪三振:1998年6月18日、対中日ドラゴンズ14回戦(東京ドーム)、1回表に井上一樹から ※史上15人目
- 150勝:1998年5月5日、対横浜ベイスターズ4回戦(東京ドーム)、先発登板で7回2/3を3失点 ※史上42人目
- その他の記録
- 完全試合:1994年5月18日、対広島東洋カープ7回戦(福岡ドーム) ※史上15人目
- 初本塁打:1985年6月28日、対阪神タイガース13回戦(阪神甲子園球場)、7回表に工藤一彦から ※球団通算5,000号
- 通算ボーク数:14 ※セ・リーグ記録
- オールスターゲーム出場:6回(1988年、1989年、1991年、1992年、1994年、1999年) ※全て監督推薦選出
背番号[編集]
- 54(1982年 - 1986年)
- 17(1987年 - 2001年)
関連情報[編集]
出演番組[編集]
- S☆1 BASEBALL(地上波TBS系列・BS-TBS・TBSチャンネル2)
- TBSラジオ エキサイトベースボール(TBSラジオ、2002年-2017年)※HBCラジオ・CBCラジオ・RKBラジオ、一部曜日および時間帯のABCラジオ・MBSラジオ・RCCラジオ向けの中継(主に横浜DeNA主催カード)には2018年以降も出演
- ナニコレ珍百景(「珍百景な大会に挑戦」というコーナーに不定期で出演)
- J-SPORTS→J-SPO(2002年 - 2009年)
- S☆1(2010年より準レギュラー、2009年までは日曜キャスター)
CM[編集]
- 富士フイルム「フジカラーHR」(現役時代、上述の「50番トリオ」で出演)
- タカラ「速球王」(現役時代、小松辰雄と共演)
- 大塚製薬「オロナミンCドリンク」(現役時代)
- 岩手互助センター 長安殿(2008年〜、小野ヤスシと共演)
- アルファクラブグループ さがみ典礼 長安殿(2011年〜2012年ころまで)
- リクルート「AirPay」(2021年、斎藤雅樹・桑田真澄と共に出演)
著書[編集]
- 『パーフェクトとKOのあいだ - ここ一番の投球心理』(光文社)
- 『槙原寛己 スライダーの魔力と魅力』(ベースボール・マガジン社)
- 『プロ野球 視聴率48.8%のベンチ裏』(ポプラ社)