森保 一(もりやす はじめ、1968年8月23日 - )は、静岡県掛川市生まれ、長崎県長崎市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはミッドフィールダー。元日本代表で、現在は日本代表の監督を務める。
- 愛称
- 愛称は「ポイチ」。これは高校時代に試合に出ていたころ、公式記録などで「森 保一」とたびたび勘違いされ、それを見た同級生がポイチと呼び出したことから。
- プレースタイル
- 守備的ミッドフィルダーとして中盤の底で守備を最優先し、相手ボールを奪い攻撃の芽を摘む能力、また攻撃をディレイさせることに長ける。日本に「ボランチ」というサッカー用語が定着するきっかけとなった選手である。「ハンス・オフトの申し子」、「ビハインド・ザ・ボールの申し子」 とも言われる。
- 人格
- 1990年代のサンフレッチェ広島におけるバンディエラ(クラブの象徴)の一人。今西和男は、今まで会ってきた人物の中で特にリーダーシップを持ち合わせる人物の一人として森保の名前を挙げている。
- 家族・人間関係
- 実弟に森保洋。息子が3人おり、長男森保翔平は2015年までカマタマーレ讃岐でプレーした。次男森保圭悟は2016年にオーストラリアのエッジワースFCでフォワードとして選手デビューした。三男はサンフレッチェ広島F.Cの育成組織から立教大学に進学した。
- 1993年6月『広島アスリートマガジン』創刊号での対談から広島東洋カープの野村謙二郎と意気投合し、現役時代にはお互いの試合を見に行ったりしていた。住居も「歩いて2分ぐらいの距離」にあり、双方ともに現役引退した後もフットサルを楽しむ など、交流を続けている。その他、北別府学 など同時代カープ現役選手だった数人と親交がある。
- 西岡明彦(現・フリーアナウンサー、スポーツジャーナリスト)とは、西岡が広島民放アナウンサー時代からの仲。森保のマネージメントを担当するフットメディアの社長でもある。西岡がフットメディアを設立するきっかけになったのも、森保と西岡との共著の印税を折半しやすくするためだったという。
個人成績[編集]
国内大会個人成績
|
年度
|
クラブ
|
背番号
|
リーグ
|
リーグ戦
|
リーグ杯
|
オープン杯
|
期間通算
|
出場
|
得点
|
出場
|
得点
|
出場
|
得点
|
出場
|
得点
|
日本
|
リーグ戦
|
JSL杯/ナビスコ杯
|
天皇杯
|
期間通算
|
1987-88
|
マツダ
|
27
|
JSL1部
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
1988-89
|
JSL2部
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
1989-90
|
19
|
8
|
0
|
0
|
0
|
0
|
19
|
8
|
1990-91
|
27
|
13
|
3
|
1
|
0
|
0
|
30
|
14
|
1991-92
|
JSL1部
|
18
|
4
|
0
|
0
|
0
|
0
|
18
|
4
|
1992
|
広島
|
-
|
J
|
-
|
8
|
1
|
1
|
0
|
9
|
1
|
1993
|
35
|
2
|
0
|
0
|
4
|
1
|
39
|
3
|
1994
|
40
|
3
|
1
|
0
|
3
|
0
|
44
|
3
|
1995
|
25
|
4
|
-
|
5
|
0
|
30
|
4
|
1996
|
26
|
3
|
14
|
2
|
5
|
0
|
45
|
5
|
1997
|
7
|
25
|
1
|
5
|
0
|
2
|
0
|
32
|
1
|
1998
|
京都
|
32
|
1
|
4
|
0
|
2
|
0
|
38
|
1
|
1999
|
広島
|
J1
|
27
|
1
|
3
|
1
|
0
|
0
|
30
|
2
|
2000
|
22
|
0
|
2
|
0
|
0
|
0
|
24
|
0
|
2001
|
16
|
0
|
3
|
0
|
1
|
0
|
20
|
0
|
2002
|
仙台
|
27
|
27
|
0
|
6
|
1
|
2
|
0
|
35
|
1
|
2003
|
18
|
0
|
3
|
1
|
1
|
0
|
22
|
1
|
通算
|
日本
|
J1
|
293
|
15
|
49
|
6
|
26
|
1
|
368
|
22
|
日本
|
JSL1部
|
18
|
4
|
0
|
0
|
0
|
0
|
18
|
4
|
日本
|
JSL2部
|
46
|
21
|
3
|
1
|
0
|
0
|
49
|
22
|
総通算
|
357
|
40
|
52
|
7
|
26
|
1
|
435
|
48
|
- その他の公式戦
- 経歴
- JSL(2部)初出場:1989年9月27日 第9節 対大阪ガス戦 (靱蹴球場)
- JSL(2部)初得点:1989年9月27日 第9節 対大阪ガス戦 (靱蹴球場)
- JSL(1部)初出場:1991年10月13日 第5節 対東芝戦 (浜山運動公園陸上競技場)
- JSL(1部)初得点:1991年10月26日 第7節 対ヤマハ戦 (岡山県営陸上競技場)
- Jリーグ初出場 1993年5月16日 J・サントリーシリーズ第1節 対ジェフユナイテッド市原戦 (広島スタジアム)
- Jリーグ初得点 1993年6月2日 J・サントリーシリーズ第6節 対名古屋グランパスエイト戦 (瑞穂球技場)
代表歴[編集]
試合数[編集]
- 国際Aマッチ 35試合 1得点(1992年 - 1996年)
- 日本代表初出場 1992年5月31日 対アルゼンチン戦 (国立競技場)
- 日本代表初得点 1996年2月10日 対オーストラリア戦 (ウロンゴン)
日本代表
|
国際Aマッチ
|
年
|
出場
|
得点
|
1992
|
7
|
0
|
1993
|
15
|
0
|
1994
|
4
|
0
|
1995
|
6
|
0
|
1996
|
3
|
1
|
通算
|
35
|
1
|
得点数[編集]
#
|
年月日
|
開催地
|
対戦国
|
スコア
|
結果
|
試合概要
|
1
|
1996年2月10日
|
オーストラリア、ウロンゴン
|
オーストラリア
|
4-1
|
勝利
|
国際親善試合
|
指導歴[編集]
- 2004年 - 2007年 サンフレッチェ広島強化部育成コーチ
- 2005年 - 2007年 U-19/U-20日本代表 コーチ
- 2007年9月 - 2009年 サンフレッチェ広島コーチ
- 2010年 - 2011年 アルビレックス新潟 ヘッドコーチ
- 2012年 - 2017年7月 サンフレッチェ広島 監督
- 2017年10月 - 2021年12月 オリンピック日本代表 監督
- 2018年4月 - 7月 日本代表 コーチ
- 2018年7月 - 日本代表 監督
監督成績[編集]
年度
|
所属
|
クラブ
|
リーグ戦
|
カップ戦
|
ACL
|
CWC
|
順位
|
試合
|
勝点
|
勝
|
分
|
敗
|
ナビスコ杯
|
天皇杯
|
2012
|
J1
|
広島
|
優勝
|
34
|
64
|
19
|
7
|
8
|
予選リーグ敗退
|
2回戦敗退
|
-
|
5位
|
2013
|
優勝
|
34
|
63
|
19
|
6
|
9
|
準々決勝敗退
|
準優勝
|
1次リーグ敗退
|
-
|
2014
|
8位
|
34
|
50
|
13
|
10
|
11
|
準優勝
|
4回戦敗退
|
ベスト16
|
-
|
2015
|
優勝
|
34
|
74
|
23
|
5
|
6
|
予選リーグ敗退
|
準決勝敗退
|
-
|
3位
|
2016
|
6位
|
34
|
55
|
16
|
7
|
11
|
準々決勝敗退
|
準々決勝敗退
|
1次リーグ敗退
|
-
|
2017
|
17位
|
17
|
10
|
2
|
4
|
11
|
-
|
-
|
-
|
-
|
ドラマ[編集]
- 舞え!KAGURA姫(NHK BSプレミアム〈広島放送局制作〉)- ゲスト出演