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松井裕樹

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松井 裕樹(まつい ゆうき、1995年10月30日 - )は、神奈川県横浜市青葉区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。

妻は女優の石橋杏奈。

経歴・人物[編集]

名前の裕樹は、「松」の「樹」に豊か(「裕」)に葉っぱがつくようにという由来による。

楽天入団後の主な愛称は「まっちゃん」。入団1年目の2014年に、当時在籍していた松井稼頭央が「(松井裕樹のことを)『松井』と呼ぶと、間違えて俺が振り向いてしまいそうになるので、(松井裕樹の)愛称を考えてほしい」と要望したことがきっかけで決まった。その他にも親交深い高梨雄平らから「マツ」と呼ばれている。

中学生時代に在籍していた青葉緑東シニアのチームメイトは、当時の松井について、「声が大きくて、ワイワイやるのが大好きでしたけど、みんなの中心にいるというタイプじゃない。輪の外側で、みんなを盛り上げることが多かった」という。

楠本泰史とは小学6年生の時に楠本が同じ小学校に転校してきたことが出会いで、松井が楠本に一緒に野球をやろうと誘い、元石川サンダーボルト、横浜ベイスターズジュニア、青葉緑東シニアと小学校から中学まで一緒にプレーしていた。楠本は花咲徳栄高校に進学したため高校からは別々となったが、松井は3年春の関東大会初戦の花咲徳栄戦での楠本との対決が「高校の中で一番楽しかった。キャリアの中で楽しいと感じた試合は、これが一番」と2017年の『スポッち!』で放送された対談で語っている。

先発登板時は験担ぎとしてブルペンでの投球練習を18球と決めている。

目標とする投手は杉内俊哉。桐光学園高校時代には、プロ入り後に対戦したい打者に内川聖一の名を挙げていた。

2017年のワールド・ベースボール・クラシックの2次ラウンド・オランダ代表戦(東京ドーム)を「今までの野球人生で最も緊張した」試合に挙げている。

2017年4月14日には、日本ハムとのナイトゲームに向けてKoboパーク宮城まで自家用車を運転中に、仙台市内で信号待ち中の軽自動車に追突。追突された自動車の運転手が軽度のむち打ち症と診断され、松井からの報告を受けた球団では、松井に対して厳重注意と当面の運転自粛処分を科した。ただし、松井自身は大事に至らず、当日の試合にも登板している。

好きなアーティストは、あいみょんやケツメイシやコブクロなど。女優の石橋と結婚する前は、好きな芸能人に有村架純、武井咲、秋元真夏(乃木坂46)を挙げていた。

家族[編集]

実弟の和輝は右投右打の野球選手で、習志野市立習志野高等学校で外野手、明治学院大学で内野手としてプレー。大学では首都大学野球のリーグ戦で4打席しか立てなかったが、卒業後の2020年以降も、内野手としてハナマウイ(千葉県富里市を拠点に活動するクラブチーム)でプレーを続けた。同年には、NPB数球団(オリックス・ブルーウェーブなど)で外野守備の名手として活躍した本西厚博監督の下で、第91回都市対抗野球大会の本大会に進出。2023年現在は退団している。

妻の石橋とは、知人の開いた食事会が縁で、2017年のシーズン終了後から交際。2018年の8月上旬には、同年シーズン終了後の12月にハワイで挙式を予定していることや、石橋の所属事務所・ホリプロが松井との交際の事実を認めていることが相次いで報じられた。松井自身も、上記の報道を受けて、石橋と真剣に交際していることを明言。12月には、ハワイでの挙式を経て、13日に婚姻届を提出した。石橋は結婚後も女優としての活動を続けていたが、2020年5月5日に第一子(女児)、2022年10月14日に第二子(男児)をそれぞれ出産した。

プロ入り前[編集]

横浜市立山内小学校2年時に「元石川サンダーボルト」で野球を始める。左利きだが、野球を始めた頃は二塁と三塁を守り、3年時の終わりに投手をやるようになる。当時は地元球団・横浜ベイスターズのジュニアチームに加入することが目標で、6年時に同級生でチームメイトの楠本泰史と一緒にベイスターズジュニアのセレクションを受け揃って合格。NPB12球団ジュニアトーナメントに出場した。横浜市立山内中学校への進学後は、楠本と共に「青葉緑東シニア」へ所属。3年時には、全国大会での優勝を経験した。

桐光学園高校へ進学すると、1年夏の全国高等学校野球選手権神奈川大会に柏原史陽とのダブルエースで出場。茂木栄五郎や若林晃弘を擁する桐蔭学園高校との準決勝では、先発投手として4回1失点という内容でチームの決勝進出に貢献した。横浜高校との決勝では、乙坂智や近藤健介、柳裕也などを擁する横浜打線を相手に4回無失点と好投。5回裏から柏原が登板したが、チームは延長10回の末に1―2でサヨナラ負けを喫した。1年秋からエースとして一本立ちを果たすと、冬場に下半身の強化へ取り組んだ。高校2年夏の第94回全国高等学校野球選手権神奈川大会では、準々決勝で横浜打線から被安打3で11三振を奪い、横浜の4季連続優勝を阻止した。桐蔭学園との決勝では、齊藤大将との投手戦を15奪三振で制し、チームを5年ぶりの全国大会出場へ導いた。本大会では、今治西高校との1回戦で、大会史上最多の10連続奪三振1試合22奪三振を記録。ウイニングボールは、記録翌日の8月10日から甲子園歴史館に展示された。2回戦の常総学院高校戦でも19奪三振を挙げて2試合で41奪三振、これまで板東英二が持っていた2試合計での最多奪三振記録を更新した。2試合連続の毎回奪三振は、2000年の選手権大会で坂元弥太郎が記録して以来、史上5度目のことであった。3回戦の対浦添商業高校戦では相手が打席で投手よりに立ち、ソフトボールのようなノーステップ打法を取り入れてきたことから3回二死まで三振がなく1回戦から続いた毎回奪三振は途切れたが、8回から6連続三振に取るなどで最終的に12奪三振を記録。前日にスーパー銭湯での温冷交代浴や、酸素カプセルの使用、マッサージなどで体調を整えて臨んだ準々決勝の対光星学院高校戦でも15奪三振を奪ったが、両チーム無失点で迎えた8回に3失点を喫して敗退した。大会通算成績は36イニングを投げ防御率2.25、奪三振率17.00。1大会通算68奪三振は夏の甲子園では歴代3位の記録であり、左腕投手としては2005年に辻内崇伸が記録した65奪三振を更新し1大会での史上最多記録となった。秋の神奈川大会では準々決勝の対平塚学園高校戦で9回を2安打2失点12奪三振を記録するも敗退し、翌年の選抜大会出場は逃す。プロ野球の複数球団から翌年のドラフト1巡目指名候補に挙げられたが、2年時1月に行われた公開練習の記者会見で進路については未定と答えた。2年冬は走り込みやウエイトトレーニングを増やし下半身の強化に取り組む。3年春にはスライダーを使用しない投球やチェンジアップの精度向上にも取り組み、7月には浦和学院高校との練習試合で9回を1安打無失点、18奪三振、無四球の快投を見せた。3年夏の選手権神奈川大会では、準々決勝の対横浜高校戦で淺間大基、髙濱祐仁に本塁打を打たれ、8回を8安打3失点、10奪三振、高校時代の最速149km/hを記録する投球を見せるも敗退。横浜のコーチの小倉清一郎によると、横浜はスライダーの見極め対策や球威対策に取り組み、さらに配球の偏りや投球フォームの崩れ、クイックモーションでの投球を分析して試合に臨んでいたという。8月には第26回AAA世界野球選手権大会日本代表に選出され、予選1次ラウンドの台湾戦、予選2次ラウンドの韓国戦、決勝のアメリカ戦で先発。

2013年9月27日にプロ志望届を日本学生野球協会へ提出することを表明し、翌月(10月24日)開催のNPBドラフト会議では、東北楽天ゴールデンイーグルス、中日ドラゴンズ、福岡ソフトバンクホークス、横浜DeNAベイスターズ、北海道日本ハムファイターズから1位指名を受けた。指名の重複による抽選で楽天が交渉権を獲得し、1億円に出来高分5000万円を加えた契約金と、年俸1500万円(金額は推定)という条件で契約した。なお、「自分の野球の原点は高校野球にある。そこで長くつけさせてもらった背番号でスタートしたいと思ったからです」という本人の希望を受けて、背番号は1に決まった。

代表経歴[編集]

2015年11月に開かれた第1回WBSCプレミア12には、日本代表のクローザーとして起用された。代表チームでは、内川聖一が所属チーム(ソフトバンク)と同じ背番号「1」を着用した関係で、プロ入り後初めて背番号10を付けた。

2017年シーズン開幕前の3月に催されたワールド・ベースボール・クラシックの本大会に、野手を含めた日本代表の最年少選手として出場。2次ラウンドまでの3試合に救援で登板すると、通算で2回2/3を投げて無失点に抑えた。

2023年シーズン開幕前の3月に開催される2023 ワールド・ベースボール・クラシックに出場する野球日本代表(侍ジャパン)のメンバーに選出された。自身の登板は1次ラウンドの韓国戦の1試合1イニングのみにとどまったが無安打無失点に抑えた。

タイトル[編集]

  • 最多セーブ投手:3回(2019年、2022年、2023年) ※左投手の3回獲得は江夏豊に次ぐパ・リーグ歴代2位

表彰[編集]

  • 月間MVP:1回(投手部門:2016年8月)
  • 「ジョージア魂」賞:1回(2014年度第7回)

記録[編集]

初記録
  • 初登板・初先発登板:2014年4月2日、対オリックス・バファローズ2回戦(楽天Koboスタジアム宮城)、6回5安打3失点で敗戦投手
  • 初奪三振:同上、1回表に糸井嘉男から見逃し三振
  • 初勝利:2014年7月2日、対オリックス・バファローズ10回戦(京セラドーム大阪)、2回2安打無失点
  • 初ホールド:2014年7月4日、対福岡ソフトバンクホークス9回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、6回裏二死で3番手で救援登板、1回1/3を無失点
  • 初先発勝利:2014年8月13日、対福岡ソフトバンクホークス16回戦(福岡ヤフオク!ドーム)、7回2失点
  • 初完投:2014年10月5日、対北海道日本ハムファイターズ24回戦(札幌ドーム)、8回1失点6奪三振で敗戦投手
  • 初セーブ:2015年3月28日、対北海道日本ハムファイターズ2回戦(札幌ドーム)、9回裏に5番手で救援登板・完了、1回無失点
節目の記録
  • 100セーブ:2018年9月16日、対千葉ロッテマリーンズ19回戦(ZOZOマリンスタジアム)、9回裏に3番手で救援登板・完了、1回無失点 ※史上31人目、22歳10か月での達成は史上最年少
  • 150セーブ:2021年5月9日、対北海道日本ハムファイターズ9回戦(札幌ドーム)、9回裏に5番手で救援登板・完了、1回無失点 ※史上16人目、25歳6か月での達成は史上最年少
  • 200セーブ:2023年4月5日、対埼玉西武ライオンズ2回戦(楽天モバイルパーク宮城)、9回表に4番手で救援登板・完了、1回無失点 ※史上9人目、27歳5か月での達成は史上最年少
  • 500試合登板:2023年10月8日、対福岡ソフトバンクホークス25回戦(楽天モバイルパーク宮城)、9回表に6番手で救援登板、1回無失点 ※史上107人目、27歳11か月での達成は史上4番目の年少記録
その他の記録
  • 71.1回連続無本塁打 ※ドラフト制導入後の高卒新人では史上最長
  • 1イニング三者連続三球三振:2017年4月25日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(東京ドーム)、9回表に細谷圭を空振り三振、マット・ダフィーを空振り三振、鈴木大地を空振り三振で達成、内訳は見逃し1、空振り7、ファウル1、史上17人目18度目
  • 1イニング4奪三振:2018年5月4日、対埼玉西武ライオンズ7回戦(楽天生命パーク宮城)、9回表に炭谷銀仁朗を空振り三振・秋山翔吾を空振り三振・源田壮亮を空振り三振(振り逃げ)・山川穂高を空振り三振、史上21人目
  • シーズン30セーブ:6回 ※史上2人目、パ・リーグ史上初
  • 同一球場通算100セーブ:2023年9月19日、対福岡ソフトバンクホークス21回戦(楽天モバイルパーク宮城)、9回表に3番手で救援登板・完了、1回無失点 ※史上6人目
  • オールスターゲーム出場:5回(2015年、2017年、2019年、2021年、2022年)

背番号[編集]

  • 1(2014年 - )
  • 47(2015年欧州代表選)
  • 10(2015年WBSCプレミア12、2017 侍ジャパン壮行試合、2017年WBC)
  • 24(2018日米野球)
  • 13(2023年WBC)

登場曲[編集]

  • 「今、咲き誇る花たちよ」コブクロ(2014年)
  • 「ひとりじゃない」DUFF(2015年 - )
  • 「Centuries」Fall Out Boy(2015年 - )
  • 「SUMMER TIME」TUBE(2016年)
  • 「世界で一番孤独なLover」乃木坂46(2017年 - )
  • 「Against」乃木坂46(2018年)
  • 「マリーゴールド」あいみょん(2019年)
  • 「ジェニファー」あいみょん(2019年 - )

代表歴[編集]

  • 2013年AAA世界野球選手権大会日本代表
  • ひかりTV 4K GLOBAL BASEBALL MATCH 2015
  • 2015 WBSCプレミア12 日本代表
  • 侍ジャパン壮行試合(CPBL選抜チャイニーズ・タイペイ)(2017年)
  • 2017 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表
  • ENEOS 侍ジャパンシリーズ2018「日本 vs オーストラリア」
  • ENEOS 侍ジャパンシリーズ2018「日本 vs チャイニーズ・タイペイ」
  • 2018日米野球
  • 2023 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表


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