You can edit almost every page by Creating an account. Otherwise, see the FAQ.

松井秀喜

提供:EverybodyWiki Bios & Wiki
移動先:案内検索

松井 秀喜(まつい ひでき、1974年6月12日 - )は、石川県能美郡根上町(現:能美市)出身の元プロ野球選手(外野手、右投左打)。

現役引退後はMLBのニューヨーク・ヤンキースでGM特別アドバイザーを務める。愛称は「GODZILLA」または「ゴジラ松井」。

1990年代から2000年代の球界を代表する打者で、日本プロ野球(以下:NPB)では読売ジャイアンツ、メジャーリーグベースボール(以下:MLB)ではニューヨーク・ヤンキースなどで活躍した。2009年のニューヨーク・ヤンキース時代にワールドシリーズ優勝を経験している。同年、アジア人初のワールドシリーズMVPを受賞した。2013年には国民栄誉賞を受賞した。

引退後[編集]

私生活[編集]

2013年3月上旬に長男が誕生したことを明かす。

国民栄誉賞の受賞[編集]

2013年(平成25年)4月1日の午後には、内閣官房長官の菅義偉(当時)が記者会見で、日本政府が国民栄誉賞を長嶋茂雄と同時に授与する方向で検討していることを明らかにし、16日に国民栄誉賞の授与が正式に決定された。

同年5月5日、東京ドームで行われた読売ジャイアンツ対広島東洋カープ戦の前に松井の引退セレモニーと国民栄誉賞授与式が行われ、内閣総理大臣の安倍晋三(当時)から国民栄誉賞が授与された。その後の始球式で松井は巨人時代のユニフォームを着用し、長嶋を打者、巨人監督の原辰徳を捕手、安倍を審判に迎えて始球式を行った。

引退セレモニー[編集]

2013年5月30日にはニューヨーク・ヤンキースが、チームの開幕戦からちょうど55試合目のホームゲーム(雨天延期などのため、セレモニー当日は55試合目とはならなかった)となる7月28日のサンディエゴ・パドレス戦で引退セレモニーを行うことを発表した。

7月からはヤンキース傘下のショートA級スタテンアイランドで打撃投手を務めた。7月16日には、NHK BS1のMLBオールスターゲーム中継で、現地のシティ・フィールドからゲスト解説を務めた。

7月28日にニューヨーク・ヤンキースと1日限定のマイナー契約を結び、この日のレイズ戦の試合前にヤンキー・スタジアムのグラウンド上で引退セレモニーを行った。この日、松井はヤンキースの一員として野球選手の生涯を終えた。

9月22日には同シーズン限りで引退するマリアノ・リベラの引退セレモニーに出席した。

コーチ就任[編集]

2014年2月1日から13日まで読売ジャイアンツの春季キャンプで臨時コーチを務めた後、2月19日から3月4日までニューヨーク・ヤンキースのスプリングトレーニングでゲストコーチを務めた。

5月24日にはクーパーズタウンで行われるアメリカ野球殿堂の記念試合にヤンキースの代表として出場。本塁打競争にも参加し、記念試合ではスティーブ・エイベリーから本塁打を打つなど3打数1安打1打点の活躍を見せた。6月22日にはヤンキースのオールド・タイマーズ・デーに出席し、記念試合では試合途中から投手として登板もした。

8月25日、ヤンキース時代の恩師であり、背番号「6」がヤンキースの永久欠番に認定されたジョー・トーリの記念セレモニーに出席。また、9月7日には盟友デレク・ジーターの引退セレモニーに出席。同年のヤンキースタジアムでの最終戦となった9月25日には、NHK BS1での中継内でヤンキースタジアムからゲスト解説を行った。試合はジーターのサヨナラタイムリーでヤンキースが劇的な勝利を収めた。

2015年2月3日・4日の2日間にわたって古巣の巨人軍宮崎キャンプを視察。また2月5日から7日まで沖縄県宜野湾でDeNAのキャンプを視察した。

アドバイザー就任[編集]

3月11日にヤンキースGM特別アドバイザーに就任した(契約期間は1年)。キャンプ地のフロリダ州-タンパでブライアン・キャッシュマンGM同席のもと、記者会見を行い、「ヤンキースでは素晴らしい時間を過ごした。今度は若い選手の力になれるように頑張っていきたい。僕にとっても大きなチャレンジ」と抱負を語った。

同月21日には東京ドームで行われたオープン戦の巨人対北海道日本ハムファイターズ戦でデレク・ジーターと共に始球式を行った。試合後には同球場で東日本大震災の被災地の小中学生を支援する慈善イベント「トモダチ チャリティー ベースボールゲーム」に参加。チャリティーイベントの最後に行われたヒッティングチャレンジでは「せっかくこれだけのお客さんが集まってくれたので、僕が打ちます」と自ら打席に立ち、小宮山悟氏が投じた5球目を右翼スタンドへ放り込んだ。

2016年もヤンキースGM特別アドバイザーとして活動した。4月5日にはヤンキースとアストロズの試合にて日本人としては史上初となるヤンキースタジアムでの始球式を行った。

2017年1月上旬に次男が誕生したことを明かした。ヤンキースGM特別アドバイザーとして活動を継続した。

野球殿堂への顕彰[編集]

2018年1月15日、野球殿堂博物館は、2018年度の野球殿堂競技者表彰プレーヤー部門の顕彰者として松井を選出したことを発表した。なお、松井は野茂英雄(2014年度)の45歳4か月を更新する43歳7か月での最年少野球殿堂顕彰者となった。候補1年目での表彰者が二人選出されるのはこれが初の事例である。

また、この年はアメリカ野球殿堂の殿堂入り候補資格も得たが、1月24日に行われた記者投票では4票の獲得(得票率0.9%)にとどまり、1年目で殿堂入りの資格を喪失した。ヤンキースGM特別アドバイザーとして活動を継続した。

第100回甲子園大会での始球式[編集]

2018年8月5日に始まった第100回全国高等学校野球選手権記念大会の開幕試合、星稜(石川)-藤蔭(大分)に先立ち、奇しくも当星稜高校のOBとして松井が始球式に登場した。投球はワンバウンドとなり、松井は頭を抱えて苦笑いを浮かべた。

なお、この時の朝日放送テレビでのテレビ中継には星稜高校野球部名誉監督の山下智茂が解説者として出演しており、松井の始球式を見届けている。

始球式終了後の松井は開幕戦を終始ネット裏で観戦し、結果9-4のスコアで星稜が勝利した直後、松井は直立不動の姿勢で星稜高校の校歌を歌唱した。さらに、松井の隣席にはかつて星稜高校同期生のチームメイトで、現・朝日新聞記者の福角元伸が座っており、母校勝利時に松井自ら笑顔で福角記者へ「オイ、歌うぞ!」と校歌斉唱を催促していた。

年度別打撃成績[編集]

塁 打

塁 打

塁 打

塁 死

殺 打

塁 率

打 率

O

P S

1993 巨人 57 203 184 27 41 9 0 11 83 27 1 0 0 0 17 0 2 50 1 .223 .296 .451 .747
1994 130 569 503 70 148 23 4 20 239 66 6 3 1 4 57 1 4 101 12 .294 .368 .475 .843
1995 131 569 501 76 142 31 1 22 241 80 9 7 2 2 62 1 2 93 12 .283 .363 .481 .845
1996 130 569 487 97 153 34 1 38 303 99 7 2 0 7 71 1 4 98 5 .314 .401 .622 1.023
1997 135 596 484 93 144 18 0 37 273 103 9 3 0 6 100 10 6 84 5 .298 .419 .564 .984
1998 135 603 487 103 142 24 3 34 274 100 3 5 0 4 104 2 8 101 7 .292 .421 .563 .984
1999 135 573 471 100 143 24 2 42 297 95 0 4 0 6 93 3 2 99 3 .304 .416 .631 1.047
2000 135 590 474 116 150 32 1 42 310 108 5 2 0 7 106 5 2 108 1 .316 .438 .654 1.092
2001 140 611 481 107 160 23 3 36 297 104 3 3 0 7 120 6 3 96 9 .333 .463 .617 1.081
2002 140 623 500 112 167 27 1 50 346 107 3 4 0 3 114 17 6 104 4 .334 .461 .692 1.153
2003 NYY 163 695 623 82 179 42 1 16 271 106 2 2 0 6 63 5 3 86 25 .287 .353 .435 .788
2004 162 680 584 109 174 34 2 31 305 108 3 0 0 5 88 2 3 103 11 .298 .390 .522 .912
2005 162 703 629 108 192 45 3 23 312 116 2 2 0 8 63 7 3 78 16 .305 .367 .496 .863
2006 51 201 172 32 52 9 0 8 85 29 1 0 0 2 27 2 0 23 6 .302 .393 .494 .887
2007 143 633 547 100 156 28 4 25 267 103 4 2 0 10 73 2 3 73 9 .285 .367 .488 .855
2008 93 378 337 43 99 17 0 9 143 45 0 0 0 0 38 6 3 47 10 .294 .370 .424 .795
2009 142 526 456 62 125 21 1 28 232 90 0 1 0 2 64 1 4 75 4 .274 .367 .509 .876
2010 LAA 145 554 482 55 132 24 1 21 221 84 0 1 0 4 67 6 1 98 10 .274 .361 .459 .820
2011 OAK 141 583 517 58 130 28 0 12 194 72 1 1 0 9 56 3 1 84 10 .251 .321 .375 .696
2012 TB 34 103 95 7 14 1 0 2 21 7 0 0 0 0 8 1 0 22 5 .147 .214 .221 .435
NPB:10年 1268 5506 4572 901 1390 245 16 332 2663 889 46 33 3 46 844 46 39 934 59 .304 .413 .582 .996
MLB:10年 1236 5056 4442 656 1253 249 12 175 2051 760 13 9 0 46 547 35 21 689 106 .282 .360 .462 .822
  • 各年度の太字はリーグ最高


年度別打撃成績所属リーグ内順位[編集]

| グ

塁 打

塁 率

1993 19 NPB セ・リーグ - - - - - -
1994 20 - 9位 - - 6位 -
1995 21 - 5位 4位 10位 6位 -
1996 22 7位 2位 4位 - 6位 7位
1997 23 - 2位 2位 - 10位 2位
1998 24 - 1位 1位 - 8位 1位
1999 25 9位 2位 5位 - - 3位
2000 26 3位 1位 1位 - 9位 1位
2001 27 1位 2位 3位 - 5位 2位
2002 28 2位 1位 1位 - 3位 1位
2003 29 MLB ア・リーグ - - 10位 - - -
2004 30 - - 10位 - - 10位
2005 31 7位 - 8位 - 9位 -
2006 32 - - - - - -
2007 33 - - - - - -
2008 34 - - - - - -
2009 35 - - - - - -
2010 36 - - - - - -
2011 37 - - - - - -
2012 38 - - - - - -
  • - は10位未満(打率、出塁率は規定打席未到達の場合も-と表記)
  • NPBに於ける打撃タイトルは、首位打者、最多本塁打、最多打点、最多盗塁、最多安打、最高出塁率
  • MLBに於ける打撃タイトルは、首位打者、最多本塁打、最多打点、最多盗塁

MLBポストシーズン打撃成績[編集]

塁 打

塁 打

塁 打

塁 死

殺 打

塁 率

打 率

O

P S

2003 NYY 17 72 64 6 18 4 0 2 28 11 0 0 0 1 6 0 0 8 2 .291 .347 .438 .785
2004 11 57 51 12 21 7 1 3 39 13 0 0 0 1 5 1 0 8 0 .412 .456 .765 1.221
2005 5 22 20 4 4 1 0 1 8 1 0 0 0 0 2 0 0 3 2 .200 .273 .400 .673
2006 4 16 16 1 4 1 0 0 6 1 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .250 .250 .313 .563
2007 4 16 11 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 5 1 0 2 0 .182 .438 .182 .619
2009 15 52 43 5 15 2 0 4 23 13 0 0 0 0 9 0 0 10 8 .349 .462 .674 1.136
出場:6回 56 235 205 32 64 15 1 10 111 39 0 0 0 2 27 2 1 33 12 .312 .391 .541 .933

年度別守備成績[編集]

左翼手(LF) 中堅手(CF) 右翼手(RF)

備 率

備 率

備 率

2003 NYY 118 210 11 7 3 .969 46 110 2 1 1 .991 -
2004 160 303 8 7 2 .978 3 2 4 0 0 1.000 -
2005 115 219 7 3 1 .987 28 54 0 0 0 1.000 4 6 0 0 0 1.000
2006 36 82 1 1 1 .988 - -
2007 112 213 6 3 .986 - -
2008 21 40 2 1 1 .977 - 3 2 0 0 0 1.000
2010 LAA 18 16 1 0 0 1.000 - -
2011 OAK 27 53 3 1 2 .982 - -
2012 TB 9 6 0 0 0 1.000 - 6 8 0 0 0 1.000
通算 616 1142 39 23 10 .981 77 168 2 1 1 .994 13 16 0 0 0 1.000
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

NPB
  • 首位打者:1回(2001年) ※史上3人目のフルイニング出場での獲得
  • 本塁打王:3回(1998年、2000年、2002年)
  • 打点王:3回(1998年、2000年、2002年)
  • 最高出塁率:3回(1998年、2000年、2002年)

表彰[編集]

NPB
  • 最優秀選手:3回(1996年、2000年、2002年)
  • ベストナイン:8回(1995年 - 2002年) ※外野手部門を8年連続は歴代2位タイ(他に山本浩二、秋山幸二)で、山本と並ぶセ・リーグ最長
  • ゴールデングラブ賞:3回(2000年 - 2002年)
  • 野球殿堂競技者表彰(2018年)
  • 正力松太郎賞:1回(2000年)※選手として表彰
  • 月間MVP:7回(1994年4月、1996年7月・8月、1998年5月、2001年9月、2002年7月・8月)
  • 最優秀JCB・MEP賞:5回(1994年、1996年、1997年、2000年、2002年)
  • 優秀JCB・MEP賞:1回(1998年)
  • JA全農Go・Go賞(強肩賞):1回(1998年9月)
  • IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞:4回(1996年 - 1998年、2000年)
  • ゴールデンスピリット賞:1回(1999年)
  • オールスターゲームMVP:3回(1995年 第2戦、1998年 第2戦、1999年 第1戦)
  • 出身地別東西対抗戦優秀選手:2回(1999年、2001年)
  • 日本シリーズMVP:1回(2000年)
  • 東京ドームMVP:3回(1996年、1997年、2002年)
  • ヤナセ・ジャイアンツMVP賞:4回(1996年、1998年、2000年、2001年)
MLB
  • ワールドシリーズMVP:1回(2009年)
  • 月間MVP:1回(2007年7月)
  • 週間MVP:4回(2003年6月、2004年5月、2005年6月、2011年7月)
  • 月間新人MVP:1回(2003年6月)
  • インターリーグ首位打者:1回(2003年)
  • クラッチ・パフォーマー賞:1回(2009年8月)
  • Baseball Digest ルーキーオールスターチーム(2003年)
その他表彰
  • グッドガイ賞:1回(2003年)※全米野球記者協会(BBWAA)のニューヨーク支部が取材対象である選手の人柄を評価する賞
  • 日本プロスポーツ大賞・内閣総理大臣杯
    • 大賞:2回(2000年、2003年)
    • 殊勲賞:1回(2002年)
  • 報知プロスポーツ大賞:3回(1996年、2000年、2002年)
  • 毎日スポーツ人賞:3回(2002年、2003年、2009年)※2002年はファン賞、2003年は国際賞、2009年は特別賞での受賞
  • 新語・流行語大賞 特別賞(2003年、「Godzilla」)
  • ナンバーMVP賞(2003年)
  • 在ニューヨーク日本総領事館在外公館長表彰(2009年)
  • ビートたけしのエンターテインメント賞
    • 50周年特別賞(2009年)
    • 特別賞(2012年)
  • ビッグスポーツ賞特別功労賞(2013年)
  • 根上町民栄誉賞(1998年)
  • 能美市市民栄誉賞(2014年)※受賞者第1号
  • 石川県県民栄誉賞(2000年)※受賞者第1号
  • 国民栄誉賞(2013年)
  • プライド・オブ・ザ・ヤンキース(2016年)※ヤンキースがチームに貢献したOBの功績を称える賞

記録[編集]

NPB記録
  • 通算本塁打:332(1993年 - 2002年) ※実働10年間、歴代34位
  • 年間最高出塁率:.463(2001年) ※読売ジャイアンツ球団記録
  • 年間最多塁打:346(2002年) ※読売ジャイアンツ球団記録
  • フルイニング連続試合出場:574(1995年5月30日 - 1999年7月22日) ※読売ジャイアンツ球団記録
  • 7年連続シーズン30本塁打以上(1996年 - 2002年) ※歴代4位タイ
  • 5年連続シーズン100得点以上(1998年 - 2002年) ※日本プロ野球記録
  • 5試合連続本塁打(1999年6月5日 - 6月10日)
  • 65試合連続出塁(2001年5月5日 - 8月3日) ※セ・リーグ記録。
  • 1250試合連続出場(1993年8月22日 - 2002年10月11日) ※歴代3位。読売ジャイアンツ球団記録
  • 通算長打率:.582(1993年 - 2002年) ※歴代3位
  • 通算四球数:844(1993年 - 2002年) ※実働10年間にも関わらず歴代31位
  • リーグ外野手レンジファクター(RF/G)1位:1回(2000年:2.11)
  • オールスターゲーム出場:9回(1994年 - 2002年)
  • オールスターゲーム3試合連続本塁打(2001年) ※史上初。中村紀洋と同時に達成。
  • 4試合での日本シリーズ5四球(2002年) ※山内和弘と並んでシリーズタイ記録
  • レギュラーシーズン、日本シリーズ、オールスターゲームでMVP選出 ※川上哲治、大下弘、福本豊、トーマス・オマリー、古田敦也に次いで史上6人目(後に内川聖一、阿部慎之助が達成)
  • リーグ最多得点:3年連続5回 ※ともに王貞治に次ぐセ・リーグ歴代2位
MLB記録
  • シーズン新人最多出場:163(2003年)
  • デビューからの最多連続試合出場:518試合(2003年3月31日 - 2006年5月10日)
  • ワールドシリーズ1試合最多打点:6(2009年第6戦) ※タイ記録
  • リーグチャンピオンシップシリーズ最多安打:14(2004年) ※タイ記録
  • リーグチャンピオンシップシリーズ最多二塁打:6(2004年)
  • リーグチャンピオンシップシリーズ最多塁打:28(2004年) ※タイ記録
  • リーグチャンピオンシップシリーズ1試合最多安打:5(2004年第3戦) ※タイ記録
  • リーグチャンピオンシップシリーズ1試合最多得点:5(2004年第3戦) ※タイ記録
  • MLBオールスターゲーム選出:2回(2003年、2004年)
NPB/MLB通算記録

※歴代記録はMLBの記録を含めているため参考記録。

  • 通算試合数 歴代13位 2504試合
  • 通算打席数 歴代6位 10562打席
  • 通算打数 歴代6位 9014打数
  • 通算得点数 歴代4位 1557
  • 通算安打数 歴代6位 2643
  • 通算二塁打数 歴代4位 494
  • 通算本塁打数 歴代7位 507本
  • 通算塁打数 歴代5位 4714
  • 通算打点数 歴代5位 1649打点
  • 通算長打数 歴代3位 1029
  • 通算三振数 歴代12位タイ 1623
  • 通算四球数 歴代3位 1391
  • 通算犠飛数 歴代5位 92
  • 通算満塁本塁打数 歴代9位タイ 12本
  • 通算サヨナラ本塁打数 歴代4位タイ 8本
  • NPB/MLB通算1768試合連続出場(1993年8月22日 - 2006年5月11日) ※これを超える記録はNPBで衣笠祥雄、鳥谷敬、MLBでカル・リプケン・ジュニア、ルー・ゲーリッグのみ
  • NPB/MLB通算2000安打(2007年5月6日)
  • NPB/MLB通算2500安打(2011年4月4日)
NPB初記録
  • 初出場・初先発出場:1993年5月1日、対ヤクルトスワローズ2回戦(東京ドーム)、7番・左翼手で先発出場
  • 初打席:同上、2回裏に西村龍次から二ゴロ
  • 初安打・初打点:同上、5回裏に西村龍次から右翼フェンス直撃適時二塁打
  • 初本塁打:1993年5月2日、対ヤクルトスワローズ2回戦(東京ドーム)、9回裏に高津臣吾から右越2ラン
NPB節目の記録
  • 100本塁打:1997年4月27日、対広島東洋カープ6回戦(東京ドーム)、5回裏に山﨑健から右越同点2ラン ※史上188人目
  • 150本塁打:1998年7月28日、対ヤクルトスワローズ21回戦(明治神宮野球場)、8回表に川崎憲次郎から右越ソロ ※史上107人目
  • 200本塁打:1999年9月21日、対阪神タイガース25回戦(東京ドーム)、3回裏に舩木聖士から右越2ラン ※史上71人目(841試合での達成は歴代11位)
  • 1000安打:2000年7月12日、対広島東洋カープ16回戦(札幌市円山球場)、4回裏に澤崎俊和から右翼線へエンタイトル二塁打 ※史上202人目
  • 1000試合出場:2001年4月12日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、4番・中堅手で先発出場 ※史上366人目
  • 250本塁打:同上、5回表にメルビン・バンチから右越同点ソロ ※史上41人目
  • 300本塁打:2002年7月9日、対広島東洋カープ15回戦(広島市民球場)、9回表に黒田博樹から右中間へソロ ※史上27人目

背番号[編集]

  • 55(1993年 - 2011年)
  • 35(2012年)


Read or create/edit this page in another language[編集]