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東山紀之

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東山 紀之(ひがしやま のりゆき、1966年〈昭和41年〉9月30日 - )は、日本の実業家、芸能プロモーター、俳優、歌手、タレント、司会者。男性アイドルグループ・少年隊の元メンバー。SMILE-UP.(旧ジャニーズ事務所)代表取締役社長。血液型はA型。本名は同じ。愛称はヒガシ

妻は女優の木村佳乃。2021年5月時点で、ジャニーズ事務所(当時)に所属するアーティスト・タレントの最年長者となっている。

2023年9月5日付でジャニーズ事務所(当時)の取締役社長に就任した。並行している芸能活動については、同年末をもって引退する予定である。

来歴[編集]

デビュー以降はグループ活動のかたわらソロとしても活躍。2008年以降はソロ活動に比重を置き、俳優業を中心に、テレビ・舞台・映画にと多方面で活躍。一方で同年にはテレビ朝日系テレビドラマ『必殺仕事人2009』の主題歌「鏡花水月」を歌うために松岡昌宏・大倉忠義と期間限定ユニット・The SHIGOTONINを結成している。

2020年9月20日、同年内に錦織一清と植草克秀がジャニーズ事務所を退所することが明らかにされた。少年隊についてはその後「グループとして活動の予定はない」が、同事務所所属のグループとして名前は存続する。東山は事務所に残留し、活動を続ける。

2021年5月1日、前日の近藤真彦のジャニーズ事務所退所により同事務所所属アーティスト・タレントの最年長者となる。2023年7月12日に近藤が事務所を退所した時点での年齢(56歳285日)に到達し、翌13日以降も継続して在籍していることにより、ジャニーズ事務所所属アーティスト・タレントの最高齢記録を更新した。

ジャニーズ社長就任・タレント引退[編集]

2023年9月5日、ジャニーズ事務所の創業者であるジャニー喜多川による性加害問題の表面化と、その調査報告過程における「同族経営の弊害」を指摘され社長を引責辞任した藤島ジュリー景子の後任として、同日付でジャニーズ事務所の代表取締役社長に就任した。同月7日に記者会見を行い、芸能活動については2023年内で引退し、社業に専念する事を発表した。これに伴い、2017年の番組スタートから6年に渡りメインキャスターを務めてきたテレビ朝日系の情報番組『サンデーLIVE!!』について同月3日放送分を最後に降板、さらに2005年の番組スタートからセレブレーター(ナビゲーター)を務めていたTBS系のドキュメンタリー番組『バース・デイ』も同月2日放送分を最後に降板した。

私生活[編集]

2010年10月23日に、2008年3月の舞台『さらば、わが愛 覇王別姫』での共演を機に交際していた女優の木村佳乃と、約2年半の交際を経て結婚。遠藤憲一がキューピッドとなった。2011年11月4日に第1子となる長女が誕生し、2013年5月29日には第2子となる次女が誕生した。

人物[編集]

体脂肪率は9%をキープ。1か月に100km走るというのが自分に課したルールだと語っている。腹筋は1日に1000回、20年以上欠かさず続けている。

自身のダンスナンバーではバック転、側転バック宙、高台からのバック宙、壁宙などを披露している。

2003年に行われた舞台『PLAYZONE 2003 Vacation』では、公演が始まってすぐ上演中に足の甲を骨折したが、1日も休むことなく千秋楽まで踊り、役をこなした。

NHK大河ドラマの主演(『琉球の風』 1993年1月10日 - 6月13日)を初めて務めたジャニーズタレントでもある。

シリアスな二枚目役からコミカルな役まで幅広い役柄をこなす。時代劇ではこれまで初挑戦の時代劇で演じた沖田総司に始まり、源義経、浅野内匠頭、松平容保、藤原道長、足利義満、大岡越前などの歴史上の人物や、光源氏を演じている。

1987年から流行したしょうゆ顔の代表格として名前が挙がる。1988年にしょうゆ顔の代表で流行語大賞の流行語部門・大衆賞を受賞している。

ジャニーズ事務所の後輩タレントとの関わりにおいては、初めて一人暮らしをしようとしていた頃に、事務所から「預かってくれ」と頼まれ、TOKIOの山口達也、国分太一、松岡昌宏が居候していたことがある。また、20th Centuryの坂本昌行は東山の付き人をしていた時期があった。この他、KinKi Kidsの堂本光一など多くの後輩たちと親交があるだけでなく、ジャニーズ事務所の新人研修会で講師を務めたりもする。

料理が得意であり、『Duet』誌上で自らのソーセージを披露する連載ページも持っていた。

趣味・嗜好[編集]

1999年9月、スキューバダイビングを始める。アドバンスライセンスも取得。

司会を務めていた日本テレビの情報生番組『@サプリッ!』内で、1か月半後の2005年4月に開催される「JALホノルルトライアスロン2005」に出場することを発表。トライアスロン初挑戦で、目標の4時間を上回る3時間3分11秒で完走した。

2009年6月、ボクシングを始める。始めたきっかけについては、ジェームス・ブラウンやジャッキー・ウィルソンらがボクサーであったことから興味を持ち始めたことに加え、芝居をする上で相手との距離感をどう保つのか、どのように呼吸を合わせるかが重要だと思うようになったと語っている。

憧れの人物に王貞治、ブルース・リー、マイケル・ジャクソンを挙げている。王貞治の精神、ブルース・リーの肉体、マイケル・ジャクソンの軽やかさが自身の目標だと語っている。

東山にとって王は小学4年のときに700号本塁打を川崎球場で見て以来憧れの存在であり、自身のコラムにおいては“僕が世界で一番憧れた人”と題してその想いを綴っている。2009年7月20日にTBS系で放送された自身が司会・ナレーションを務める『バース・デイ』の放送200回突破記念のスペシャルにおいて対談(王貞治vs東山紀之)が実現した。

幼少の頃からブルース・リーにも憧れており、東山が身体を鍛えることに目覚めた理由の一つにリーの存在が挙げられる。

マイケル・ジャクソンには、東山が13歳の時にジャニーズ事務所の合宿所で初めてビデオを見て以来、そのダンスパフォーマンスに衝撃を受け、以降ずっと「ダンスの神様」と敬愛し続けており、自身の芸能活動の礎になっていると語っている。少年隊のメンバーとともにマイケルの振付師であるマイケル・ピータースからレッスンを受けたり、東京ディズニーランドでマイケル本人と2人でアトラクションを楽しんだこともあった。自身の連載コラムの中でも“マイケル・ジャクソンの衝撃”と題してマイケルの凄さを語り、マイケルの死後も2ページにわたって追悼コラムを掲載し、生前対面したときのエピソードなどを綴っている。

2011年5月25日に大阪・梅田ブルク7で行われた自身の主演映画『小川の辺』チャリティ上映会の舞台挨拶の席で阪神タイガースのファンであることを初告白。取材に訪れていたスポーツ新聞社が翌日の紙面で報じた。

交友関係[編集]

  • 森光子 - 1986年『NHK紅白歌合戦』に少年隊が初出場した際に、審査員をつとめていた森が東山に声をかけたことがきっかけで親交が始まった。舞台やドラマ共演も多数でプライベートでもよく交流があったため、マスコミには「永遠の恋人」とも言われたが、森が亡くなった時には「師匠であり母だった」「アイドル出身の僕を一番最初に認めてくれた」「森さんがいなかったら今の僕はなかった」とコメントしている。
  • 松方弘樹 - 東山が時代劇に初挑戦したテレビ朝日系ドラマ『新選組』(1987年)において共演し、松方から時代劇の手ほどきを受けた。以来、東山にとっては師と仰ぐ存在。また、松方を介して、若山富三郎、萬屋錦之介とも親交があった。
  • 山下達郎・竹内まりや夫妻 - それぞれのコンサートや舞台に足を運ぶなど、公私にわたり長年の親交がある。山下から少年隊には「FUNKY FLUSHIN’」(1990年)や「湾岸スキーヤー」(1998年)を楽曲提供。山下が2002年にシングル・カットして発売した「LOVELAND, ISLAND(ラブランド、アイランド)」のミュージック・ビデオに東山は老紳士に扮して出演し、ダンスを披露している。
  • 緒形幹太 - 幼馴染み。13歳当時、お互いの実家が近所で、共通の友人を通して知り合う。また、緒形を通して、緒形の父親で俳優の緒形拳、弟で俳優の緒形直人とも交流があった。
  • 薬丸裕英 - 東山がジャニーズ事務所に入所した中学時代からの友人。
  • 他に、真田広之、川合俊一、中野浩一、川平慈英、哀川翔、澤穂希、トラヴィス・ペインらとも親交がある。

受賞歴[編集]

  • 第5回・1988年度ベストジーニスト賞 一般選出部門(1988年)
  • 第22回ベストドレッサー賞 スポーツ・芸能部門(1993年)
  • 第56回文化庁芸術祭賞 演劇部門優秀賞(2001年)
  • 第18回・2008年度日本映画批評家大賞 主演男優賞(2009年)
  • 第40回ベストドレッサー賞 スポーツ・芸能部門(2011年)
  • 第24回日本ジュエリーベストドレッサー賞 男性部門(2013年)
  • 第30回橋田賞(2022年)


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