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東北大学

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東北大学(とうほくだいがく、英語: Tohoku University)は、宮城県仙台市青葉区片平二丁目1番1号に本部を置く日本の国立大学。1907年創立、1907年大学設置。

大学の略称は特になく、東北大と呼ばれる。仙台では「とんぺー」という愛称で呼ばれている。

概観[編集]

全体[編集]

国内で3番目の帝国大学として1907年(明治40年)に創設され、仙台においては1911年(明治44年)に開学した東北帝国大学理科大学を源流とする大学である。

東北大学の創立年次は時代によって見解が異なっており、創立25周年記念式典の際は東北帝国大学理科大学の開設年である1911年(明治44年)を創立年次と位置付けていたが、現在は東北帝国大学の設立の勅令(第236号)が『官報』に掲載された1907年(明治40年)6月22日を創立記念日と位置付けている。

東北帝国大学創立期の大学の文書記号は、東京帝国大学のそれが「東大」であったため「北大」とされた。後に東北帝国大学から分立した北海道帝国大学は「海大」とされた。ただし、現在では「北大」は北海道大学の略称として用いられることが多く、東北大学の略称は「東北大」が用いられる。2017年6月、指定国立大学法人に指定される。

理念[編集]

東北大学では、「研究第一」「門戸開放」「実学尊重」の3つを大学理念としている。

研究第一
「研究第一」の標語は、初代総長・澤柳政太郎が本学最初の入学宣誓式で、次のように述べたことに由来する。「大学は無論学術の研究を主とするものなるが故に、学術の研究に重きを置くは大学としての特色にして各国の大学皆然らざるなし。」「我東北大学はこの点に於いては何れの大学にも退けを取らざる覚悟なり。」第2代総長を務めた北條時敬もまた、大学教授の必須要件は研究者として第一流であること、と述べた。このような本学草創期における東北大学の理念を「研究第一」主義という用語に収斂させたのが、第6代総長で世界的研究者でもあった本多光太郎である。世界第一流の研究こそが東北大学の最も重要なミッションであり、本学の教育も含めた活動の基盤であるという理念は、第二次世界大戦後も歴代総長と本学構成員によって脈々と受け継がれ、今日まで本学の最も重要な伝統として息づいている。
また、東北大学が「研究第一」を標榜した理由としては、先行した東京帝国大学が「官僚養成」を、京都帝国大学が「学問」を標榜したことから、第三の帝大である東北帝国大学は「研究」を標榜したものと考えられる。こうした「研究第一」主義の現れとして、全国の国立大学附置研究所の中で最も古い歴史を有する附置研究所の一つである金属材料研究所(設置当時の研究所名は臨時理化学研究所第2部)を擁すること、第二次世界大戦時には附置研究所の数が10を数えた時期があること等が挙げられる。なお、1998年(平成10年)-2008年(平成20年)の論文の被引用数では日本国内で第4位(世界第64位)、2005年度の主要研究経費は約260億円で、日本国内で第2位となっている。
門戸開放
東北帝国大学理科大学創設当初、既設の帝国大学が旧制高等学校出身者にのみ入学を認め、東北帝国大学農科大学が札幌農学校予修科の流れを汲む同農科大学予科出身者からの受け入れを主体としていたのに対して、理科大学は旧制高等学校、大学予科以外の教育機関出身者にも入学を認めた(傍系入学)。また、1913年(大正2年)には3人の女性(黒田チカ、丹下ウメ、牧田らく)に対して入学を許可した。これは帝国大学としては初めての女性に対する入学許可であり、入学許可が官報に掲載された8月21日は女子大生の日となっている。さらに、日本における外国人留学生の博士号取得第一号(陈建功)と第二号(苏步青)を輩出するなど、東北帝国大学時代より外国人留学生が数多く本学で学んできた。このような経緯のもとに、現在では「門戸開放」のフレーズは、「学生・教員・職員を問わず真に実力のある者はそのバックグラウンドにかかわらず受け入れる」という東北大学の方針を一言で表すための標語となっている。また、男女雇用機会均等法の改正を受け、杜の都女性科学者ハードリング支援事業やサイエンスエンジェル制度も導入されている。2014年には、男女共同参画社会を目指す活発な取組の一助となるよう、澤柳政太郎記念東北大学男女共同参画賞(通称:澤柳記念賞)が創設された。現在の学部学生は、東北地方以外の出身者が過半数を占めており、旧帝国大学の中では地元以外からの入学者比率が高い方である(「帝国大学#入学状況」参照)。
実学尊重
東北大学では創設以来、社会で実用される研究が奨励されてきたことに加え、大学での研究に端を発した企業が複数設立されてきたなど、実学が大変重視されている。その伝統は、2007年(平成19年)の大学別特許公開件数で日本国内1位であるところにも現れており、これは、自然科学のみならず、人文科学および社会科学の学問分野においても根付いている。

評価[編集]

QS世界大学ランキング2024(2023年)では第113位、アジア第24位、日本国内第5位である。また、英タイムズ紙系の教育専門誌『タイムズ・ハイアー・エデュケーション』によるTHE世界大学ランキング2023-2024(2023年度)では、同点第130位、アジア第20位、日本国内第3位である。THE世界大学ランキング日本版2023では総合第1位であり、4年連続の首位となった。

沿革[編集]

1900年(明治33年)1月29日、第14回帝国議会において『九州東北帝国大学設置建議案』が採択され、議会として東北地方に帝国大学を設置する正式な要望が政府に表明された。しかし、政府の資金難により設置が進まず、1902年(明治35年)にも『東北帝国大学設立建議案』が再度採択された。 1906年(明治39年)、札幌農学校を帝国大学農科大学に昇格させ、新設予定の理工科大学と大学予科と併せて北海道帝国大学とする案が浮上するも、東北選出の代議士が反発し、その結果として新設予定の理科大学を仙台に置く折衷案を政府に要求することとなった。 その後、結局、北海道帝国大学案は採用されず、1907年(明治40年)6月22日、明治天皇が勅令236号(東北帝国大学ニ関スル件)を公布することで、仙台に東北帝国大学が設立されることになった。その内容は235文字からなるシンプルな内容で以下のようなものであった。

「朕[は]東北帝国大学ニ関スル件ヲ裁可シ茲[ここ]ニ之[これ]ヲ公布セシム……(中略)……第一条 仙台ニ帝国大学ヲ置キ東北帝国大学ト称ス   第二条 札幌農学校ヲ東北帝国大学農科大学トス   第三条 東北帝国大学ノ分科大学及分科大学中ノ各学科開設ノ期日ハ文部大臣之ヲ定ム   第四条 東北帝国大学総長ノ職務ハ当分ノ内東北帝国大学農科大学長ヲシテ之ヲ行ハシム   第五条 帝国大学令第六条乃至第八条ノ規定ハ当分ノ内東北帝国大学ニ之ヲ適用セス   附則 本令ハ明治四十年九月一日ヨリ之ヲ施行ス」

東北大学が「東京帝国大学、京都帝国大学に続き日本で3番目にできた帝国大学」と呼ばれるのは、この勅令236号が根拠となっている。

東北帝国大学の本部は仙台の片平地区と定められ、そこにはすでに魯迅が学んだ「仙台医学専門学校」(後の医学部)なども存在したが、校舎の建設から学生募集などには時間がかかるため、1907年(明治40年)9月1日に上記勅令236号が施行された時点では、勅令の2条にあるように、札幌農学校を東北帝国大学農科大学(札幌区)へと改組するのみに留まった。札幌農学校は開学当初より学士号の授与が認められており、帝国大学とならぶ高等教育機関であったためである。このため、前身をもたない理科大学の建設が完了するまで、札幌の農科大学のみで運営することを前提とした東北帝国大学農科大学官制が施行され、勅令236号第4条にあるように、東北帝国大学総長の職務は農科大学学長(佐藤昌介)が代行することになったのである。

理科大学の建設資金には、日露戦争の好景気で財を成した古河財閥(現・古河グループ)や宮城県による寄付金等が用いられ、校舎の建設や実験機器・専門書の輸入などの準備がなされた。理科大学の教授候補として内定した者たちは、理科大学完成までの間、ヨーロッパ各地に留学し、留学中にフランスの首都パリに集まって教授会も開催した。

準備も整った1911年(明治44年)1月に理科大学が設置された(同月、九州帝国大学も創設)。開学式は1913年(大正2年)9月22日に挙行された。この他、1912年(明治45年)に仙台医学専門学校を包摂して医学専門部を設置。また、仙台高等工業学校を包摂して工学専門部を設置した。

仙台医学専門学校は、1872年(明治5年)設立の宮城県立医学所を母体とするものであり、東北大学医学部ならびに艮陵(ごんりょう)同窓会では、1872年(明治5年)を医学部開設年(母校創立の日)と定めている。かつては「養賢堂」から仙台藩医学校が分離された1817年を医学部創立の起点とする主張もあったが、今日では、医学系部局に関しては1872年を創立の起点として位置づけるのが一般的である。

1915年(大正4年)、医学専門部は生徒募集を停止し、東北帝国大学医科大学が設置された。新入生は医科大学、以前からの在校生は医学専門部のままという状態であったが、施設は双方とも仙台医学専門学校以来の施設を流用した。ただし、医科大学には新たに先行帝国大学の東京帝国大学卒・京都帝国大学卒の人材を教授として招聘した。1918年に医学専門部の最後の学年が卒業すると医学専門部は廃止された。そのため、医学専門部の一部の教授らは異動を余儀なくされ、他都市の医学専門学校へと移っていった。

大学令公布に伴う各帝国大学の分科大学制から学部制への改組に先立って、仙台市(理大・医大・工専)と札幌区(農大)に分かれている東北帝国大学の分科大学および専門部を各都市毎に分立させることになり、1918年、北海道帝国大学新設と同時に農科大学を移管した。

1919年(大正8年)、学部制に改組すると同時に東北帝国大学工学部が設置された(この時の学部構成は理学部、医学部、工学部、工学専門部)。工学専門部では、医学専門部と同様に廃止されるとの危惧から存続運動が起こった。結果的に工学専門部は、仙台高等工業学校以来の建物等を東北帝国大学工学部に譲り、別の土地に建物を新設して、元の仙台高等工業学校との名称で分離独立した(後に仙台工業専門学校と改称)。

1922年(大正11年)、法文学部が設置された。同学部は帝国大学の文系学部としては東京・京都に次いで3番目の設置であり、現在の文系4学部の礎をなす学部である。ちなみに、第二次世界大戦前の帝国大学では、北海道・大阪・名古屋以外の6大学(東京・京都・東北・九州・京城・台北)に文系学部が設置されていた。ただし、戦前に法学部、文学部、経済学部の分立設置が認められたのは東京・京都のみで、他の大学は法文学部(東北・九州・京城)や文政学部(台北)などの学際学部であった。

1947年(昭和22年)に東北帝国大学は「東北大学」に改称。1949年(昭和24年)に実施された学制改革に伴い、仙台市所在の官立学校(旧制第二高等学校、仙台工業専門学校、宮城師範学校、宮城青年師範学校)を統合。旧制宮城県女子専門学校を包括したうえで新制大学へと改組された。これら高等教育機関は、旧制第二高等学校が教養部へ、仙台工業専門学校が工学部と合流、両師範学校は教育学部へ、宮城県女子専門学校は農学部家政学科へとなった。家政学科は生活科学科と改称後、1960年(昭和35年)に廃止された。

1965年(昭和40年)、国立学校設置法改正を期に、師範学校の流れを汲む教育学部の教員養成系統が分立し、宮城教育大学が設置された。1967年(昭和42年)には、東北大学教育学部附属中学校・小学校および幼稚園を宮城教育大学に移管した。

1994年(平成6年)からは大学院重点化を開始した。また、2004年(平成16年)の国立大学法人化を期に、法科大学院、公共政策大学院、会計大学院の3つの専門職大学院を設置した。現在は青葉山新キャンパスの具体化やその他の改革を行っている。

創立以前[編集]

  • 1736年(元文元年) 仙台藩が藩校として養賢堂を設置。
  • 1760年(宝暦10年) 養賢堂で医学教育が開始される。
  • 1817年(文化14年) 養賢堂から仙台藩医学校を分離。
  • 1822年(文政5年) 仙台藩は仙台藩学校蘭科を開設し、日本初の西洋医学講座を実施。
  • 1869年(明治2年) 仙台藩医学校を施薬所と改称。
  • 1872年(明治5年) 東京府・芝の増上寺内に開拓使仮学校設置。仙台県が宮城県へと改称されたのに伴い、施薬所を母体に宮城県立医学所となる。同年中に宮城県立医学所は廃止され、共立病院附属学舎へと改組。
  • 1873年(明治6年) 共立病院附属学舎は共立義塾と改称ののちに解散、1872年に設立されていた共立病院附属塾舎と統合。
  • 1875年(明治8年) 北海道石狩国札幌郡札幌に開拓使仮学校札幌学校が発足する。
  • 1876年(明治9年) 開拓使仮学校札幌学校を札幌農学校と改称。7月にクラーク博士が教頭就任。8月14日札幌農学校開校式挙行。
  • 1878年(明治11年) 札幌農学校演武場(現在の札幌市時計台)が竣工。
  • 1879年(明治12年) 共立病院は同年中に仙台公立病院、宮城病院と順次改称、共立病院附属塾舎は最終的に宮城病院附属医学校へ改組
  • 1880年(明治13年) 宮城病院附属医学校を宮城医学校と改称(1881年に元の名称に戻るも1882年に再度宮城医学校となる)
  • 1887年(明治20年) 宮城医学校を母体に第二高等中学校医学部を設置。
  • 1886年(明治19年) 札幌農学校植物園が竣工。
  • 1894年(明治27年) 第二高等中学校は学制改革に伴い第二高等学校へ改組。佐藤昌介が札幌農学校校長に就任する。
  • 1901年(明治34年) 第二高等学校医学部を母体に仙台医学専門学校を設置。
  • 1907年(明治40年)4月 仙台高等工業学校が新設される。

東北帝国大学時代[編集]

  • 1907年(明治40年)
    • 6月22日 東北帝国大学設置の勅令が公布される(創立記念日)。
    • 9月 札幌農学校は東北帝国大学農科大学となる。同校校長佐藤昌介は農科大学長となり、1910年末までは総長としての職務も代行した。
  • 1911年(明治44年) 仙台市に本部・理科大学を設置。澤柳政太郎を初代総長として選出。
  • 1912年(明治45年)4月1日 仙台医学専門学校を包摂して東北帝国大学医学専門部、仙台高等工業学校を包摂して東北帝国大学工学専門部とする。
  • 1915年(大正4年) 医学専門部を母体に医科大学を設置。
  • 1918年(大正7年) 農科大学は、分離独立して北海道帝国大学(現在の北海道大学)となる。
  • 1919年(大正8年) 大学令公布に伴い、分科大学制を学部制へ改組。工学部を設置。
  • 1921年(大正10年) 工学専門部が、仙台高等工業学校として分離独立。
  • 1922年(大正11年) 法文学部を設置。
  • 1926年(大正15年) 工学部機械科の建物から出火。同科、電気科の教室など建物800坪が全焼。
  • 1936年(昭和11年) 創立25周年記念式典を開催。
  • 1939年(昭和14年) 臨時附属医学専門部を設置。
  • 1943年(昭和18年) 大学院特別研究生制度実施。

東北大学時代[編集]

  • 1947年(昭和22年) 農学部を設置。東北大学へと改称。
  • 1949年(昭和24年) 学制改革に伴い、仙台市所在の官立学校(第二高等学校、仙台工業専門学校、宮城師範学校、宮城青年師範学校)を統合し、宮城県女子専門学校を包括して新制大学へ改組。法文学部を法学部、文学部、経済学部へ改組。教育学部を設置。
  • 1953年(昭和28年) 大学院設置(文学研究科、教育学研究科、法学研究科、経済学研究科、理学研究科、工学研究科、農学研究科)。
  • 1955年(昭和30年) 大学院医学研究科設置。
  • 1957年(昭和32年) 進駐軍・川内キャンプ(旧仙台城二の丸)の跡地を取得し、川内キャンパスとする。
  • 1961年(昭和36年) 大学院薬学研究科設置。
  • 1964年(昭和39年) 教養部設置。
  • 1965年(昭和40年)
    • 歯学部を設置。教育学部の教員養成系統を宮城教育大学として分離。
    • 9月15日 - 朝から法学部、経済学部、教育学部、教養部の学生が授業放棄。午後から理学部、農学部、医学部の学生も同調。大学本部前で4000人規模の学生集会。
  • 1972年(昭和47年) 医学部を改組し、医学部薬学科を分離して薬学部を設置。大学院歯学研究科設置。
  • 1973年(昭和48年) 医学部を改組し、医療技術短期大学部を設置。
  • 1987年(昭和62年) 金属材料研究所を全国共同利用研究所に改組。
  • 1993年(平成5年) 教養部を廃止。大学院国際文化研究科、情報科学研究科設置。
  • 1994年(平成6年) 大学院各研究科の重点化を開始。大学院医学研究科を大学院医学系研究科へ名称変更。
  • 1995年(平成7年) 電気通信研究所を全国共同利用研究所に改組。
  • 2001年(平成13年) 大学院生命科学研究科設置。
  • 2002年(平成14年) 大学院教育情報学教育部・研究部設置。
  • 2003年(平成15年) 大学院環境科学研究科設置。医療技術短期大学部を医学部保健学科へ改組。
  • 2004年(平成16年) 国立大学法人法の規定により国立大学法人へ改組。大学院法学研究科を改組、法科大学院(総合法制専攻)、公共政策大学院(公共法政策専攻)設置。
  • 2005年(平成17年) 大学院経済学研究科を改組、会計大学院(会計専門職専攻)設置。
  • 2006年(平成18年)
    • 薬学部を改組し、創薬科学科(4年制-研究者養成)と薬学科(6年制-薬剤師養成)を設置。
    • 青葉山県有地を宮城県から購入。青葉山新キャンパスとして整備を開始。
  • 2007年(平成19年) 創立100周年。公式ロゴマークおよび公式カラーを制定。
  • 2008年(平成20年)10月 東北大学記念講堂(川内記念講堂)および松下会館を東北大学百周年記念会館(通称「川内萩ホール」)として改修。
  • 2009年(平成21年)4月 日本国内では初となる医工学研究科を設置
  • 2012年(平成24年)1月 東北大学が運営を委託された大学入試センター試験気仙沼会場にて、事前確認の不徹底により、英語リスニング試験に使用するICプレーヤーが200個不足するミスが発生し、到着して試験開始するまで受験生を2時間も待たせた失態が発生。
  • 2015年(平成27年)4月 知財功労賞(経済産業大臣表彰)を受賞。
  • 2017年(平成29年)6月 指定国立大学法人に認可された。
  • 2018年(平成30年)11月 『東北大学ビジョン2030』を発表。
  • 2021年(令和3年)4月 グリーン未来創造機構を設置。


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