東京電力ホールディングス
東京電力ホールディングス株式会社(とうきょうでんりょくホールディングス、英: Tokyo Electric Power Company Holdings, Incorporated)は、電力事業を行う企業グループである東京電力グループの事業持株会社である。自社で原子力発電事業や原子力損害に対する賠償・除染事業を行っている。1951年に設立された東京電力株式会社が、電気事業法の一部改正によって、2016年(平成28年)4月1日から施行される家庭用電力の小売り全面自由化に対応するため、同年同日に持株会社体制へ移行して社名変更した。日経平均株価の構成銘柄の一つ。
略称は東京電力、東電(とうでん)や東京電力HD、または商号の英文表示の頭文字からTEPCO(テプコ)が用いられている。東証プライム上場企業である。
会社概要[編集]
福島第一原子力発電所事故の復旧および損害賠償のために、日本国政府による公的資金が注入され、認可法人である原子力損害賠償・廃炉等支援機構が議決権の過半数超(潜在的には3分の2超)を有する大株主となっている。同機構は実質的に国の機関であり、当社は同機構を介して国有企業化され、日本国政府の管理下にある。
1883年(明治16年)に設立された東京電燈が始まりとなる。その後、大日本帝国による国策により、第二次世界大戦直前の1939年(昭和14年)4月、発電および送電設備が、半官半民の企業であった日本発送電の管轄となり、さらに太平洋戦争直前の1941年(昭和16年)8月には首都圏における送電事業が関東配電に移管させられた。太平洋戦争終結後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による再編命令が下され、1950年(昭和25年)11月24日にGHQがポツダム命令を発したことで電気事業再編成令と公益事業令が公布され、1951年(昭和26年)5月1日、関東配電の営業地域を引き継ぐ形で発足した。
1951年(昭和26年)の設立以来、現在に至るまで、自社または子会社の一般送配電事業者としての送配電区域に自社の保有する原子力発電所を置かない電力会社として知られる。また、複数の都道府県を営業区域とする一般電気事業者としては日本で唯一、都道府県名を社名に使用していた。
商用電源周波数は、東京電燈がドイツ帝国から輸入した50Hz仕様の発電機を採用し、その後に至るまで、東京電力管内では50Hzでほぼ統一されている。ただし、群馬県甘楽郡および吾妻郡では60Hzとなっている。
創立60周年となる2011年(平成23年)3月11日時点で、同社のコーポレートスローガンは「いつもの電気、もっと先へ。」であった。そして、持株会社体制となった2016年(平成28年)4月1日より(創立65周年)、グループ全体の新ブランドスローガンとして「挑戦するエナジー。」が導入された。
なお、第二次世界大戦以前に存在し、のちに東京電燈(関東配電などの前身)に合併された東邦電力子会社の「東京電力」は、同名異企業である。
株主[編集]
2012年7月31日に、原子力損害賠償支援機構(現 原子力損害賠償・廃炉等支援機構)が、A種優先株式(転換権付有議決権)16億株、B種優先株式(転換権付無議決権)3億4000万株を1兆円で取得し、議決権ベースで50.11%を有する筆頭株主、および親会社以外の支配株主となった。B種優先株式には、同株式1株をA種優先株式10株に転換する権利が付与されており、原子力損害賠償・廃炉等支援機構は潜在的には総議決権の3分の2超(約75%)の議決権を確保している。この第三者割当による既存株式の希釈率は約2千パーセント(議決権ベースで100.43%)であったが、東京証券取引所への上場は維持されている。
支配株主となった原子力損害賠償・廃炉等支援機構は、官民共同出資で設立されているが、特別の法律に基づく認可法人であり、理事長と監事の任命権は内閣が有しており、運営委員会委員や廃炉等技術委員会委員・副理事長・理事の任命には、日本国政府の認可が必要である。副理事長は元警察官僚(元警視総監)、5名の理事のうち常勤の2名は、財務省と経済産業省から出向のキャリア官僚、1名は独立行政法人(国立研究開発法人日本原子力研究開発機構、旧動燃)の元役職員である。
同機構による東京電力への出資金(1兆円の優先株引き受け)や、10兆円強におよぶ資金援助の原資は、日本国政府が交付もしくは日本国政府保証により同機構が借り入れたものであり、同機構は管理運営・財政において実質的に国の機関である。したがって、東京電力は同機構を介して半国有化され、日本国政府の管理下にある。経済産業省から同機構に出向のキャリア官僚(経産省課長級、同機構連絡調整室長)が当社の取締役指名委員会委員および執行役会長補佐兼社長補佐兼営業企画担当(共同)に就いている。
当社は「国が直接又は間接に補助金などを交付し、又は貸付金などの財政援助を与えているもの」および「国が資本金を出資したものが、更に出資しているもの」として、会計検査院の選択的検査対象である。
歴史[編集]
- 1951年
- 5月1日 - 松永安左エ門(電気事業再編成審議会委員長)のGHQへの説得による、国会決議より効力が強いGHQポツダム政令を元に、戦時統合によって発足した関東配電と日本発送電を再編して、東京電力株式会社設立。
- 8月24日 - 東証1部に上場。
- 1953年11月18日 - 東京電力初の石炭火力発電所、潮田火力発電所3号機が運転開始。
- 1955年1月6日 - 戦後初の新設石炭火力発電所、鶴見火力発電所(鶴見第二火力発電所)1号機が運転開始。
- 1956年2月13日 - 戦後初の大規模石炭火力発電所、新東京火力発電所1号機が運転開始(のちに石油専焼に転換)。
- 1957年4月20日 - 石炭火力発電所、千葉火力発電所1号機が運転開始(のちに石油専焼に転換)。
- 1959年8月18日 - 千葉火力発電所4号機完成で火力発電の出力が水力発電を上回る(火主水従へ)。
- 1960年
- 3月25日 - 石炭火力発電所、品川火力発電所1号機が運転開始(のちに石油専焼に転換)。
- 10月15日 - 石炭火力発電所、横須賀火力発電所1号機が運転開始(のちに石炭・石油混焼を経て石油専焼に転換)。
- 1961年7月5日 - 石炭火力発電所、川崎火力発電所1号機が運転開始(のちにナフサを経てLNGに転換)。
- 1962年8月31日 - 東京電力初の重油専焼火力発電所、横浜火力発電所1号機が運転開始(のちに石油・LNG混焼に転換)。
- 1963年1月6日 - 石油火力発電所、五井火力発電所1号機が運転開始(のちにLNG専焼に転換)。
- 1964年2月29日 - 千住火力発電所廃止。
- 1965年
- 9月28日 - 第一次長期公害対策開始。
- 12月10日 - 東京電力初の揚水発電所、矢木沢発電所2号機が運転開始。
- 11月26日 - 都市配電近代化対策委員会設置。
- 1967年12月 - 石油火力発電所、姉崎火力発電所1号機が運転開始(のちに石油・LNG混焼に転換)。
- 1970年4月 - 世界初のLNG専焼火力発電所、南横浜火力発電所2号機が運転開始。
- 1971年
- 3月19日 - 石油火力発電所、鹿島火力発電所1号機が運転開始。
- 3月26日 - 東京電力初の原子力発電所、福島第一原子力発電所1号機が運転開始。
- 8月5日 - 石油火力発電所、大井火力発電所1号機が運転開始。東京電力初の超低硫黄ミナス原油を使用。
- 1972年7月28日 - 本社社屋を現社屋に移転。
- 1973年 - 潮田火力発電所廃止。
- 6月16日 - 国内炭専焼火力としては最後となる新東京火力発電所が重油専焼火力に転換。
- 11月5日 - エネルギー危機に対して緊急節電を要請。8日には22時以降のネオン消灯を呼びかけ。
- 1974年
- 1月16日 - 電気使用制限が実施される。
- 8月1日 - LNG火力発電所、袖ケ浦火力発電所1号機が運転開始。
- 9月 - 日本で初めて単体出力100万kWを達成した鹿島火力発電所5号機が運転開始。
- 1975年
- 5月17日 - 新福島変電所新設。
- 6月 - 全火力発電所にNOx(窒素酸化物)計測器設置。
- 1977年
- 6月30日 - 省エネルギーセンター設立。
- 9月6日 - 銀座にお客様相談室開設。
- 1978年
- 3月24日 - 光ファイバー通信システムの運用開始(京北〜鳩ヶ谷)。
- 9月1日 - ワシントン事務所開設。
- 11月2日 - 福島第一原子力発電所3号機の制御棒が操作ミスより5本脱落し、日本初の部分的臨界トラブルとなる。
- 1979年11月21日 - 省エネルギーモデルビル完成(大塚支社)。
- 1980年4月18日 - 石油火力発電所、広野火力発電所1号機が運転開始。
- 1981年
- 7月16日 - 最大電力3000万kW突破。
- 9月11日 - 新高瀬川発電所全竣工。最大出力128万kW。ダム水路式揚水発電所。
- 1982年
- 4月1日 - ロンドン事務所開設。
- 4月20日 - 福島第二原子力発電所1号機運転開始。
- 1983年4月1日 - 東京・光が丘パークタウンで地域熱供給開始。
- 1984年4月1日 - お客さまの声をサービス向上に生かす「エコー・システム」発足。
- 6月30日 - 鶴見火力発電所廃止。
- 7月2日 - 広野火力発電所2号機で初の国産天然ガス(磐城沖ガス田)の使用開始。
- 11月3日 - 電力館公開開始。
- 11月26日 - 横須賀火力1号機でCOM試験使用開始。
- 1985年
- 9月18日 - 柏崎刈羽原子力発電所1号機運転開始。
- 10月30日 - 「電気プラザ・ヨコハマ」公開開始。
- 12月 - 東京電力初のコンバインドサイクル発電方式を採用した富津火力発電所1号系列第1軸が運転開始。
- 1986年
- 3月23日 - 暴風雪により送電鉄塔が損壊。大規模な停電が発生。
- 5月22日 - 地域雷観測レーダー網完成。
- 7月4日 - 玉原発電所全竣工。最大出力120万kW。ダム水路式揚水発電所。
- 1987年
- 4月22日 - 東京証券取引所において株価が9,420円と、東京電力上場来の最高値を記録した。
- 5月26日 - 大井火力発電所爆発事故。中央部の第二原油サービスタンクが爆発・炎上した。この火災で作業員4名が死亡。作業員1人が全身やけどの重傷、消防士1人が負傷した。
- 7月23日 - 首都圏大停電発生。猛暑による急速な電力需要の伸びに供給が追いつかず、電力供給停止となった大規模な停電事故。
- 9月18日 - LNG火力発電所、東扇島火力発電所1号機が運転開始。
- 10月1日 - コーポレートアイデンティティ導入。設立時から使われていた社章「かみなりマーク」を廃止し、新しい社章(丸を並べてアルファベットの「T」を表したもの:作者・永井一正)と、コーポレートシンボル「TEPCO」が導入された。また、これと同時に社名ロゴタイプも変更し、文字が細いタイプと文字が太いタイプの2種類があり、用途によって使い分けている。
- 10月1日 - コンビニエンスストアで電気料金収納始まる。
- 1988年
- 4月9日 - 大宮ソニックシティに「TEPCO SONIC」開業。
- 4月12日 - 原子力本部に原子力センターを設置。
- 11月10日 - 富津火力発電所1・2号系列完成。
- 1989年6月29日 - 社内に広報部を設置。
- 1990年
- 4月1日 - テプコケーブルテレビが開局。
- 5月21日 - 緊急需給対策本部を設置。
- 1991年
- 8月29日 - 新東京火力発電所廃止。跡地には、豊洲ガスタービン発電所が建設された。
- 10月24日 - 銀座支店、川崎支社、鶴見支社に電気自動車45台導入。
- 12月20日 - 今市発電所全竣工。最大出力105万kW。ダム水路式揚水発電所。
- 1993年
- 7月24日 - TEPCO新エネルギーパーク公開開始。
- 12月1日 - 全国初の地下水を利用した地域熱供給事業を高崎市中央地区で開始。
- 1994年
- 7月7日 - 五井火力発電所6号機において、ガスタービン発電設備を追加、排気再燃型コンバインドサイクル発電方式に改良し運転開始。
- 8月2日 - フランス電力公社を抜いて公益事業分野では世界最大へ(米経済誌フォーチューン発表)。
- 10月3日 - 技術開発センターが竣工。
- 1995年5月19日 - 世界最大出力の新野田変電所完成(786万kvA)。
- 1996年
- 6月18日 - 姉崎火力発電所ボイラー破損事故。6号機のボイラーが破損事故を起こし停止、1999年2月に運転を再開した。
- 6月20日 - 東京電力初の1300℃級ACCを採用した横浜火力発電所7号系列第4軸が運転開始。国内事業用火力としては初めてガスタービンの起動にサイリスタ起動方式を採用。
- 10月10日 - TEPCO銀座館公開開始。
- 1997年7月2日 - 柏崎刈羽原子力発電所7号機が運転開始。全号機が完成。発電出力(821.2万kW)で世界最大の原子力発電所となる。
- 1998年1月22日 - 横浜火力発電所7・8号系列完成。
- 1999年
- 3月25日 - 東京電力初の地熱発電・八丈島地熱発電所が運転開始。
- 8月11日 - ソフトバンク・マイクロソフトとともに高速インターネット接続会社スピードネットを設立。
- 2000年
- 3月 - 改正電気事業法が施行され、電力小売自由化スタート。
- 3月31日 - 東京電力初の事業用風力発電・八丈島風力発電所が運転開始。
- 6月15日 - 千葉火力発電所1・2号系列完成(旧設備は1999年3月に廃止)。
- 11月21日 - 豊洲ガスタービン発電所廃止。跡地には、地下式では世界初の50万ボルト変電所である新豊洲変電所が建設された。
- 2001年7月24日 - 過去最大の電力供給量6430万kWを記録する。なお、記録的猛暑であった2010年夏の最大電力供給量は5999万kW。
- 2002年8月29日 - 東電原発データ改竄事件で過去の点検記録に、改竄・隠蔽があったことを公表(福島第一原子力発電所の定期点検で、異常があったので隠蔽しようとし、会長荒木浩・社長南直哉が引責辞任)。これが契機として、原子力発電所における設備の維持基準が制定されることとなった。
- 2003年
- 8月20日 - 品川火力発電所1号系列完成(旧設備は1996年3月に廃止)。
- 11月13日 - 富津火力発電所3号系列完成。
- 12月12日 - 東京電力所有の石炭専焼火力としては30年ぶりとなる常陸那珂火力発電所1号機が運転開始。
- 2004年4月 - オール電化住宅の普及促進に向け、Switch!キャンペーンを開始。
- 2005年 - 水力発電専用の上野ダム・南相木ダム・揚水発電用の発電所の 神流川発電所が供用開始。
- 2006年8月14日 - 2006年8月14日首都圏停電発生。旧江戸川を航行中のクレーン船のアームが高圧架線に触れ、電線を切断される被害を受けた。この事故により約139万世帯が停電したほか、交通や通信にも影響が出た。
- 2007年
- 6月15日 - 日本初の1500℃級MACCを採用した川崎火力発電所1号系列第3軸が運転開始。
- 7月16日 - 新潟県中越沖地震により柏崎刈羽原子力発電所の運転を停止。これに伴い9月中旬まで節電の要請活動をビル、工場、一般顧客等に展開。8月22日に最大電力が6147万kWを記録するも他電力会社からの応援融通、緊急時調整契約の発動、揚水発電所である塩原発電所の緊急稼動等により停電を回避。
- 2008年7月末 - サービスエリア内のオール電化住宅の採用戸数が累計50万戸を突破。
- 2009年
- 2月5日 - 川崎火力発電所1号系列完成(旧設備は2006年3月に廃止)。
- 3月27日 - 富津火力発電所と東扇島火力発電所のLNG基地間をつなぐ東西連係ガス導管の運用を開始。
- 2010年
- 6月 - 福島第一原子力発電所2号機の外部電源への自動切換に不具合が発生し、電源源喪失事故に発展。
- 8月末 - サービスエリア内のオール電化住宅の採用戸数が累計80万戸を突破。
- 10月5日 - 富津火力発電所4号系列完成。火力発電所としては中部電力の川越火力発電所を抜き国内最大、世界第3位の発電量(504万kW)となる。
東日本大震災以降[編集]
- 2011年
- 3月11日(金曜日) - 東北地方太平洋沖地震(震災名:東日本大震災)およびこれに伴う津波被害により、運営する発電所の多くが被災する(2原発・8火力・18水力)。さらに福島第一原子力発電所・福島第二原子力発電所が運転停止し、津波による浸水で、福島第一原子力発電所の非常用発電機が停止し停電、沸騰水型原子炉に注水ができなくなる事態となる『福島第一原子力発電所事故』が発生し、3月12日・3月14日に、原子炉建屋が水素爆発で建物や原子炉が破壊される事故が発生した。
- 後日、炉心溶融により、国際原子力事象評価尺度『レベル7』に相当する、放射性物質漏れを伴う重大事故になる。
- 3月13日(日曜日) - 震災の影響で多くの発電所が運転停止したことで、電力需要に対して電力供給量が不足する事態となったため、21時に明日14日(月曜日)より計画停電を開始する緊急の記者会見が発表された。発表直後に公式ウェブサイトにアクセスが集中、輻輳により周知不足につながった。
- 3月14日(月曜日) - 同日以降1都8県(東京都区部では荒川区・足立区のみ対象)で計画停電を開始。鉄道の運休や間引き運転を実施したため、周知不足により鉄道利用者や千葉県や茨城県の被災地に混乱が生じる。その後同年4月8日には、電力供給量が安定したことと、電力消費量が減少しつつあるものとして、同年6月3日まで「計画停電は原則として実施しない」旨を発表した。
- 4月5日 - 東京証券取引所で、株価が1951年12月11日に付けた上場来安値393円を約59年ぶりに下回った。
- 4月25日 - 全ての役員報酬を40〜50%、管理職の年俸を約25%、一般社員の年収を約20%、それぞれ削減すると発表した。削減額は年間で計540億円となる。役員の報酬削減の内訳は会長、社長、副社長、常務の取締役計20人が報酬の50%、執行役員29人は40%。4月から当面の間削減する。管理職以下は7月から実施する。
- 5月20日 - 2011年3月期の決算概要を発表した。前年比約3500億円の増収、経常ベースでは約1100億円の増益となったが、特別損失として、約1兆7000億円を計上し、当期純損益は約1兆2000億円の最終赤字となった。この金額は、金融機関を除く事業会社において、過去最大の数字とのこと。また、役員人事として、同年6月28日の定時株主総会の承認を前提に、取締役社長の清水正孝、取締役副社長の武藤栄らが退任することが発表された。
- 8月10日 - 東京電力初の事業用太陽光発電・浮島太陽光発電所が運転開始。
- 3月11日(金曜日) - 東北地方太平洋沖地震(震災名:東日本大震災)およびこれに伴う津波被害により、運営する発電所の多くが被災する(2原発・8火力・18水力)。さらに福島第一原子力発電所・福島第二原子力発電所が運転停止し、津波による浸水で、福島第一原子力発電所の非常用発電機が停止し停電、沸騰水型原子炉に注水ができなくなる事態となる『福島第一原子力発電所事故』が発生し、3月12日・3月14日に、原子炉建屋が水素爆発で建物や原子炉が破壊される事故が発生した。
- 2012年
- 1月 - 世界で最も社会的に無責任な企業を選ぶパブリックアイ賞(通称:世界最悪企業賞)で2位入賞。投票レースでずっとトップを走っていたが、投票直前になってヴァーレ票が急追し2位になったため、「何らかの組織票が動いたのではないか」と指摘する声もある。
- 3月 - 2012年4月より事業者向け電気料金を平均17%引き上げる方針。家庭向けの電気料金を2012年7月にも10%値上げする方向で調整することを申請。
- 3月末時点で、第一生命保険と日本生命保険が、東電の株券を売却したため、東京都が大株主になった。
- 6月27日 - 原子力損害賠償支援機構を割り当て先とする優先株式を発行し、同機構を介して日本国政府から1兆円の公的融資の注入を受けることを株主総会で承認。7月31日に原子力損害賠償支援機構が50.11%の議決権を取得、実質的に国有企業化された。
- 7月18日 - 東京株式市場で株価が120円と上場来最安値を記録。
- 7月31日 - ブラック企業大賞の『大賞』を受賞した。
- 11月 - 東日本大震災の影響で発生した、福島第一原発関連の事故に関係する賠償や除染を万全の体制で行うことを目的に、こうした業務を担う本社機能を全面的に福島県内に移し、新しく「福島本社」(仮称)と位置づけて、東京本店の副社長級の幹部をはじめ、数百人を東京から異動させ、これまで賠償の実務に当たってきた社員らを含め、4000人超規模とする方針を固め、調整を進めていることにが明らかとなった。
- 2013年
- 1月1日 - 福島県双葉郡(広野町と楢葉町にまたがる)のJヴィレッジ内に「福島復興本社」を開設(代表・石崎芳行。業務開始は1月4日より)。
- 2月1日 - 川崎火力発電所2号系列第1軸(50万kW)が運転開始。震災後初となる大型火力。
- 5月15日 -「原子力安全監視室」を設置して、元イギリス原子力公社 安全・保証担当役員のジョン・クロフツを室長にした。
- 9月27日 - 原子力規制委員会に対し柏崎刈羽原子力発電所6・7号機の安全審査を申請。広瀬直己社長は、たとえ(柏崎刈羽原発の)再稼動が遅れたとしても、経費削減によって経常損益の黒字化は達成可能と発表した。
- 9月28日 - 広瀬直己社長は福島第一原発5号、6号を廃炉にすると発表。5号6号の設備を廃炉センターとして有効活用する計画を明らかにした。
- 2015年
- 4月1日 -「新潟本社」を設立。柏崎刈羽原発、信濃川電力所との連携体制を築く。
- 4月30日 - 中部電力株式会社と火力発電事業を統合し、合弁会社株式会社JERAを設立。
- 2016年
- 1月12日 - 家庭用電力小売全面自由化に向けて、ソフトバンクと提携し「ソフトバンクでんき」を発表。同年4月1日から東電・中部電力・関西電力エリアで提供開始。持株会社発足後の提供開始であるため、東電側は「東京電力エナジーパートナー」が担当する(2017年1月31日を以て中電・関電エリアでの新規契約受付終了)。
- 3月7日 - 福島復興本社がJヴィレッジ内から双葉郡富岡町の浜通り電力所内に移転。
- 2020年10月26日 - 福島復興本社が富岡町から双葉町産業交流センター内に移転。
持株会社体制移行後[編集]
- 2016年
- 4月1日 - 電力自由化に際し、持株会社体制に移行し東京電力ホールディングス株式会社に商号変更。燃料・火力発電事業は東京電力フュエル&パワー株式会社、送配電事業は東京電力パワーグリッド株式会社、小売電気事業は東京電力エナジーパートナー株式会社がそれぞれ承継した。3代目コーポレートシンボル導入。ただし「東京電力パワーグリッド」は、送配電事業の中立性を担保するため、他の持株会社や2つの事業会社とは異なる独自商標を使用。なお、イメージカラーはグループ共通の赤色である。
- 電力完全自由化により、東京電力管内の顧客は東京電力エナジーパートナー以外の電力をスイッチングで自由調達出来る様になったため、東電から新電力への顧客流出が続く。
- 9月26日 - 火力発電分野においてモノのインターネットを利用した運転監視系統を共同開発し、導入することをゼネラル・エレクトリックと合意。すでに原子力損害賠償・廃炉等支援機構の債務処理について限界が主張されており、この合理化は解決策として市場でも理解されている[要出典]。しかし、モノのインターネットは個人情報漏洩が心配されており、また一方で原子力発電所の安全装置に使用されていたものが5時間近く停止するなど数々のトラブルを引き起こしている。
- 10月25日 - 経済産業省東京電力改革・1F問題委員会(委員長:伊藤邦雄一橋大学特任教授)は福島第一原子力発電所関連以外の原発事業の分社化を提言した。
- 4月1日 - 電力自由化に際し、持株会社体制に移行し東京電力ホールディングス株式会社に商号変更。燃料・火力発電事業は東京電力フュエル&パワー株式会社、送配電事業は東京電力パワーグリッド株式会社、小売電気事業は東京電力エナジーパートナー株式会社がそれぞれ承継した。3代目コーポレートシンボル導入。ただし「東京電力パワーグリッド」は、送配電事業の中立性を担保するため、他の持株会社や2つの事業会社とは異なる独自商標を使用。なお、イメージカラーはグループ共通の赤色である。
- 2019年
- 9月 - 令和元年房総半島台風(台風15号)により千葉県を中心に長期大規模停電が発生。
- 10月1日 - 東京電力リニューアブルパワー株式会社を設立し、再生可能エネルギー発電及び関連事業を同社に承継。イメージカラーは緑色である。
- 2022年
- 3月 - 原子力部門の一部を新潟県に移転する事を発表。
- 8月1日 - 株式会社ユーラスエナジーホールディングスの全保有株式を豊田通商株式会社に譲渡。
- 11月1日- 傘下の東京電力リニューアブルパワーは、浮体式洋上風力事業を行うイギリスのフローテーション・エナジーを買収すると発表した。
- 2028年度 - 本社社屋一帯が内幸町一丁目地区再開発の南街区として地上43階、高さ230mの超高層ビルに建替え。
発電施設[編集]
- 各発電所は、東京電力ホールディングス本店にある中央給電指令所からの指令で運転しており、その運転出力指令値や運転モードの信号の送信と、出力値や発電電力量の記録などの送受信のため、本店には多数のパラボラアンテナが設置された鉄塔が建てられている。
- JR東日本 有楽町駅と新橋駅の間の西側線路沿いに建物がある。
- 総出力には長期計画停止中、定期点検中の号機を含む。廃止された号機、建設中の号機は含まない。
原子力発電所[編集]
2箇所(建設中1箇所)、821万2000kW(2019年8月1日現在)
いずれも沸騰水型原子炉の系譜に連なる(東京電力初の原子炉に沸騰水型が採用された経緯も参照)が、1980年代にK-PWR(加圧水型原子炉の一種)の採用を検討したこともある。東日本大震災以後、全原子力発電所が発電中止となっている。
発電所名 | 原子炉型式 | 総出力(kW) | 号機 | 出力(kW) | 運転開始 | 所在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
東通原子力発電所 | 改良型沸騰水型軽水炉 | 277万
(予定) |
青森県下北郡
東通村 |
1号機は建設中(中断中)
2号機は計画中だが建設未定 2018年8月28日本格的な地質調査を開始。 | |||
柏崎刈羽原子力発電所 | 沸騰水型軽水炉
改良型沸騰水型軽水炉 |
821.2万 | 1号機
2号機 3号機 4号機 5号機 6号機 7号機 |
110万
110万 110万 110万 110万 135.6万 135.6万 |
1985年9月18日
1990年9月28日 1993年8月11日 1994年8月11日 1990年4月10日 1996年11月7日 1997年7月2日 |
新潟県
刈羽郡刈羽村 |
原子力発電所における事故[編集]
稼働する全ての原子力発電所で火災、放射性物質漏れ、臨界といった事故が発生している。スリーマイル原子力発電所事故に対する東京電力の対応のように、他の原子力事故を受けて対策を強化する例も見られたが、2011年(平成23年)3月11日に発生した福島第一原子力発電所事故は炉心溶融を伴い、原子炉建屋が水素爆発で破壊され、大規模な放射性物質漏れを起こす大事故となった。
この影響で、福島第一原子力発電所で進められていた増設計画も中止された(詳細は福島第一原子力発電所7、8号機の増設計画の経緯を参照)。また福島県庁の復興計画では『原子力に依存しない安心安全の福島県』を基本理念にして、福島県内にある福島第二原子力発電所の全基廃炉を求めている。
原発事故の反省と総括[編集]
2013年(平成25年)3月29日、「経済性を最優先するあまり、原発という特別なリスクを扱う会社でありながら、経営層のリスク管理に甘さがあった」「事前の備えが十分であれば防げた事故だった」とする、事故への総括と改革プランが、東京電力の改革監視委員会で了承された。
改革プランでは、原発のリスクを公表する「リスクコミュニケーター」という専門の担当を設けることや、緊急時の指揮命令系統において、1人の責任者が管理する人数を最大7人以下に制限することなど、提言が盛り込まれた。しかし、原子力発電所への社会の理解を得られる見通しは、全く立ってない。
電源調達入札制度について[編集]
- 1995年(平成7年)の電気事業制度改革において電源調達入札制度が創設され、卸供給事業者(IPP・独立系発電事業者)11社と供給契約を結んでいる。
12箇所、238万8600kW
卸供給事業者 | 契約電力(kW) | 供給開始 | 所在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|
日立造船(茨城発電所) | 10.27万
10.9万 |
1999年6月
2006年6月 |
茨城県常陸大宮市 | |
日立製作所(臨海発電所) | 10.28万
8.61万 |
2000年6月
2006年6月 |
茨城県日立市 | |
住友金属工業(鹿島火力発電所) | 47.5万 | 2007年6月 | 茨城県鹿嶋市 | 現:日本製鉄 2号機(64.5万kW)計画中 |
川崎製鉄(千葉クリーンパワーステーション) | 38.18万 | 2002年6月 | 千葉県千葉市 | 現:JFEスチール |
東亜石油(水江発電所) | 23.8万 | 2003年6月 | 神奈川県川崎市川崎区 | |
昭和電工(川崎事業所) | 12.42万 | 1999年6月 | 神奈川県川崎市川崎区 | 現:レゾナック・ホールディングス |
日石三菱石油精製(横浜製造所) | 4.85万 | 2000年6月 | 神奈川県横浜市神奈川区 | 現:ENEOS |
新日本石油精製(根岸製油所) | 34.2万 | 2003年6月 | 神奈川県横浜市磯子区 | 旧:日石三菱石油精製
現:ENEOS |
トーメンパワー横須賀(横須賀パワーステーション) | 20.2万 | 2006年6月 | 神奈川県横須賀市 | 現:エフビット横須賀パワー。運営は東京発電に委託。 |
荏原製作所(藤沢工場) | 6.4万 | 1999年6月 | 神奈川県藤沢市 | |
トーメンパワー寒川(寒川パワーステーション) | 6.55万 | 1999年6月 | 神奈川県高座郡寒川町 | 運営は東京発電に委託。 |
ポリプラスチックス(富士工場) | 4.7万 | 2000年6月 | 静岡県富士市 |
- 事業者名はいずれも契約当時。
関連会社[編集]
以下は2020年4月1日時点の企業。
現存する企業[編集]
主な連結子会社[編集]
- 東京電力フュエル&パワー
- 東京電力パワーグリッド
- 東京電力エナジーパートナー
- 東京電力リニューアブルパワー
- テプコシステムズ
- テプコ・リソーズ
- 東電不動産
- 東電タウンプランニング
- 東京パワーテクノロジー
- 東電設計
- 東電物流
- 東電ハミングワーク
- 東京電設サービス
- 東京発電
- 東電パートナーズ
- 東設土木コンサルタント
- 東京レコードマネジメント
- ファミリーネット・ジャパン
- 南双サービス
- 日本ユーティリティサブウェイ
- プロジェクト開発
- バイオ燃料
- TEPCO光ネットワークエンジニアリング
- 東電用地
- 東双不動産管理
- HPキャピタル
- ハウスプラス住宅保証
- ハウスプラス確認検査
- 当間高原リゾート(ベルナティオ)
- 日本ファシリティ・ソリューション
- 日本自然エネルギー
- テプコ・リソーシズ社
- トウキョウ・エレクトリック・パワー・カンパニー・インターナショナル社
- テプコ・オーストラリア社
- TEPCOトレーディング
- リサイクル燃料貯蔵
- 東電フュエル
- TRENDE
- 川崎スチームネット
- 森ケ崎エナジーサービス
主なその他関連会社[編集]
- 東京エネシス
- 日本原子力発電
- 新日本ヘリコプター
- 日本原子力防護システム
- TLC
- JERA
- 君津共同火力
- 鹿島共同火力
- 相馬共同火力発電
- 常磐共同火力
- 関電工
- Orion Power Holdings(リライアント・エナジー子会社)
- Nuclear Innovation North America LLC(NRG Energy 子会社)
- Opower
- 東光高岳
- アット東京
- 日本原燃
- 石炭資源開発
- セルト
- 東京都市サービス
- 東光東芝メーターシステムズ
- THEパワーグリッドソリューション
- 日立システムズパワーサービス
- 日立熱エネルギー
- 原宿の杜守
売却[編集]
福島第一原子力発電所事故の賠償金を捻出するために、愛知県名古屋市中区の賃貸マンションを売却。KDDI、リビタ、関東天然瓦斯開発の株式を売却した。
東電ライフサポートを大和ハウス工業に売却。
2012年7月27日、総合グラウンドを杉並区に売却。
2013年8月28日、銀座支社本館を読売新聞グループ本社および読売新聞東京本社に売却が決定。解体跡地には、読売並木通りビルが建設され、メインテナントとして無印良品銀座店が入居した。
2014年3月、東京電力病院を閉鎖し、跡地を東京建物に売却。
統合[編集]
東電工業、東電環境エンジニアリング、尾瀬林業を「東京パワーテクノロジー」に統合させる。
東電ホームサービスをティー・オー・エスに統合し、社名を「テプコカスタマーサービス」に変更し、東電ホームサービスと東電広告を「東電タウンプランニング」に統合する。
コーポレートスローガン[編集]
- 「明日をひらくエネルギー」(1987〜2001.10)
- 「前へ。先へ。あなたへ。SMILE ∞ ENERGY 」(2001.10〜2010.9)
- 「いつもの電気、もっと先へ。」(2010.9〜2011.3.11)
- 「挑戦するエナジー。」(2016.4〜)
主な提供番組[編集]
当然のことながら、いずれの番組も上記テリトリーのみでの提供であった。同一県内で複数の電力会社のエリアとなっている静岡県では、他社(中部電力)との共同提供や共同制作CMも放送された。ただしBSデジタル放送の民放各局で同社が提供していた番組は、全国での視聴が可能であった。
イメージキャラクターとして、でんこちゃんが安全・省エネを呼びかけるCMが有名であった。その他の企業CMにおいては後述の出演者による作品が放送されていた。
広報用CM(インフォマーシャル形式)としては長らく、60秒形式の「TEPCOインフォメーション」(担当:岸ユキ→生田智子)が放送されていたが、2006年10月からは30秒形式の「東京電力 for you」(担当:辛島小恵)に変更された。
なお、東京電力の発電所が置かれている地域 では発電所の広報を目的とした独自のCMが放送されていた。特に青森・新潟・福島の3県では原子力発電への理解を求める内容で、東北電力と共同でのCMも存在し、青森県の視聴者が多い岩手めんこいテレビでも放送の実績があった。
東京電力は、年間220億円以上の広告費を使用してきたと言われる。2010年度の広告費は269億円であり、関東地方でしか電気を売らないのにもかかわらず、全国の広告費上位ランキングで10位に入っていた。
2011年3月時点の提供番組[編集]
2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴い、2012年2月現在、以下の番組では既にスポンサーから降板した(一部に放送を休止している番組もある)。 また該当する番組では、提供クレジット表示を行わないのに加え、同社の通常のCMの放送に替えて、ACジャパンの公共広告CMの放映、ならびに同社からの福島第一原子力発電所事故と、その影響による計画停電についてのお詫び、および同社から全需要家に対する節電へのお願いを伝える内容の、社告形式のCM等が放映されている。また、でんこちゃんシリーズのCMも打ち切りとなった。
- トコトンハテナ(テレビ東京系列全国ネットにて一社提供扱い:他地域では、各々の電力会社の一社提供扱いであった。番組は2012年3月25日で終了。)
- でんき予報(関東・山梨・静岡の民放各局で夏期を中心に放送)
- 江奈滋家の食卓(青森放送テレビ、ただし提供クレジットのみでCMは放映されなかった)
- きらり☆夢ファイル(テレビ新潟)
- ふるさとウォッチングTV さとッチ!(新潟テレビ21)
- 優香 明日へSwitch!(TBSラジオ)
- TEPCOとっておきの話(アール・エフ・ラジオ日本)