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東京理科大学

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東京理科大学(とうきょうりかだいがく、英語: Tokyo University of Science)は、東京都新宿区神楽坂一丁目3番地に本部を置く日本の私立大学。1881年創立、1949年大学設置。大学の略称は理科大(りかだい)、TUS

概観[編集]

大学全体[編集]

東京理科大学は、1881年(明治14年)創立の東京物理学校を主な前身として1949年(昭和24年)に設立された、理学・工学・薬学・経営学をはじめとする分野を包括する理工系総合大学である。

1897年(明治30年)に京都帝国大学が創立され、同大に理工科大学(理工学部)が設置されるまでの間、自然科学の教育を施したのは東京帝国大学と、現在の東京理科大学の前身校である東京物理学校だけであった。自然科学の教育を行う高等教育機関(専門学校を含む)として国内で2番目に長い歴史を持ち、私立としては最古の歴史を持っている。夏目漱石の『坊つちやん』に登場する「物理学校」は、この東京物理学校を指す。また、石川啄木の日記や北原白秋の詩など多数の作品において当時の東京物理学校の講義の情景が描かれている。

2006年の創立125周年を機に「Con'science'(カンシャンス:英語・フランス語で「良心」の意)〜21世紀の「科学」は「良心」へ向かう〜」のコンセプトを打ち出した。

2021年の創立140周年を機に「理念を貫き、進化する。-Building a Better Future with Science-」のコンセプトを打ち出した。

建学の精神(校訓・理念・学是)[編集]

「理学の普及をもって国運発展の基礎とする」

教育および研究[編集]

教育と研究をともに重視する教育研究機関を目指している。教育面では建学時からの伝統として、実力を備えた学生のみを卒業させるという「実力主義」を受け継ぐ。研究面では、情報科学教育研究機構、総合研究院および生命医科学研究所などの整備・拡充に努めている。

学風および特色[編集]

8学部11研究科を擁する、日本を代表する規模の理工系総合大学である。1993年(平成5年)には、唯一の文系学部となる経営学部が設置された。

現在は一般の大学同様に入学試験が課せられているが、東京物理学校時代は入学試験は存在せず、誰でも希望すれば入学できた。しかし試験に合格できなければ進級できず、2回留年すると退学になるという厳しいルールがあった。この制度は「物理学校モデル」と呼ばれ、実力の無い者は卒業させないという方針により卒業者は入学者の10%にも満たなかった。1944年からは入学試験が行われるようになったが、これは現在の実力主義の校風に受け継がれている。

また、日本が近代化を成し遂げた明治から大正にかけて、当時のエリート養成学校である師範学校と中等学校の数学、物理学、化学の教員のうち、実に半数以上を物理学校の卒業生が占めていた。そのため物理学校は別名「教員学校」とも呼ばれた。

2023年時点、日本の私立大学として唯一、ノーベル賞受賞者(2015年ノーベル生理学・医学賞の大村智)を出した大学である。また、自然科学部門のノーベル賞受賞者を出したのは、同年時点、アジアの私立大学として唯一でもある。ノーベル生理学・医学賞を受賞した大村博士の栄誉を称え、東京理科大学は2015年度、寄付されたノーベル賞の賞金を元に「東京理科大学大村賞」を創設している。

「THE世界大学ランキング2021」によると、「研究力」において、慶應義塾大学、早稲田大学に続いて、国内私立大学3位の評価を得ている。

沿革[編集]

略歴[編集]

文明開化の当時、欧米から入ってきた学問に感化され、欧米の学問に習って多くの学問所が誕生した。しかし、当時の学問所の多くは政治・経済・法律などを扱うものが多く、国家の発展の為には欧米のように理学の普及が不可欠だと考えた東京大学仏語物理学科を卒業した21名の青年理学士(櫻井房記、高野瀬宗則、千本福隆、中村精男、中村恭平、小林有也、寺尾寿、保田棟太、桐山篤三郎、信谷定爾、谷田部梅吉、加瀬代助、赤木周行、三守守、難波正、和田雄治、沢野忠基、三輪桓一郎、名村程三、鮫島晋、豊田周衛)は、1881年9月11日に「理学の普及を以って国運発展の基礎と成す」の信念の下、東京物理学講習所を麹町区飯田町四丁目1番地(現在の千代田区飯田橋二丁目1番地から九段北一丁目6番地周辺、九段下)の私立稚松(わかまつ)小学校の一部を借りて設立する。

設立当時、授業は夜間に行われていた。実験機材は創立者21名の母校である東京大学から講義の度に借り入れ、終了後に返却していた。創立者達はノブレス・オブリージュの精神で、仕事の傍ら無給で学生の指導に当たった。

1885年には財政が窮地に陥るも、創立者21名のうち16名(高野、千本、中村精男、中村恭平、寺尾、保田、桐山、信谷、谷田部、三守、難波、和田、三輪、名村、鮫島)が「維持同盟規則」(一人30円の寄付と週2回の無償講義、教師が都合で講義に出られない時は理由を問わず25銭を払うという決まり)を結び、この場を凌ぐ。

当初は移転を繰り返し、1886年11月に、神田小川町1番地の仏文会校舎へ移り、神楽坂に移るまで約20年間置かれた。夏目漱石『坊つちやん』の主人公が通ったのは、この校舎である。

夜間部として理学部第二部があり、夜学として創立した本学を象徴する学部である。

年表[編集]

明治[編集]

  • 1881年(明治14年)
    • 6月13日 - 「東京物理学講習所」設立広告を『郵便報知新聞』へ掲載。
    • 9月11日 - 東京物理学講習所を、私立稚松(わかまつ)小学校(麹町区飯田町四丁目1番地)内に設立。
    • 年末 - 大蔵省官吏簿記講習所(神田区錦町一丁目)へ移転。
  • 1882年(明治15年)
    • 進文学舎(本郷区元町二丁目)へ移転。
    • 11月 - 神田区今川小路三丁目9番地(現:神田神保町三丁目)に校舎取得し、教員一同が土地所有者となる。
  • 1883年(明治16年)9月 - 「東京物理学校」と改称し、創立者の一人寺尾寿が初代校長に就任。
  • 1884年(明治17年) 9月15日 - 台風により校舎が倒壊。まもなく、共立統計学校(九段下牛ケ淵)の校舎にて授業再開。
  • 1885年(明治18年) - 維持同盟規則を結ぶ。
  • 1886年(明治19年)
    • 9月 - 成立学舎(神田区駿河台淡路町)へ移転。指導科目に化学を追加したところ、化学は火災の危険があるとの理由で退去を迫られたため。
    • 11月 - 東京仏学校校舎(神田小川町1番地、現:千代田区神田小川町二丁目)へ移転。この校舎は、東京法学校(現:法政大学)が所有するレンガ造りの旧勧工場の建物で、これを仏学会が借り、さらに仏学会から本校が夜間のみ借りる転貸借によって、昼間は東京仏学校が、夜間は本校が使用していた。
  • 1888年(明治21年)
    • 物理学用語の統一。英語、フランス語、ドイツ語三系統の訳語をまとめる。
    • 初の卒業式を挙行。
  • 1889年(明治22年)
    • 9月 - 初めて昼間部を置く(間もなく中止)。
    • 11月 - 仏文会校舎を2,200円で購入。
  • 1897年(明治30年)2月 - 昼間部を設置。
  • 1906年(明治39年)7月 - 神楽坂二丁目24番地に、木造新校舎を竣工し移転。

大正[編集]

  • 1915年(大正4年)5月26日 - 「財団法人東京物理学校」を設立。
  • 1916年(大正5年)
    • 日本医学専門学校(現:日本医科大学)の学生約450名が同盟退学し東京物理学校内に東京医学講習所(現:東京医科大学)を開設。
  • 1917年(大正6年)
    • 3月 - 昼間部を置き、第一部(昼間部)と第二部(夜間部)の二部制となる。
    • 3月27日 - 専門学校令による専門学校として認可される。

昭和[編集]

  • 1928年(昭和3年)10月21日 - 寺尾文庫(図書館の前身)を敷設。
  • 1937年(昭和12年)10月 - 旧1号館校舎を新築。
  • 1938年(昭和13年) - 校章、制服、制帽を制定。この頃から、昼間部主体となる。
  • 1939年(昭和14年) - 「東京物理学校」の創立記念日を制定(設立広告を掲載した6月13日とする)。
  • 1940年(昭和15年) - 校歌を制定。
  • 1942年(昭和17年) - 東京府北多摩郡府中町字国分寺前に、大学予科敷地(約6万m2)の土地を購入。後にグラウンドとなる。
  • 1943年(昭和18年) - 東京都八王子市西中野町に大学予科校舎として廃織物工場と土地(約700坪)を購入。後に農業理科学科の学生寮などとなる。
  • 1944年(昭和19年) - 文部省の指示により、無試験入学制度を廃止。
  • 1946年(昭和21年) - 八王子市郊外に、農業理科学科の校地として、土地(約80,900坪)を取得。
  • 1948年(昭和23年) - 八王子市郊外の校地が、自作農創設特別措置法に基づき強制買収される。
  • 1949年(昭和24年)
    • 4月1日 - 学制改革により「東京理科大学」を設置し、理学部第一部理学部第二部(各数学科・物理学科・化学科)を置く。これにより1951年まで、大学生(東京理科大学)と、専門学校生(東京物理学校)が混在した。
    • 5月4日 - 東京理科大学として初の入学式を挙行。
    • 7月 - 財団法人東京物理学校から、「財団法人東京物理学園」へ改称。
  • 1950年(昭和25年)3月 - 農業理科学科を廃止。
  • 1951年(昭和26年)
    • 3月1日 - 私立学校法により組織変更し、財団法人東京物理学園から、「学校法人東京物理学園」になる。
    • 3月10日 - 東京物理学校として最後の卒業式(第100回卒業式)を挙行。
    • 3月31日 - 専門学校東京物理学校が廃校。
  • 1957年(昭和32年) - 「関門制度」(2年次に進級する際に特定科目(関門科目)の修得を義務づけ、4年次における卒業研究を履修する資格として卒業までの必要単位数の上限を設定)を導入。
  • 1958年(昭和33年)
    • 国分寺校地(グラウンド)を東芝へ売却。
    • 4月1日 - 神楽坂校舎に大学院理学研究科(修士課程)を設置。
  • 1959年(昭和34年)4月1日 - 理学部第一部応用化学科を新設。
  • 1960年(昭和35年)4月1日 - 薬学部(薬学科)を設置、理学部第一部応用物理学科を新設。
  • 1961年(昭和36年)4月1日 - 理学部第一部応用数学科を新設。
  • 1962年(昭和37年)4月1日 - 工学部(建築学科・工業科学科・電気工学科)を設置。
  • 1965年(昭和40年)4月1日 - 工学部経営工学科・機械工学科新設、薬学部薬学科を薬剤・衛生薬学科に改称。
  • 1966年(昭和41年) - 野田校舎(現在の野田キャンパス)が竣工し、本年のみ工学部の一部を置く。
  • 1967年(昭和42年)4月1日 - 野田校舎に理工学部(数学科・物理学科・建築学科・工業科学科・電気工学科・経営工学科・機械工学科)を設置、薬学部薬剤・衛生薬学科を薬学科に改称。
  • 1975年(昭和50年)4月1日 - 理工学部土木工学科を新設。
  • 1976年(昭和51年)4月1日 - 神楽坂校舎に工学部の夜間部として工学部第二部(建築学科・電気工学科・経営工学科)を設置、理工学部情報科学科・応用生物科学科を新設。
  • 1981年(昭和52年)
    • 神楽坂に新1号館を建設。
    • 東京理科大学の創立100周年記念式典を挙行。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 長万部校舎の竣工。長万部校舎に基礎工学部(電子応用工学科・材料工学科・生物工学科)を設置。
  • 1988年(昭和63年)4月1日 学校法人名を「学校法人東京理科大学」へ変更。

平成[編集]

  • 1989年(平成元年)5月 - 野田校舎に生命科学研究所(現:生命医科学研究所)を設置
  • 1991年(平成3年)4月1日 - 野田校舎に基礎工学研究科を設置。
  • 1993年(平成5年)4月1日 - 久喜校舎竣工。久喜校舎に経営学部(経営学科)を設置。
  • 1997年(平成9年)4月1日 - 久喜校舎に経営学研究科を、野田校舎に生命科学研究科を設置。
  • 2001年(平成13年) - 英語表記をScience University of TokyoからTokyo University of Scienceに変更する。
  • 2002年(平成14年)4月1日 - 理学部第一部応用数学科を数理情報科学科に改称。
  • 2003年(平成15年)4月1日 - 薬学部が神楽坂校舎から野田校舎に移転。
  • 2004年(平成16年)
    • 専門職大学院を設置。
    • 7月 - 九段にある旧都市基盤整備公団の土地・建物を取得(九段校舎)。神楽坂キャンパスが2校舎体制になるため、他の「校舎」表記を「キャンパス」とする。
  • 2006年(平成18年)4月1日 - 薬学教育6年制移行により、薬学部薬学科(6年制)・生命創薬学科新設。理工学部電気工学科を電気電子情報工学科に改称。
  • 2006年(平成18年)6月 - 東京理科大学が創立125周年を迎える。それを記念して新たな大学ロゴマークを制定する。
  • 2009年(平成21年)
    • 3月26日 - 葛飾区と新キャンパス用地約30000m2の土地譲渡契約を締結。
    • 4月1日 - INS イノベーション専攻 開設
  • 2011年(平成23年)4月1日 - 薬学部薬学科(4年制)、製薬学科廃止。
  • 2013年(平成25年)
    • 4月1日 - 葛飾区新宿(にいじゅく)に葛飾キャンパスを開設。工学部第一部工業化学科と経営工学科を除き、神楽坂キャンパス九段校舎の工学部は葛飾キャンパスに移転。
    • 6月 - 野田キャンパスに光触媒研究センターを設置。
  • 2015年(平成27年)
    • 長万部市と東京理科大学が「長万部地方創生サミット」を開催。
  • 2016年(平成28年)
    • 3月23日 - 久喜キャンパス閉鎖。
    • 3月24日 - 神楽坂キャンパス富士見校舎使用開始。
    • 4月1日 - 工学部第一部を工学部に改称。工学部経営工学科を情報工学科へ改組。
    • 4月1日 - 経営学部と経営学研究科が久喜キャンパスから神楽坂キャンパス富士見校舎へ全面移転、新たに経営学部ビジネスエコノミクス学科を新設。
  • 2017年(平成29年)
    • 4月1日 - 理学部第一部数理情報科学科を応用数学科に改称、理工学部工業化学科を先端化学科に改称。
    • 4月1日 - 工学研究科工業化学専攻設置、工学部第二部の学生募集を停止。

令和[編集]

  • 2020年(令和2年)
    • 3月12日 - 新型コロナウイルス感染症の流行による影響で、4月8日に予定されていた2020年度入学式の中止を決定(翌年に2021年度入学式と同日に実施)。
    • 3月31日 - 北海道・長万部キャンパスから基礎工学部が撤退。
    • 4月1日 - 工学部建築学科夜間主社会人コースを新設、工学研究科情報工学専攻博士課程設置、工学研究科経営工学専攻の学生募集を停止。
  • 2021年(令和3年)
    • 4月1日 - 基礎工学部を先進工学部に名称変更し、電子応用工学科を電子システム工学科に、材料工学科をマテリアル創成工学科に、生物工学科を生命システム工学科に改称。また、基礎工学研究科を先進工学研究科に名称変更し、電子応用工学専攻を電子システム工学専攻に、材料工学科をマテリアル創成工学専攻に、生物工学科を生命システム工学専攻に改称。
    • 4月1日 - 経営学部国際デザイン経営学科を新設。北海道・長万部キャンパスにて全寮制教育を開始する予定であったが、新型コロナウイルス感染症拡大のため、神楽坂キャンパス富士見校舎での授業を実施。
    • 4月1日 - 教養教育研究院を設立。
  • 2022年(令和4年)
    • 4月1日 - 研究戦略・産学連携センターを「産学連携機構」と「研究推進センター」に再編。
    • 4月1日 - 工学部工業化学科を神楽坂キャンパスから葛飾キャンパスへ移転。
  • 2023年(令和5年)
    • 4月1日 - 理学部第一部応用物理学科の学生募集を前年度を最後に停止。
    • 4月1日 - 先進工学部に物理工学科(理学部第一部応用物理学科から改組)、機能デザイン工学科を新設。
    • 4月1日 - 理工学部を創域理工学部に名称変更し、数学科を数理科学科に、物理学科を先端物理学科に、情報科学科を情報計算科学科に、応用生物科学科を生命生物科学科に、経営工学科を経営システム工学科に、機械工学科を機械航空宇宙工学科に、土木工学科を社会基盤工学科に改称。
    • 4月1日 - 北海道・長万部キャンパスにて経営学部国際デザイン経営学科の全寮制教育を再開。
  • 2025年(令和7年)4月1日 - 薬学部を野田キャンパスから葛飾キャンパスへ移転(予定)。


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