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東京テアトル

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東京テアトル株式会社(とうきょうテアトル、英: TOKYO THEATRES COMPANY, INCORPORATED)は、映画配給および映画館の運営、飲食店運営、不動産賃貸事業を中心とする日本の映画会社。かつてはセゾングループ傘下で西洋環境開発の子会社であった。その関係でパルコ、西友(LIVIN・WALK)、西武百貨店など元セゾングループの商業施設で多数の映画館を運営受託していた。

歴史[編集]

1946年(昭和21年)、吉岡重三郎によって東京興行株式会社として設立された。吉岡は阪急阪神東宝グループの小林一三の片腕であり、戦前には東京宝塚劇場(のち東宝)社長、後楽園スタヂアム社長、日活社長を務めた人物である。1949年(昭和24年)5月、東京証券取引所再開と同時に株式上場した。1955年(昭和30年)11月3日に映画館「テアトル東京」を銀座に開館、同時に東京テアトル株式会社に社名変更している。映画館、キャバレー、ボウリング場の運営を主な事業として手掛けてきた。しかしその後、ボウリングブームの終焉や、映画産業の斜陽化などから経営不振に陥った。テアトル東京も1981年(昭和56年)10月31日をもって閉館した。

そこで安定的な経営基盤の構築を目的に、テアトル東京跡地の再開発に際して当時の清水清秋社長から、セゾングループ総帥の堤清二に協力が要請され合意に至った。合意に則り、1983年に西武都市開発(のちの西洋環境開発)が増資して東京テアトル株式の37%を取得。再開発の主体を担い、1987年(昭和62年)1月、跡地にホテル西洋銀座、銀座セゾン劇場、銀座テアトル西友が入居する銀座テアトルビルが竣工した。これによって東京テアトルは、東邦生命保険とともに銀座テアトルビルの共同所有者となった。

1989年(平成元年)まで、西洋環境開発は東邦生命保険に次いで東京テアトルの2位株主であったが、その後セゾングループ各社の持株を集約して東京テアトルの筆頭株主となった。これにより、東京テアトルは西洋環境開発の子会社となりセゾングループ入りした。セゾングループ入りに伴い、グループ内の西武百貨店、西友、パルコが個々に運営していた映画興行の運営を受託した。

1999年(平成11年)に大株主であった東邦生命保険が業務停止命令を受け破綻。さらに翌2000年(平成12年)には西洋環境開発も経営破綻した。大株主の喪失は東京テアトルにも大きな影響をもたらし、東邦生命から銀座テアトルビルの土地と建物を購入したほか、同ビルでセゾングループが手掛けていた事業を引き継ぐなどのために新規融資を受けたため、ピーク時における借入金総額は220億円を超えた。また安定株主であった大株主の経営破綻によって株式が大量に市場に放出されたため、株価も急落する事態にも見舞われた。

→詳細は「東邦生命保険 § 経営悪化から経営破綻へ」、「西洋環境開発」、および「セゾングループ § グループの崩壊」を参照

銀座テアトルビル竣工以来、自己所有する歓楽街のテナントビルなどレジャー関連の不動産賃貸業とホテル運営が売上の柱となっていたが、世界金融危機による不況により2009年(平成21年)から2013年(平成25年)にかけて多くの事業整理に踏み切った。2013年(平成25年)5月にはホテル西洋銀座を閉館、同年6月には銀座テアトルビルを売却している。

その一方で、中古区分マンションを買取り、リフォーム後に販売するリニューアルマンション事業への進出、北海道内を中心とした「串鳥」など居酒屋の出店、また映画部門では既存の映画館に加え、運営受託したシネリーブルとシネカノンの映画館を「テアトルシネマグループ」のチェーンに組み込み、独立系の作品や配給会社の作品を中心とした映画作品の配給、上映の拡大などが行われている。

年表[編集]

  • 1946年 - 東京興行株式会社として設立。テアトル銀座開館。
  • 1949年 - 東京証券取引所に上場。
  • 1955年 - 東京テアトル株式会社に社名変更。テアトル東京開館。
  • 1957年 - テアトル新宿開館。
  • 1973年 - 新宿区歌舞伎町にキャバレー「クラブハイツ」開館。
  • 1981年 - テアトル東京閉鎖。
  • 1984年 - キネカ大森開館。
  • 1987年 - 銀座セゾン劇場(後のル テアトル銀座 by PARCO)、銀座テアトル西友(後の銀座テアトルシネマ)開館。
  • 1988年 - テアトル新宿のミニシアターへのリニューアルと同時に「バビット」レーベルをスタートさせて洋画買付・配給業務を開始。
  • 1990年 - テアトル梅田開館。
  • 1993年
    • 2月 - 西友より映画館8館13スクリーン、西武百貨店より映画館3館4スクリーンの運営を受託。
    • 9月 - パルコより映画館3館6スクリーンの運営を受託。
  • 1998年 - 西友より映画館シネ・ヴィヴァン・六本木の運営を受託し、1999年末の再開発に伴う閉館まで運営。
  • 1999年 - 松竹グループから『劇場版アンパンマンシリーズ』の映画配給権を移行(※後述)。
  • 2007年 - アドホック債権回収株式会社の全株式を購入し、テアトル債権回収株式会社とする。
  • 2009年
    • 2月 - 歌舞伎町クラブハイツを閉店。株式会社ティー・エー・ユニオン(現・東京テアトルリモデリング株式会社)の全株式を取得。
    • 4月 - 日活より映画館5館19スクリーンの運営を受託。
    • 12月 - シネカノン(翌年倒産)より映画館2館5スクリーンの運営を受託。
  • 2010年12月 - テアトル商事株式会社の清算結了。小売事業から撤退。
  • 2011年
    • 5月 - テアトルダイヤ閉館。
    • 6月 - 池袋ホテルテアトルを閉館。
    • 9月 - パルコ調布キネマ閉館。
  • 2013年
    • 2月 - 札幌クラブハイツを閉館。
    • 5月 - ホテル西洋銀座を閉館。ホテル事業から撤退。
    • 6月 - 銀座テアトルビルを売却。
  • 2016年4月 - 株式会社テアトルダイニングを設立。
  • 2018年4月 - テアトル債権回収株式会社の全株式を譲渡しサービサー事業から撤退。
  • 2019年8月 - 株式会社テアトルプロモーション(現・株式会社西洋銀座)を設立。
  • 2020年6月 - アクシー株式会社の発行済株式の90%を譲受け連結子会社化。
  • 2022年2月 - 株式会社メディアボックスの清算結了。

創業者[編集]

創業者の吉岡重三郎(1883 - 1969)は、大阪府の吉岡勘三郎の三男として生まれ、大阪高等商業学校在学中は野球部捕手として活躍。1909年に箕面有馬電気軌道(阪急電鉄の前身)に入社して営業を担当。1915年には同社が建設した豊中球場の活用策として全国中等学校優勝野球大会(現・全国高等学校野球選手権大会)を発案し開催した。阪急阪神東宝グループの創業者小林一三の片腕として40年以上仕え、東京宝塚劇場(のち東宝)社長、後楽園スタヂアム社長、日活社長(1941 - 45)を務め、1942年には大映の発起人に名を連ねるなど、戦前の映画・演劇・レジャー界で活躍した。 終戦後、公職追放となり隠居生活を送っていたが、戦後の荒廃した大衆生活に潤いをと、東京テアトルを設立、映画・演劇の斡旋興行を行いつつ自社映画館の設立に尽力し、銀座一丁目に「テアトル銀座」を開業した。当時、銀座で映画館は失敗するというジンクスがあったが、米国の封切作品の上映や一流設備の導入により成功した。長女初子の婿に子爵梅小路定行の次男・定美(1911- 1984、京都大学経済学部卒)を迎え、吉岡定美は重三郎の跡を継いで東京テアトルの社長、会長を務めた。姪に木谷千種がいる。

歴代社長[編集]

  • 吉岡重三郎
  • 吉岡定美
  • 三橋三之助
  • 清水清秋
  • 三橋保
  • 脇田勇
  • 滝島優行
  • 松下晴彦
  • 前田稔
  • 太田和宏

関連会社[編集]

連結子会社
  • アクシー株式会社(映像関連事業)
  • 株式会社西洋銀座(飲食関連事業)
  • 札幌開発株式会社(飲食関連事業)
  • 株式会社テアトルダイニング(飲食関連事業)
  • テアトルエンタープライズ株式会社(不動産関連事業)
  • 東京テアトルリモデリング株式会社(不動産関連事業)
過去の関連会社
  • 株式会社メディアボックス

映画関連事業[編集]

映画館は「テアトルシネマグループ」と総称される

映画館[編集]

テアトル新宿(東京都新宿区。新宿テアトルビルの地下1階)
1968年12月5日のオープン当初は名画座だったが、1988年のリニューアル以降はミニシアター向けの作品を多く上映している。
キネカ大森(東京都品川区。西友大森店5階入居)
1984年3月30日、「日本初のシネマコンプレックス」の触れ込みでオープン。3スクリーン、243席。
テアトル梅田(2代目)(大阪市北区。梅田スカイビルタワーイースト3・4階)
2024年4月19日、シネ・リーブル梅田から改称。
京橋テアトル試写室(東京都中央区)
試写室。
備考
  • 2009年4月、日活シネリーブル系3館と業務提携(シネリーブル池袋、梅田、神戸)。
  • 2009年12月、シネカノン系2館と業務提携(ヒューマントラスト#ヒューマントラストシネマを参照)。
  • 2022年1月、アップリンク京都の劇場運営業務を受託。

製作・配給に関わった映画作品[編集]

  • 劇場版それいけ!アンパンマンシリーズ(1999年 - /監督:永丘昭典、矢野博之他)
  • クロエ(2001年/監督:利重剛)
  • DOG STAR ドッグ・スター(2002年/監督:瀬々敬久)
  • 犬猫(2004年/監督:井口奈己)
  • 幸福のスイッチ(2006年/監督:安田真奈)
  • パビリオン山椒魚(2006年/監督:冨永昌敬)
  • 監督・ばんざい!(2007年/監督:北野武)
  • 人のセックスを笑うな(2008年/監督:井口奈己)
  • 南極料理人(2009年/監督:沖田修一)
  • パンドラの匣(2009年/監督:冨永昌敬)
  • 罪とか罰とか(2009年/監督:ケラリーノ・サンドロヴィッチ)
  • 一枚のハガキ(2011年/監督:新藤兼人)
  • 劇場版かいけつゾロリシリーズ(2012年 - /監督:岩崎知子)
  • ふがいない僕は空を見た(2012年/監督:タナダユキ)
  • 花宵道中(2014年/監督:豊島圭介)
  • そこのみにて光輝く(2014年/監督:呉美保)
  • 百日紅〜Miss HOKUSAI〜(2015年/監督:原恵一)
  • はなちゃんのみそ汁(2015年/監督:阿久根知昭)
  • さよなら歌舞伎町(2015年/監督:廣木隆一)
  • モヒカン故郷に帰る(2016年/監督:沖田修一)
  • 猫なんかよんでもこない。(2016年/監督:山本透)
  • 映画 きかんしゃトーマスシリーズ(2016年 - /監督:デヴィッド・ストーテン、ジョーイ・ソー他)
  • ふきげんな過去(2016年/監督:前田司郎)
  • オーバー・フェンス(2016年/監督:山下敦弘)
  • この世界の片隅に(2016年/監督:片渕須直)
  • ビジランテ(2017年/監督:入江悠)
  • 映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ(2017年/監督:石井裕也)
  • 海辺のリア(2017年/監督:小林政広)
  • 泣き虫しょったんの奇跡(2018年/監督:豊田利晃)
  • 素敵なダイナマイトスキャンダル(2018年/監督:冨永昌敬)
  • 海を駆ける(2018年/監督:深田晃司)
  • そらのレストラン(2019年/監督:深川栄洋)
  • 旅のおわり世界のはじまり(2019年/監督:黒沢清)
  • タロウのバカ(2019年/監督:大森立嗣)
  • 影踏み(2019年/監督:篠原哲雄)
  • 前田建設ファンタジー営業部(2020年/監督:英勉)
  • あのこは貴族(2021年/監督:岨手由貴子)
  • 花束みたいな恋をした(2021年/監督:土井裕泰)
  • くれなずめ(2021年/監督:松居大悟)
  • リクはよわくない(2021年/監督:荒川眞嗣)
  • 私はいったい、何と闘っているのか(2021年/監督:李闘士男) - 日活と共同

不動産関連事業[編集]

子会社の有限会社アイザックを通じて、レジャーホテルの運営も行っていたが、2016年1月10日をもって営業を終了。レジャーホテル事業から撤退した。

ホテル西洋銀座
1987年にセゾングループによって開業され、子会社(エイチ・エス・ジー)が運営。同じ建物に本社およびル テアトル銀座 by PARCOが入居していた。
2013年5月に営業終了、同年11月20日に子会社の特別清算開始。
跡地の建物はコナミの関連会社が取得。グループの拠点として、当初は改装のうえで活用する計画だったが、建替えへ変更されたのに伴い解体された。
池袋ホテルテアトル
映画館・テアトルダイヤと同じ池袋ビルの高層部にあるビジネスホテル。前述のとおり2011年5月31日の宿泊分をもって閉館した。

飲食店関連事業[編集]

2013年までキャバレーを運営していたが撤退。東京都心部でレストランや「西洋銀座」名称の中食・洋菓子店を数店舗出店しているほか、子会社の札幌開発により「串鳥」などの居酒屋を展開している。



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