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旭川市

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旭川市(あさひかわし)は、北海道北中部(道北地方)に位置し、上川総合振興局に属する市。上川盆地に広がっている。振興局所在地であり、札幌市に次ぐ北海道第2位の人口(約32万人)を有する中核市である。

概要[編集]

北海道中央部に位置し、道北の経済・産業・文化の中心都市。ユネスコの「デザイン都市」、そして「国際会議観光都市」に認定されている。交通面では国道や鉄道路線の終起点となり高速道路が整備されているなど道内物流の拠点となっており、旭川空港からは東京・名古屋・大阪などへ直行便が就航している。全国的に知名度の高い旭川市旭山動物園が存在し、年間500万人以上の観光入込客数があることから、札幌市・小樽市・函館市と並ぶ北海道の観光都市として知名度が高い都市である。北海道パウダーベルトに位置し、冬季はカムイスキーリンクスを中心としたスキーリゾート観光もメインとなっている。また、旭川にゆかりのある文学者や芸術家も多く、市内各所に野外彫刻作品が置かれているほか(旭川の野外彫刻)、旭川家具をはじめとした木工業が盛んである。

地名の由来[編集]

一般に、旭川の名が初めて登場したのは明治23年9月20日の開村告知の時とされているが、実際にはその7か月ほど前の明治23年2月9日付『北海道毎日新聞』に掲載された以下の記事がある。

<記事全文>上川離宮の御名称 - 昨8日岡部(山室改)方幾氏が弊社に来られ「上川離宮の御名称の事に就いては夫々の御詮議も在らせらるべきは勿論のことなれとも九重の深き雲の上の事なれば素より窺い奉るべき様なきことなるが然るに彼の上川郡の忠別はアイヌ人の発音に従ふ時はチユプペト(Chuppt)にして「チユプ」は太陽、日、東等の意、又た「ペト」は川の義なり故に離宮の御名称は旭川或いは東川等の文字を御用い遊ばさるゝに至らば旧称の意義を存し且つ大日本帝国等の意味に縁あり旁々適当ならんか」

との談話ありし
何は兎もあれ旧称に太陽、日、東等の意義ありとは明治の聖世に至りて
天津日継の宮柱を建てさせ玉ふべき土地と業に既に定まり居りしものか
この記事は、当時の北海道庁長官(兼屯田兵本部長)永山武四郎の直属の部下である岡部方幾(屯田兵司令部付曹長)が会見したもので、前年末に上川への離宮設置が山縣有朋内閣によって閣議決定されて以降、まだ村名すら決まっていない地の離宮の名称について語っている。現在確認できる資料としては開村前に「旭川」の名が登場する唯一のものである。 命名者の意図として『旧称(アイヌ地名)の意義を存し(有し)且つ大日本帝国等の意味に縁あり』と明確にしており、「旭川」の名は、アイヌ語に由来する「日」=「旭」の意と、大日本帝国の象徴としての「旭」の意を併せ持つ名として命名された事が読み取れる。

ただ、旭川開村を伝える同年9月23日付北海新聞記事などは、名の由来についてアイヌ語意訳部分しか伝えていない。

なお、記事中の「忠別」とは従前からのこの地域の呼称で、岡部方幾が語ったアイヌ語源「チユプペト」の意訳は、翌年発刊の永田方正『北海道蝦夷語地名解』のチュプペツ項に記述された意訳とほとんど同じ意である。永田は函館県令・北海道庁の命を受けて全道のアイヌ語地名を調査した当時の権威学者であるが、空知・上川・樺戸3郡の調査は同年3月であるはずの永田の意訳が2月のこの時点で既に成されていたという事は、この意訳が調査以前に創作されていた疑いがある。

「旭川」の名の由来については、かなり以前からこの新聞記事の存在は市史編集会議や郷土史家など各方面で知られていたが、旭川市をはじめとしてその見解は長年アイヌ語意訳のみに固定化しており、地名とは直接関係のない忠別川語源説が諸説として混同されるなど種々誤解が多い。

地理[編集]

旭川市は北海道内最大の盆地となる上川盆地にあり、石狩川、牛朱別川、忠別川、美瑛川などの河川合流部に位置している。市西部に幌内山地、天塩山地、嵐山丘陵が南北に連なっており、石狩川は幌内山地を侵食して神居古潭渓谷を形成している。大雪山系ではエゾナキウサギ、キタキツネ、エゾリスなどの動物が観られる。「神居古潭渓谷の変成岩」として「日本の地質百選」に選定されている。市北部に比布丘陵、市東部に米飯山地が分布している。突哨山(とっしょうざん)には日本最大級のカタクリ群落がある。



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