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早稲田大学

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早稲田大学(わせだだいがく、英語: Waseda University)は、東京都新宿区戸塚町一丁目104番地(新宿区西早稲田一丁目6番1号)に本部を置く日本の私立大学。1882年創立、1920年大学設置。大学の略称は早大(そうだい)。

概説[編集]

大学全体[編集]

大隈重信が明治十四年の政変による下野後に設立した東京専門学校を前身とする四年制の大学である。1920年(大正9年)に日本の私立大学では慶應義塾大学などと共に最も古い段階で大学令に基づく大学となった(詳しくは旧制大学参照)。2019年時点で、10の学術院のもと13学部25研究科(大学院)を設置している。国際交流が盛んで、特にアジアからの外国人留学生が多い。

大隈重信が明治の代表的な政治家の一人であり、イギリス流の政治経済学を中心とする大学をモデルに設計されていることから政治経済学部を看板学部とし、政治経済学部を中心に政界・財界に多くの人材を輩出しているのをはじめとして、出版・新聞・文学などの分野でも多くの卒業生が活躍している。イギリスの教育専門誌『タイムズ・ハイアー・エデュケーション』による2017年の日本版ランキングでは、私大1位に認定された。

早稲田大学は、東京専門学校時代から、文部省「特別認可学校規則」や専門学校令の特例適用、大学令による私立大学として最初期の認可などを受けてきた。政治学・法律学・文学・商学・理工学・教育学・芸術・スポーツなど様々な分野で、近代日本国家の教育・研究分野の形成をリードしてきた学校であり、上述の慶大と共に「私学の雄」と並び称され、私立大学の最高峰に位置付けられることが多い。

同窓会は「稲門会」(とうもんかい)と称され、 早稲田大学校友会に登録している「登録稲門会」に限っても1,300を超える団体が存在し、国内有数の学閥となっている。

建学の精神[編集]

1913年(大正2年)当時の総長大隈重信は、前身となる東京専門学校の創立30周年記念祝典において、早稲田大学教旨を宣言した。

「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」を基本理念としている。

早稲田大学教旨は、高田早苗、坪内逍遥、天野為之、市島謙吉、浮田和民、松平康国などが草案を作成し、大隈重信が校閲のうえ発表した。1937年(昭和12年)に教旨の碑文が早稲田大学正門前に設置された。碑文の刻字は、前島密が1915年(大正4年)に揮毫した自筆が元であり、原本は大学に保存されている。

戦後(1949年)、「立憲帝国の忠良なる臣民として」の14文字は「主権在民を謳った新憲法にふさわしくない」として教旨から削除されたが、正門前の「早稲田大学教旨」の碑に刻まれた語句については「思想の変遷を知る歴史的文書としてそのままに保存することがかえって記念碑の趣旨に副う」として削られることはなかった。現在、石碑は正門の外側左に移設され、大学の外から誰でも自由に見られるようになっている。

建学の祖グイド・フルベッキ

『早稲田大学百年史』に「最も直接的な建学の基礎的感化を与えたのはグイド・フルベッキである。フルベッキがなかったら、早稲田大学はなく、建っても、勿論、ひどく形式、精神の異なったものとなったであろう」という記述がある。大隈重信は長崎の佐賀藩校「致遠館」でフルベッキに英語を習った。教材は新約聖書、アメリカ独立宣言などであった。「アメリカ独立宣言を起草したジェファーソンは、合衆国に民主主義の政治を実行するためには青年を教育することが必要としてバージニア大学を創設した。ジェファーソンと同じ考えで私は早稲田大学を創設した」と述べ、「フルベッキなくして大隈なし、大隈なくして早稲田大学なし」としてフルベッキを建学の祖と称えている。

沿革[編集]

1882年(明治15年)に大隈重信が小野梓ら鷗渡会員の協力を得て創立した東京専門学校が前身である。政治経済学科、法律学科、理学科、英学科を設置し(理学科は間もなく廃止)、最初の入学者は80名であった。小野梓は開校式で「学問の独立」を表明したが、当時の藩閥政府はこれを信用せず、東京専門学校を「謀叛人養成所」とみなして様々な圧迫を加えたため存立の危機に直面したこともあった。

その後1890年(明治23年)に坪内逍遥らが文学科を創設。1902年(明治35年)に早稲田大学と改称、さらに1903年(明治36年)に高等師範部、1904年(明治37年)に商科、1909年(明治42年)に理工科を新設した。

1920年(大正9年)2月5日に大学令に基づく大学設立が認可され、5学部(政治経済、法、文、商、理工)、大学院および高等学院を設置した。

1949年(昭和24年)、新制大学設置の認可を受けて11学部(第一・第二政治経済、第一・第二法、第一・第二文、教育、第一・第二商、第一・第二理工)を設置。その後1960年代以降に第二文学部以外の第二学部を廃止し、社会科学部を設置した。施設面では戸山キャンパスが第一・第二文学部、大久保キャンパス(現・西早稲田キャンパス)が理工学部のキャンパスとなった。

1980年代以降の創立100周年記念事業で所沢キャンパスに人間科学部を設置し、安部球場跡地に総合学術情報センターを新設した。

2000年代以降にスポーツ科学部と国際教養学部、第一・第二文学部の改編により文学部と文化構想学部、理工学部の改編により基幹理工学部、創造理工学部、先進理工学部を設置した。



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