日立造船
日立造船株式会社(ひたちぞうせん、英: Hitachi Zosen Corporation)は、環境装置、工場設備・産業機械、発電設備などを製造している日本の機械・プラントメーカーである。現在の主力事業は環境・プラント事業であり、造船事業からは撤退している。現在、日立製作所との資本関係はない。
大阪市発祥の企業で、現在も大阪市に本社を置いているため関西財界で活動しており、日立造船首脳が関西経済連合会で副会長などの役職を務めることもある。東京証券取引所プライム市場に上場しており(証券コード:7004)、日経平均株価採用銘柄の1つである。
概要[編集]
商号に「造船」の文字が含まれるが、2002年(平成14年)に日本鋼管(現・JFEエンジニアリング)との合弁で両社の船舶・海洋部門を切り離して統合した持分法適用会社のユニバーサル造船(現・ジャパン マリンユナイテッド、現在は持分法適用会社ではない)を設立したことで、本社から主要事業だった造船事業を手放した。ただし船舶用のディーゼルエンジンなどの製造は継続している。2006年(平成18年)に子会社の内海造船の株式を売却したことにより2007年(平成19年)度決算から連結決算においても造船事業が無くなった。
かつて日立製作所の傘下にあったため「日立」の名を冠した商号であるが、太平洋戦争後の財閥解体により、現在では日立グループからは離脱している。両社とも旧日産コンツェルン(春光グループ)の主要20社で組織する春光会や、旧三和銀行(現・三菱UFJ銀行)の融資系列で組織する三水会及びみどり会(三和グループ)の会員企業である。日立造船はみどり会の主要な構成企業であり、かつては帝人、宇部興産とともに「三和御三家」と呼ばれていた。
造船不況の打開策として手掛けた事業多角化により、一時期はグループ内で杜仲茶の製造販売 や旅行予約ウェブサイト『旅の窓口』の運営 なども行っていた。その後、杜仲茶は小林製薬へ、旅の窓口は楽天へ(現・楽天トラベル)、それぞれ事業売却した。
また、子会社に東証二部上場の日立造船富岡機械があったが、今後の事業展開が見込めないとして2004年(平成16年)に通常清算した。通常解散とは経営破綻していない会社の資産を売却し、残余金を株主に分配し解散させることで、上場企業の通常清算は極めて珍しいケースである。他に上場企業では繊維商社「立川」、不動産会社「甲子園土地企業」などが同様の通常解散を行っている。
後述の通り、日立グループからすでに離脱していることや、造船業からも撤退していることなどから、実際の業務と社名の乖離が長期にわたり続いていたことを踏まえ、2024年10月1日付をもって「カナデビア株式会社」に社名を変更することになった。
カナデビアに社名変更[編集]
- 2024年(令和6年)10月1日 - カナデビア株式会社(Kanadevia Corporation.)に商号変更(予定)。社名変更に際して、同社は「社名に“造船”とついていながらもすでに造船業から撤退していることと、日立グループからも離脱しているため、実際の事業と社名とでの乖離が続いていた」ためとしており、新社名は、「日本語の”奏でる”と、ラテン語の道を意味する”Via”を組み合わせた」としている。
歴代社長[編集]
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
大阪鐵工所 | ||||
1 | 山岡順太郎 | 1914年3月18日 | 1915年1月29日 | |
2 | 山口力 | 1915年 | 1918年 | 専務 |
3 | 中山説太郎 | 1918年 | 1921年 | 専務 |
4 | 津村秀松 | 1921年 | 1930年 | 専務 |
5 | 飯島幡司 | 1930年 | 1932年 | 専務 |
6 | 鮎川義介 | 1932年 | 1932年 | 会長 |
7 | 原田六郎 | 1932年 | 1934年 | |
日本産業大阪鐵工所 | ||||
7 | 原田六郎 | 1934年5月29日 | 1934年7月31日 | 社名改称 |
大阪鐵工所 | ||||
7 | 原田六郎 | 1934年8月1日 | 1936年2月9日 | 在職中に死去 |
8 | 六角三郎 | 1936年2月29日 | 1943年3月10日 | |
日立造船 | ||||
8 | 六角三郎 | 1943年3月11日 | 1947年3月31日 | |
9 | 出田孝行 | 1947年4月1日 | 1950年5月30日 | |
10 | 松原與三松 | 1950年5月30日 | 1962年11月30日 | |
11 | 永田敬生 | 1962年11月30日 | 1979年6月29日 | |
12 | 木下昌雄 | 1979年6月29日 | 1983年 | |
13 | 村山利雄 | 1983年 | 1988年 | |
14 | 藤井義弘 | 1988年 | 1995年 | |
15 | 南維三 | 1995年 | 2001年 | |
16 | 重藤毅直 | 2001年 | 2005年 | |
17 | 古川実 | 2005年 | 2013年 | |
18 | 谷所敬 | 2013年 | 2020年 | |
19 | 三野禎男 | 2020年 | 現職 |
事業拠点[編集]
- 本社 - 大阪府大阪市住之江区南港北1丁目7番89号
- 東京本社 - 東京都品川区南大井6丁目26番3号 大森ベルポートD館15階
- 生産拠点
- 堺工場 - 堺市西区築港新町1丁5番1
- 築港工場 - 大阪市大正区船町2丁目2番11号
- 事業企画・技術開発本部を擁する。
- 舞鶴工場 - 京都府舞鶴市字余部下1180番地
- 向島工場 - 広島県尾道市向東町14755番地
- 因島工場 - 広島県尾道市因島土生町2477番地16
- 有明工場 - 熊本県玉名郡長洲町大字有明1番地
- 茨城工場 - 茨城県常陸大宮市工業団地4番地
- 茨城発電所
- 機械事業本部
- システム機械ビジネスユニット 若狭事業所 - 福井県大飯郡高浜町高森2-8
閉鎖された生産拠点[編集]
創業以来の拠点であった桜島工場は、現在の大阪市此花区桜島1丁目および同2丁目南部に所在した。1997年(平成9年)12月に閉鎖 された後、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン™の敷地として使用されている。
2016年(平成28年)に東京工場(松戸地区)は閉鎖され、東京工場(柏地区)は柏工場となった。
2020年(令和2年)に柏工場は閉鎖され、築港工場へ移転した。
- 桜島工場 - 大阪府大阪市西区桜島町(現・此花区桜島)
- 彦島工場 - 三菱重工業へ譲渡。
- 大浪工場(旧:原田造船)
- 小林工場(旧:ミツワ製材工業)
- 大淀工場(旧:此花商業学校校舎)- 日立ミシン株式会社へ譲渡。
- 神奈川工場 - 神奈川県川崎市川崎区水江町4番1号
- 1944年6月操業開始、2009年3月閉鎖。
- 川崎発電所(2003年4月1日営業運転開始)を併設。
- 機械事業本部
- 東京工場(松戸地区) - 千葉県松戸市稔台6丁目9番15号
- 東京工場(柏地区) → 柏工場 - 千葉県柏市新十余二11番地
- システム機械ビジネスユニット 東舞鶴製造部 - 京都府舞鶴市字小倉222-4
主要製品[編集]
- 発電設備付き機械式ごみ焼却炉
- フラップゲート式可動防波堤
- 橋梁
- シールド掘進機(地中空間開発が担当)
- LaRWS(ラーズ)工法用プラント
- 水処理システム