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日産・フェアレディZ

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フェアレディZ(フェアレディ ゼット、FAIRLADY Z)は、日産自動車が製造・販売するクーペタイプの乗用車である。GT-Rと並んで日産を代表するフラグシップモデルで、日本を代表するスポーツカーとして幅広く知られる。スポーツカーではポルシェ・911とともに、単一車名で半世紀以上継続生産されている数少ない車種である。

なお、車名に「フェアレディ」を冠するのは日本国内のみで、海外ではエンジンの排気量にちなんだ名前で呼称される。ただし、2022年の現行モデルは北米市場を含め日本国外では「NISSAN Z」として販売されている。

また、海外への輸出向けは当初「DATSUN」ブランドで販売されていた。1983年の3代目以降は「NISSAN」ブランドに統一されている。

フェアレディZは2000年まで平塚市の日産車体工場で生産され、5代目以降は追浜(2002-2004年)と栃木(2004-現在)で生産されている。

日本における通称および愛称は主に略称である「Z(ゼット)」だが、北米を中心とした海外においては「Z-Car(ズィー・カー)」などと呼ばれる。

近年[編集]

7代目 RZ34型系 (2022年 - )[編集]

2022年(令和4年)1月14日 発表

型式は先代を踏襲した「RZ34」であるが内外装は一新され、スタイルは初代S30型のアイデンティティである「ロングノーズ」や、後方に向かってさがっていくリアビューなどを踏襲したデザインになった。エンジンはそれまでの自然吸気(NA)に代わり、3.0L V型6気筒ツインターボのVR30DDTT型が搭載される。

車名の由来[編集]

ブロードウェイミュージカルの『マイ・フェア・レディ』に感銘を受けた川又社長が、クルマにも洗練されてゆく美しさを求めた名前といわれる。「FAIRLADY」は貴婦人、「Z」はアルファベットの最後の文字であることから究極を意味する。また、初代開発スタッフに、当時のアメリカ日産社長片山豊がZ旗を贈ったエピソードもある。

ちなみに、北米日産がこの車にちなみ「z.com」というドメインを所持していた(以前はフェアレディZのページへ転送されたが、後にHTTPでのアクセス用としては利用されなくなり、最終的に2014年11月にGMOインターネットに売却された)。

ミス・フェアレディ[編集]

日産自動車グローバル本社(銀座4丁目交差点角にもショールームが存在)に置かれている日産自動車の直営ショールーム「日産ギャラリー」内にいるコンパニオン(ショールームスタッフ)は、「ミス・フェアレディ」と呼ばれており、日産自動車の顔として活躍している。また、東京モーターショーや新車発表披露会、各種イベントでもコンパニオンとして活躍している。

レース活動[編集]

初代[編集]

当初はS20登載のZ432とL24搭載の240Zを並行してレース用に開発していた。 先にデビューしたのはZ432だったが、常用8,000回転という高回転時の振動は多くのトラブルを生んだ。 加えて同じ排気量では同社のスカイラインGT-Rと食い合う事になる。そこでZはワンクラス上で戦う事になった。 240Zは常用7,000回転と高回転は苦手だが大排気量でトルクが太く乗りやすいマシンであった。 何よりも高回転まで回さないので振動が減った。神経質なS20と違ってメンテナンスも楽で燃費も良く、 Z432のエンジンをL24に載せ換えるレーサーも少なくなかった。次第にレースの主役は240Zになっていった。 なお、レース用のオプションとして、L24をクロスフロー化するシリンダーヘッド(LYヘッド)が300万円で設定された。

1970年
  • 1月 - Z432Rが全日本鈴鹿300kmでデビュー。公認が間に合わず排気量無制限のRクラスに出場。リタイヤ。
  • 3月11日 - 全日本ストッカー富士300キロレースで2位、3位獲得。
  • 4月 - レース・ド・ニッポン6時間耐久で初勝利。
  • 5月17日 - 富士フレッシュマンレースで「黒い稲妻」こと桑島正美がスカイラインGT-Rを破ってプライベーターとして優勝。
  • 5月24日 - 西野弘美/藤田皓ニが全日本鈴鹿1000キロ自動車レースでワークス勢を抑えて優勝。
  • 6月14日 - SCCAナショナルレースの北東部地区の第1戦にて第2位を獲得。
  • 7月17日 - 同レースのCクラスで優勝。北東部地区の第2戦にてファクトリーチームのトライアンフ・TR6、ポルシェ・914/6を押さえて優勝した。
  • 7月26日 - 全日本富士1000kmレースで240Zが初参戦。高橋国光/黒沢元治組がデビューウィン(1位)を飾る。
  • 8月23日 - 全日本鈴鹿12時間自動車レースにエアロダイナノーズ(Gノーズ)を装着した「240ZG」が出場。ポールポジションを獲得。
  • 11月14日 - RACラリーに全6名3組の日産チームと1台のプライベーターが「240Z」で参戦。本来であれば年内のモンテカルロ・ラリーに予定だったが、ホモロゲーションが間に合わなかったことで本レースに参戦する運びとなった。
  • 11月18日 - 同レース総合7位(クラス2位)獲得。ドライバーはアルトーネン/イースター組。他の3台はディファレンシャルのトラブルでリタイアした。
  • 11月19日 - カナディアン-アメリカン・チャレンジカップ最終レースの先導車に選ばれた。先導車はインディ500の優勝者サム・ハンクスが搭乗し、カリフォルニア州にあるリバーサイド・インターナショナル・レースウェイを走った。
  • 11月29日 - ロード・アトランタで行われた全米選手権のCクラスでトップ3を独占した。完走したドライバーはジョン・モートン、ボブ・シャープ、ジョン・マッコーブ。なお、Cクラスにはあと1台出場していた。
1971年
  • 1月 - 全日本鈴鹿300kmレースにて「240Z」が優勝。
  • 1月16日 - 第40回世界ラリー選手権モンテカルロ・ラリーに「ダットサン・240Z」が参戦。モンテカルロ・コースに、全3組が出場する。
  • 1月29日 - 同レースでアルトーネン/ポール・イースター組の62号車が総合5位(クラス2位)を獲得。トニー・フォール/マイク・ウッド組の70号車が総合10位(クラス3位)。バンバーゲン夫妻組の76号車は第2ステージの途中で惜しくも失格となった。なお、モンテカルロ・ラリーの10位以内に2台も入賞したのは日本車としては初めてである。
  • 4月12日 - 第19回世界ラリー選手権サファリラリーに「ダットサン・240Z」が初参戦。5日間の戦いを乗り越え1-2フィニッシュを達成し、総合、クラス別(FIA第4グループ、クラスB)・チーム優勝の3冠を獲得。日産は2年連続の全タイトル制覇を成し遂げた。優勝ドライバーは前年にもダットサン 510で優勝しているエドガー・ハーマン(英語版)。総合2位はシェカー・メッタ、7位はアルトーネン。また、クラス2位も獲得している。
  • 5月7日 - イギリスのウェールズ・ラリーGBにて、トニー・フォールが優勝。
  • 5月9日 - SCCAナショナルレースのサバンナ戦にて、1-2フィニッシュを飾る。
  • 5月16日 - 同レースのカンバーランド戦にて、1-2フィニッシュを飾る。
  • 5月29日 - 同レースのライムロック戦にて1位を獲得。
  • 5月31日 - 同レースのレイクチャール戦にて1位を獲得。
  • 6月12日 - 同レースのトンプソン戦にて1位を獲得。
  • 6月13日 - 同レースのポートランド戦にて1位を獲得。
  • 9月 - 富士グランチャンピオンレースで「Zの鯉沼」の異名を持つ鯉沼三郎が日産・プレジデント用のH30型エンジン(直6・3,000 ㏄)を載せた「Zスペシャル」で参戦。2位。
1972年
モンテカルロ・ラリーに「240Z」が参戦しラウノ・アルトーネン/ジャン・トッド組が総合3位入賞を果たした。氷雪路を走る戦いだったが、「FR方式は氷雪路では不利」とささやかれていた前評判をくつがえす結果となり、世界中のラリー関係者を驚かせた。
  • サファリラリーに「240Z」が参戦。ヘルマンが総合5位。
  • サザンクロスラリーに「240Z」が参戦し、アルトーネンが総合2位。
  • 6月 - 「富士グランチャンピオンシリーズ第二戦」で、何とプライベーター(日仏自動車チューン)の240Zが並みいる純レーシングカーを抑えて優勝。ドライバーは「Zの柳田」の異名を持つ柳田春人。
1973年
サファリラリーに「240Z」が参戦。排気量を規定上限レベルの2.5L (2,497cc)に拡大し、最高出力220馬力を発生するLR24型エンジンを搭載したマシンを操り、シェカー・メッタが総合優勝を獲得。2位にブルーバードU (610)が入りチーム優勝も獲得。
  • 1月18日 - モンテカルロ・ラリーに排気量を2.5Lに拡大した「240Z」が参戦。グループIVの1600cc以上のクラスに属し、モンテカルロ・コースに挑む。
  • 3月18日 - 富士グランチャンピオンレースにLY24型エンジンを搭載した「240ZG」が2台参戦。星野一義が5位、大塚光博が6位という結果に終わった。
  • 4月 - レース・ド・ニッポンにて「フェアレディ240ZR」が2位獲得。
  • 全日本鈴鹿1000kmレースにて「フェアレディ240ZR」が総合優勝を飾る。
1974年
サファリラリーに「240Z」が参戦し、総合4位。
1978年
  • 5月: 78 JAF富士グランプリ GTSクラスにて「フェアレディ280Z」が2位獲得。
  • 9月: 富士インター200マイルレース スーパーT&GTクラスにて「フェアレディ240Z」が優勝。

2代目 - 4代目[編集]

S130型からは、レース活動の主軸を北米に移し、ポール・ニューマンによってIMSA-GTOに活躍の場を見出した。IMSAの統括団体の解散に至るZ32型まで、北米でのレース活動が継続された。

1985年、3代目(Z31)300ZXターボが全日本ラリー選手権年間総合優勝。ドライバーは神岡政夫、コドライバーは中原祥雅。

4月: 第3戦 関西ラリー 5位
   第4戦 ACKスプリングラリー リタイヤ
   第6戦 ツール・ド・九州 優勝
   第7戦 ツール・ド・東北 優勝

1987年、Z31型200ZR-Iで参戦。

Z32がIMSAに1990年から参戦。エンジンはVGツインターボエンジンを1994年まで使用。1995年からプレジデントに搭載していたV8エンジンを搭載。ドライバーはスティーブ・ミレン。1992年と1994年、ドライバーズとマニュファクチャラーの両タイトルを獲得。 また1994年はデイトナ24時間レース、セブリング12時間レースで優勝、ル・マン24時間レースでも総合5位・クラス1位を獲得等。

パトカー仕様[編集]

1972年にS30型240ZGのパトカーが日産より神奈川県警察高速道路交通警察隊に寄贈された。当時は“最強のパトカー”ともいわれ、1980年まで活躍した。その後S130型、Z31型、Z32型、Z33型と代替わりしていった。1992年に導入されたZ32型は寄贈された車両であり廃車できなかったため2004年ごろまでは現役であり、2006年にZ33型のパトカーが導入された。またS30型の240ZGのパトカーは車両が廃棄されず残っており、県警交通安全センターで展示されていたが閉館したため県警が保管していた。現在は日産自動車に返還され、座間事業所内の座間記念車庫に保管されている。また、県警交通機動隊には白色のGS30型にボンネット上のウインドウォッシャー、バッテリー交換用の開閉部をリトラクタブルライト型の赤色灯にするという改造を施した覆面パトカーを1974年に配備している。

1975年には当時三重県警察本部長であった佐々淳行が、部下から「東名阪自動車道で『三重県警のパトカーはオンボロで違反車に追いつかない』と、ドライバーがスピード違反を平気でしている」と聞き、更新予定であったパトカー8台分の予算を使って高速道路の上下線用に各1台、計2台のフェアレディZを導入した。この車両は今までの同県警高速隊の車両(佐々の著作によると『トヨペット・カスタム』)では逃げられてしまっていた悪質速度違反車の取り締まりに絶大な効果を発揮し、またこのことはドライバー間でも話題となり、ついに三重県の高速道路からスピード違反が一掃された。

2007年にはZ33型Version NISMOが栃木県警高速隊本隊に配属され、東北自動車道で運用されている。

2016年にはZ34型NISMOが警視庁高速隊に導入された(2004年型マツダ・RX-8の後継車種)。

他にも大阪府警察でも導入されたことがある。



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