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日本音楽著作権協会

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一般社団法人日本音楽著作権協会(にほんおんがくちょさくけんきょうかい、英語: Japanese Society for Rights of Authors, Composers and Publishers)は、日本の著作権等管理事業法を設立根拠法に、音楽著作権の集中管理事業を日本国内において営む一般社団法人である。公式に英語の略称である「JASRAC」の表記をロゴとして使っており、「ジャスラック」と発音する。以下、この記事では「JASRAC」と表記する。

JASRACを示す意匠は二種類あり、青い線の集合で書かれたものは「ロゴ」と呼ばれ同法人名や利用許可を与えた店舗の表示に使われている。両端が尖った楕円に独自の書体で書かれたものは「マーク」と呼ばれ利用許可を与えた著作物に表示されている。

概要[編集]

音楽(楽曲、歌詞)の著作権を持つ作詞者・作曲者・音楽出版者から複製権・演奏権などの著作権の信託を受けて、音楽の利用者に対する利用許諾(ライセンス)、利用料の徴収と権利者への分配、著作権侵害の監視、著作権侵害者に対する法的責任の追及などを主な業務としている。

本部は東京都渋谷区の古賀政男音楽文化振興財団が所有するビル内に設置され、14の支部が日本全国の主要都市に設置されている。JASRACは現存する日本国内の著作権管理事業者としては最も古く、1939年に設立された社団法人大日本音楽著作権協会をその前身とする。

音楽著作権の管理業務[編集]

概要[編集]

音楽著作権の管理をJASRACに委託しようとする作曲者、作詞者、音楽出版者は、自らが保有する音楽著作権の支分権の全部または一部をJASRACに移転する(信託契約約款3条1項)。JASRACは、作曲者等から著作権の移転を受けて、自らが著作権を保有し、著作権の対象である著作物(楽曲、歌詞)の利用を希望する者に対して利用許諾を行う。著作物を利用した利用者からは使用料を対価として徴収し、5パーセント - 25パーセントの管理手数料 を控除した上で、委託者に分配する。このように、JASRACの著作権管理は「信託」によるものであり、作曲者、作詞者、音楽出版者が「委託者」、JASRACが「受託者」、音楽の利用者が「受益者」に相当する。

著作物の利用には、著作権の効力が及ぶ利用形態で、喫茶店・レストラン・ダンス教室(1971年より社交ダンス教室、2015年より全てのダンス教室に対象拡大)・歌謡教室(2016年より)・カラオケ(1987年より、1997年からは通信カラオケにも対象拡大)・フィットネスクラブ(2011年より)・カルチャーセンター(2012年より)・音楽教室(2018年より)・コンサート会場等における不特定または特定多数向けの音楽の演奏、CD・DVD・映画・オルゴールなどへの音楽の複製、テレビやラジオによる音楽の放送、インターネットによる音楽配信などがある。

音楽の無許諾利用である著作権侵害の監視も業務の一環で、無許諾による音楽利用を発見した場合、利用許諾契約の締結を求めるほかに過去利用分を遡及して使用料の請求を行う。損害賠償請求や使用差止請求などの民事訴訟手続や、告訴などの刑事手続に至る事例もある。著作権侵害に対する法的措置は、喫茶店やレストランにおける無許諾演奏が最も多い。2005年度事業報告書では演奏権侵害に対する法的措置の総件数は2995件で3129店だが、市場の縮小や適法利用率の向上から2009年度は1713件、2010年度は1043件、2011年度は970件と減少している。近年はインターネット上で違法に配信されている歌詞や音声ファイルを発見するシステムである「J-MUSE」を2000年10月に導入し、違法配信をするウェブサイトの管理者には個別に警告の電子メールを送付している。

利用形態ごとの状況[編集]

放送[編集]

著作権のうち、放送権(著作権法23条1項、公衆送信権の一種)の管理をJASRACに委託している者の作品を放送するには、JASRACの許諾が必要である。

2021年度にJASRACが放送事業者から徴収した使用料は279.8億円であった。JASRACが放送事業者から徴収した使用料は、8.5パーセントの管理手数料 (実施料率。届出料率は10パーセント)が控除された上で委託者に分配されている。

NHKや民放地上波はJASRACと包括的利用許諾契約を締結しており、JASRACは各放送局の年間放送事業収入の1.5パーセントに楽曲の使用割合を反映したものを放送使用料として徴収している。

楽曲の使用割合の根拠として、NHK全局、民放地上波テレビ全局及び民放地上波ラジオ局の一部はJASRAC管理楽曲の全曲報告を行っている。一方、民放地上波ラジオ局の一部は一定の期間を割り当て、その期間の使用曲目をサンプルとして報告を行っている。

民放衛星波はJASRACと包括的利用許諾契約を締結しており、JASRACは各チャンネルの放送内容の区分に応じて、各放送チャンネルの年間放送事業収入に使用料率を乗じた金額を放送使用料として徴収している。使用料率は主として音楽番組のチャンネルは2.25パーセント、総合編成のチャンネルは1.5パーセント、ニュース・スポーツ等のチャンネル0.75パーセントである。

コミュニティ放送の使用料については、JASRACと当該事業者との間で別途協議をしている。放送大学学園がJASRACと年間の包括的利用許諾契約を締結する場合の放送使用料は、著作物の利用目的、利用方法等を考慮しJASRACと放送大学学園間で協議して定める。

包括的利用許諾契約は、音楽作品を利用する放送事業者にとっては利便性が高い契約形態である一方で、放送権の管理分野で99パーセントという圧倒的なシェアをもつJASRACが放送局に対して包括的利用許諾契約を認めた場合、他の著作権管理団体との公正な競争が阻害される。詳細は「包括的利用許諾契約の運用問題」節を参照のこと。

インターネット[編集]

インターネット配信サイトでは違法な投稿や配信が多発し、削除依頼による適時削除でも違法状態の継続がみられたが、2008年4月にニコニコ動画、10月にYouTube、2010年7月にUstream、など、各動画サイトと包括的利用許諾契約を締結してサイト収入の2.5パーセントを著作権料として徴収しており、今後も契約先の増加させる方針である。

Winnyなどファイル共有ソフトのネットワークでは、著作権侵害コンテンツを公開しているユーザへ削除を求めるなどコンピュータソフトウェア著作権協会と協力活動している。

私的録音録画補償金の分配業務[編集]

JASRACは著作権者の地位を有しており著作権に基づく私的録音録画補償金を請求する権利を有する(著作権法30条2項)が、私的録音録画補償金請求権はJASRACではなく私的録音補償金管理協会(sarah)と私的録画補償金管理協会(SARVH)が行使する(著作権法104条の2)但しSARVHについては後述の通り機能不全に陥り最終的に解散した。

私的録音補償金[編集]

sarahは補償金をJASRACに36パーセント、実演家団体の日本芸能実演家団体協議会に32パーセント、レコード製作者団体の日本レコード協会に32パーセント、それぞれ分配する。2018年度のJASRAC配分は約845万円である。

私的録音対象には音楽著作物と言語著作物があり、JASRAC配分補償金は音楽著作物に係るものと言語著作物に係るものに区分され、2018年度は音楽区分約810万円、言語区分約35万円である。音楽区分補償金は10パーセントの管理手数料を控除後に権利者へ分配されるが、非委託者分は当該者の請求により分配しており、非委託者である音楽著作権(録音権)管理事業者のNexToneへ2018年度に約35万円が分配されている。言語区分補償金は日本脚本家連盟へ分配され、連盟規程により各権利者に分配される。

私的録画補償金[編集]

SARVHは補償金をJASRACに16パーセント、日本脚本家連盟、NHKと日本民間放送連盟など映像関連7団体から構成される映像製作者委員会、などに合計52パーセント、日本芸能実演家団体協議会に29パーセント、日本レコード協会に3パーセント、それぞれ分配する。2007年度のJASRAC配分は2億400万円である。JASRAC配分補償金は管理手数料を控除後に権利者へ分配されていたが、2012年に訴訟で敗訴して2015年にSARVHは解散し、制度破綻した。

沿革[編集]

プラーゲ旋風[編集]

日本は1899年にベルヌ条約に加盟して著作権法も施行されていたが、生演奏の他に録音媒体も再生ごとに使用料を支払う概念は皆無であった。1931年に旧制一高のドイツ人教師であったウィルヘルム・プラーゲが主にヨーロッパの著作権管理団体より日本での代理権を取得したと主張して東京に著作権管理団体「プラーゲ機関」を設立し、放送局やオーケストラなど楽曲を使用するすべての事業者に楽曲使用料の請求を始めた。

プラーゲの要求する使用料は当時法外で手法が法的手段を含む強硬であることから、海外の楽曲の使用が事実上困難になった。日本放送協会(NHK)もプラーゲ機関との契約交渉が不調で1年以上海外の楽曲を放送できなくなった。プラーゲは日本の音楽作家に対しても著作権管理の代行を働きかけ始めた。プラーゲの目的は金銭ではなく著作権の適正運用だったとも言われているが、楽曲利用者との溝は埋めることができずに日本人作家の代理権取得は更なる反発を招いた。一連は「プラーゲ旋風」と呼ばれ日本における著作権集中管理のきっかけとなった。

仲介業務法の成立[編集]

事態打開のため1939年に、著作権管理の仲介業務は内務省の許可を得た者に限るとする「著作権ニ関スル仲介業務ニ関スル法律」(仲介業務法)が施行されてJASRAC前身の大日本音楽著作権協会も設立され、翌年1940年に業務が開始された。プラーゲは著作権管理業務から排除されて同法違反で罰金刑を受け、1941年に離日した。文化庁は大日本音楽著作権協会ほか4団体に仲介業務の許可を与えて他の参入を認めず、音楽著作権の仲介は大日本音楽著作権協会の独占業務となった。

仲介業務法の終焉とJASRACの今後[編集]

著作権の一元管理は効率が高いシステムとして運用されてきたが、音楽ソフトのデジタル化やネットワーク化の進展などからJASRACの非効率性が指摘され、カラオケでも使用料や権利者への分配方法が決しないままビジネスが先行する弊害を招いた。旧来の録音、演奏、楽譜出版と、ゲーム、着信メロディ、ネット配信などの区分管理にJASRACの著作権信託が未対応な不備を改める求めなどもみられることから、2000年に著作権等管理事業法が成立して2001年に施行され、イーライセンス、ジャパン・ライツ・クリアランス(コピナビ)、ダイキサウンドなどの株式会社が音楽著作権管理事業に参入した。旧来の仲介業務法と異なり管理団体の設立が許可制から登録制に緩和されたが、JASRACの占有は大きい。

著作権政策への影響[編集]

私的録音補償金の対象機器拡大議論[編集]

JASRACは私的録音補償金対象機器の拡大を行政へ働いており、2005年4月28日の文化庁文化審議会著作権分科会法制問題小委員会で新たにデジタルオーディオプレーヤーを私的録音録画補償金制度の対象とするように要請したが、大半の所有者はコンパクトディスクの購入や音楽配信サービスからダウンロードなど正規に入手した音楽データをプレーヤーに複製(いわゆるメディアシフト)しており、「権利者の損失は無い」「著作権料の二重取り」など否定的意見が多く、2005年9月以降まで結論が先送りされている。

広報活動[編集]

  • TOKYO FM・JFN38局フルネットで放送中のSCHOOL OF LOCK!の提供を行なっている(毎週火曜日→水曜日)。また不定期で番組とコラボし、著作権についてのキャンペーンなどを行っている。
  • ニッポン放送制作全国ネットのラジオ番組、オールナイトニッポンでCMが放送されている。
  • TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」内正午前のTBSニュース(月・水・金)のスポンサーとなっている(以前に同番組で「悠里と学ぼう著作権」というコーナーで著作権についての紹介をしていた)。

役員[編集]

  • 会長:弦哲也(作曲家)
  • 理事長:伊澤一雅
  • 常務理事:中戸川直史 須子真奈美 増田裕⼀
  • 常任理事:宇佐美和男 露木孝行 河邉基晴 嶋谷達也
  • 理事:
    • (作詞者)
      • 石原信一 たきのえいじ 原文彦 前田たかひろ 巻上公一 松井五郎
    • (作曲者)
      • エンドウ. 岡千秋 小六禮次郎 千住明 水森英夫 渡辺俊幸
    • (音楽出版者)
      • 赤塚博人 稲葉豊 瀧澤千絵 平野達郎 堀義貴 見上チャールズ⼀裕
    • (学識経験者)
      • 上原伸⼀ 鈴木貴歩 角田政芳 戸ノ下達也
  • 名誉会長:船村徹(作曲家)(故人)

歴代会長[編集]

  • 水野錬太郎(1940年 - 1946年)
  • 国塩耕一郎(1946年 - 1948年)
  • 中山晋平(1948年就任)
  • 西條八十(1953年 - 1965年)
  • 堀内敬三(1965年就任)
  • サトウハチロー(1971年就任)
  • 古賀政男(1974年就任)
  • 勝承夫(1977年 - 1980年)
  • 服部良一(1980年就任)
  • 吉田正(1989年10月就任)
  • 黛敏郎(1994年就任)
  • 遠藤実(1995年 - 2001年)
  • 星野哲郎(2001年 - 2004年)
  • 船村徹(2004年 - 2010年)
  • 都倉俊一(2010年8月 - 2016年3月)
  • いではく(2016年4月 - 2022年3月)
  • 弦哲也(2022年4月 - )

歴代理事長[編集]

  • 増沢健美(1939年 - 1944年)(1948年 - 1957年)
  • 中山晋平(1944年 - 1948年)

(1957年から1965年は「専務理事」)

  • 春日由三(1965年 - 1971年)
  • 酒井三郎(1971年 - 1979年)
  • 国塩耕一郎(1979年 - 1981年)
  • 芥川也寸志(1981年 - 1989年)
  • 石本美由紀 (1989年 - 1994年)
  • なかにし礼 (1994年)
  • 加戸守行(1995年 - 1998年)
  • 小野清子(1998年 - 2000年)
  • 吉田茂(2000年 - 2007年)
  • 加藤衛(2007年 - 2010年)
  • 菅原瑞夫(2010年 - 2016年)
  • 浅石道夫(2016年 - 2022年)
  • 伊澤一雅(2022年4月 - )


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