日本財団
公益財団法人日本財団(にっぽんざいだん、英: The Nippon Foundation)は、公営競技の1つである競艇(ボートレース)の収益金をもとに、海洋船舶関連事業の支援や公益・福祉事業、国際協力事業を主に行っている公益財団法人。1962年(昭和37年)、笹川良一によって創立された。現会長は笹川陽平。なお以下名前を略す場合、混同を避けるため、下の名の「良一」「陽平」で記す。
2011年3月31日までの名称は、財団法人日本船舶振興会(にっぽんせんぱくしんこうかい、英: SASAKAWA Foundation)。
総資産額は3000億円近くにのぼり、日本最大規模の財団であるが、系列である笹川平和財団の方が日本最大の公益財団法人を標榜している。
概要[編集]
旧称日本船舶振興会時代の2010年(平成22年)決算時点で、資産総額2661億円。年間助成額226億円であり、当時日本全体の助成金およそ600億の内、3分の1以上を占めている日本最大の財団とされる。ただし、2010年(平成22年)時点で、特殊法人の側面が強かったために、助成財団センターが作成した「日本の上位20財団資産総額ランキング」からは掲載を除外されている。
海事科学の普及を目的として、日本海事科学振興財団(船の科学館)、青少年の健全育成のためにブルーシー・アンド・グリーンランド財団(B&G財団)、海洋分野におけるシンクタンクである海洋政策研究財団など、多くの公益法人を設立してきた。日本のハンセン病問題の解決など、ハンセン病の世界的な差別撲滅活動に長年取り組んでいる。
財団法人ではあるが、モーターボート競走法(昭和26年法律第242号)第22条の2の規定によって設置された関係上、特殊法人の性格をも併せ持っていたが、2007年(平成19年)の競走法の改正により、完全な民間の財団法人になる。
モーターボート競走法は「国土交通大臣は、モーターボートその他の船舶、船舶用機関及び船舶用品の製造に関する事業並びに海難防止に関する事業その他の海事に関する事業の振興に寄与することにより海に囲まれた我が国の発展に資し、あわせて観光に関する事業及び体育事業その他の公益の増進を目的とする事業の振興に資することを目的とする一般財団法人であつて」「船舶等振興業務」に関し「基準に適合すると認められるものを、その申請により、全国に一を限つて、船舶等振興機関として指定することができる」(第44条)としており、当財団は、国土交通大臣より「船舶等振興機関」として指定を受ける唯一の団体である。同法の規定により、船舶等振興業務規程、役員、事業計画、収支予算等について、国土交通省の認可を受けなければならない。財源には、競走法の規定によって、競艇の売上金の約2.6%(2007年(平成19年)3月、モーターボート競走法の改正がされる前は約3.3%)が充当されており、競艇と密接に結びついている。
1962年(昭和37年)に創立以来長らく、設立者の良一の指導力により、特殊法人の枠を超えた独自性のある活動を行ってきた。日本国政府全額出資の特殊法人である競馬(日本中央競馬会 = JRA)や、かつては社団法人が担当した競輪・オートレース(特殊法人日本自転車振興会・日本小型自動車振興会を経て現在は公益財団法人JKA)などの他の公営競技とは違って、民間の運営する財団法人であることから、所管官庁(当時は運輸省、現国土交通省)の干渉や天下りを受けない、独立的な傾向が強かった。
振興会が事業を実施するには所管の官庁である国土交通大臣(省庁再編前は運輸大臣)の許認可を得る必要があり、その意味では金銭の使途は制限されていた。また規則や規定により財団では支援することができない活動に対して、財団の事業とは別に、良一や陽平が自らの財産を寄付することもある。
1995年(平成7年)の良一死去後は、笹川色を薄める意見が出たため、財団の非常勤理事であった曽野綾子を2代目会長として迎え入れた。1996年(平成8年)から現在の正式名である「日本財団」を愛称として用いるようになった。2005年(平成17年)、第三代会長に良一の三男・陽平が就任。陽平の意向もあり、ハンセン病の世界制圧と彼らに対する差別撤廃と人権回復、ミャンマー政府と少数民族武装勢力との和解の実現にも注力している。
2003年(平成15年)には、日本財団、海上保安庁の支援の下、海事、漁業関係者が一同に参加した民間沿岸監視団体「海守」が創設された。海守は主に密漁、密航対策を目的としている。なお、海守の事務局業務は海上保安庁の外郭団体である海上保安協会が行っている。
2011年(平成23年)4月1日に、公益財団法人になると共に、正式名も「日本財団」になった。これにより、国土交通省は所管官庁ではなくなった(ただし、モーターボート競走法上の監督は引き続き受けている)。
2016年(平成28年)4月16日に発生した平成28年熊本地震の影響を受け、同年4月19日に都内で緊急支援策第1弾発表会見を開き、日本三大名城「熊本城」再建支援金30億円など、計93億円の支援金を用意したことを発表した。
2020年(令和2年)には、新型コロナウイルス感染症拡大に伴う支援を発表したほか、「災害危機サポートセンターの設置」、「救急医療施設・医療従事者への総額50億円規模の緊急支援の実施」、「タクシーを利用した医療従事者等の移動支援」を表明した。
事業概要[編集]
- 海洋・船舶支援事業、造船関係資金貸付
- 公益・福祉・ボランティア支援関係
- 介護保険法が制定されると、日本財団も介護事業の送迎用福祉車両にさらなる助成を行い。陽平会長下で新たに制定された、「青緑色の顔を手がつつんでいる」日本財団マークの塗装をした送迎車が、全国で見られるようになった。ほかに日本財団塗装のシルバー人材センター用軽トラックや、契約の違いから青緑でなくレインボーカラーの日本財団塗装をした送迎車も存在する。
- 海外協力援助事業
沿革[編集]
- 1949年(昭和24年)- 笹川良一がモーターボート競走法制定について働きかけを開始。
- 1951年(昭和26年)- モーターボート競走法が成立。
- 1953年(昭和28年)- 社団法人全国モーターボート競走会連合会(全モ連)を設立。
- 1962年(昭和37年)- 財団法人日本船舶振興会を設立。初代会長は良一。
- 1967年(昭和42年)- 財団法人日本海事科学振興財団及び財団法人航空振興財団を設立。
- 1972年(昭和47年)- 財団法人ブルーシー・アンド・グリーンランド財団設立。
- 1974年(昭和49年)- 財団法人笹川記念保健協力財団設立。
- 1975年(昭和50年)- 財団法人日本造船振興財団(のちの海洋政策研究財団、現在は笹川平和財団に統合)設立。
- 1980年(昭和55年)- 米日財団設立。
- 1986年(昭和61年)- 財団法人笹川平和財団設立。
- 1990年(平成2年)- 財団法人笹川スポーツ財団設立。
- 1996年(平成8年)1月1日 - 一般呼称を日本財団に改称。
- 1997年(平成9年) - 財団法人東京財団を設立。
- 2007年(平成19年) - (特非)CANPANセンター設立
- 2011年(平成23年)4月1日 - 公益法人認定により、正式名称を「公益財団法人日本財団」に改称。
- 2012年(平成24年)10月1日 - 設立50周年を機に、本財団設立以来親しまれたシェアマークを生かした新ロゴマークに変更。クリエイティブディレクターは佐藤可士和。
- 2015年(平成27年) - 日本財団パラリンピックサポートセンター設立を支援。(一財)日本財団学生ボランティアセンター(Gakuvo)設立。
- 2017年(平成29年) - (一財)日本財団ボランティアサポートセンター設立を支援。
歴代会長[編集]
- 財団法人日本船舶振興会
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- 初代:笹川良一(1962年10月1日 - 1995年7月18日)
- 2代目:曽野綾子(1995年12月11日 - 1995年12月31日)
- 日本財団
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- 初代:曽野綾子(1996年1月1日 - 2005年7月)
- 2代目:笹川陽平(2005年7月 - 現在)