日本料理
日本料理(にほんりょうり/にっぽんりょうり)は、日本の風土と社会で発達した料理をいう。洋食に対して「和食(わしょく)」とも呼ぶ。食品本来の味を利用し、旬などの季節感を大切にする特徴がある。
日本産の農林水産物・食品の輸出も2013年から右肩上がりに伸びている。2016年は7,502億円と2012年の4,497億円から1.7倍に増え、2017年は8,000億円台に乗せた。日本国政府(農林水産省)は1兆円を目標としており、海外における日本食レストランの増加と日本食材輸出を推進している。また、国内においては和食文化の保護・継承を図っている。
定義[編集]
広義には、日本に由来して日常作り食べている食事を含む。
狭義には、精進料理や懐石料理などの形式を踏まえたものや、御節料理や彼岸のぼたもち、花見や月見における団子、冬至のカボチャなど伝統的な行事によるものである。
名称[編集]
料理の概念[編集]
日本語の「料理」を意味するところは、家庭の台所や飲食店の厨房などで行われる「食品加工の最終段階」を指すことが多い。
現在では食品工場などで広く行われる脱穀・精米・豆腐・かまぼこの製造なども、地域・時代・集団によっては料理の範疇である。米の量をはかりどれだけ食べてどれだけ種籾とするかなど、家庭や国家の献立や食料計画をも意味する。また焼けた獣骨の遺物の発見から北京原人などと呼ばれるホモ・エレクトスの火の利用や、宮崎県幸島のニホンザルの群れがサツマイモを海水で洗い味つけして食べるということも、料理と考える場合もある。
尚、料理の概念は言語や国によって大きな異なりがある。中国語では「烹飪」と「菜餚」が料理の意味を表し、採集した野菜を烹で煮ることを意味する。英語でも「cooking」と「dish」二つの言葉がある。cookingは加熱することを意味し、加熱しない生のものを「raw」と区別している一方、dishは一つのお皿に盛り込みのことを表す。フランス語の「cuisine」は台所や厨房をあらわし、また調理や食品の料理もあらわす。また、ユネスコによる世界無形文化遺産登録以降、中国での簡体字ネット環境を中心に、「日本料理と和食の基本は中国の陰陽五行思想にあり」と言った何の一次史料や論理的な根拠を伴わない、文化の包摂活動が展開されている。この「陰陽五行説」は日本語環境下でも拡散が進んでいており、自明の前提として語られ始めている。
料理の語源[編集]
「料」は「米と斗の会意」で、米などの体積を斗などの計量器ではかる意味を持つ。加えて食料など食品の意味も持つようになり、また料理という言葉ができてからはその略ともなる。
「理」は「玉が意符で里を声符とする形声」で、宝玉のすじやきめを美しく磨くことから物事の筋道やおさめるという意味を持つ。平安時代に登場する「料理」という言葉は物事をはかりおさめる、うまく処理するという意味である。現在に通じる調理やそれによってできる食品を意味するようになる。
『世界大百科事典』によれば、原始時代の日本料理は米と魚を中心とし、獣肉と油脂の使用がきわめて少ないという特徴がある。平安時代にまでさかのぼると、大饗料理では椅子と円卓に散蓮華と言った大陸文化の影響があったが、平安時代の中盤以降は急速に和風化が進み、消えていった。鎌倉・室町時代に入ると、天ぷらのような西洋伝来した技術も取り入れ、ダシの旨味も重視し、ご飯を中心に日本料理としての形が作られた。特に御持て成し料理としての二汁五菜が定着していて、日本の家庭料理はご飯を中心にした一汁三菜の日常の食にある。これ以降には日本料理の基礎が固まり、江戸時代後期にほぼ完成に至ったものである。
和食の起源[編集]
和食の起源は諸説があり、「米と魚を中心とした食文化」が発達していることから、その原型は神へのおもてなしにある説が有名である。
『古事記』や『日本書紀』における火闌降命たちの神話や、その3代後の神武天皇紀などにあるとしている。ユネスコへの登録に関して出版された和食文化国民会議のブックレットによれば、和食には自然の中の神が年中行事の中で食と結ばれたという特徴を持つ。
東京家政学院の『ユネスコに登録された和食』によれば、和食の基本形は飯・汁・菜・香の物であり、白米・大根・ナスのような伝来した食材が使われ、魚介・海藻の豊富さ、蒸し・茹で・煮るといった調理法の簡単さ、昆布・鰹節・煮干しといった出汁文化、味噌・醤油・日本酒・味醂・酢・塩・砂糖といった調味料の多さ、平安時代から現代の日本まで継承された七夕のような節供の年間行事との関わりを挙げている。
京料理の料理人側から和食に見れば、「取り肴・造り・御椀・焼き物・揚げ物・焚合わせ・香の物」といった献立を成立させ、日によってこうした中から組み合わせその日の献立を作る。
- 「取り肴」ではちょうど口に入る大きさの1寸という型があり、和食はその大きさに切られ、四季の季節感を入れ込んでいく。
- 「造り」とは生魚を切ることを指す。造りは手作りの「作り」ではなく、建造の「造り」という漢字表記のことから、食材を美しい建物を建造するような感覚で調理すること。
- 「御椀」は日本料理を成立させるために不可欠な献立であり、鰹節と昆布だしを使い、カニや魚のすり身など主となる食材が入っており、その器も口をつけて食べることができるようになっている。
- 「焼き物」は腕を問われるものであり、魚を焼くという技術を高度化し、焼く火には炭火を使い客席に届くまでに余熱で中まで火が通るように仕上げる。
- 「焚合わせ」は日本の野菜で作った一皿料理のことを指す。歴史に見れば、奈良時代に伝来した茄子・蕪・葱、室町時代の大根、江戸時代のインゲン豆・蓮根・キャベツ・牛蒡・サツマイモ・竹の子・トマト、明治時代には玉葱・オクラ、昭和時代には白菜・ピーマンといったものが使われるようになっている。
- 「香の物」は香りの濃い漬物のことを指す。香の物は単独の料理より、煮物・蒸し物・煎り物などの料理と合わせて、副菜としてじっくり食べることが多い。
日本料理と和食の違い[編集]
「日本料理」と「和食」という言葉は文明開化の時代に日本に入ってきた「西洋料理」や「洋食」への対義語という形で誕生されていた。
「日本料理」には料亭で提供される高級料理のイメージがある一方、「和食」は高級食も家庭食も含む日本の食文化全体をあらわす言葉として、より相応しいとする意見もある。
20世紀初頭では、日本料理の用例は早くて1881年の『朝野新聞』5月20日にみられる。ある調査では明治、大正時代にかけて日本料理を書名に持つ書籍は4点しか見つからず、1904年の『和洋 家庭料理法』では日本料理は家庭料理を指しており、現在とイメージが異なっていた。1903年の村井弦斎の『食道楽』には日本料理、西洋料理が対比して解説されており、『食道楽 秋の巻』では米料理百種として、日本料理の部では油揚飯・大根飯・栗飯など50種のご飯を紹介している。
20世紀の中盤、「日本料理」は石井泰次郎による1898年(明治31年)の『日本料理法大全』により一般化され、「和食」はそれ以降に現れたものであると看做されている。
21世紀の日本権威辞書『広辞苑』や『大辞泉』にて、「和食」の項をひくと「日本風の食事、日本料理。」のように端的に書かれており、「日本料理」の項には冒頭の第一段落に説明したようなもう少し長い説明がある。
特徴[編集]
日本では、野菜・果物・魚介類・海藻などの食材が量も種類も非常に豊富である。これは日本が置かれている幾つかの地理条件が関係している。
- 周囲をプランクトンが豊富な海洋に囲まれている。特に三陸沖・オホーツク海沿岸を中心とする北西太平洋海域は、寒流の親潮と暖流の黒潮が合流する世界有数の大規模な漁場である。
- 島嶼やリアス海岸が多いため海岸線が複雑で長い(世界第6位)。また海岸は砂浜が少なく岩場が多い。結果、魚類が産卵しやすい環境となっている。
- 国土の大半が温帯湿潤気候に属する。四季による気温差、昼夜の寒暖差が大きく、年間を通して降水量が多いため植物が育ちやすい。
- 国土が細長く、さらにその7割が山岳地帯であるため河川は水源から河口までの距離が短く、また急勾配を流れるため水流が速い。結果として水循環が生まれやすい。
- 山地の大部分が広葉樹林に覆われていることで、水・土壌の養分が豊富である。
- 国土が南北に広く、亜寒帯から亜熱帯までを含む。
ほとんどの料理は、ご飯に対するおかずという位置づけであり、米と酒に調和する。
歴史的に肉食が禁止され、長きにわたり乳製品等の家畜製品は普及しなかった(乳製品には蘇と醍醐が例外的にあるだけで欠如した)。食用油の使用も中世までは発展せず、例外的に唐菓子があり、南蛮料理に由来する天ぷらによって、油の使用が急速に普及していった。このため、肉や油脂に代わる味つけとしてだしが発達した。こうした背景が淡白な味つけを生んでいる。強い香辛料はあまり使われず、旬の味、素材の持ち味が生かされる。主要な調味料である味噌や醤油は大豆を発酵させた調味料で、これもうま味を伴う。甘みづけには水飴・みりんが使われ、現在は砂糖が多用される。
現在の日本では流通が発達したため世界中の食品や調味料が入手でき、日本料理への応用も行われている。