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日本大学

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日本大学(にほんだいがく、英語: Nihon University)は、日本の私立大学。東京都千代田区に本部を置く学校法人日本大学によって運営されている。略称は日大(にちだい)。

全ての学部・大学院研究科が単科大学のようにそれぞれ独立したキャンパスを有しており、単一の大学としては日本最大規模である。

概要[編集]

大学全体[編集]

日本最大の規模を有する私立総合大学であり旧制大学である。2021年3月現在での卒業生総数1,215,371人、2022年5月1日現在での学生数74,112人も日本の大学全体で第1位である。また2022年度の警察官就職者数132人、2022年時点での社長の出身大学者数20,609人も日本の大学全体で第1位(※上場企業に限定した場合は第4位)である。

「常に世界的な視野をもち、教育の発展及び人類社会への貢献」を教育目標としている。山田顕義を学祖とし、創立関係者は宮崎道三郎と金子堅太郎を含む法律学者11名である。

前身たる日本法律学校を設立するにあたって、山田はその立場から、先の創立者との協議の上で「日本の古法旧制を明かにして、更に新しく生れる諸法典を研究するため、日本の法学を修める学校を設立する」ことを取りまとめた。すなわち、彼は大日本帝国憲法が発布された近代国家の創成期において、「国法」を専修する法律学校の設立が急務であると考え、直ちにその設立事業に取り掛かった。そして1889年(明治22年)10月4日、東京府から設立許可を得て、日本大学法学部の前身である日本法律学校が誕生した。また、山田は同学設立後も文部省に対して「特別認可学校」とするよう要請し、同学の運営財政面において尽力した。このように日本法律学校の設立事業と、学校設立時に彼が示した開学理念および思想は、その後の法学部のみならず、近代日本の発展に大きく寄与したことは周知であり、「近代法の祖」と称される由縁である。その彼を日本大学は学祖と位置づけている。

教育・研究活動を始め医療から生涯学習等、近代社会を目標に様々な活動を行っている。単科大学のようにそれぞれ独立したキャンパスをもち、図書館は全学部のキャンパスに置かれている。体育大会といったイベントを大学主催で実施しており、広範な学問領域を包含する国内屈指の総合大学としてのスケールメリットを学術研究の推進力と成果に結実させるために体系的な学術研究戦略を立案し、全国各地に附属校も設け学部連携研究推進シンポジウムを積極的に開催するなど、研究・教育内容の拡充・発展に取り組んでいる。16学部87学科・短期大学部5学科・通信教育部4学部・大学院20研究科・5付属病院・11高等学校・6中学校・小学校・幼稚園等を設置し、医学部、歯学部、薬学部、獣医学部の6年制4学部がある。医学教育の面では日本で最も早くOSCEを導入した。

1903年(明治36年)に日本大学と改称。1920年(大正9年)に大学令に基づく大学となった(詳しくは旧制大学参照)。マスコミ・芸能界、法曹界、政界、官界、財界、学界、土木・建築界、医師、技術者、アスリートなどの分野に多様な人材を輩出している。

建学の精神(校訓・理念・学是)[編集]

日本大学では1914年に4ヶ条からなる「建学ノ趣旨及綱領」が制定され、それが戦後(1949年)の改定により「目的および使命」と形を変え、さらに創立70周年を迎えた1959年の再改定によって現在の姿となった。 また、2007年6月1日に教育理念として「自主創造」を選定した。

目的および使命

日本大学は 日本精神にもとづき

道統をたっとび 憲章にしたがい

自主創造の気風をやしない

文化の進展をはかり

世界平和と人類の福祉とに

寄与することを目的とする 日本大学は 広く知識を世界にもとめて 深遠な学術を研究し 心身ともに健全な文化人を

育成することを使命とする

学風および特色[編集]

建学の起源[編集]

明治新政府は欧米の列強と条約改正交渉を進めるために新しい法律の整備を急いでいた。1889年2月11日の大日本帝国憲法の公布をきっかけに、欧米諸国の法律だけではなく、古典的な意味合いから日本独自の法律を教える学校を建設する必要性が高まっていた。皇典講究所所長である司法大臣山田顕義は、日本の法律を研究し国運の増進をはかることを目的とする学校の設立をめざし、同じ趣旨で学校設立計画を進める法律学者らを全面的に支援した。明治憲法公布と年を同じくして1889年の10月4日、皇典講究所の校舎を借り受ける形で現法学部の前身にあたる日本法律学校が設立された。日本大学はこの年を創立年としている。

沿革[編集]

略歴[編集]

時の司法大臣であるとともに、神職養成を行う中央機関である皇典講究所の所長を務めていた学祖・山田顕義は、日本の国文・国史の研究とともに国法も重視すべきとし、1890年(明治23年)に皇典講究所の校内に國學院を設立した際の「國學院設立趣意書」にはその三科が記されている。その一方で、東京帝国大学教授の宮崎道三郎らも山田と同じ趣旨で法律学校の設立計画を進めており、それを知った山田は彼らを全面的に支援することとした。その結果、1889年(明治22年)10月に日本法律学校が設立され、翌1890年(明治23年)に皇典講究所が国史・国文・国法を教授する國學院を開校する際に、その国法を専修する所として同校が位置づけられることとなった。いずれは日本法律学校も國學院に合併する予定であったが、1892年(明治25年)の山田の急死により頓挫した(皇典講究所の神職の教育養成機関としての役割は國學院大學神道文化学部に引き継がれている) 。

1898年(明治31年)3月に高等専攻科を設置。財団法人となり分離独立し、文理学部の前身となる高等師範科を設置。1903年(明治36年)に日本大学と改めた。翌年、専門学校令に基づく大学、経済学部と商学部の前身となる商科を設置。1920年(大正9年)、大学令認可となる。この頃、私立大学の中では初めに女子の入学を認めた。6月、理工学部の前身となる高等工学校を開設。翌年、芸術学部の前身となる美学科を設置。翌月には、歯学部の前身となる歯科医学校を開校。その4年後に医学部の前身となる専門部医学科も設置。戦後の学校教育法施行に伴い新学制に移行した。平成には天皇・皇后が祭式に出席した。その後も、学部増設や組織改称を繰り返し、16学部そのうち87学科、20研究科、5付属病院が置かれる。

年表[編集]

明治[編集]

  • 1882年(明治15年)11月 - 旧所在地・東京府麹町区飯田町五丁目8番地に皇典講究所が開校。
  • 1889年(明治22年)
    • 1月 - 山田顕義が皇典講究所所長に就任。
    • 10月 - 日本法律学校を設立(初代校長・金子堅太郎。法学部の前身)。
  • 1890年(明治23年)9月 - 皇典講究所講堂で開校式を挙行(翌月授業開始)。
  • 1892年(明治25年)11月 - 学祖山田顕義死去。
  • 1893年(明治26年)
    • 7月 - 第1回卒業式を挙行。
    • 12月 - 司法省指定学校となり、判事検事登用試験の受験資格を得る。第2代校長に松岡康毅就任。校友会を結成。
  • 1895年(明治28年)10月 - 神田区一ツ橋通町(現・千代田区一ツ橋2丁目)の大日本教育会内に移転。
  • 1896年(明治29年)6月 - 同区三崎町(現・神田三崎町)の新校舎に移転。
  • 1898年(明治31年)
    • 3月 - 高等専攻科を設置し、卒業生に日本法律学士の称号を授与。
    • 12月 - 学校組織を財団法人に改め、皇典講究所より分離独立する。
  • 1901年(明治34年)10月 - 高等師範科(文理学部の前身)を設置。
  • 1903年(明治36年)
    • 2月 - 高等予備科(予科の前身)・高等法学科(学部の前身)を設置。
    • 8月 - 校則を改め大学組織となり、日本大学と改称。高等専攻科を専門部高等専攻科、高等師範科を高等師範部、高等法学科を大学部、高等予備科を大学予科と改称。制服・制帽・徽章を制定。
    • 10月 - 外国語専修部(英語・ドイツ語専修科)を設置。
  • 1904年(明治37年)
    • 3月 - 専門学校令による大学となる(旧制専門学校)。政治科・商科(経済学部および商学部の前身)を設置。
  • 1905年(明治38年)
    • 9月 - 専門部に外国語科を設置(1907年廃止)。
    • 10月 - 大学部商科の授業開始。
  • 1906年(明治39年)
    • 1月 - 大学部を第一部(法律科)・第二部(政治科)・第三部(商科)に分割。商科附属殖民科を設置(1912年廃止)。
    • 8月 - 初の留学生をヨーロッパへ送る。
  • 1907年(明治40年)5月 - 東京獣医学校(生物資源科学部獣医学科の前身)設立認可。
  • 1908年(明治41年)2月 - 日本高等予備校設立認可。
  • 1911年 (明治44年)4月 - 大学部・専門部の政治科の授業開始。

大正[編集]

  • 1913年(大正2年)4月 - 日本大学中学校開校(最初の附属中学校となる)。
  • 1914年(大正3年)6月 - 「建学ノ趣旨及綱領」制定。
  • 1916年(大正5年) - 図書館開設。
  • 1917年(大正6年)4月 - 予科の修業年限を2年に延長。専門部宗教科を新設。
大学令公布(1919年4月1日)[編集]
  • 1920年(大正9年)
    • 3月 - 大学令による大学設立申請を行う。
    • 4月 - 大学令による大学設立認可。法文学部(法律科・政治科・宗教科・社会科)と商学部(商科)を設置。専門部と高等師範部に女子の入学が許可される。
    • 5月 - 創立30周年記念校舎竣工。日本大学設立認可祝賀会を挙行。
    • 6月 - 日本大学高等工学校(土木、建築)設置(理工学部の基礎となる)。高等師範部に国語漢文科を設置。
  • 1921年(大正10年)
    • 3月 - 法文学部に美学科(芸術学部の前身)を設置。
    • 4月 - 1916年創立の東洋歯科医学専門学校(歯学部の前身)を合併し、日本大学歯科医学校を開設。
    • 9月 - スクールカラー「紅」を制定。
    • 10月 - 神田区駿河台北甲賀町に新校舎建設。
  • 1922年(大正11年)
    • 3月 - 総長・学長の二長制に移行(総長・松岡康毅、学長・平沼騏一郎)。
    • 6月 - 日本大学歯科医学校を日本大学専門部歯科と改称。
  • 1923年(大正12年)
    • 3月 - 専門学校令による大学部・大学予科を廃止。
    • 5月 - 大学令による日本大学最初の卒業式を挙行。
    • 9月 - 関東大震災により三崎町と駿河台の校舎全焼。松岡総長死亡。
    • 11月 - 平沼騏一郎が総長に、山岡萬之助が学長に就任。
  • 1924年(大正13年)
    • 1月 - 仮校舎竣工。商学部に経済学科を設置。大学予科に3年制課程を追加。
    • 3月 - 法文学部美学科を文学科と改称。
    • 5月 - 専門部および高等師範部が高等学校大学予科と同等以上と指定される。
    • 11月 - 桜明会(女子学生会)結成。
  • 1925年 (大正14年)
    • 3月 - 専門部医学科(医学部の前身)を設置(駿河台)。大阪府中河内郡弥刀村に日本大学専門学校を設立。
    • 6月 - 学位規程と教授会規程を制定。

昭和[編集]

  • 1926年(大正15年)
    • 4月 - 高等師範部に地理歴史科と英語科を設置。
    • 10月 - 国本社日本大学支部を設立。
    • 11月 - 医学科附属駿河台病院を開設。
  • 1927年(昭和2年)9月 - 三崎町新校舎落成式を挙行。
  • 1928年(昭和3年)
    • 4月 - 工学部(理工学部の前身)を設置(予科2年、学部3年制)。
    • 5月 - 予科文科生徒による同盟休校事件発生(~6月)。
    • 7月 - 工学部本館竣工(駿河台)。
  • 1929年(昭和4年)
    • 4月 - 法文学部に史学専攻を設置。専門部工科(工学部の前身)を設置(2年制)。
    • 5月 - 校歌を制定(3代目、現在の校歌)。
    • 9月 - 予科文科校舎竣工(故・松岡康毅邸跡地)。
  • 1930年 (昭和5年)
    • 3月 - 横浜市神奈川区大口通127番地(現、JR横浜線大口駅の地)に 第四中学校・第四商業学校(第四普通部。現在の日本大学高等学校・中学校)を設置
  • 1931年(昭和6年)
    • 4月 - 五大学野球連盟(東都の前身)結成。
    • 7月 - 荏原郡碑衾町にプールを開設。
  • 1932年(昭和7年)1月 - 医学科附属看護婦養成所を設置(1951年廃止)。
  • 1933年(昭和8年)7月 - 法文学部文学科芸術学専攻と専門部文科文学芸術専攻が本郷金助町に移転、日本大学芸術学園と称した。
  • 1934年(昭和9年)
    • 3月 - 商学部を商経学部と改称。
    • 4月 - 学部教育は昼間部のみで行い、専門部教育は夜間とすることを大学理事会で決定(学部教育と専門部教育とを完全分割)。
  • 1935年(昭和10年)
    • 5月 - 医学科附属板橋病院を開設。
    • 10月 - 大学本部・図書館棟竣工。
  • 1936年(昭和11年)
    • 2月 - 日本大学図書館開館式を挙行。
    • 12月 - 法人の代表として総裁を置き、総長・学長を法人外役員とする(翌年山岡萬之助が総裁に就任)。
  • 1937年(昭和12年)
    • 4月 - 法文学部文学科芸術学専攻を法文学部芸術学科、専門部文科文学芸術専攻を芸術科に改組。専門部拓殖科(農学部の前身)を神奈川県高座郡六会村大字亀井野字三屋向1866番地(現在地)・通称むらさきが丘に設置(3年制)。
    • 6月 - 大学本部内に皇道研究所を設置(翌年皇道講座を開講)。
    • 12月 - 予科文科が世田谷区上北沢に移転(世田谷予科)。
  • 1938年(昭和13年)10月 - 創立50周年記念式典に高松宮宣仁親王台臨。
  • 1939年(昭和14年)
    • 2月 - 皇道講座を皇道学院と改称(終戦後廃止)。
    • 4月 - 工学部予科(予科理科)が世田谷に移転。法文学部芸術学科と専門部芸術科が板橋区江古田町に移転。
  • 1940年(昭和15年)
    • 2月 - 日本大学大阪専門学校を財団法人大阪専門学校へ移管(現・近畿大学)。
    • 3月 - 法文学部政治学科を政治経済学科と改称。
  • 1941年(昭和16年)5月 - 日本大学報国団を結成。
  • 1942年(昭和17年)
    • 3月 - 医学部の認可(予科3年、学部4年制)。
    • 4月 - 専門部文科・社会科の学生募集停止。
  • 1943年(昭和18年)
    • 5月 - 神奈川県藤沢市亀井野1866番地に農学部を設置(農獣医学部の前身)。
    • 9月 - 戦闘機日大号を陸軍に献納。
    • 10月 - 日本大学学徒出陣壮行式を挙行(後楽園球場)。
  • 1944年(昭和19年)
    • 2月 - 商経学部を経済学部と改称。
    • 4月 - 専門部 法律科・政治科・商科・経済科・宗教科および高等師範部の学生募集停止。専門部芸術科を専門部工科(板橋工科、写真工業科・映画工業科)に転換。
    • 9月 - 経済学部が三崎町から世田谷に移転(戦後三崎町に戻る)。
  • 1945年(昭和20年)
    • 4月 - 空襲により板橋病院焼失。
    • 8月 - 学徒勤労動員解除。
  • 1946年(昭和21年)
    • 1月 - 呉文炳が総長・総裁に就任。
    • 3月 - 専門部芸術科の学生募集再開。
    • 4月 - 三島予科を設置(野戦重砲兵第一旅団跡地)。
    • 7月 - 総裁を会頭と改め、理事長職を新設。
    • 8月 - 専門部拓殖科を廃止、農業経済科を新設。
学校教育法公布(1947年4月1日)[編集]
  • 1947年(昭和22年)
    • 2月 - 専門部法律科・政治経済科・商科・経済科・社会科・宗教科および高等師範部の学生募集再開。
    • 3月 - 専門部工科が駿河台から福島県高瀬村および守山町の第一郡山海軍航空隊跡地に移転(郡山工科、のちの第二工学部→工学部)。
    • 6月 - 農学部に林学科と水産学科(神奈川県横須賀市馬堀の陸軍重砲兵学校跡地)を設置。
    • 8月 - 法文学部に新聞学科を設置。歯学部予科を開設。
  • 1948年(昭和23年)
    • 3月 - 専門部医学科を廃止。
    • 7月 - 新学制による日本大学の設置認可申請を行う。
    • 11月 - 三崎町校舎に通信教育部を設置。
  • 1949年(昭和24年)
    • 2月 - 新学制による日本大学第一部(法・文・経済・工・第二工・芸術・農)設置認可。
    • 3月 - 新学制による日本大学第二部(法・文・経済・工)設置認可。 神奈川県藤沢市亀井野1866番地に日本大学農林高等学校(現在の藤沢高)、神奈川県横須賀市馬堀の陸軍重砲兵学校跡地に日本大学横須賀高等学校を設置。
    • 4月 - 旧制世田谷予科と三島予科を廃止し、新制世田谷教養部と三島教養部を設置。旧制専門部と高等師範部の学生募集停止。新制大学最初の入学式を挙行。「建学ノ主旨及綱領」を改め、 「目的および使命」を制定。
    • 10月 - 創立60周年記念祭に昭和天皇臨席。
  • 1950年(昭和25年)
    • 3月 短期大学部を東京都千代田区に設置。芸術学部に演劇学科を設置。農林高校を普通課程高校「日本大学藤沢高等学校」に校名組織変更。
  • 1951年(昭和26年)
    • 3月 - 旧制専門部および高等師範部廃止。日本大学横須賀高等学校日本大学藤沢高等学校に併合
    • 4月 - 大学院を設置。
    • 11月 - 1907年創立の東京獣医畜産大学を農学部に吸収合併。
  • 1952年(昭和27年)
    • 2月 - 医学部・歯学部を新学制に移行。工学部に薬学科(薬学部の前身)・工業経営学科(生産工学部の前身)を設置。
    • 3月 - 農学部に獣医学科を増設し、農獣医学部(生物資源科学部の前身)と改称。豊山中・高が日本大学と提携(1954年に日大本体に統合)。
  • 1954年(昭和29年)4月 - 歯学部附属歯科技工士養成所を設置。
  • 1955年(昭和30年)4月 - 岩手医科大学の委託を受け、進学課程(医学課程)の一般教育を三島教養部で実施(1966年まで)。
  • 1956年(昭和31年)3月 - 津田沼校地を取得(翌年工学部工業経営学科が移転)。大学院医学研究科を設置。
  • 1957年(昭和32年)
    • 3月 - 経済学部商業学科が独立し、商学部を設置。
    • 12月 - 三島高校を設置
  • 1958年(昭和33年)
    • 1月 - 文学部(高等師範部の後身)に学科を増設し文理学部に、工学部に物理学科を設置し理工学部と改称。
    • 3月 - 旧両国国技館を買収、日本大学講堂とする。
    • 6月 - 古田重二良が会頭に就任。
    • 12月 - スクールカラーを「緋」と定める。
  • 1959年(昭和34年)
    • 1月 - 「目的および使命」を改正。理工学部に数学科を設置。文理学部に独文学科を設置。
    • 10月 - 創立70周年記念式典に昭和天皇臨席。
  • 1960年(昭和35年)1月 - 芸術学部に放送学科を設置。
  • 1961年(昭和36年)3月 - 大学令による旧制日本大学廃止。
  • 1962年(昭和37年)3月 - 文理学部に体育学科、化学科、応用数学科を設置。農獣医学部に農業工学科、食品製造工学科を設置。
  • 1963年(昭和38年)
    • 4月 - 商学部砧校舎を開設(新東宝撮影所跡地)。
    • 12月 - 原子力研究所を設置。
  • 1964年(昭和39年)1月 - 経済学部に産業経営学科、商学部に経営学科、会計学科を設置。
  • 1965年(昭和40年)1月 - 第一工学部(工業経営学科の前身)を設置(理工学部経営工学科を廃止・昇格)。
  • 1966年(昭和41年)
    • 1月 - 第一工学部を生産工学部、第二工学部を工学部と改称。
    • 3月 - 付属豊山女子高を設置。
  • 1968年(昭和43年)
    • 5月 - 日大紛争起こる。
    • 9月 - 両国の日大講堂で大衆団交を開催。
    • 10月 - 政治介入により日大首脳部は全学集会での合意を白紙撤回。
    • 12月 - 会頭制を廃止し、会長と理事長に代表権を置く。
  • 1969年(昭和44年)4月 - 法学部大宮キャンパス落成(現在は体育施設)。
  • 1971年(昭和46年)2月 - 日本大学松戸歯科大学(松戸歯学部の前身)を千葉県松戸市に設置。
  • 1975年(昭和50年)
  • 1976年(昭和51年)
    • 3月 - 指定校(準付属に準ずる提携校)制度廃止。
    • 4月 - 日本大学松戸歯科大学を廃止統合、松戸歯学部へと改称。
  • 1977年(昭和52年)12月 - 理工学部第一部に海洋建築工学科、航空宇宙工学科、電子工学科を設置。
  • 1978年(昭和53年)12月 - 三島教養部を改組し、国際関係学部を静岡県三島市に設置。
  • 1979年(昭和54年)9月 - 山田顕義の生誕地・山口県萩市に顕義園を開設。
  • 1980年(昭和55年)3月 - 医学部附属看護専門学校を設置。
  • 1982年(昭和57年)
    • 2月 - 生産工学部実籾校舎を開設。
    • 6月 - 日本大学会館落成式を挙行、翌月に法人本部が三崎町から移転。
  • 1985年(昭和60年)11月 - 皇典講究所発祥記念碑を皇典講究所跡地(千代田区飯田橋)に國學院大學と建立。
  • 1987年(昭和62年)12月 - 薬学部を設置(理工学部薬学科を移行・昇格)。
  • 1988年(昭和63年)4月 - 法学部三島校舎設置(1992年まで)。

平成[編集]

  • 1989年(平成元年)
    • 4月 - 芸術学部所沢キャンパス開設。
    • 10月 - 天皇・皇后臨席のもと創立100周年記念式典を挙行
  • 1991年(平成3年)4月 - 医学部付属練馬光が丘病院を開設。
  • 1994年(平成6年)10月 - 総合学術情報センターを設置。
  • 1995年(平成7年)12月 - 農獣医学部を生物資源科学部と改称。
  • 1996年(平成8年)4月 - 理工学部習志野校舎を船橋校舎と名称変更。
  • 1998年(平成10年)
    • 3月 - 稲城総合グラウンド竣工。
    • 6月 - ケンブリッジ大学(イギリス)ペンブルック・カレッジ共同学寮落成。
    • 11月 - NUBIC(国際産業技術・ビジネス育成センター)を開設。
  • 1999年(平成11年)4月 - 所沢キャンパスに総合学術情報センターおよび大学院総合社会情報研究科(通信制大学院)、日本大学会館内に大学院グローバル・ビジネス研究科 (NBS)(ビジネススクール)を設置。
  • 2002年(平成14年)
    • 3月 - 原子力研究所を量子科学研究所と名称変更。
    • 4月 - 日本大学旧本部棟(法学部図書館)解体。
    • 12月 - 主婦の友社からお茶の水スクエアを取得。
  • 2004年(平成16年)
    • 4月 - 大学院法務研究科(法科大学院)設置。通信教育部校舎内に総合生涯学習センターを開設(三崎町キャンパス3号館内)。
    • 10月 - 法学部新図書館開館。
  • 2005年(平成17年)4月 - 大学院総合科学研究科(総合研究大学院)設置。
  • 2006年(平成18年)4月 - 薬学教育6年制移行により、薬学部薬学科を6年制に移行。
  • 2007年(平成19年)6月 - 日本大学のロゴマーク「Nドット」制定。
  • 2009年(平成21年)1月 - 入試情報等のサービス提供拠点として、日本大学インフォメーションプラザ(NUIP)を、日本大学会館の隣接地(市ヶ谷キャンパス)に開設(2012年12月27日閉館)。4月 - 付属藤沢中学校を設置
  • 2010年(平成22年)4月 - 大学院新聞学研究科・知的財産研究科(独立研究科)を設置。
  • 2011年(平成23年)
    • 3月 - 東日本大震災の避難場所として一時的にお茶の水キャンパスを開放。卒業式・修了式中止。
    • 4月 - 震災の影響により入学式中止。
    • 10月 - Googleと契約し、NU-AppsGという日本大学のクラウドを作る。
    • 11月 - 大学院グローバル・ビジネス研究科の学生募集停止を発表。
  • 2012年(平成24年)3月 - 練馬光が丘病院閉院。
  • 2013年(平成25年)4月 - 総長制を廃止し学長制へと移行。
  • 2014年(平成26年)
    • 9月 - 通信教育部および総合生涯学習センターが三崎町キャンパスから日本大学会館の隣接地(市ヶ谷キャンパス、日本大学インフォメーションプラザ跡地)に新築移転。
    • 10月 - 駿河台日本大学病院を「日本大学病院」と名称を改めて神田駿河台に新築移転。
  • 2015年(平成27年)4月 - 日本大学藤沢小学校を設置
  • 2016年(平成28年)
    • 4月 - 危機管理学部・スポーツ科学部を世田谷区三軒茶屋に開設。
    • 12月 - 日本大学教育憲章を制定。
  • 2017年(平成29年)4月 - 大学院知的財産研究科の学生募集停止。
  • 2018年(平成30年)4月 - 三崎町キャンパスを神田三崎町キャンパスと改称。
  • 2019年(平成31年)2月 - 芸術学部所沢キャンパス廃止。

令和[編集]

  • 2021年(令和3年)11月 - 田中英壽理事長逮捕(所得税法違反の疑い)。
  • 2022年(令和4年)
    • 1月 - 前理事長の脱税事件や元理事らによる背任事件を受け、日本私立学校振興・共済事業団が日本大学への経常費補助金(私学助成金)を全額不交付とすることを決定。大学側はこれによる学費値上げについては完全に否定した。
    • 7月 - 林真理子が理事長に就任。
  • 2023年(令和5年)
    • 8月 - 日本大学のアメリカンフットボール部の現役部員が5日に大麻及び覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕された。8日、都内の日大の大学本部で記者会見が行われ、同大学の林真理子理事長などが出席した。
    • 11月 - 27日、澤田康広副学長が林真理子理事長を提訴した。日大薬物事件対応で「パワハラ」。いわゆる近年稀にみる元検事がパワハラ提訴するという異例の事態となった。

所在地[編集]

  • 日本大学会館(市ヶ谷キャンパス、東京都千代田区九段南4-8-24)
  • 日本大学会館第二別館(東京都千代田区五番町12-5)
  • 日本大学桜門会館(東京都千代田区五番町2-6)
  • 法学部
    • 神田三崎町キャンパス(東京都千代田区神田三崎町2-3-1)
    • 大宮グラウンド(埼玉県さいたま市見沼区東新井541)
  • 文理学部(東京都世田谷区桜上水3-25-40)
  • 経済学部キャンパス(東京都千代田区神田三崎町1-3-2)
  • 商学部キャンパス(東京都世田谷区砧5-2-1)
  • 藝術学部(芸術学部)
    • 江古田キャンパス(東京都練馬区旭丘2-42-1)
  • 国際関係学部
    • 三島キャンパス(静岡県三島市文教町2-31-145)
  • 理工学部
    • 駿河台キャンパス(東京都千代田区神田駿河台1-8-14)
    • 船橋キャンパス(千葉県船橋市習志野台7-24-1)
  • 生産工学部
    • 津田沼キャンパス(千葉県習志野市泉町1-2-1)
    • 実籾キャンパス(千葉県習志野市新栄2-11-1)
  • 工学部キャンパス(福島県郡山市田村町徳定字中河原1)
  • 医学部キャンパス(東京都板橋区大谷口上町30-1)
  • 歯学部キャンパス(東京都千代田区神田駿河台1-8-13)
  • 松戸歯学部キャンパス(千葉県松戸市栄町西2-870-1)
  • 生物資源科学部
    • 湘南キャンパス(神奈川県藤沢市亀井野1866)
  • 薬学部(千葉県船橋市習志野台7-7-1)
  • 危機管理学部・スポーツ科学部
    • 三軒茶屋キャンパス(東京都世田谷区下馬3-34)
  • 通信教育部(市ヶ谷キャンパス、東京都千代田区九段南4-8-28)
  • 独立研究科
    • 法務研究科(法科大学院)(東京都千代田区神田三崎町2-2-3)
    • 総合社会情報研究科(東京都千代田区五番町12-5 日本大学会館第二別館)
  • ニューカッスルキャンパス(9 Church St, The Hill NSW 2300 Australia)

象徴[編集]

  • ロゴマーク
    • 2007年6月1日に全学統一のロゴとしてスクールカラーである緋色で頭文字のNと建学精神である日本精神、日本の伝統・文化の尊重、個の尊重とともに、輝く太陽をイメージした点(ドット)を組み合わせたN.(エヌドット)を選定した。
  • スクールカラー
    • 1921年(大正10年)に「紅(こう)」が選定され、校旗にもその色が使われたが、1958年(昭和33年)にあらためて緋色と定められた。運動競技で見られる「ピンク色」については、1922年(大正11年)、箱根駅伝に初参加した際に、すでに他校が「赤」を使用していたため、混同しないために採用したのが始まりとされる。


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